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ハザマの国・編
VS? イカ魔族
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宿のベットで深い眠りについていた僕は、太陽が地平線の彼方から顔を出したのと同時刻に、目を覚ました。
パッと目を開けた僕は頭を掻きながら上半身を起こし、両腕を天井に向け、ググッと背伸びをする。
「ふぅー」と背伸びを終えて深く息衝き、身体を捻って後ろを向く。枕の上側に置かれている時計の針が指し示している現在の時刻は、午前六時二十分だ。
いつも通りの時間に目を覚ました僕はベットから立ち上がり、着ていた寝巻きから、いつもの私服に着替えを済ませる。
外に出る準備を済ませて部屋を出て、宿のフロントで雑巾で拭き掃除をしている女将と、その娘に「おはようございます」と挨拶をする。
相変わらず凄まじい目力で睨んでくるだけで、僕が言い放った挨拶の返事は何も返ってこなかった。
一週間も変わらずこの調子だから、流石に彼女等の無視に慣れてしまっているわけで、僕を無視して拭き掃除を再開した彼女等の横を通って洗面所に向かい、そこで顔を洗い終え、僕はフロントにある朝食の並べられた食卓の席についた。
そしてこれも相変わらずと言っていいだろう『変な隠し味』のするスープと、この焼かれた肉は『馬肉』かな? それと『謎の赤紫色の草』が混じっているパンを、僕は遠慮なく全て平らげた。
着替えを済ませ、顔を洗い、食事を終えて準備万端になった僕は、魔族討伐隊の仕事のため、七時前という早朝にも関わらず、もう一人の討伐隊のメンバーと待ち合わせをしている丘の上に向かう。
「行ってきます」
「「……」」
これまた返ってきた試しのない挨拶を『一応ね』という感じで行う僕に対し、相変わらず彼女等の反応はなかった。
顔が引き攣りそうになる僕は、何とか作り笑いを顔に浮かべ、宿屋の玄関を開けて外に出る。
「……雨が降りそうだな」
外に出て顔を上げた僕が見たのは、遠くの空から流れてくる、黒色をした分厚すぎる暗雲であった。
雨や雷が降らないといいけどな——と思いながら、僕は駆け足で村を移動し、ニアくんと待ち合わせをしている丘の前に、彼よりも一足先に到着した。
魔族討伐隊が活動を始めてから——一週間が経った。
一向にイカ魔族が見つかる気配はないものの、ニアくんの心は安定しているから、この調子だと「もう遠くに行ったのかもね」という感じで、魔族討伐隊は解散になると思われる。
僕も自分の『母探しの旅』があるから、この村に一、二カ月間も長居はできないし、ニアくんも、そのことを何となく察してくれている気がするから、明日までに魔族が見つからなければ、僕の方から『イカ魔族探索の打ち切り』の旨を伝えるつもりだ。
そんなことを思考しながら待つこと二十分。
「お待たせ!」と言って、僕のもとへと走ってきたニアくんに、僕は「おはよう」と挨拶をする。
僕の挨拶を聞いた彼は「おはよう、ソラ兄ちゃん!」と言って、僕が発した挨拶を返してくれた。
この村で『唯一』僕の挨拶を返してくれる友人に、僕は嬉しさで笑みを溢す。
そして彼が待ち合わせ場所に来たことを確認した僕は、森がある村の東側を指差し、言う。
「それじゃあ、行こうか」
「うん!」
魔族討伐隊の任務を遂行するべく、僕達は『イカ魔族の目撃例』がある、一週間通い詰めた森へと歩いて向かった。
* * *
魔族捜索を始めてから、五時間が経過した。
現在の日時は、八月二十五日、正午が過ぎた時間帯だ。
