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2、アニマル会員たち

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「ーーハ~イ、彼女。もうクラブの仕事には慣れたかな?」そうメグちゃんに声をかけてきたのは、『五分ハゲ』と陰で呼んでいる50代前半の男だ。
 髪の毛がない額から頭頂部にかけて、周辺から毛髪を総動員して覆い隠し、ヘアスプレーでガチガチに固めている(本人は隠しきっているつもりらしいが、周囲にはモロバレ状態だ)。
 したがって、プールには入らない(入れない)、風呂にも入らない(入れない)、扇風機など風が強く吹いている場所には立ち入らない(立ち入れない)。
「ねえ、今度デートしようよ、入社祝いってことでさ」
「ゲへッ……」メグちゃんはうんざりした顔で答えた。
 五分ハゲがこのクラブにせっせと通う目的は明らかだ。ーーナンパである。
 このクラブは年寄りが多い。『年金クラブ』といわれているほどだ。したがって、若い女性は少ない。ましてや美人や可愛い子となるとかなり限られてくる。
 運の悪いことに彼は“メンクイ”だった。身の程知らずの彼は、次々とアタックするも、こっぱ微塵に吹き飛ばされ続けた。
 ーーうわぁ~、こりゃあ贅沢をいっている場合じゃないぞぉ。
 このことを真に悟った彼は、今度は見境なくローラー作戦にうって出た。
 なんと『キッズチェアーリーディングスクール』に通う、小学6年生の女の子にまで声をかけるという、相当テンパった状態になっていたらしい。
 その子の母親からのクレームで、クラブ側としても動かざるを得なくなった。
 そこで彼にーー今後、クラブでのナンパは一切禁止。それが厳守できなければ退会していただくーーと、申し渡した。彼もシブシブそれを了承した。
 が……どうも、いまだに隠れてこそこそナンパをやっているらしい。
 ーーまったく、懲りないバカタレだ。
 だいたいこの五分ハゲは、自分を飾り立てるために、ちょっとしたことでも大袈裟に吹聴しまくるのだ。だから『歩く針小棒大』と、スタッフや会員から呆れられている。
「ーー毎日精がでますね、問頭さん」
 美山が声をかけたのは、元市役所に勤めていた問頭忠志《もんどう・ただし》である。とにかく真面目が服を着て歩いているような男だ。
 定年退職を機に、老後の健康のためにこのクラブに入会したのだが、手を抜くことなく、毎日朝から晩までトレーニングに励み、真面目にやり過ぎて『過労』で倒れてしまったほどだ。
 ジムトレでは、トレーニング中の脱水症状を防ぐために、1時間に1回ぐらいの割合で「こまめに水分補給をしましょう!」とアナウンスを流す。問頭さんは忠実にそれに従う。
「美山さん、こまめに水分補給したら、小便が近くなっていけません。そうでなくとも年寄は便所が近い。我慢もきかない。しょっちゅう便所に駆け込んでいて、鍛練になりゃしない……」そう泣きごとをいいながら、前立腺肥大気味の問頭さんは、再び股間を押さえて便所に駆け込むのだった。
 今時、トレーニングを『鍛練』などというのは問頭さんぐらいのものだろう。
 ーーそういえば……、頻尿改善のために、膀胱を鍛えるトレーニング方法をキンカンに訊いていたことがあったっけ……。
 キンカンは、肛門筋を鍛えるのも1つの頻尿対策になると提案し、問頭さんのお尻にピンポン玉を挟ませ、締める緩めるを繰り返しやらせた。だが……途中で頓挫する結果となってしまった。
 それはーー通りかかったスクールに通う子供たちが、問頭さんの動きを見て、「鶏《にわとり》みたいだぁ!」「コケコッコーだぁ!」と指差して、必殺集団大笑いを問頭さんに向かってぶちかましたからだ。
 休憩用のベンチに座り、肩を落とした問頭さんは目に涙をにじませ、「両親に、人に笑われない人間になりなさい! そう厳命されていたのに……」と呟き、恨めしそうな表情でイジイジとピンポン玉を見つめていた。
 ーー子供たちも辛辣だが、問頭さんも、いい歳こいてなんてモロイんだろう……と美山は呆れ返ったものだ。
「こちらをご覧くださぁ~い」
