風ノ旅人

歌の国『オルカストラ』編

歌の国の首都『ミファーナ』

　東の彼方から日が昇る。十数時間もの長い間、見渡す限りの世界を支配していた夜闇が、太陽が放つ極光に怯えるように地平線の彼方まで逃げていく。目を覚まし、着替えなどの支度を済ませてから窓外の景色を見ようとしていた僕は、視界を妨げていた朝露が窓を伝って消え去ってゆくのを細められた目で認めながら、昨晩の内に整理を終えたバックを背負い、泊まっていた部屋の扉を開けて外に出た。

「行ってらっしゃい、旅人さん」
「女将さん！　行ってきます！！」

　午前六時半という朝早い時間にも関わらず、玄関前で掃き掃除をしていた宿屋の女将さんに晴れ晴れとした笑顔と共に旅路を送る暖かな言葉を投げかけられた僕は、背中にムズ痒さを感じつつ、嬉しげな微笑を湛えながら言葉を返し、女将とバケツを持って宿から出てきた娘さんに手を振りながら宿屋を後にする。小走りで昨日の内に確認しておいた馬小屋へと向かい、同じく昨日の内に馬小屋の主人に頼んでおいた『ミファーナ行きの馬車』に乗り込み、ようやく歌の国の都市に着くぞと嬉々としながら、木板のササクレが目立っている危なげな荷台に、木片が尻に刺さらないように場所を選びながら、勢いよく座って胡座をかいた。

「よいしょっとお。よっしゃあ、出発するよ～」
「——！　お願いします！」
「はいよ～」

　馬達に繋がれている振るわれた手綱から乾いた音が鳴り、少しづつ加速していく馬車は、いつもより時間の進みが遅いなと感じた一夜を明かした村から離れていく。アイリの地を発ってから約一ヶ月が経った。僕はとうとう長すぎる時間をかけて進み目指してきていた目的地——歌の国の首都であり、恩人達が避難先に選んだ場所である、世界三大劇場があるという『ミファーナ』の目前へと足先を進めた。
　
　＊　＊　＊　　　　　　　　　
　　
　ガタガタと揺れ動く馬車の荷台で胡座をかいていた僕は、首都近くだけあって、この辺は流石に魔獣が少ないなと思いながら、昼食用に購入していた弁当（七十ルーレン）に詰められていた『ハムレタスのサンドイッチ』に齧り付き、良い感じの焼き加減を誇る厚いハムの肉汁や、レタスのシャキシャキ感に笑みを溢しながら「美味しい」と頬張った。

「あと二時間くらいで着くべ～。準備してくとええべ」
「——おお！　分かりました！」

　僕と同じく弁当に詰められていた『焼き卵のサンドイッチ』を食べていた御者が、目的地への到着時間を口一杯に物を含ませながらも割と聞き取りやすい声で教えてくれた。
　歌の国は『歌唱』の文化が根付いており、ほとんどの国民の歌唱力はその他の国を上回っているらしい。この文化——というか国民性かな？　そのせいで、所謂『音痴』の人の肩身が狭いらしく、国を飛び出して行ってしまう若人が多いというのも、歌の国の問題点の一つなのだとか……。というのを、ここに来るまでの道程で出会った、自称歌芸人だという『おちゃらけた』おじさんが言っていた。たしか『ドッカリ』がオルカストラの出身だって言っていたし、ハザマの国にいたということは、そういうことなのかも？　と、至極どうでもいいことを黙々と、サンドイッチをバクバクとしながら考えて、どうせ『ソルフーレン』で恋人探しでもしているに違いないドッカリのことを頭の片隅に追いやりさって、荷台の中を横揺れに抗いながら移動して御者台の後ろから顔を覗かせた。急に差した陽の光に反射で目を窄めた僕の視界に広がったのは、どこまでも続いている美しい蒼穹と、歌の国で最初の一歩を踏み出した時に見た、緑広がる広大すぎる平原だ。もう見慣れてしまっている歌の国・オルカストラの景色をマジマジと眺めながら堪能していた僕は、目の前に現れて、徐々に徐々に大きくなっていく、巨大の一言に尽きる『防壁』を認めて、興奮で唇を結び、目を見開き、ゴクリと喉を鳴らす。
　
「ソラくん！　見えてきた見えてきた！　あれが——」

　声のトーンが上がっている御者の言葉を待ちきれなかった僕は、彼の言葉を繋ぐように、興奮に一色に染まっている声を開け広げられてしまった口から漏らした。

「あれが、歌の国の首都——ミファーナ！！」

　大切な友人と命の恩人が目指そうとしていた避難場所であり、今日の今日まで僕の胸をモヤモヤさせていた『魔王封印』の謎が待っている場所でもある、その大きさはフリュー以上だと出会ってきた歌の国の人々が口を揃えていた、この国の最大都市！
　僕は再び限界近くまで溜まってしまっていた睡眠不足からくる疲労を吹き飛ばす興奮を持って、約一月ほどかけた大移動の末に、目的地——ミファーナに到着した！！

　＊　＊　＊

「それじゃ、俺はこの辺で失礼するよ～」
「ここまで、本当にありがとうございました！！」
「いいってことさ～」

　抑えきれんばかりの興奮のせいで大きく見開かれている僕の目を見て大笑いをしていた御者は、僕が荷物を背負って荷台から降りたことを認めると、来た道を戻るために馬達を旋回させた。そして軽めの言葉を交わし合い「この辺は魔獣が少ないし、冒険者がいなくても安全さ～」と別れの挨拶を済ませた御者は、後ろ手を振りながら進んできた道を戻っていった。去っていく御者の背中——乗ってきた荷台で背中は見えないけど——に心からの感謝を伝えるために深々と頭を下げていた僕は「よしっ！」と勢いよく頭を上げてから振り返り、背を向けていた場所を身体の正面にして、見上げるほどに巨大な防壁をマジマジと見つめた。
　
「おお…………」

