73 / 110
歌の国『オルカストラ』編
死しても二人は隣り合う
しおりを挟む
「…………」
「はあ、はあ、はあ……ロンっ! お父様が——パパがあっ!」
「…………っ」
ロンはアイネの手を『来た道を戻らせないように』痛まない程度に強く握り締めながら、右腕を失うという重傷を負ったアエルを死地へと置き去りにし、アイリの花園を越えた先にある、仄暗い影が満ちている森の中を駆けていた。
背を向けて、誰よりも大事な『恋人』を、彼女の父親から連れ去る形で戦場から『逃げ出した』ロンは、僕達のもとへ魔人を行かせないという意思を表しているかのような、空の彼方まで轟いているに違いない『男達』の死力を尽くす雄叫びで鼓膜を揺らし、目端から滂沱の涙を溢れさせた。
それでも、動揺し、困惑し、恐怖して嗚咽を漏らしている彼女を心底安心させてあげるために、滂沱に流れる涙を、吐き出したい弱音を、絶対に彼女に見せることはなかった。それに、愛している人に弱さを見せるわけにはいかない。
だから、ロンは心身に蓄積している疲労で息が切れないように腹に力を込めながら、彼女が転んでしまわないくらいの、ついて来れるくらいの微々たる走力で、これからの行く末を先導するように手を引きながら連れて去って行く。
「ロンっ……パパがっ、パパがぁっ……うぅっ……」
「…………」
何度も、何度も、何度も、ロンが振り返ることができない『後ろ』を振り返るアイネは、唯一の肉親であるアエルの死を心から案じてしまっており、何度も、何度も、走っている足を止めようとする。それでも、ここまで送り出してくれた彼等の思いを無碍にする訳にはいかないロンは、絶対に立ち止まらせないように、絶対に立ち止まってしまわないように震える足を叱咤して、力強く地を蹴り続けた。
ロンが纏っていた『友の風』は、アエルさんからアイネを散れ去った際に『もう必要ない』というように霧散して失われてしまった。今はただただ、世界に二人きりで——
「ロンっ……私っ……私……」
アイネは目端から溢れた大粒の涙を過ぎ去っていく場所に残しながら『何か』をロンにを伝えようとしている。
『父親を置いてきてしまった場所に戻りたい」
『私は死んでしまっても構わない。だから、だから……」
ああ、伝わってくる。何も言わなくても分かってしまう。
彼女の考えが、恋人の思いが、アイネの願望が……。
『皆んなで仲良く、一緒に食卓を囲みたいの」
いつか、いつか、ずっと、ずっと昔に彼女の口から聞いた言葉。ロンがいつまで経っても叶えてあげられなかった、彼女が欲していた心からの願い。ロンは彼女の望みに何も言ってあげられない。何も言えるわけがない。だって、いつまでもいつまでも、自分が弱かったせいで、逃げ続けたせいで、何一つ叶えてあげられなかったんだから。知ってて逃げた僕が、叶えてあげようとしなかったんだから——
『二人で村を出ましょう?」
何も言い出せない、何も成せなかった僕にアイネが言ってくれた逃げ道。僕のために用意してくれた彼女の優しさ。それも、彼女の心からの願いだったと思う。弱すぎる僕に用意してくれた希望の光——それが今、叶っていると言うのに。
死別——なんて恐ろしいのだろう。
もう二度と、この世界で会えることがないなんて。
何年も、何十年も、何百年も——アイネと添い遂げることができるこの時を、僕は望んでいたのに。二人でどこか遠くへ。二人、ずっと一緒に。ああ……思い出したよ。思い出したさ。ずっと、ずっと昔からこの時を——
アイネが泣いている。アイネが悲しんでいる。僕は、何を言えばいい? どうやって、彼女の涙を止めたらいい?
どこからか吹く風で開かれた灰雲の隙間から現れたのは、どこまでも続いているのだろう思わせてくれる壮大な蒼穹。 何も存在しない天空に敷き詰められた美しい『蒼』に見守られながら、スポットライトの如く、鮮烈な太陽から放たれた極光が僕達だけを照らしている。命を散らしかねない戦場から逃げ出した、後戻りできない状況で、僕は——
「……アイネ。これから、これから『どこへ』行こうか? 僕は、僕にはさ、行きたいところがいっぱいあるんだ。ソラの故郷のソルフーレンに行きたいし、鬼ヶ島にあるっていう『富士の山』にも行ってみたいんだ。でさ、だから、君にも行きたいところがあると思って。だから——」
アイネからの返事はない。ただただ、僕を見つめている。
僕がアイネを安心させてあげるには。彼女の心配を取り除いてしまうには。僕の力で『アイネの心』を攫わないといけないんだ。だから言うんだ。絶対に足踏みするな!!