暇潰しの『しりとり』をニアくんとしながら魔族を探している僕の鼻頭に、ポツリ——という水滴が落ちてきた。
「お?」と僕が空を見上げると、今朝の予想通りに遠くから流れてきていた暗雲が僕達の真上の空をすっぽりと包み隠してしまっており、その暗雲から膨大な量の雨が森全体に降り注ぎ始め、凄まじ量の水滴は木々が生い茂らせる木の葉を軽く縫いながら、地に立つ僕達のもとに到着する。
「うわっ! どこか雨宿りできる所を探そう!」
「う、うん!」
僕達は空から降り注ぐ滝のような雨から逃げ惑うように、いつも以上に暗い影に満たされてしまっている薄暗い森を駆け巡った。
そして——
「あ! ソラ兄ちゃん、洞窟があるよ!」
「行こう!」
「うん!」
僕達はイカ魔族探索中に寄ったことのない——というか、今日初めて見つけた洞窟に足を踏み入れて、そこで大雨を降らす暗雲が遠くの空に流れ行くのを待つことにした。
僕はニアくんの傘にしていたコートをギュッと搾り、吸い込んだ雨水を一気に吐き出させ、残った水を切るようにコートを『バッバッ』と勢いよく振った。
「ソラ兄ちゃん、大丈夫? 寒くない?」
「ん? 全然平気だよだよ。それよりも……」
僕はニアくんの心配に笑顔で「大丈夫」と伝えた後、奥深くまで続いていそうな洞窟の暗闇を見つめる。
まさかこんな所があるなんて——と思いながら、僕はある『予感』を胸の内に感じていた。
ニアくんも僕と同じ予感を胸の内に感じているのだろう、僕の背中に手を当てて隠れるように身を隠し、表情を緊張させながら洞窟の暗闇を見つめている。
無言のまま突っ立っていた僕は地面に置いていたバックから、野宿用の布と、火の魔導具を取り出す。
「そ、それで何をするの……?」
「えっとね——」
ニアくんの疑問の声に対し、僕は行動で答えを示した。
僕は腰に差していた鏡面剣を引き抜き、剣を失って軽くなった鞘に野宿用の布を巻き付ける。
そして布を巻きつけた鞘を『松明』のように片手で持ち上げ、火の魔導具を使って布に火を灯した。
即席力尽くの光源を確保した僕は、右手で鏡面剣を持ち、背に隠れていたニアくんに言う。
「奥に行ってみよう」
「……う、うん」
そう言って洞窟の暗闇の中へと入っていく僕とニアくんは、トゲトゲした緊張感を周囲に発しながら、ゆっくりと慎重に、小さい歩幅で進んでいく。
僕は魔族の襲撃に対し即座に『反応と対応』ができるよう、一言も声を発することなく、浅く息を吐きながら極限の集中力を発揮し、その集中の維持に神経を尖らせた。
洞窟を進んでいくこと——約十分。
僕達が一週間も森を歩き回って探していた、童話に出てくる人型のイカ魔族は、何とも呆気なく見つかった。
『グギ、ギュギュギュゥゥゥ!?』
「そ、そそ、ソラ兄ちゃん……っ!?」
「ニアくん落ち着いて。絶対に僕から離れないで」
日の光が入らない、どこまでも続いていそうな洞窟の暗闇から放たれる『赤い二つの眼光』を僕達は認め、僕は咄嗟の判断で、眼光の浮かぶ闇の方に、唯一の光源である松明を放り投げた。
洞窟内を満たしていた暗闇は、火の光を恐れて逃げていってしまうものの、その眼光の主は僕の静止を強制させるほどの鋭い視線を受け止めたせいで、その場から逃げることができず、闇に隠れていたその異形の姿を現した。
その魔族は『イカの頭』を首の上から生やしていた。
赤い眼光を放つ二つの目に、ギザギザした鋭い歯を生やした大きすぎる円形の口。
胴体から生える人のものではない二本の腕は、イカやタコのように複数の吸盤が上から下にビッシリと付いている。
魔族の下半身から生えている地に立つ二本の足は、四つの触手が一本に絡まり合ったかのようになっており、数本の紐を捻ったかのような形をしていた。