 天生目の甲高いカマ声が響く。
「左手に見えますのが『スタジオ・A』、右手に見えますのが『スタジオ・B 』でございまぁ~す!」
 メグちゃんが説明を引き継ぐ。
「この両スタジオでは、曜日と時間によって、キッズの各種スクールやら、大人のヨーガ、ジャズダンス、太極拳といった、いろいろなプログラムのレッスンばやりようとです」
「ねえちょっと、それ全部無料でレッスンしていただけるのかしら?」イノシシ奥さんが目をパシパシさせる。                    するとメグちゃんがギャハハと笑って、イノシシ奥さんの肩をペシッと叩いた。
「よういわっしゃあ、奥さん。そげん世の中、あもうないっちゃ」
 いわれたイノシシ奥さんは、「まあ……!」と憤慨して、鼻から熱い息を噴水のごとく吹き上げる。
 機嫌を取り成すように天生目が間に入った。
「有料レッスンもありますが、もちろん無料レッスンもご用意しておりますことよ、ホホホ……」
「ほいなら、次に3階ばご案内しますけん」
 無頓着にメグちゃんが歩き出した。
 ーーなんだかなぁ……。
 見ていた美山は、妙な疲れを感じながら汗をぬぐった。
「ごゆっくりご覧になっていってくださいましねぇ~」天生目がシナを作って見送る。
 ーーちょうど3人がストレッチマットの横を通り過ぎようとしたときだった。
 バフォォォ~! という破裂音。
 続いて目がシバシバするほどの悪臭が鼻孔を襲う。
 今日のは特に強烈だった。それは、そばでホケーとつっ立っていた『でくのぼう』こと塙淳次が、「ウゲゲッ……」と、ふらついて片膝をつくほどであった。
「な、なんなんだ、この臭いは……」
「また……やりやがった……」
「クッセェー!」
 運悪く周辺にいた会員たちが口々に悲鳴を上げ、顔を歪めて鼻を押さえた。
 キツイ一発をぶちかました犯人はわかっている。今、マットでダイナミックなポーズでヨーガをしている、60代と思われる『スカンクババア』だ。
 他のトレーニングは一切行わず、ただひたすら年がら年中ストレッチマットでヨーガだけをやり続けている。したがって、あの年齢にしては驚異的に身体は柔らかい。
 ポーズ、瞑想、呼吸法で身心を整えるーーと、ここまではいい。
 問題はストレス発散法である。
 全身の力を抜き、脱力する。寝転がりながら体内に溜まっているあらゆるストレスを発散させていく。その際、腸内に溜まっていたガスも一緒に肛門から一発入魂で放出させるのだ。
 それがびっくりするほど臭い。何を食ったらこんな臭さになるのか。ガスとストレスが入り交じるからだろうか……。
 小石を投げた池の水面のように、周囲の人たちが波打って避難する。
「は、は、早よう3階さ逃げまっしょ」
 メグちゃんが火災でも発生したかのように、慌ててサル顔主人イノシシ奥さんを誘導する。
 一気に階段を駆け上がった。
 メグちゃんは平気な顔をしている。その横でサル顔主人とイノシシ奥さんが、ゼイゼイ肩で息をしながら文句を垂れた。
「……な、なんなんだ、こんな場所で盛大に屁なんかこきやがって!」
「……そ、そうよ。早く追い出してしまうべきよ!」
 メグちゃんは困った表情で、「オナラばこいたぐらいで退会にはできませんけんねぇ。ま、クラブとしたっちゃ辛かところばってん」と、支配人のような口調で釈明した。それから、どうぞお座りくださいと、夫婦をテーブルに案内した。
「ほいなら、3階ばご案内しますけん」
 3階には竹細工で編んだ円形のガラステーブルと椅子のセットが5組ほどあって、休憩ラウンジになっている。
 また、左右隣り合って、男性用、女性用のロッカールームの出入口があり、それぞれのロッカールーム内には、浴室とドライサウナが設置されている。また、水着に着替えて、そのまま4階のプールに行ける専用通路と直通階段もある。
 男性ロッカールーム内にあって、女性ロッカールーム内に無いものが1つある。
 それはーー『ターニングマシン』。つまり、日焼けマシンだ。
 2階のフロントで専用のジェルを購入してそれを塗り、円柱のカプセルに入って肌を焼くのだ。7分で500円。
 フリーウエイトゾーンのマッチョマンたちがよく利用する。
