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9本目 女子バスケットボール部の挑戦
今度は嘘じゃない 92
しおりを挟む先生が答えるよりも早く、香織さん自身が声を発した。
「だい……じょうぶ、です」
そうして上体を起こそうとする。
意識がある。話せるし、動けるのだ。そのことにまずは安堵した。
先生が鋭く声をかける。
「香織! 無理に動くな。頭を打っていないか!?」
「大丈夫です」
今度は、よりはっきりと香織さんは答えた。
「椅子に当たった感じはありません。続けられます」
審判は戸惑ったように、本人と千華子先生とを見比べていた。
「あの……」
取り囲む人たちの中から、嶺南の控え選手が声を発した。
「椅子にぶつかったりしていないのは本当だと思います。私たちが避ける時に、椅子も後ろに倒した形になったので」
僕は正直、驚いた。香織さんはキャプテンを務める重要な選手。相手からしてみれば、このまま出場できなくなった方が試合に勝てる見込みは高くなるはずだ。それなのに咄嗟に椅子を倒して避けてくれて、その事実を正直に申し出てくれたのだから。
先生はタイムアウトを宣言した。
原則として15秒程度で復帰できないような状態であれば、選手は交代しなくてはならない。その間だけで判断はできないということだろう。
成美さんの肩を借りて立ち上がった香織さんと共に、相手ベンチに一礼してから皆で御城北の側へ戻った。
慎重に座らせられながらも、香織さんが言った。
「スミレ子ちゃん、ナイスカット。そして、なっちゃんも翠もありがとう、プレーを続けてくれて」
香織さんがコート内にボールを戻した時、翠さんは敵陣へと全力で走っていた。ボールを受け取った奈津姫さんはそれを見て、プレーを止めずにパスを送ったのだ。ゴールは認められ、点差は9点から7点になっていた。
すぐに香織さんを復帰させることはせず、智実さんと交代させることを先生は告げた。
タイムアウト終了のブザーと共に、成美さんはずっと握っていた香織さんの手を名残惜しそうに離し、コートへ向かっていった。
「希、体の状態をよく確認しろ」
ベンチに残された香織さんについて、先生は僕に指示を出す。
「本人はまだ痛みに気付いていないこともある。頭や首を打っていないか、手足の間接も捻っていないかも、みてやってくれ」
「はい!」
試合の状況には一旦背を向けて、タオルで汗を拭ってあげながら香織さんの体に触れて確認していった。
「ありがとう、希さん」
穏やかな表情を見せてくれる香織さん。心配するあまり早鐘を打っていた僕の心臓が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
入部した頃だったら、こうして体を任せたりなんて決してしてくれなかった。タオルも飲み物も受け取ってくれなかった。
無理もない。家に出入りする男の人に嫌な思いをさせられてきた。健一が成美さんにしたことを目の当たりにしたばかりだった。そんな状態で男子を警戒するのは、偏見ではなく学習の結果と言ってもいいだろう。しかも僕は、彼女が密かに想いを寄せ続けていた成美さんが興味を持っている相手だったのだから。
「香織さん、痛くないですか?」
「大丈夫ですよ」
ポニーテールに纏められた綺麗な髪。日常では下ろしている。そのどちらの姿もとても美しいのだ。
首筋も腕も、肌は色白で滑らかだ。痣などがないか、よく観察していく。
プールでの水着姿は目に焼きついている。またあんな姿が見られるだろうか。
手を握って、肩・肘・手首が痛む様子はないか、ゆっくりと動かしてみる。彼女は指が長い。
料理をしている手元を見るのも好きだ。一緒に台所に立つのは本当に幸せな時間だと感じる。
彼女の前に向かい合うようにしゃがみ込んで、両手をとった。指を交互に絡める。いわゆる恋人繋ぎになるけれど、これはちゃんと状態を確認するためだ。
「香織さん……」
人の嫌なところや醜いところを、きっと僕よりもたくさん見てきて、だから警戒するようになった。
けれど彼女は、誰かを信じることもやめないでいてくれた。成美さんを、チームメイトを、千華子先生や伶果さんを。やがて僕のことも。そしてお母さんのことも。だから今、ここにいる。
仲間を信じているから、自分がボールに向かって跳べるのだ。
僕も、この人からボールを託されるような存在でありたい。そう思う。自分が大切に想ったら相手にとって迷惑だなんて、そんなことはもう言わない。
そうして僕もまた、信じることのできる居場所を持てる、そんな自分として一緒に歩いていきたいと。そうも思った。
「香織さん……」
そうした思いが言葉にならずに名前だけを繰り返す僕を、彼女は優しい瞳で見つめて手を握り返してくれた。
入部直後に部活ジャージを渡してもらった後だと思う。香織さんに問いかけられた。「希さんは、好きなんですか?」と。バスケが好きなのかと尋ねられた。
今なら心から思える。そう、今度は嘘じゃない。
僕と、僕の大切な人たちのいるチームが。そんな場を与えてくれるバスケットボールが。
「大好きです」
じっと彼女の目を見上げながら、僕の口から言葉がこぼれた。
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