その姿形は、ニアくんの言っていた『イカ人間』そのものであり、目の前にいる存在が僕達が躍起になって探していた魔族であると確信させた。
目の前にいる魔族が『人を食べて、その人に化ける』という特性を持っているかは見た感じ謎のままであるが、だからどうしたという感じだな。
このままこの魔族を放っておく気は、僕には毛頭ない。
討伐——という低い心の声が僕の全身を満たし、魔族に有無を言わさない超速で、僕はイカ魔族に斬り掛かった。
「ふッ!」
『ギュギュギュッ——!?』
凄まじい速さで魔族に肉薄した僕が繰り出す上段斬りを、魔族は驚愕で目を剥きながら両の触腕を交差させた。
しかし、三万ルーレンした鏡面剣と、トウキ君とのハザマの国での行動を糧に強くなった僕の斬撃を、その程度の防御で防げるわけがない。
僕の容赦のない斬撃はイカ魔族の両触腕を斬り落とし、反射で反ったイカ頭には届かなかったものの、魔族の胴体を剣先で浅く斬り裂いた。
『ギュギュギィィィィィィッッッ!?』
斬り落とされた両腕と斬り裂かれた胴体から、イカ墨のような『黒血』を勢いよく噴き出させる魔族は、まるで助けを呼んでいるような絶叫を洞窟内で打ち上げる。
人の恐怖を助長させるような凄まじい大声量は洞窟内の隅々まで反響し、僕の背後にいたニアくんは反射で耳を畳み「うあわっ!」という声を上げてその場で蹲った。
そんな耳を塞ぎたくなるような汚い大絶叫を物ともしなかった僕は、両目を恐怖に染めていた魔族に無意識の『殺意』を宿した眼光を向ける。
恐怖で身動きが取れなくなってしまった魔族を見て『好機』と察した僕は、ググッと右肘を背後に溜め、魔族が反応できないほどの速さで『剣突』を繰り出し、イカ魔族の頭部を貫いた——!!
『ギョォッ!? ギュ……ゥ……——』
頭部を貫かれた魔族は体をビクッと跳ねさせ、その体色を周囲と同化させていた茶色から、白色へと変色させた。
無言で魔族を殺害した僕は、無意識の殺意が宿っていた目で微動だにしなくなった『イカ魔族の死骸』を認め、軽く息を吐き、身に纏っていた戦意を霧散させる。
「ニアくん、もう大丈夫だよ。他の視線は感じないし、多分ここにいたのは、この一体だけだと思う」
僕は耳を塞いで、身体を小さくさせるように蹲っていたニアくんの肩を叩き、安心させるように優しく声を掛けた。
僕の声を恐る恐る顔を上げて聞いたニアくんは、僕の手を取ってゆっくりと立ち上がり、頭部を撃ち抜かれて絶命した『イカ魔族』の死骸を見て、口を開けたまま固まってしまった。
そんな呆然と固まってしまっている彼に、僕は気を取り直させるように再び声を掛ける。
「ニアくんの言っていた通り、本当に『イカ魔族』はいたんだよ。これを今から持ち帰って、村の人達に見せないといけないね」
「……う、うん」
僕は地面に転がしていた松明を手に取り、洞窟内に生き物の気配は感じないが、一応の警戒として辺りを見回す。
イカ魔族の仲間が洞窟内にいるとは思っていないけど、ニアくんがいる手前『もしも』があってはいけないからな。
「…………っ!?」
火の光が届いたギリギリの場所——僕の視界にチラッと映り込んだものに全意識を持っていかれた僕は、焦ったように『何か』が見えた場所へ飛ぶように向かった。
「——? どうしたの、ソラ兄ちゃん?」
僕の様子の変化を心配したニアくんは、片膝を地面につき手に取った『何か』を愕然とした表情で見ていた僕のもとへと歩み寄る。
「こ、これは……」
息を震えさせる僕が手に持っていたものは、大きな鞄。