 メグちゃんが左側奥にある部屋を案内した。
「こちらはエステルームになっとうとです。ちなみに、有料ですけん」
 するとイノシシ奥さんが、「ねえ、ワタシ入会しようかしら。多少お金がかかったって、妻が美しくなるんだから、ねぇ、いいでしょう?」
 イノシシ奥さんは、目を下三日月にしてサル顔主人に問う。
「う、うん……それはそうなんだが……」
 たちまちサル顔主人の表情と声が曇る。
 そう、わかっているのだ。どうあがいても妻がこれ以上どうにもこうにもならないという現実を。
 エステルームからデブ女が出て来た。
「どうもありがとうございました」
 そのあとを追うように、艶やかな笑みを浮かべて挨拶をしたのは、エステシャンの毒島美代子《ぶすじま・みよこ》だ。
 しかし……これほどアンバランスな名前もないだろう。しかも『ぶすじま』とは……、女性にとってあんまりな名字だ。
 事実、小学校の頃から「ブス! ブス!」と、散々からかわれイジメられたんだそうな。しかしーー彼女は負けなかった。その悔しさを原動力にして、結婚もせず、ひたすらエステティックの道を精進した。そしてその執念が実った。
 特徴ある名字を逆に有効利用し、『ブスがあなたを美人にします!』をキャッチフレーズに、今ではテレビのレギュラー番組を持つほどの有名エステシャンである。
 パラダイス・クラブにおける“売り”の1つにもなっている。
 しかし、その毒島が結果を出せず苦戦している客がいた。
 その相手というのが、今、挨拶をして見送った『細渕紗理奈《ほそぶち・さりな》』である。
 『名は体を表す』というが、彼女の場合、完全にその真逆を爆走していた。
 大木《たいぼく》のような巨体を揺すってーー痩せたい! 美しくなりたい!ーーオメメにお星さまをいっぱい浮かべて、むき出しの欲望を胸に、『エステサロン毒島』の門をくぐってからもう1年になる。しかし、いまだに風貌が似ていることからこっそりと名付けられた、関取『逸ノ城』の四股名《しこな》は揺るぐことなく健在だ。
 美山の「願望はわからないでもないが、身のほど知らずだ」という当初の予想通り、これまで何の効果も表れていない。いや、それどころか以前より悪化しているとさえ見える。
 ーーそりゃそうだろう……と、美山は思う。
 有名なエステシャンに任せている、毒島ならなんとかしてくれるーーそんな他力本願的な油断からか、来館時、ジムトレやエステをする前に、1階の駐車場の車の中で、大好物らしい『ポテトチップスお徳用』の袋を抱え込んで、「腹が減っては戦《いくさ》はできぬ……」とブツブツ呟いて、ものの2分ほどでたいらげている姿を、ゴミ出しに来た美山は何度となく目撃していた。
「お金の無駄遣いよねぇ」
「自分を知らないにもほどがあるわよねぇ」
「いっそ胃ガンにでもなっちゃったほうが、手っ取り早く痩せられるんじゃないの」
 いつの間にか井戸端会議の場所を、3階ラウンジに移動させていた『アニマル腐れ三婆』が、前を通り過ぎた細渕を見ながら、顔を寄せ、声を潜めて好き勝手に吊し上げている。
 毒島も細渕の後ろ姿を見て、深い溜め息をもらした。
 その横には、色鮮やかな宣伝ポスターの数々が貼ってある。
 【ズボンに収まりきらない、チャックが上がらない。これこそ、恐怖のぜい肉】
 【振り袖のようにブルンブルン揺れる腕のブタ脂肪】
【見せたくないのに知らずに出ている、パンツの食い込みライン】
 〈はみ出るお肉にお悩みの方は『エステサロン・毒島』へ
 最新の痩身技術とクオリティーの高いエステメニューで、身体の内と外からアプローチ
 ーー真の美をあなたに! 『ブスがあなたを美人にします!』〉
「……大変だね」思わず美山は声をかけた。
「ええ……でも仕事ですから」毒島がほんのり微笑む。
「知ってる? 彼女、陰でポテトチップスの大袋をバリバリ平らげているのを」
 細渕の後ろ姿を見ながら美山は訊いた。
「ええ、チクってくださった方がいたので……。でも細渕さん、注意したり、強い口調でいったりすると、すぐに泣き出すんです。それもまぁ大声で……。オペラ歌手には太っている人が多い理由がわかりました」
