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特殊刑事課 ①
しおりを挟む「罪悪感は抱かなくていい」
そう男に言われた時、右京はまだこどもだった。
男の体躯は大きくたくましかったが、どこか暗さが纏わりついて、今にも折れてしまうのではないかという心細さを感じていた。
この頃はまだ、自分が人間なような気がしてしまっていたのだ。だから、人の肉を喰らうことに抵抗があった右京に男はそう言った。
「人間なんて、食べなくても生きていけるものをわざわざ殺して食うだろう。俺たちは違う。食わなきゃ死ぬから食ってるんだ」
確かにそうだ、と右京は思った。
娯楽で命を奪うことが許されるのなら、自分たちも赦されていいのかもしれない。
「だが、忘れるな。俺たちは化け物だ」
人間にはない能力を持ち、人を喰らう化け物。
男は右京の頭を優しく撫でて、「いいか、葉琉」と言った。
「決して夢は見るな。受け入れてもらえるなんて勘違いするな。……間違っても、人間に恋なんてするな」
とても悲しい響きだった。
男が泣いてしまう気がして、右京は「うん」と頷いた。
そう、夢を見てはいけない。
叶わない夢を願って見るのは、馬鹿だけだ。
ーーーー
「おい、勤務中に寝るな」
「痛てっ……」
机に突っ伏して寝ていた右京は後頭部へ与えられた痛みで起きた。
顔を上げると、直属の上司である真野宏樹が呆れた表情で右京を見下ろしていた。オールバックと顎の髭に長身が相まって、立っているだけで威圧感を感じさせる。
すみません、と声を出すより先に、
「あ~! 起こしちゃだめですヨ~!」
少し離れたところから、キンとした声が響いた。
「右京さんってば、朝から『人肉が喰いたい、人肉~』って呟いてて禁断症状直前なんですカラ!」
資料の束を手に、同僚の八川蜜菜が部屋に入ってくるところだった。ツインテールの髪のあちこちにプチプライスのアクセサリーをつけた小柄な少女である。
真野の打撃よりも八川の声の方がよほど目が覚めそうだ。
「はあ? ざけんな、きちんと体調管理しろ」
「好きピに正体バレして寝不足&食欲不振なんですッテ! 御愁傷様ですネ~」
「あ~……、そりゃまたなんつーか、お疲れ。仕事しろ」
「うわあ、休ませてくれる気一ミリもねえ~」
容赦のない同僚たちに半目になりながら、右京は身体を起こす。
「こういう時はそっとしといてくれるとか、もうちょっと気遣ってくれるとか、なんかあるでしょ。……ったく、特刑課には優しい人がいないんですかね」
「なに言ってんですカ! 使い物にならなくなった右京さんの代わりに瀬馬さんを署まで案内したの蜜菜なんですヨ? 感謝して下サイ!」
「あー、うん……。自分は化け物じゃないから安心して、って嘘ついて誘導したやつね」
右京が所属している特殊刑事課、通称「特刑課」は、全員が人外の化け物である。Anthropophagía Térasの頭文字を取って、ATと呼ばれている。
便宜上、巡査という立場を与えられているが、行う業務はAT絡みの事件の担当。要は、化け物の始末は化け物がしろ、ということである。
「嫌ですネ~。嘘も方便じゃないですカ~」
けらけらと笑う八川を見ていると、実際助かりはしていても、なんとも納得のいかない気持ちになった。
「で? その瀬馬の様子はどうなんだ?」
真野が尋ねると、八川は首を振った。
「だめですネ。右京さんとの関係が近すぎて誘導尋問による記憶の操作は不可能に近いデス。その上、書類には未だサインをしまセン」
ATの存在、特に警察内部にATがいるということは基本的に機密事項だ。
一般人に知られた場合、その記憶自体を有耶無耶にするか、それができなければ金銭のやり取りによる口止めをする。それでもまだ、ATの存在を漏らす可能性がある時は、命の保障をしかねる事態に発展する。
瀬馬は現状、賄賂による口止めに対し首を縦に振っていない。
「かぁ~、面倒くせぇなあ! だから身内といる時は、特刑課が到着するまで何もすんなって言ってんだろ!」
「……すんません」
「会いには行ったのか」
真野の言葉に右京はうつむく。
事件から、瀬馬に会うこともメッセージを送ることもしていない。
右京の様子から察したのか、真野は小さく息を吐いた。
「不満、恨み辛み、その他諸々、言いたいことは全部言っとけよ。そんでさっさとスッキリしろ」
どうせもう会わないのだから、と付け加えられ、右京は目を伏せる。
「……言いませんよ。だいたい、それを言いたいのは瀬馬ちゃんの方でしょ」
半ば自棄になって返すと、真野は虚をつかれたような顔をした。なにを驚くのだろう、と右京は首を捻ったが、八川も目を丸くして声を上げる。
「え~! もし蜜菜が好きだった人に化け物呼ばわりなんてされたら、罵詈雑言浴びせて一発どころか百発くらい殴らせて欲しいですヨ~!」
「こわっ」
知ってはいたが、八川はエキセントリックだった。
「人間だと思ってたやつが実は化け物でした~なんて、昨日まで仲良く笑ってた友達が実は殺人鬼だったみたいなもんでしょ? 普通に恐怖だって」
「殺人鬼が恐ろしいことと傷付けることは話が別デス。殺人鬼になら言葉の暴力振るっていいわけじゃないんですヨ」
「それはまあ、そうなんだけど……」
八川の言い分はよくわかる。
それでも、ある種の防衛本能であるそれを否定する気にはなれなかった。理解できないものを恐れるのは仕方がないし、騙して近くにいたのだから、やはり罵られるべきは自分の方だと右京は思う。
「う~ん、会いに行っていいのかなあ~? でも瀬馬ちゃんは俺の顔なんか見たくなくない?」
「うひひひ、右京さんキモ~!」
「うっさいよ! つーか蜜菜ちゃんの笑い方も大概だからね」
「それは可憐な十四歳である蜜菜がキモいってことですカ……!? 右京さん最低デス! 世のロリコン達に刺されてしまエ!」
「この子はほんと過激だねえ!?」
わちゃわちゃと八川と言い合う右京の様子を、真野はまじまじと見つめていた。
「……なんですか」
「いや、別に」
絶対なにかあっただろう、と思ったが、真野はふいと顔を背け、八川に向き直る。興味を失うのが早い人だった。
「可愛い可憐な十四歳」
「はいデス!」
ついでに、心にもないことを言える人でもあった。
「他に目撃者は居なかったのか?」
「女性が一人いましたが、そちらは動転していたのか、右京さんの特徴をあげることもできなかったので大した問題はないカト」
「暴走したATの方は」
「支給された人肉を取ってもらって警察署の保護室で様子見中デス。長く舞台スタッフとして働いていましたが、ロングランの舞台だったのでストレスによる禁断症状が出たと思われマス」
「ふぅん。ま、その程度で済んで良かったな。不幸中の幸いだ」
見られた人数が多ければ多いほど隠蔽が難しい。
今回は瀬馬さえ頷かせられれば、警察がATを飼っているという事実はとりあえず消えるのだ。
「これに懲りたら、オフではおとなしくするこったな」
真野は右京の頭をぐりぐりと撫でる。
「ちょっ、痛ってぇよ……!」
「ああ? 迷惑かけといてなんだ、その態度は」
「真野さんには迷惑かけてないでしょ!」
「部下がミスったら俺の査定にも響くだろうが」
「どうせATはたいした昇進できませんよ……!」
そう言って右京が真野の腕を振り払ったところで、内線が鳴った。
反射的に口を噤み、室内は急激に静かになる。
「はい、特殊刑事課です」
今まで一言も喋らなかった巳波茎子の声が響いた。
切れ長の瞳にハーフリムの眼鏡がよく似合う。長い髪をシニヨンスタイルにまとめた、いかにもデキる女といった佇まいだ。
「はい。……はい」
会話が聞こえるわけではないが、特刑課にかかってくる内線の内容など決まりきっている。ATの事件が起きたのだろう。
「了解しました。真野、右京を向かわせます」
二人はぎょっとしたように巳波を振り返ったが、抗議する間もなく、巳波は話を済ませて電話を切った。
「ということなので、よろしくお願いします」
「いや、『ということなので』って……」
「なんで俺たちなんだよ」
「戯れているようだったので、手が空いているのだと思いました」
涼しい顔で言ってのける巳波に、二人は眉を下げる。
八川はどうした、とは思っても言わない。世話係を担っているからということもあるが、性別や年齢のこともあり巳波は八川を可愛がっているからだ。
二人の抗議の声は、それぞれの心の中にだけ反響する。
「……真野さんのせいですよ」
「ばぁろう、もとを正せばおまえだろ」
罪を擦り付け合う二人を、それはそれは楽しそうに八川が眺めていた。
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