僕に凄まじい既視感を感じさせてくる大きな鞄は、一週間前に村から消えた、僕を村まで運んでくれた『御者』が使っていたものにソックリだった。
しっかりとした重みのある膨らんだ鞄を焦ったように開けた僕が見た鞄の中には『見覚えのある』男物の服と下着、それと結構な額のルーレン通貨が入っていた。
もしかして御者は魔族に襲われたのか——と頭の中がグチャグチャになって混乱しかけるも、ニアくんの「ソラ兄ちゃん……?」という心配した声音を耳に入れた僕は、グッと腹に力を入れて平静を取り戻し、鞄を持ったまま勢いよく立ち上がった。
「今すぐ村に戻ろう」
「う、うん」
僕はニアくんに『御者の鞄』を持たせ、手の空いた僕は、自分が殺した魔族の死骸を抱えて運ぶ。
そして、今だに視界を妨げてしまうほどの土砂降りの雨が降る森の中を僕達は強行し、何とか森を出て村に辿り着くことができた。
そして村に着いた僕達は一息も吐くことなく、背の高い木々が生い茂らせていた木の葉の恩恵が無くなって、さらに猛烈な強さになってしまった大雨を頭から被りながら、村長宅へと一直線に向かった。
「村長さん! 村長さーんっ!!」と扉を壊れる一歩手前の強さで叩いて、絶対に僕の呼び声が聞こえているメイドが折れて出てくるまで辛抱強く呼び続けること——約五分。
ギィィィ——・・・・・・という音を鳴らして薄らと扉が開き、その隙間から背の低い妙齢のメイドが顔を出した。
やはり呼び出しても出てくるのが遅かった低身長のメイドに僕が『イカ魔族の死骸』を見せると、彼女は愕然としたように目を見開いて、僕達を家の中に入れてくれた。
それから真っ直ぐな廊下を速足で進み居間に入り、玉座のような椅子に座っていた村長に魔族の死骸を見せた。
村長は魔族の死骸と、ニアくんが持っていた御者の鞄を見た瞬間『驚愕に満ちた顔』をしたものの、すぐさま緊張したように表情を引き締めた。
「……なんと、ニアの言っていたことは本当だったのか」
そう言う村長は態とらしく大袈裟に慄いており、彼の両脇に立つ男女の従者は『恐怖』を感じているのか、両足を震わせて声を出せずにいた。
「すまなかったな、ニア。信じてやれなくて……」
村長からの『薄っぺらい』感じのする謝罪を聞かされたニアくんは、顔を下に向けて「いいよ。ソラ兄ちゃんが何とかしてくれたから……」と表情に暗い影を纏いながら、喉奥から絞り出すように声を発した。
それからは『村長の言う通り』に村人全員の家を訪問し、魔族の死骸を見せて回った。
その後「あとはこちらで何とかしよう」と言って、村長が魔族の死骸と御者の荷物を求めてきたので、僕は懐疑的な感情を持ちつつも、それを表に出すことなく「分かりました」と受け入れて、彼に死骸と荷物を預けた。
色々な用を済ませた僕達は、村長宅から傘を借りて帰路に着く。
ニアくんを家族が待っている家まで送り届けた僕は、膝を折って、小さい友人と目線を合わせた。
「ニアくん。君の言っていた『イカ魔族』は倒したから、僕は明日、この村を出るよ」
「ソラ兄ちゃんは……お母さんを探してるんだよね」
「うん」
「……明日、村を出て行く時は見送りたいから、時間を教えて」
「えっと、朝の八時くらいに出ようと思ってる。僕が早めに着いても、君が来るまで待っておくから」
「絶対、約束だよ」
「うん。約束する」
僕は友と一時的な別れを済ませ、宿に向かって歩いて行く。
そして胸の内にある妙な不安を感じながら、ふと空を見上げた。
見上げた空は昼と変わらずの、暗雲立ち込める灰色のままで——
パッと目を開けた僕は頭を掻きながら上半身を起こし、両腕を天井に向け、ググッと背伸びをする。
「ふぅー」と背伸びを終えて深く息衝き、身体を捻って後ろを向く。枕の上側に置かれている時計の針が指し示している現在の時刻は、午前六時二十分だ。
いつも通りの時間に目を覚ました僕はベットから立ち上がり、着ていた寝巻きから、いつもの私服に着替えを済ませる。
外に出る準備を済ませて部屋を出て、宿のフロントで雑巾で拭き掃除をしている女将と、その娘に「おはようございます」と挨拶をする。
相変わらず凄まじい目力で睨んでくるだけで、僕が言い放った挨拶の返事は何も返ってこなかった。
一週間も変わらずこの調子だから、流石に彼女等の無視に慣れてしまっているわけで、僕を無視して拭き掃除を再開した彼女等の横を通って洗面所に向かい、そこで顔を洗い終え、僕はフロントにある朝食の並べられた食卓の席についた。
そしてこれも相変わらずと言っていいだろう『変な隠し味』のするスープと、この焼かれた肉は『馬肉』かな? それと『謎の赤紫色の草』が混じっているパンを、僕は遠慮なく全て平らげた。
着替えを済ませ、顔を洗い、食事を終えて準備万端になった僕は、魔族討伐隊の仕事のため、七時前という早朝にも関わらず、もう一人の討伐隊のメンバーと待ち合わせをしている丘の上に向かう。
「行ってきます」
「「……」」
これまた返ってきた試しのない挨拶を『一応ね』という感じで行う僕に対し、相変わらず彼女等の反応はなかった。
顔が引き攣りそうになる僕は、何とか作り笑いを顔に浮かべ、宿屋の玄関を開けて外に出る。
「……雨が降りそうだな」
外に出て顔を上げた僕が見たのは、遠くの空から流れてくる、黒色をした分厚すぎる暗雲であった。
雨や雷が降らないといいけどな——と思いながら、僕は駆け足で村を移動し、ニアくんと待ち合わせをしている丘の前に、彼よりも一足先に到着した。
魔族討伐隊が活動を始めてから——一週間が経った。
一向にイカ魔族が見つかる気配はないものの、ニアくんの心は安定しているから、この調子だと「もう遠くに行ったのかもね」という感じで、魔族討伐隊は解散になると思われる。
僕も自分の『母探しの旅』があるから、この村に一、二カ月間も長居はできないし、ニアくんも、そのことを何となく察してくれている気がするから、明日までに魔族が見つからなければ、僕の方から『イカ魔族探索の打ち切り』の旨を伝えるつもりだ。
そんなことを思考しながら待つこと二十分。
「お待たせ!」と言って、僕のもとへと走ってきたニアくんに、僕は「おはよう」と挨拶をする。
僕の挨拶を聞いた彼は「おはよう、ソラ兄ちゃん!」と言って、僕が発した挨拶を返してくれた。
この村で『唯一』僕の挨拶を返してくれる友人に、僕は嬉しさで笑みを溢す。
そして彼が待ち合わせ場所に来たことを確認した僕は、森がある村の東側を指差し、言う。
「それじゃあ、行こうか」
「うん!」
魔族討伐隊の任務を遂行するべく、僕達は『イカ魔族の目撃例』がある、一週間通い詰めた森へと歩いて向かった。
* * *
魔族捜索を始めてから、五時間が経過した。
現在の日時は、八月二十五日、正午が過ぎた時間帯だ。
暇潰しの『しりとり』をニアくんとしながら魔族を探している僕の鼻頭に、ポツリ——という水滴が落ちてきた。
「お?」と僕が空を見上げると、今朝の予想通りに遠くから流れてきていた暗雲が僕達の真上の空をすっぽりと包み隠してしまっており、その暗雲から膨大な量の雨が森全体に降り注ぎ始め、凄まじ量の水滴は木々が生い茂らせる木の葉を軽く縫いながら、地に立つ僕達のもとに到着する。
「うわっ! どこか雨宿りできる所を探そう!」
「う、うん!」
僕達は空から降り注ぐ滝のような雨から逃げ惑うように、いつも以上に暗い影に満たされてしまっている薄暗い森を駆け巡った。
そして——
「あ! ソラ兄ちゃん、洞窟があるよ!」
「行こう!」
「うん!」
僕達はイカ魔族探索中に寄ったことのない——というか、今日初めて見つけた洞窟に足を踏み入れて、そこで大雨を降らす暗雲が遠くの空に流れ行くのを待つことにした。
僕はニアくんの傘にしていたコートをギュッと搾り、吸い込んだ雨水を一気に吐き出させ、残った水を切るようにコートを『バッバッ』と勢いよく振った。
「ソラ兄ちゃん、大丈夫? 寒くない?」
「ん? 全然平気だよだよ。それよりも……」
僕はニアくんの心配に笑顔で「大丈夫」と伝えた後、奥深くまで続いていそうな洞窟の暗闇を見つめる。
まさかこんな所があるなんて——と思いながら、僕はある『予感』を胸の内に感じていた。
ニアくんも僕と同じ予感を胸の内に感じているのだろう、僕の背中に手を当てて隠れるように身を隠し、表情を緊張させながら洞窟の暗闇を見つめている。
無言のまま突っ立っていた僕は地面に置いていたバックから、野宿用の布と、火の魔導具を取り出す。
「そ、それで何をするの……?」
「えっとね——」
ニアくんの疑問の声に対し、僕は行動で答えを示した。
僕は腰に差していた鏡面剣を引き抜き、剣を失って軽くなった鞘に野宿用の布を巻き付ける。
そして布を巻きつけた鞘を『松明』のように片手で持ち上げ、火の魔導具を使って布に火を灯した。
即席力尽くの光源を確保した僕は、右手で鏡面剣を持ち、背に隠れていたニアくんに言う。
「奥に行ってみよう」
「……う、うん」
そう言って洞窟の暗闇の中へと入っていく僕とニアくんは、トゲトゲした緊張感を周囲に発しながら、ゆっくりと慎重に、小さい歩幅で進んでいく。
僕は魔族の襲撃に対し即座に『反応と対応』ができるよう、一言も声を発することなく、浅く息を吐きながら極限の集中力を発揮し、その集中の維持に神経を尖らせた。
洞窟を進んでいくこと——約十分。
僕達が一週間も森を歩き回って探していた、童話に出てくる人型のイカ魔族は、何とも呆気なく見つかった。
『グギ、ギュギュギュゥゥゥ!?』
「そ、そそ、ソラ兄ちゃん……っ!?」
「ニアくん落ち着いて。絶対に僕から離れないで」
日の光が入らない、どこまでも続いていそうな洞窟の暗闇から放たれる『赤い二つの眼光』を僕達は認め、僕は咄嗟の判断で、眼光の浮かぶ闇の方に、唯一の光源である松明を放り投げた。
洞窟内を満たしていた暗闇は、火の光を恐れて逃げていってしまうものの、その眼光の主は僕の静止を強制させるほどの鋭い視線を受け止めたせいで、その場から逃げることができず、闇に隠れていたその異形の姿を現した。
その魔族は『イカの頭』を首の上から生やしていた。
赤い眼光を放つ二つの目に、ギザギザした鋭い歯を生やした大きすぎる円形の口。
胴体から生える人のものではない二本の腕は、イカやタコのように複数の吸盤が上から下にビッシリと付いている。
魔族の下半身から生えている地に立つ二本の足は、四つの触手が一本に絡まり合ったかのようになっており、数本の紐を捻ったかのような形をしていた。
その姿形は、ニアくんの言っていた『イカ人間』そのものであり、目の前にいる存在が僕達が躍起になって探していた魔族であると確信させた。
目の前にいる魔族が『人を食べて、その人に化ける』という特性を持っているかは見た感じ謎のままであるが、だからどうしたという感じだな。
このままこの魔族を放っておく気は、僕には毛頭ない。
討伐——という低い心の声が僕の全身を満たし、魔族に有無を言わさない超速で、僕はイカ魔族に斬り掛かった。
「ふッ!」
『ギュギュギュッ——!?』
凄まじい速さで魔族に肉薄した僕が繰り出す上段斬りを、魔族は驚愕で目を剥きながら両の触腕を交差させた。
しかし、三万ルーレンした鏡面剣と、トウキ君とのハザマの国での行動を糧に強くなった僕の斬撃を、その程度の防御で防げるわけがない。
僕の容赦のない斬撃はイカ魔族の両触腕を斬り落とし、反射で反ったイカ頭には届かなかったものの、魔族の胴体を剣先で浅く斬り裂いた。
『ギュギュギィィィィィィッッッ!?』
斬り落とされた両腕と斬り裂かれた胴体から、イカ墨のような『黒血』を勢いよく噴き出させる魔族は、まるで助けを呼んでいるような絶叫を洞窟内で打ち上げる。
人の恐怖を助長させるような凄まじい大声量は洞窟内の隅々まで反響し、僕の背後にいたニアくんは反射で耳を畳み「うあわっ!」という声を上げてその場で蹲った。
そんな耳を塞ぎたくなるような汚い大絶叫を物ともしなかった僕は、両目を恐怖に染めていた魔族に無意識の『殺意』を宿した眼光を向ける。
恐怖で身動きが取れなくなってしまった魔族を見て『好機』と察した僕は、ググッと右肘を背後に溜め、魔族が反応できないほどの速さで『剣突』を繰り出し、イカ魔族の頭部を貫いた——!!
『ギョォッ!? ギュ……ゥ……——』
頭部を貫かれた魔族は体をビクッと跳ねさせ、その体色を周囲と同化させていた茶色から、白色へと変色させた。
無言で魔族を殺害した僕は、無意識の殺意が宿っていた目で微動だにしなくなった『イカ魔族の死骸』を認め、軽く息を吐き、身に纏っていた戦意を霧散させる。
「ニアくん、もう大丈夫だよ。他の視線は感じないし、多分ここにいたのは、この一体だけだと思う」
僕は耳を塞いで、身体を小さくさせるように蹲っていたニアくんの肩を叩き、安心させるように優しく声を掛けた。
僕の声を恐る恐る顔を上げて聞いたニアくんは、僕の手を取ってゆっくりと立ち上がり、頭部を撃ち抜かれて絶命した『イカ魔族』の死骸を見て、口を開けたまま固まってしまった。
そんな呆然と固まってしまっている彼に、僕は気を取り直させるように再び声を掛ける。
「ニアくんの言っていた通り、本当に『イカ魔族』はいたんだよ。これを今から持ち帰って、村の人達に見せないといけないね」
「……う、うん」
僕は地面に転がしていた松明を手に取り、洞窟内に生き物の気配は感じないが、一応の警戒として辺りを見回す。
イカ魔族の仲間が洞窟内にいるとは思っていないけど、ニアくんがいる手前『もしも』があってはいけないからな。
「…………っ!?」
火の光が届いたギリギリの場所——僕の視界にチラッと映り込んだものに全意識を持っていかれた僕は、焦ったように『何か』が見えた場所へ飛ぶように向かった。
「——? どうしたの、ソラ兄ちゃん?」
僕の様子の変化を心配したニアくんは、片膝を地面につき手に取った『何か』を愕然とした表情で見ていた僕のもとへと歩み寄る。
「こ、これは……」
息を震えさせる僕が手に持っていたものは、大きな鞄。
僕に凄まじい既視感を感じさせてくる大きな鞄は、一週間前に村から消えた、僕を村まで運んでくれた『御者』が使っていたものにソックリだった。
しっかりとした重みのある膨らんだ鞄を焦ったように開けた僕が見た鞄の中には『見覚えのある』男物の服と下着、それと結構な額のルーレン通貨が入っていた。
もしかして御者は魔族に襲われたのか——と頭の中がグチャグチャになって混乱しかけるも、ニアくんの「ソラ兄ちゃん……?」という心配した声音を耳に入れた僕は、グッと腹に力を入れて平静を取り戻し、鞄を持ったまま勢いよく立ち上がった。
「今すぐ村に戻ろう」