「ああ、あのタヌキが絞め殺されるような咆哮ね。何度か聞いたことがあるよ。あれは凄い音量だねぇ。トイレに入っていた斑目《まだらめ》支配人が、何事かと驚いて、パンツ上げ忘れて飛び出したことがあるくらいだから……」
「まあ……細渕さんも、最近は痩せることや美しくなることよりも、ここに通うこと自体が人生の目的になっているようです。何といっても来店回数が飛び抜けて多く、売上げの面で貢献していただいております。ですので、うまくごまかしながらお付き合いさせていただこうと思っています」
 毒島は諦めに満ちた表情で美山にいった。
「うん、それがいい。しょうがないよ。きっと彼女はそういう家系なんだよ……」
「ーーそれでは最後に、5回にあるプールギャラリーから4階プールフロアをご覧いただきます」
 3階フロアの案内を終えたメグちゃんが、夫婦を上に連れて行くところだった。
 メグちゃんもだいぶ落ち着いてきたらしい。話す言葉が博多弁から標準語に変わっていた。
 5階はプールギャラリーになっている。ここからキッズスイミングの子供たちの保護者が、下の4階プールフロアで行われているスクールの様子をガラス越しに見学するのだ。
 美山は4階のプールフロアの方へ出た。とたんに目尻がベロンと下がった。
 その視線の先には、クラブ専用水着の上に赤い『ライフガード』の上着を着て、会員用受付カウンターに立っている、スイミングインストラクターの沢目ニーナがいた。
 お父さんがスペイン人、お母さんが日本人のハーフである。
 3階ジムトレの女性インストラクターたちは、容姿に恵まれない娘ばかりだが、この4階スイミングの女性インストラクターたちは、比較的美人が多い。
 その中でも美人ランキング断トツの1位は、ニーナであろう。ファッションモデルをやっているといっても、誰も疑わないほどの美女だ。
 2位は……。視線をスクールが行われているプールに移す。
 そう、初級・中級クラスを担当している、島袋寛子。彼女は沖縄出身のおおらかな娘だ。身体もおおらかで、身長は180センチある。得意は昼寝で、どこでもすぐに寝ることができる。『寝る子は育つ』とはよくいったものだ。エキゾチックな男好きの顔をしている。
 残念なのは、その隣で指導している猿渡美里《さるわたり・みさと》だ。一見、顔といい身体といい、バランスが取れた美人に見える。ところが近くでよ~く見てみると、けっしてそうではないことに気づく。
 美山は彼女の顔を眺めていて、誰かに似ているような気がした。そしてしばらくして思い当たった。
 ーーあっ、「忍者ハットリくん」だ!。
 その隣は、韓国からの留学生、朴愛里《ぼく・あいり》。上品な顔立ちに相反して、教え方は荒っぽい。子供たちを韓国語で怒鳴りつけ蹴散らしている。それも、とびっきりの笑顔で。したがって5階のプールギャラリーからは、楽しく張り切って指導しているようにしか見えない。なかなかしたたかな娘《タル》だ。
 目が合い、手を振ってきたのは、大学を卒業したばかりの新人インストラクター、猪狩信代《いかり・のぶよ》である。彼女の場合は、しっかりと名は体を表している。猪首の上に、オカッパ頭で、頬っぺの赤い四角い顔がのっている。身体全体が骨太で、水泳よりも柔道のほうが合っている体形だ。で、付いた渾名は『金太郎』
 とびっきり明るい反面、怒ると東北人特有の根の暗さでグイグイ押してくるタイプだ。青森から上京し、初めて、東京での一人暮らしを始めたばかり。 体格に似合わず繊細な神経の持ち主で、東京での生活に戸惑いや不安も多いらしく、美山はどきどき相談にのっていた。興奮して津軽弁でまくし立てられ、何をいっているのかわからないこともしばしばあるが……。ちびっ子メグちゃんと同期の研修生だ。
 会員用プールは3コースあって、一番右側は水中ウォーキングコースになっている。
 ここがまたババアどもで騒がしい。群れをなしてプールの中をワサワサ歩きながら、ベシャベシャお喋りに夢中である。まるでアフリカの川を渡る水牛のようだ。
 小1時間ほどウォーキングをしてから、併設されているジャグジープール、ミストサウナ、マッサージプールと順に回り、最後にロッカールーム内にある浴室でひとっ風呂浴びて帰る、そんな井戸端銭湯感覚でババアたちは通って来ている。
 ーーあっ!……クソッ、あのエロジジイのやつぅ……。
 視線の先では、『全パゲエロジジイ』が下卑た笑いを浮かべ、受付にいるニーナに何か話しかけている。
 このジジイは、『むっつりスケベ』が多いクラブの中で、『丸出しのスケベ』なのだ。まるでスケベが水泳パンツをはいて、歩き回っているようなものだ。ろくに泳ぎもしないで、プールサイドをウロチョロ徘徊する。そして隙あらばニーナにちょっかいを出す。
 全パゲのくせに“面食い”だから困ったものだ。ジジイだから動きは鈍いが、口先だけは老いを知らず達者なのだ。
 ーー先日、しつこくて仕事の邪魔になると、ニーナちゃんがこぼしていたっけ……。
 ーーよしっ! この際、1度懲らしめてやる……。
 美山はモップで床を拭きながら受付に近づいて行った。
 全パゲエロジジイは、尻をこちら側に向けてカウンターにもたれかかり、ニタニタ笑ってニーナに話しかけている。ニーナは困惑した表情で受け答えをしていた。
 ーーやるぞ……集中……1、2、3、喰らえっ~!。
 ギヤァァァ!。
 エロジジイは尻を押さえて、ウサギのようにピョンピョン飛び跳ねた。その跳躍力たるや、年寄にしておくのはもったいないほど見事なものであった。
 美山はニーナに向かって1つ頷くと、「あっ、大丈夫ですか?。いやいや、誠に申し訳ない。つい、モップかけに夢中になってしまって……」慇懃《いんぎん》に詫びた。
 美山がモップの柄でエロジジイの薄い尻の中心を思いっきり突き上げたのだ。いわゆる「大浣腸攻撃」である。
「な、何を……してくれよりまんねん。クッククゥ~」
 身を捩《よじ》り、悶え、赤い顔の中にある恨めしい目を美山に投げつける。そしてひと言呻いた。
「……こ、こ、肛門が燃えるぅ~」
 ーーその後、「美山さん、気持ちはわかりますが、ちょっとやり過ぎですよ」と、支配人の斑目からお小言を頂戴することとなってしまった。
 ーーいやしかし、まさか全パゲエロジジイが重度の『切れ痔』患者だったとは……。
 火傷《やけど》に塩を塗りたくられたようなものだ。
 トドメの一撃を浴びせられた全パゲエロジジイは、クラブ内の医務室で治療を受けながら、あまりの痛みに、叫び、呻き、悶えた。そしてその挙げ句、疲れ果てて2時間ほどベッドで寝てから、すごすごと尻を押さえて、内股歩きで帰って行ったそうな。
 しきりに平身低頭していた美山だが、内心では、
 ーーニーナちゃんにちょっかい出した天罰じゃ!。
 と、せせら笑った。
 ーーあっ、あっ、アカ~ン! 時間を過ぎてしまってるぅ。
 美山は慌ててモップを手に、2階『スタジオ・B』に向かって全力疾走した。
 ーーそこは南国の雰囲気に包まれていた。
  『スタジオ・Bで』は『タヒチアンダンス』のレッスンの真っ最中だった。
 美山は毎回これを楽しみにしていた。実は、美山は『ディープなむっつりスケベ』だったのだ。
 中には入れないのでガラス越しに、形だけモップで床を拭くふりをして、かぶり付きで見ていた。
 何といっても注目は最前列の3人だ。
 中心で踊っているのがインストラクターの銅谷《どうや》。両脇はアシスタントの降矢《ふるや》と不破《ふは》である。
 赤いハイビスカス模様の薄い布を胸と腰にまとい、広げた腕を漂わせ、腰をクネクネさせて踊る姿は……もう、シビレるぅ~。
 とくに銅谷のバランスのとれた小麦色の肢体は、かなりの豊満ビームをぶっ放している。
 また、色白の降矢の処女のような恥じらい。それでいて、「やる時はやりますよ!」的な、アンバランスさを感じさせる腰使いは……たまらない。
 さらに、不破……彼女のオッパイはでかい。やや垂れぎみではあるが、その形状からして、オッパイというよりも『ミルクタンク』といったほうが当てはまるだろう。エイッ! と力を込めようものなら、ブチッと布が弾け飛んでしまうのではないかという妄想を抱かせる迫力だ。一体何を食べたらこんなオッパイになるのだろう。やはり、乳つながりで“牛乳のガブ飲み”だろうか?。
 ポトリと手に何かが落ちた……ヨダレだった。不覚……美山は慌てて手で口元を拭った。
