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6本目 女子バスケットボール部員の告白

お母さん 69-11

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 え、彼氏?

 香織さんのお母さんの言葉に、反射的にまんざらでもない気持ちになってしまう。

「連れ込めるこの部屋からも、引っ越したくないわけね」

 とはいえ、なんという言い方だろう。

「うん、ママそれは分かる。だから、デートのラブホ代になるくらいは、お小遣い貰えるように彼にお願いしてみるね」

 そういう問題なのだろうか……。

「希さんは私の彼とか、そういうのじゃないから」
 あ、はい……そうでした。香織さんにハッキリと言われてしまった。その通りなんだけど。

「そうなの? セフレ?」

「男の人とセックスとか……したことないから」
 香織さんは嫌悪感を顔に浮かべた。

 確かに僕は挿入したことはないし、昨日のあれはあくまで香織さんと成美さんとを結び合わせる行為だった。

 お母さんは娘と僕とを見比べて不思議そうな顔をしていたが、やがて何かに合点がいったというように目を見開いた。
「もしかして香織ちゃん、まだ『男の子じゃなくて女の子にしか興味ない』とか言ってんの?」

 お母さんには既に打ち明けていたわけだ。しかし僕の前であっさりと言ってしまって……もし僕が知らなかったらどうするのだろうか。

 彼氏とかセフレとか口にしていた時とは一転した硬い口調で、お母さんは言う。
「それ、直しなさいって言ったよね?」

 香織さんは言い返そうとする。
「直すようなものじゃないって……」

 しかしお母さんは言葉をかぶせてくる。
「結婚もできない子供もできない……そうなったら将来どうするの」

 頭が痛い、というように手でこめかみを押さえるお母さん。

 それに香織さんは毅然きぜんとして反論しようとする。
「異性と結婚しなくたって、子供がいなくたって、幸せに生きている人はたくさん……」

 けれど、また言葉をかぶせられる。
「『あなたの子孫は次の代で絶やします』って言われて賛成する親がいるわけないでしょ。お婆ちゃんになっても旦那も子供もいなくて一人ぼっちになってる娘を想像して、何とか助けなきゃって思わない親がいるはずないでしょ」

「一人ぼっちでいるとは限らないでしょう?」

 ハァ……とため息を吐いて、お母さんは首を振る。
「また次のお医者さん探さなきゃね……」

 更に香織さんが言い返そうとしたところで、玄関のドアが開いた。

 コンビニの袋と車の鍵とを手に提げた長髪の男性が、入ってきたのだ。
「あ……おじゃましあーっす」

 若い。お母さんよりも僕たちの歳に近いだろう。部屋の中を見回したその視線が露骨に香織さんの体へと絡み付いたのが、僕にも分かった。

 お母さんは「ああ、入ってー」と手招きすると、娘に向けて言い放った。
「とにかく、そういうことだからね!」

 香織さんは2人の方を見ようともせず立ち上がった。
「私の部屋に行きましょう、希さん」

   ●

 部屋に入ると、香織さんは自身の腕を抱くようにしてベッドに座り込んだ。僕は椅子に座ろうとしたが、彼女が袖を掴んできたので、遠慮しながらもその隣に座った。

「バスケットは、小学校の時のミニバスからずっと続けてきたんです……」

 引き戸の向こうからは、お母さんと男がお酒を飲んでイチャつき始めたような声が聞こえてくる。その中で、香織さんは囁くように話し始めた。

「成美ちゃんと私を繋いでくれるものでもあります。中学でも、あまり勝てなかったけど楽しかった。この学校に入って、2年前……1年生の時の暴力事件は衝撃でしたけど、めちゃくちゃになった部を少しずつ立て直して……みどりたちと一緒に、私たちの代では変わろうって頑張って。千華子先生も来てくれて、なっちゃんも帰ってきてくれて」

 そうだ。奈津姫なつきさんの復帰からは僕も多少は関わることができたけど、そこまで部活を続けて、環境を整えてきたのは、香織さんたちなのだ。

「やっと一勝できて、県大会へも進めた。地区大会止まりでは有り得なかった嶺南れいなんにだって、遂に挑戦できるのに……」

 僕の袖を握った細長い指に、キュッと力がこもる。

 このままでは、彼女が大好きな成美さんと続けてきたバスケットボールが、そして部のみんなと一緒に積み上げてきたものが、競技とは関係のないところで急に打ち切られてしまう。

「それに、自分の悩みが、こんなふうになりたいっていう将来の目標に変わったのに……」

 県外へ進学して養護教諭を目指すのか、通える範囲で可能な職種にするのか。悩んでいるとは言っていたけれど、希望する順位はハッキリとしている。それを本人が決断するのならともかく、話しあうことすらなく母親が計画してしまっている。

 香織さんのこれまでの努力も、これからへの希望も、それら全てを、あの母親が自分の人生のために振り回しているように感じた。

「でも……」
 と、香織さんが震えるような声を絞り出した。

「お母さんは、私を妊娠したために大学を辞めているんです」

「え……」

「そう話しているのを聞きましたし、母の相手の男の人からハッキリと聞かされたこともあります」

 僕は衝撃を感じた。

「きっと、お母さんにもあったはずなんです。こんなふうになりたいっていう希望が。本当はやりたかったことが」

 思い浮かぶのは伶果さんのことだ。今の僕の年齢の時には既に、母親代わりをしてくれていた。その後に看護学校へ進学して、そして僕と2人暮らしになってからは、子育てをしながら医療機関や学校などで働いてきてくれた。もちろん、本当にやりたいことが他にあったはずだ。あるいは、そういったものを見つける機会がもっとあったはずなのだ。

 香織さんは言葉を続けている。
「もし私がいなかったら、ずっと若い頃に再婚する機会だってあったかもしれません。そもそも最初の結婚だって違ったものになったかもしれません」

 伶果さんも、ずっと独身だ。恋人のいる様子すらない。

「私の存在が、お母さんを縛ったり振り回したりしてきた……今まで待ってくれたというのも、きっと本当なんです。ここまで我慢してきたのはお母さんの方で……」
 片手で僕の袖を掴んでいる香織さんは、もう片方の手で顔を覆って、つぶやいた。
「この世界に産んでくれて、充分に恵まれた体も与えてくれた。ここまで育ててくれて、バスケットボールだって続けさせてくれた。その恩を返せるとしたら、今しかないかもしれない……」

 その横顔に僕は、かける言葉がなかった。

 何を選ぶのが幸せなんだろう。どうすることが誰の幸せになるんだろう。

 どうしてこの人が、こんなにも苦しまなければいけないんだろう。

「香織さん……」
 他にどうすればいいか本当に分からなくなった僕は、掴まれていない方の手を持ち上げた。その手で香織さんに何ができるのか、それも定まらないままに。

 顔を覆ってうつむいている彼女の髪に、僕の手が触れようとした時。

 決して厚くはない壁の向こう側から、声が漏れ聞こえてきた。


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