「う、うん」
僕はニアくんに『御者の鞄』を持たせ、手の空いた僕は、自分が殺した魔族の死骸を抱えて運ぶ。
そして、今だに視界を妨げてしまうほどの土砂降りの雨が降る森の中を僕達は強行し、何とか森を出て村に辿り着くことができた。
そして村に着いた僕達は一息も吐くことなく、背の高い木々が生い茂らせていた木の葉の恩恵が無くなって、さらに猛烈な強さになってしまった大雨を頭から被りながら、村長宅へと一直線に向かった。
「村長さん! 村長さーんっ!!」と扉を壊れる一歩手前の強さで叩いて、絶対に僕の呼び声が聞こえているメイドが折れて出てくるまで辛抱強く呼び続けること——約五分。
ギィィィ——・・・・・・という音を鳴らして薄らと扉が開き、その隙間から背の低い妙齢のメイドが顔を出した。
やはり呼び出しても出てくるのが遅かった低身長のメイドに僕が『イカ魔族の死骸』を見せると、彼女は愕然としたように目を見開いて、僕達を家の中に入れてくれた。
それから真っ直ぐな廊下を速足で進み居間に入り、玉座のような椅子に座っていた村長に魔族の死骸を見せた。
村長は魔族の死骸と、ニアくんが持っていた御者の鞄を見た瞬間『驚愕に満ちた顔』をしたものの、すぐさま緊張したように表情を引き締めた。
「……なんと、ニアの言っていたことは本当だったのか」
そう言う村長は態とらしく大袈裟に慄いており、彼の両脇に立つ男女の従者は『恐怖』を感じているのか、両足を震わせて声を出せずにいた。
「すまなかったな、ニア。信じてやれなくて……」
村長からの『薄っぺらい』感じのする謝罪を聞かされたニアくんは、顔を下に向けて「いいよ。ソラ兄ちゃんが何とかしてくれたから……」と表情に暗い影を纏いながら、喉奥から絞り出すように声を発した。
それからは『村長の言う通り』に村人全員の家を訪問し、魔族の死骸を見せて回った。
その後「あとはこちらで何とかしよう」と言って、村長が魔族の死骸と御者の荷物を求めてきたので、僕は懐疑的な感情を持ちつつも、それを表に出すことなく「分かりました」と受け入れて、彼に死骸と荷物を預けた。
色々な用を済ませた僕達は、村長宅から傘を借りて帰路に着く。
ニアくんを家族が待っている家まで送り届けた僕は、膝を折って、小さい友人と目線を合わせた。
「ニアくん。君の言っていた『イカ魔族』は倒したから、僕は明日、この村を出るよ」
「ソラ兄ちゃんは……お母さんを探してるんだよね」
「うん」
「……明日、村を出て行く時は見送りたいから、時間を教えて」
「えっと、朝の八時くらいに出ようと思ってる。僕が早めに着いても、君が来るまで待っておくから」
「絶対、約束だよ」
「うん。約束する」
僕は友と一時的な別れを済ませ、宿に向かって歩いて行く。
そして胸の内にある妙な不安を感じながら、ふと空を見上げた。
見上げた空は昼と変わらずの、暗雲立ち込める灰色のままで——
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これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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※しばらくは毎日(17時)更新します。
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異世界帰りのオッサン冒険者。
二見敬三。
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