ヒーローは化け物です

一治もな

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 劇場内は外とは違う高揚感が漂っていた。
 パンフレットや役者のブロマイドを見ながら同伴者と話をしている姿が多く見られ、これから始まる舞台に対する期待の高さが窺えた。

「へえ~、舞台ってこんな感じなんだ」

 右京は興味深そうにキョロキョロと辺りを見回した。
 
「葉琉は初めてだっけ?」
「うん。学生の頃は金無かったし、就職してからは訓練ばっかで遊ぶ余裕もなかったかんね」
「そっか……」

 時間がある時は金がなく、金ができる頃には時間がない。
 よくあることなのだけれど、右京が施設育ちなことを思い出したからなのか、瀬馬はなんとも言えずに頷いた。

「やだなあ、そんな顔しないでよ。俺は全然気にしてないし。むしろ観劇デビューに瀬馬ちゃんが一緒に居てくれて嬉しい」 

 そう言って笑うと、瀬馬もホッとしたように笑顔を見せた。

「ところで、今日出演する友達の友達さんってどれ?」
「え? あー、っと……」

 問われた瀬馬はごそごそとパンフレットを取り出した。キャストのページをパラパラと捲る。

「あった。確かこの人だ」

 瀬馬も面識はないのだろう、名前を頼りに探し当てたようだった。
 鳥染とりぞめ小鉄こてつ。まるで本人が役名のような名前である。メイクの力もあるだろうが、整った顔立ちなのがよくわかる。

「うわ、めっちゃイケメン」
「マジだ……。これほんとに同い年なのか」
「芸能人こえー!」

 異次元の美しさに騒いでいると、

『本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。開演に先立ちまして、お客様にご案内申し上げます』

 開演前の影アナウンスが始まった。
 慌てたように席に向かう人が行き交って、あと10分で舞台が始まるのだとそわそわした気持ちが沸き上がってくる。

「あ、スマホの電源切ってない」
「俺もだ」
 
 思い出したように瀬馬が言って、右京も倣うようにスマホの電源を落とす。

 そうして視線が手元のバッグに向かった時だった。

「なにあれ、前座?」

 前の席の女性の声が耳に入った。
 つられて顔を戻すと緞帳が上がる前の舞台に男が立っていた。ステージ脇から、ふらふらとした足取りで中央に向かっている。
 ざわりと、直感が警鐘を鳴らした。

「え、今まで前座なんてあったっけ?」
「っていうか、なんか……」

 男の指先に鈍い光を視認して、予感は確信に変わった。

「伏せろ!!!!」

 叫ぶと同時に渾身の力でバッグを投げる。
 バッグは空中でなにかにぶつかり、重力に従ってどさりと落ちた。そこには、ナイフのようなものが突き刺さっていた。

「うぅうが、ぐ……がううぅ……!」 
 
 静まり返った劇場に獣のような唸り声が響く。

 観客たちは青ざめた顔で唖然とその様を見つめていた。それでも、本能が動いたのだろう。誰かの口からひきつった悲鳴が漏れて、
  
「きゃあああああ!!」

 会場は一気に恐慌状態になった。
 怒号が飛び交い、誰もが我先にと出口へ向かう。
 人と人とがぶつかり合い、今にも怪我人が出そうなパニック状態だった。
 
 とにかく通報しなければ、と考えて、右京ははたと止まる。先ほど放り投げたバッグの中にスマホがあることを思い出した。
 ナイフは刺さり、逃げようとする観客たちに踏まれ、スマホが無事かも怪しかった。ついでにいえば、電源が切れている。

「Oh……」
 
 緊急時の通報は基本中の基本ではあるが、悠長に構えていられる状況とも思えない。

(つーか、特刑課とっけいかが到着するまでこの人数守る方が無理あんだよなぁ)

 つまるところ、潰した方が早い。
 
 右京は脅威の制圧を選択した。
 幸い、観客の意識は他人に向いておらず、関係者も避難に向かっている。右京にとっては僥倖だった。

「は、葉琉……」

 心細げな声が自分を呼ぶ。
 すがるような瞳に見つめられて、他のなにもかもを放ってこの人を守りたいと思った。
 
 けれど駄目だ。
 人間でいるためには、それができない。

「瀬馬ちゃん、ごめんだけど先逃げて! そんで、できたら『特刑課816』って警察に通報してくれる?」

 努めて冷静に、言い聞かせるように右京は言った。
 
 右京が行動を共にしないことに幾らか動揺しているようだったが、それでも瀬馬は頷いた。
 瀬馬が出口へと走り、自分に背を向けたことを確認して、右京は対象に意識を移す。
 
 これでようやく、男だけに集中できる。
 男は口から涎を垂らし、金色に光る目は血走っていた。

(ははっ、完全に正気失ってんねぇ)

 座席を足場に跳躍し、そのままステージにいる男の背を思い切り蹴った。男の身体は緞帳にぶつかりながら吹き飛んでいく。
 緞帳を吊るしている鉄パイプかなにかだろうか、ギシギシと嫌な音を立てた。

(あ、やべ。これ落ちてきたりしないよね?破いたりしても怒られそー……)
 
 思わず緞帳に気をとられた刹那、腕にざくりとした感触。確認するより先に声が出た。

「痛って痛ってぇ!痛っっったー!」

 ナイフが3本、見事に腕に刺さっている。
 余所見の代償がずいぶん痛い。反省した。
 
 右京は自身に刺さっているナイフを1本引き抜くと、

「痛ってえなあ、もう!!!!」

 男に向かって投げつけた。
 ナイフが男の右肩に突き刺さり、痛みによろけたところを後ろに回ってうつ伏せに押し倒す。
 首に膝で体重をかけ男の腕を背中にまわすと、自分の腕からまた1本ナイフを抜き、固定するように掌を刺した。