「アイネ。僕は——俺は、君をずっとこうしていたい。この手を離したくない。世界で俺だけを見つめていてほしい。実は、ソラに嫉妬していたんだよ。俺の大好きなアイネと一つ屋根の下なんてーってさ。だから、えっと、だから」
ロンは覚悟を決めたように、風を全身に入れて——言う。
「俺は、何時までも何処までも、君を連れ去るよ、アイネ。だから俺と、ずっと『死んでも』一緒にいてほしい!!」
ロンの愛の告白は、晴れ切った蒼穹に吸い込まれていく。アイネが流していた『悲しみの涙』は、今この時——愛おしい人からの愛を受け入れた『歓喜の涙』へと変わった。
「……うんっ。私を離さないで、ロンっ! 何処へでも何時までも、私を連れ去って——」
「ああ。絶対に、死んでも離さないから。ずっと、ずっと、君を何処へでも連れて行く——」
二人は仄暗い森を飛び出して、開かれた大平原を駆ける。その平原には、アイリの花が一面に咲き誇っていて、二人を歓迎しているかのように、全てが美しい輝きを放っていた。
二人の知らない秘密の花園。そこに、今は二人だけ。
愛を結んで満たされた二人は、光の粒となって消ゆ。
二人の魂を縛っていた『愛離の呪縛』は、一人の風ノ旅人によって解かれた——……
「はあ、はあ、はあ……ロンっ! お父様が——パパがあっ!」
「…………っ」
ロンはアイネの手を『来た道を戻らせないように』痛まない程度に強く握り締めながら、右腕を失うという重傷を負ったアエルを死地へと置き去りにし、アイリの花園を越えた先にある、仄暗い影が満ちている森の中を駆けていた。
背を向けて、誰よりも大事な『恋人』を、彼女の父親から連れ去る形で戦場から『逃げ出した』ロンは、僕達のもとへ魔人を行かせないという意思を表しているかのような、空の彼方まで轟いているに違いない『男達』の死力を尽くす雄叫びで鼓膜を揺らし、目端から滂沱の涙を溢れさせた。
それでも、動揺し、困惑し、恐怖して嗚咽を漏らしている彼女を心底安心させてあげるために、滂沱に流れる涙を、吐き出したい弱音を、絶対に彼女に見せることはなかった。それに、愛している人に弱さを見せるわけにはいかない。
だから、ロンは心身に蓄積している疲労で息が切れないように腹に力を込めながら、彼女が転んでしまわないくらいの、ついて来れるくらいの微々たる走力で、これからの行く末を先導するように手を引きながら連れて去って行く。
「ロンっ……パパがっ、パパがぁっ……うぅっ……」
「…………」
何度も、何度も、何度も、ロンが振り返ることができない『後ろ』を振り返るアイネは、唯一の肉親であるアエルの死を心から案じてしまっており、何度も、何度も、走っている足を止めようとする。それでも、ここまで送り出してくれた彼等の思いを無碍にする訳にはいかないロンは、絶対に立ち止まらせないように、絶対に立ち止まってしまわないように震える足を叱咤して、力強く地を蹴り続けた。
ロンが纏っていた『友の風』は、アエルさんからアイネを散れ去った際に『もう必要ない』というように霧散して失われてしまった。今はただただ、世界に二人きりで——
「ロンっ……私っ……私……」
アイネは目端から溢れた大粒の涙を過ぎ去っていく場所に残しながら『何か』をロンにを伝えようとしている。
『父親を置いてきてしまった場所に戻りたい」
『私は死んでしまっても構わない。だから、だから……」
ああ、伝わってくる。何も言わなくても分かってしまう。
彼女の考えが、恋人の思いが、アイネの願望が……。
『皆んなで仲良く、一緒に食卓を囲みたいの」
いつか、いつか、ずっと、ずっと昔に彼女の口から聞いた言葉。ロンがいつまで経っても叶えてあげられなかった、彼女が欲していた心からの願い。ロンは彼女の望みに何も言ってあげられない。何も言えるわけがない。だって、いつまでもいつまでも、自分が弱かったせいで、逃げ続けたせいで、何一つ叶えてあげられなかったんだから。知ってて逃げた僕が、叶えてあげようとしなかったんだから——
『二人で村を出ましょう?」
何も言い出せない、何も成せなかった僕にアイネが言ってくれた逃げ道。僕のために用意してくれた彼女の優しさ。それも、彼女の心からの願いだったと思う。弱すぎる僕に用意してくれた希望の光——それが今、叶っていると言うのに。
死別——なんて恐ろしいのだろう。
もう二度と、この世界で会えることがないなんて。
何年も、何十年も、何百年も——アイネと添い遂げることができるこの時を、僕は望んでいたのに。二人でどこか遠くへ。二人、ずっと一緒に。ああ……思い出したよ。思い出したさ。ずっと、ずっと昔からこの時を——
アイネが泣いている。アイネが悲しんでいる。僕は、何を言えばいい? どうやって、彼女の涙を止めたらいい?