 ケケケケケッ……。
 左横から下卑た笑い声が響いた。
 ーーぬぬっ、やはり現れおったかぁ……。
 その下卑た笑いを垂れ流したのは、関西出身らしい万《よろず》という名の40代の男である。
「いやあ、このごっつい色気。ヨダレも垂れますわなあ。ケケケケケ」
 鼻の下をもうこれ以上は伸ばせヘン、というほどの全開状態で、美山にウインクを放った。
 この男、クラブ内では全パゲエロジジイと双璧を為す、『剥き出しのスケベ野郎』なのだ。
 いつもどこにいるのかわからない。だが、このレッスンの時間になると、降って湧いたように何処からともなく現れ、まるで『ヤモリ』のようにスタジオのガラスにベチャッとへばり付き、レッスンが終わるまで離れようとはしない。
 そして欲望を丸出しにして、「あのケツの動き、そそられるわぁ~」「ああ、あの乳に顔をうずめたいなぁ~」などと、ぶつぶつ独り言を呟きながら、食い入るように見つめているのだ。しかも、何か呟くたびに、そばにいる美山に「アンタもそやろ~、どや?」と同意を求めてくるのである。
 ーーバカタレ、お前なんかと一緒にされてたまるかっ!。
 美山は露骨に不快感を表す。同類のスケベに見られることはプライドが許さなかった。 
 こいつは下品極まりない剥き出しのスケベ。それに比べて自分は、上品な人柄の高貴なむっつりスケベなのだ。元来、身分が違うのだ、住む世界が違うのだーーという自負が美山にはあった。
 したがって、万《よろず》のことは一切無視することにしていた。
 しかし、スケベ心に関して、美山や万に限ったことではなかった。その時間になると、妙に『スタジオ・B 』付近のトレーニングマシンが、男性会員たちで混み合うのだ。カッコつけて興味なさげを装ってはいるが、視線はどれもこれもスタジオの中に向かってバッチリ固定されている。
 美山も意識をスタジオに戻す。
 ーーうわぁぁ、嫌なモノ見ちまった……。
 美山はいつも見ないように努めてきた。それは身体に悪いからだ。なぜならば、スクールに参加している女性たちの容姿が、どれもとても見るに耐えない代物ばかりだったからだ。それはまるで『タヒチアンダンス』というよりも、『相撲取りの土俵入り』のようであった。
 ーーだいたいこのような女力士たちに花模様の薄い布など装着させること自体、『軽犯罪法』に抵触するに値する。そもそも見る側の気持ちを一切考えない、不埒な行動以外のなにものでもないーーと、美山は憤慨していた。
 しかも今日はよりにもよって、銅谷、降矢、不破のそばにピタッとくっつくように踊っているではないか。だから嫌でも視界に入ってしまう。
 ーー離れろ!。な、なんだあの踊りはぁ。これはハッキリいって、ひどいーーというか、見るものにとって、むごい。一体、何を食ったらあんな体形になり、あんな奇妙な動きができるようになるのか。
 恐ろしいことに、降矢の隣はギャルババだった。わっ、な、なんと、壁にはめ込んである大鏡に映る自分の踊る姿を見て、うっとりとしているではないか……。やはり気が狂っているのだ。
 醜悪な姿に、美山は吐き気を催した。また、自分の姿を正視できるギャルババの心の異常さ、胃腸の強さに恐怖を感じた。
 不破の隣は、万城目《まんじょうめ》という名前のオバサンーーというよりも、横綱の「鶴竜」と呼んだほうがわかりやすい。
 アンコ型の体形で、本人は上手に踊っているつもりなのかもしれないが、どう見ても土俵際でガブっているとしか思えない押しの強さ。さらに土俵入りの「雲龍型」のようなせり上がり。さすが、横綱の力強さが感じられるーーって、なんなんだ!。
 ーー今、『タヒチアンダンス』やってんだろうがっ!。
 美山は憤った。その拍子に足がつった。思わずモップを放り投げた。
 このように、ここ『パラダイス・クラブ』は、アニマルゲスト(変態会員)が数多く集まる、まるで動物園のようなスポーツクラブだった。
 そして、定年を過ぎた年配者が6割を占めているため、汗と加齢臭で、館内は異様な臭いに満ち溢れているのであった。
 




 

 
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