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4本目 女子バスケットボール部の合宿

メガネさん 42-8

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 スミレ子さんとの話は中断させてもらって、野球部員の方へと向かう。

「健一」
「あぁ、希。お疲れ」

 練習の汗を風呂で流し終えTシャツ姿になっていた彼を、「ちょっと……」と集団から連れ出した。

「あのさ、午後の見学の時みたいなの、健一からも何とかならないの?」

 野球部が見学に来た際に無断で写真を撮った件は、顧問の間で厳重抗議が行われ、それ以降はスマートフォンの操作自体が禁止となった。とはいえ、瀬原先生はちゃんと分かっていないようにも思えたけど。

「何とか、っていってもな……」
 健一は日に焼けた長い腕で、まだ乾ききっていない自分の短髪を撫でつけた。この学校の野球部は丸刈り強制というわけではないらしい。

「健一、レギュラーなんでしょ?」

 それどころかエースで4番と聞いている。

「いや、それは関係ないだろ」
 と彼は眉を しかめた。

「試合中は先輩後輩関係なしに自分の仕事をするけど、人間関係の上では2年生は2年生だ。3年に命令したり、その命令を引っくり返したり、なんてできねぇよ」

 そういうものなのか。

「でも、成美さんも撮られて嫌な思いしてるんだよ?」

「俺の彼女だから勝手に撮るな、みたいには言えないって……」

「誰の彼女でもなくても、勝手に写真撮っちゃダメだよ」

「そりゃそうか……まあ、うちの部員たちも、今年の合宿は女子と合同だって、めちゃくちゃ楽しみにしてんだ。それで舞い上がっちまったみたいでさ」

「女バスのテンションはダダ下がりだよ……」

 というか怒らせてしまっている。

 スミレ子さんの方を見ると、彼女はじっとこちらに視線を注いでいた。僕と話していた時とはうって変わって無表情で、冷たい目のように思える。やっぱり彼女も、野球部の態度には思うところがあるんだろう。

「あぁ……悪ぃ」
 その視線には気付いているのか、健一は少し表情を改めた。

「しかし、安斉先生そんなに怒らなかったな」

「めちゃくちゃ怒ってたよ……」

「そうだったか? 直接、怒鳴られるかと思ったが」

「あの場面で瀬原先生の立場を飛び越えて叱ると、生徒は『悪いことをした。もうしない』じゃなくて『安斉先生は怒りっぽいから、あの人の前ではやめておこう』ってなるんだって」

 あの後で、そう先生が言っていた。

「へぇ……野球でも、どんなに自分の意見とは違っても最終的に監督のサインには従うし。そんなもんか」
 分かるような分からないような例えを口にしながら、健一は女子バスケ部の使うテーブルの方へと顔を向けた。

「先生から聞いてはいたんだが、そっちは本当に弁当なんだな」

「そうだよ」

 各席には、おかずの入った蓋付きで黒塗りの弁当箱が並び、テーブルの端の方には白飯の“おひつ”と茶碗、そしてお湯を注げばできあがる汁椀とがまとめてある。

「女子部といっても、マネージャーはお前だけだし手が足りないか。夏合宿の時は逆に野球部 うちで一緒に作ってやれないか、一言きいてやろうか? まあ、日程が重なれば、だけどさ」

「大丈夫だよ、健一」
 僕は穏やかに答えた。
「よかったら野球部も、食事処『流河』を使ってみてね」

   ●

 入浴を終えてきた女子部員たちからは例外なくいい匂いがして、その集団の中にいることに少しドキドキしてしまう。

 僕はテーブルの一番端に座り、その向かい側は千華子先生の定位置だ。しかしそれ以外は、学年ごとに固まる傾向にはあるものの特に決めていないらしい。

 隣に座ってきたのは3年生の智実さんだった。ジャージのズボンにトレーナーというリラックスした服装で、そして眼鏡をかけていた。
「ん? ああ、これ似合う? 普段はコンタクトだからね」