　事前に聞いていた通り、僕の視界を埋め尽くすように聳え立っている超巨大な防壁の大きさは、故国である風の国の首都『フリュー』の防壁以上だ。僕の知り得る情報——昨日いた村で聞いた話だと、ミファーナの人口は五万人を軽く超えているらしい。とすると、この歌の国の首都の広さは『人口二万人』らしいフリュー以上になるのだと思う。人口五万人以上って、一体どんな世界が広がっているんだろうな。フリューは観光客が道を埋め尽くしていた感じだったけど、この街は住民達が道を埋め尽くしているのかもな。いや、ここは歌の国の首都だ。観光客も多いだろうし、歩道の混み混み具合は今まで行った街以上かもしれないな。人混みに揉まれながら進む覚悟をしておかないとだな。そういえば『菊の町』の人口ってどれくらいだったんだろ？

「——って、そんなどうでもいいこと考えてる場合じゃないな。早く検問所の列に並ばないと日が暮れるかも」

　ハッと肩を揺らして頭を振った僕は、急げ急げと小粒の汗を散らしながら道を駆けて、真正面に見える大門に続く、入都しようとしているのだろう人々が作る長蛇の列の最後尾に並んだ。
　
　——歌の国オルカストラの首都『ミファーナ』の人口と、その広大さは東方大陸でもトップに位置しており、都市の広大さで言えば、フリューの三倍ほどもある。人口はアリオン諸国の西海側にある国——東方大陸最大の陸上貿易都市である『バルバンバス王都』の人口十万人に次ぐ数だ。オルカストラ最大の観光資源として世界全土に名を馳せている世界三大劇場の『ミファナの星』は都市の中央に建てられており、屋根のあるドーム状の建物では毎月、オルカストラ——いや、名実ともに世界一の歌唱力を持っている、たった一人の『歌姫』によるコンサートが行われている。歌姫の歌声は『万病』に効くという真否不明の噂が存在しており、その歌姫の『聖歌』を聞くためだけに世界中の富豪達がこの都市を目指してきて、彼女の歌唱公演の『チケット』の価格は定価二千ルーレンにも関わらず、財に物を言わせる彼等彼女等のせいで『転売行為』が相次いでおり、その価格にして『十万～百万』ほどで取引が行われている。転売行為の対策は随時、都市の行政などによって行われているのだが、それでもなお、一攫千金を狙った輩によって、住民や観光客の健全なチケット購入の機会が奪われているというのが悲惨な現状である。現在は抽選により購入者を決めているのだが、如何せん、次から次に都市に入ってくる転売者達の団結によって凄まじい当選倍率になってしまっているのが、なんとも言えない。現状、歌姫の公演チケットを入手するのには、天文学的な確立を飛び越えて潜り抜けて擦り抜けていく『豪運』が必要だという領域にあった。そんな、言ってしまえば戦場と形容できる都市に入るソラは案の定、都市の安寧を担っている『反転売』を掲げているストレスマックス状態の検問官に詰め寄られていた……。

「都市に来た『目的』はなんですか——ッ？」
「もっ、目的は——特にないんですけど、知り合いがここに来ようとしていて気になっていたのと、歌姫が……」
「歌姫が——ッッ？」

　な、なんでこんなに高圧的なんだよ！？　何があったらこんな対応になるんだよ！！　訳が分かんないんだが！！　顔を限界まで引き攣らせてしまっていた僕は、凄味の効いた表情をしている顔を間近まで詰め寄せてくる検問官の、まるで怒号のような激しい声音に仰け反りながらなんとか対応する。
　
「う、歌姫が気になるなあって、だ、だけなんですけど」
「なんで気になるんですか——ッッッ？」
「そ、そんなの、わ、わわ、分かんないですよ。ま、魔王封印とか、聖歌祭とか聞いて、ここまで来たんです……」
「知識は有りだが、目的は不明記……と」
「…………え、えぇ？」

　手に持った下敷きに付けられた用紙に何かをつらつらと書いた検問官に「え？」という反応しかできなかった僕は、詰め寄られた緊張感から手汗が出てきてしまっていたため、それを服の裾で拭きながら、彼が記入し終えるのを待った。

「もうそろそろ『聖歌祭』があります。くれぐれも、街中で暴れたりしないようにしてくださいね——ッッッ！」
「りょ、りょりょ、了解——ッッッ！」

　僕の個人情報が記されているギルド製メタルプレートの情報を細かく紙に書き写していた検問官は『門を通っていい』というように、書き終えた用紙を横にある台に置いて、僕の身分証をやや乱暴に返還した。彼の反応的に、一応は通ってもいいけど、疑ってはいるよということなのだろう。何でこんなに疑われているのか、なぜ疑う必要があるのかは分からないけれど、魔王封印とかいう大層な『何か』の日が近いようだから、そのせいなのかなぁと思ったりする。僕は目に見えてイライラしている検問官に軽く会釈をして、そそくさと開かれた大東門をくぐって行く。何が何だか何も分かっていない僕は、その理由を探るべく、歌の国の首都である『ミファーナ』の地面を踏み締めた。