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3本目 女子バスケットボール部の幽霊部員

なんだオマエ 31-8

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「ディフェンスでは明日佳のところから崩されている」
 体育館にはボールの弾む音や靴の擦れるキュッキュッとした音、そして選手たちの掛け合いや応援の声が響いているため、先生の声は他の人には聞こえないはずだ。

「当たり前だが、相手は一番攻めやすい所から攻めてくる」

 先生は、僕の保護者よりもいくらか年上、おそらく三十代の後半だと思う。倍以上も歳の離れた大人なのだけど、美人にここまで近づかれるとゾクリとしてしまう。いい匂いがするし、僕の肩には柔らかいものが当たる感触まで伝わってくる。ほら、他校の部員たちがこちらを二度見しているし。

「明日佳も3年生まで練習を重ねてきた、力のある選手だ。だが、バスケ経験も長く小回りの利く成美、規格外の外国人助っ人であるスミレ子、そして高さのある翠や香織と比べると……という話だぞ」

 選手たちも明日佳さんに「ヘルプ入るから大丈夫だよ」などと声をかけているのが聞こえてくる。

 しかし実際には、そうすると本来マークしていた相手が手薄になってしまい、そちらへパスを回されて翻弄されるようだった。

「これは練習試合だから、相手も執拗 しつようにそこだけ攻めることはせず、他の戦術も試してくるだろう。だが大会では更に狙われることになるかもしれないな」

 開始から10分が経過したところでブザーが鳴り、選手たちがベンチに帰ってきた。試合の4分の1にあたる第1 クオーターが終わったのだという。

 短い休憩の間に先生は選手たちに指示を出し、第2Qでは明日佳さんに代わって別の部員が出場したが、変わらず点差は開いていった。

「言っておくが、今の彼女たちは決して弱くない。1年前は、こんなきちんとした試合にならなかった。狙いを絞られるということは、そうしなければ手ごわい相手と見られているということだ」

 そうだったんだ……。昨年の僕は、バスケ部に限らず、学校の各部活の実力なんて知らなかった。

「なんとかしなければ、な」

 攻撃においても、序盤に大きく活躍してみせたスミレ子さんには2人がかりのマークが付くようになった。そうなるとさすがに自由にやらせてはもらえない。その分、他の4人が空く理屈にはなるのだが。

「成美をはじめ、みんな色々と考えているが、いきなり試合中に臨機応変にできるものではないか」

 結局、試合の後半になると大きく広がった点差にはもうあまり意味がなくなったようで、両チームは次々と選手を交代させていった。

 といっても、うちのチームの選手は9人。一度にコートに出るのは5人なので、丸ごと入れ替えることもできない人数だ。

 試合終盤、ゴール近くにいる香織さんから、離れた位置にいた成美さんに速いパスが通った。

 狙うべきゴールからはボールが離れたことになるが、成美さんをマークしている相手は別の選手の体に進路を阻まれていたため隙ができたようだ。

 両手でボールを構えて、成美さんはシュートを放った。小柄な彼女が持つと大きく見えるボールが、弾き出されたように高く上がっていく。

「ゴールから遠い所に引かれた半円はスリーポイントラインだ。あの外から打ったシュートは」

 そして落下してきたボールはゴールのリングを見事に貫いた。

「2点でなく3点が入る。成美は早い時期に正しいシュートフォームを身に着けて、練習を積み重ねてきている。小柄な彼女だが、腕の力だけでなく全身を使って放たれるボールは、高く、きれいに上がるんだ」

 ボールの描く放物線も美しかったけれど、成美さんのその姿も僕の目に強く焼きついた。

 練習試合は3校が集まって行われたため、その後はもう1チームとも対戦したが、同じように点差を大きく開けられて終わった。

   ●

 学校に戻って解散した後、僕は車に揺られていた。

 副部長の翠さんに、ついてくるように言われたのだ。もちろん彼女に秘密を握られている僕に拒否権はない。遠征の前後に部員へのご奉仕もなかったので、これがその代わりなのかもしれなかった。

 練習試合が昼食を挟んで午後まで行われたとはいえ、まだ夕方と呼ぶには早すぎるくらいの時間だ。今日はアルバイトもない。

 隣の市に家がある翠さんは、自家用車による送り迎えで通学しているという。しかも迎えにきた車がなんか高そうで、運転手も親御さんというわけではないようだった。

 しかし車はもう1時間近くは走っている。

「翠さんのお うちの方まで行くんですよね?」

 後部座席に並んで座る制服姿のお嬢様に、念のため確かめてみる。
「そうよ。ごめんね、疲れていたら寝ていてもいいって、言っておけば良かったかも」

「いえ、僕は大丈夫ですけど……」

 市街地を離れて山沿いのバイパス道路を走り、更に田畑の間を抜けていく。

 通学に使えるバスがあるのか分からないが、これは確かに車に頼らなければ通えないのかもしれないと思った。

 やがて、農地と林に囲まれたその場所で僕たちを降ろし、車は走り去っていった。

 僕は、唖然 あぜんとするばかりだった。

「こんな田舎だから土地や山を持っているのは珍しくないし、家族が昔テニスやゴルフの練習をするために整備してあった所を、改装してもらっただけだから」
 翠さんはそう言うが、個人所有のバスケットボールのコートが現れたら、それは驚くだろう。

 ゴールは1つ、それに伴ってコートも半分くらいの広さだけど、ちゃんと硬く舗装されてラインも引かれている。

 プレハブの倉庫も建っていて、中にはボールなどが置かれており、なんと照明も付いていた。

 そこで翠さんが着替えるのを外で待つ間に、先程の車とは違うエンジン音が近づき、1台のバイクが現れた。スクーターではなくスポーツタイプというのだろうか、緑色と黒を基調とした大きな二輪車だ。

 ゆったりとしたパーカーとデニムパンツのライダーが、フルフェイスのヘルメットを脱いだ。

 耳は隠れるくらいのショートカットの髪。顔つきは凛々しいという印象だけど、女性だった。大人びた雰囲気だけど、化粧気がほとんどないので、僕より少し年上くらいだろうか。

「なんだオマエ?」
 いきなり、そんなことを言われた。

 ちょうど練習着に着替えた翠さんが倉庫から顔を出す。
「なっちゃん! この子が例のマネージャー。連れてくるって送っておいたでしょ?」

 ショートカットの彼女は「そうだっけ?」と つぶやきながらスマートフォンを取り出した。
「あー、ホントだ。見てなかった」

「2年生の希君」
 翠さんは僕を紹介してくれ、続けて上品な仕草で相手の女性を指し示した。

「彼女は奈津姫 なつき。同じ学校の3年生で、女子バスケ部の一員よ」


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