 それを両手で上下させてみせる。髪はいつもの二つ結びだけど、なんだかとても新鮮だ。

「に、似合ってます。なんと言うか、勉強教えてほしいです」

 自分でも良く分からない感想を伝えると、彼女は噴き出した。
「何それ? まあ、希ちゃんの家庭教師だったらしてあげてもいいけど。ちなみに……香織も授業中とかは眼鏡なの知ってる?」

「え!?」

 思わず、遠く離れた席に腰を下ろしている香織さんを見てしまった。一瞬だけ目が合うが、困惑したような表情で逸らされる。下ろした長い黒髪は完全には乾ききっていないのだろう、普段とは違う艶があるように思う。

 眼鏡をかけた姿を妄想している内に全員が揃い、『いただきます』と手を合わせた。

 そして彼女たちが弁当箱の蓋を開けると、小さく歓声が上がった。「わぁ~!」「え、すごくない?」「おいしそー!」と、それは野球部員たちが改めてこちらを見るくらいのものだった。それ以前からチラチラとお風呂上りの女子たちを見ていたのも知っているけど。

 先生が頷いて言う。
「今回の合宿中の食事は、流河さんに全面的に協力していただいている」

 まだ昼間の白ジャージのままだ。お化粧を落とす都合もあるので、後で入浴するのだろう。

 わたしと希とでお店に打ち合わせに伺って、トレーニングに最適な食事を一緒に考えていただいた。お店の方にお会いする機会があれば、あなたたちからもお礼を伝えてほしい」

 弁当箱の中には、彩り鮮やかなおかずが幾つも並んでいる。ニンジンやパプリカの赤色は食欲をそそるし、他にも野菜が何種類も使われている。疲れていても食べやすいように、揚げ物は少なくしたり、消化の良いものにちゃんと味が付けられていたりと、心遣いがありがたい。寒天と果物で作られたデザートまである。

 流河の味に間違いはないことは部員たちも知っているが、今日はいつにも増して気合が入っているようだった。大将さんと女将さんの愛すら感じる。

「トレーニングをしておいて栄養を摂らないのは、苦労してお金を貯めてわざわざ容量の大きいスマホを買っておきながら、その容量を使わないようなものだ。いや、トレーニング効果は時間と共に……」
 教員という人種は、食べながらであってもこんなにスラスラと喋れるのだろうか。千華子先生の家庭科教師としての血が語らせるようだ。筋肉になる食材、疲労を取る食材、そして美容の話も飛び出す。

 そんな先生と、料理人である女将さん、経営者である大将さん、そこに合宿のスケジュールと流河の様子の両方が分かっている僕を加えてもらって検討を重ね、実現した食事だ。部員たちに喜んでもらえるのは思った以上に嬉しいものだった。

 部員たちも先生の講義を聴きつつ、どんどんと箸を進めていく。白飯のおかわりにも行く。基本的に女子バスケ部の部員たちはよく食べる。

 野球部員たちも、もはや興味を隠そうとせずにこちらを覗き見ていた。

 あちらの食事も、ちゃんとしたものだ。出来合いのものやレトルトなどで工夫しながら、あれだけの人数分をマネージャー陣だけで用意しているのには頭が下がる。だからそんなに羨ましそうな顔はしないでください瀬原先生。

 そんな野球部のマネージャーたちは、千華子先生の話に耳をそばだててメモを取っていた。野球部を少しは見返したような気持ちになりながらも、彼女たちの一層の活躍を、僕は祈るのだった。

   ●

 食堂から合宿所の建物に戻ったところで、同じクラスの野球部員に声をかけられた。
「よっ。本当にマネやってんだな」

 すぐそこの自販機で買ってきたのだろうか、その手には炭酸飲料のペットボトルがある。

「うん。まだ駆け出しだけど」

「羨ましいわー。女バスって、美人ばっかなのな」


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