「ぐぎいぃいがぐ……!!!!」

 耳障りな声を上げながらもがくように男が頭を振る。
 甘ったるい香りが鼻についた。一瞬くらりとしかけて、右京は顔を歪める。

(なんだ、この匂い? どこかで嗅いだことのあるような……)

 記憶を手繰り寄せるように考えるが、その思考は男の右腕が板を掻く耳障りな音に断ち切られた。
 見れば徐々に男の爪が伸びて、鋭利な刃物のようになっていっている。どうやら先程まで右京を襲っていた凶器はこれのようだった。

「な~るほど。あんたの能力はこれなわけね」

 ならば、と右京は腕にある最後の1本を、自身の腕から男の手の甲へと移動させた。
 左腕は背中へ、右腕は板の上へと縫い止められている。

(なんか磔してるみたいで嫌なかんじ)

 自身に嫌悪感を抱きかけて、今さらだろう、と思い直す。

 ひとつ首を振って、拘束から逃れようとじたばたと身体を動かし続けている男に向き直った。

「はいはい、暴れない」

 言いながら胸ポケットを漁り、そこから錠剤を取り出した。

「飲めそ? まあ、飲めなくても飲ますんだけどさ」

 右京は男の顔に手を持っていくと、無理やり薬を嚥下させた。
 馬乗りになってしばらく様子を窺うと、低い唸り声をあげ続けていた男の動きが少しずつ緩慢になっていく。やがて、男はかくりと頭を下げ、動かなくなった。
 そこまで見届けて男の上から退くと、右京は労うように背を撫でた。

「苦しかったな、お疲れ様」
 
 それから、よいしょ、と立ち上がると、ぐっと身体を伸ばした。一仕事したわりに身体が軽い。
 意外とあっさり済んで良かったな、と右京は思った。
 後はオフの自分ではなく今日が出勤日の同僚に任せていいだろう。
 
(俺は不安で泣いてるかもしれない瀬馬ちゃんのお迎えに行かせてもらいますよっと)

 顔やら服たらに着いた血が問題ではあるが、見えるところは流して、せっかくの劇場なのだから、あとは適当に衣装を拝借して隠そう。
 
 なんだか、無性にお腹が空いた。
 
(あ、そういえばバッグ)
 
 すっかり忘れていたし、色々と使い物にならなくなっていそうだが、一応回収しておこう。
 そう思ったところで、右京の動きは止まった。

 ぐるり、と喉が鳴った。人間がいる。
 
 ぎしりと音がしそうな動きで首を向けると、よりによって青ざめた顔の瀬馬が、そこに居た。

 「ぁええ……?」と馬鹿みたいな声が出た。
 
「瀬馬ちゃん、なんでここに居んの」
「だ、だって……、葉琉が……心配、で……」

 まさか戻ってくるとは思わなかった。
 いや、瀬馬の性格を考えれば予測できなかった自分が浅はかだった。
 
 いつからそこにいた? どこから見ていた?
 氷塊が落ちてきたように心の真ん中は冷えているのに、首の後ろを汗が伝う。
 
「その人、大丈夫なのか……? おまえが、やったのか……?」

 ピクリとも動かない男を、瀬馬は震える手で指差した。
 喉がカラカラに乾いて、うるさいほどの鼓動に気が遠くなりそうだった。

「なんとか言えよ……!」
 
 違う、自分ではない。
 そう嘘をつくか考えたけれど、右京はそれを諦めた。
 なぜなら、これは問いではない。その証拠に、瀬馬は血塗れの右京に「大丈夫か」を聞かなかった。

 右京はうまく吸えない空気を無理やり肺に入れた。
 
「そうだよ。俺がやった」
「っ………!」

 肯定するとは思わなかったのかもしれない。
 瀬馬が息をのんだ。

「でも安心して。死んでないから」

 まるで軽口をたたくような声音だった。

「仕方ないじゃん。他にも方法はあっただろうけど、これが一番早いと思ったんだ。ひどいなあ、これでも一応、人間を守るためにやったのにさ」

 やれやれ、とばかりに肩を竦める右京を、瀬馬は信じられないとばかりに凝視する。

「……おまえは、なんなんだ? 本当に葉琉なのか?」
 
 いっそ笑いだしそうな気持ちになったけれど、右京は代わりに目を細めた。
 
「瀬馬ちゃんはどう思うの?」

 人々を守るヒーローに見えるのか、それとも。
 瀬馬は答えなかった。

「俺は葉琉おれだよ。瀬馬ちゃんが知ってる俺では、ないかもしれないけどね」
 
 右京は小さく息を吐いて、男の肩口からナイフを引き抜いた。
 反射的に身を固くする瀬馬を横目で見ながら、右京は思い切り自分の腕を切った。

「は!?なにして……!?」
「瀬馬ちゃん」

 慌てる瀬馬を制するように、右京は傷をつけた腕を差し出した。

「よく見てて」

 ぼたぼたと零れ落ちていた血液は瞬く間に止まり、皮膚を抉っていた創痕は、最初からなかったかのように消え去った。

「これが、右京葉琉の正体化け物だよ」 

 金色の瞳が爛々と輝いていた。


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