どこからか吹く風で開かれた灰雲の隙間から現れたのは、どこまでも続いているのだろう思わせてくれる壮大な蒼穹。 何も存在しない天空に敷き詰められた美しい『蒼』に見守られながら、スポットライトの如く、鮮烈な太陽から放たれた極光が僕達だけを照らしている。命を散らしかねない戦場から逃げ出した、後戻りできない状況で、僕は——
「……アイネ。これから、これから『どこへ』行こうか? 僕は、僕にはさ、行きたいところがいっぱいあるんだ。ソラの故郷のソルフーレンに行きたいし、鬼ヶ島にあるっていう『富士の山』にも行ってみたいんだ。でさ、だから、君にも行きたいところがあると思って。だから——」
アイネからの返事はない。ただただ、僕を見つめている。
僕がアイネを安心させてあげるには。彼女の心配を取り除いてしまうには。僕の力で『アイネの心』を攫わないといけないんだ。だから言うんだ。絶対に足踏みするな!!
「アイネ。僕は——俺は、君をずっとこうしていたい。この手を離したくない。世界で俺だけを見つめていてほしい。実は、ソラに嫉妬していたんだよ。俺の大好きなアイネと一つ屋根の下なんてーってさ。だから、えっと、だから」
ロンは覚悟を決めたように、風を全身に入れて——言う。
「俺は、何時までも何処までも、君を連れ去るよ、アイネ。だから俺と、ずっと『死んでも』一緒にいてほしい!!」
ロンの愛の告白は、晴れ切った蒼穹に吸い込まれていく。アイネが流していた『悲しみの涙』は、今この時——愛おしい人からの愛を受け入れた『歓喜の涙』へと変わった。
「……うんっ。私を離さないで、ロンっ! 何処へでも何時までも、私を連れ去って——」
「ああ。絶対に、死んでも離さないから。ずっと、ずっと、君を何処へでも連れて行く——」
二人は仄暗い森を飛び出して、開かれた大平原を駆ける。その平原には、アイリの花が一面に咲き誇っていて、二人を歓迎しているかのように、全てが美しい輝きを放っていた。
二人の知らない秘密の花園。そこに、今は二人だけ。
愛を結んで満たされた二人は、光の粒となって消ゆ。
二人の魂を縛っていた『愛離の呪縛』は、一人の風ノ旅人によって解かれた——……
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
「クズスキルの偽者は必要無い!」と公爵家を追放されたので、かけがえのない仲間と共に最高の国を作ります
古河夜空
ファンタジー
「お前をルートベルク公爵家から追放する――」それはあまりにも突然の出来事だった。
一五歳の誕生日を明日に控えたレオンは、公爵家を追放されてしまう。魔を制する者“神託の御子”と期待されていた、ルートベルク公爵の息子レオンだったが、『継承』という役立たずのスキルしか得ることができず、神託の御子としての片鱗を示すことが出来なかったため追放されてしまう。
一人、逃げる様に王都を出て行くレオンだが、公爵家の汚点たる彼を亡き者にしようとする、ルートベルク公爵の魔の手が迫っていた。「絶対に生き延びてやる……ッ!」レオンは己の力を全て使い、知恵を絞り、公爵の魔の手から逃れんがために走る。生き延びるため、公爵達を見返すため、自分を信じてくれる者のため。
どれだけ窮地に立たされようとも、秘めた想いを曲げない少年の周りには、人、エルフ、ドワーフ、そして魔族、種族の垣根を越えたかけがえの無い仲間達が集い―― これは、追放された少年が最高の国を作りあげる物語。
※他サイト様でも掲載しております。
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
復讐完遂者は吸収スキルを駆使して成り上がる 〜さあ、自分を裏切った初恋の相手へ復讐を始めよう〜
サイダーボウイ
ファンタジー
「気安く私の名前を呼ばないで! そうやってこれまでも私に付きまとって……ずっと鬱陶しかったのよ!」
孤児院出身のナードは、初恋の相手セシリアからそう吐き捨てられ、パーティーを追放されてしまう。
淡い恋心を粉々に打ち砕かれたナードは失意のどん底に。
だが、ナードには、病弱な妹ノエルの生活費を稼ぐために、冒険者を続けなければならないという理由があった。
1人決死の覚悟でダンジョンに挑むナード。
スライム相手に死にかけるも、その最中、ユニークスキル【アブソープション】が覚醒する。
それは、敵のLPを吸収できるという世界の掟すらも変えてしまうスキルだった。
それからナードは毎日ダンジョンへ入り、敵のLPを吸収し続けた。
増やしたLPを消費して、魔法やスキルを習得しつつ、ナードはどんどん強くなっていく。
一方その頃、セシリアのパーティーでは仲間割れが起こっていた。
冒険者ギルドでの評判も地に落ち、セシリアは徐々に追いつめられていくことに……。
これは、やがて勇者と呼ばれる青年が、チートスキルを駆使して最強へと成り上がり、自分を裏切った初恋の相手に復讐を果たすまでの物語である。
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる