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本編

22.貴族と平民【side リヴィ】

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 まだ、貴族籍にあった。
 その事実は寝耳に水だった。

 よくよく考えてみれば、両親を見てたら分かる事だった。
 ここに来てから〝リヴィ〟と名を変えたのに、〝レーヴェ〟としか呼ばなかった。
 いつかは呼び戻すつもりでいたなんて。

「リヴィ……レ……スタンレイ侯爵令嬢は、どうしたい……ですか?」

 ルドは強張った声で私に尋ねた。
 〝スタンレイ侯爵令嬢〟と、他人行儀な言葉で。

「やめて、ルド。今まで通りにして。私はリヴィよ。変えないで……」

 家名で呼ばれて気が付いた。
 ルドは今、平民だ。
 元はこの国の王太子でも、廃嫡されて今はただのアミナスの街の警備隊の騎士。
 街の警備隊の騎士は、国王陛下に忠誠を誓った王国所属の騎士団のように、勤め上げたり功績を上げればいずれは騎士爵を賜われるような事も無い。
 侯爵家の籍から抜けていない私は、今やルドとは身分差が生じてしまっていた。

「すみません。……貴女は貴族で、私は平民で、失礼が無い様にと……」
「やめて!お願い、今の私はリヴィよ。ルドにそんな態度されたら、私……」

 まるで見えない壁を作られたようで悲しくなる。
 せっかく仲良くなれたのに。
 気兼ねなく、接してくれるようになったのに。

 笑い合えるように、なったのに。
 もう一度、好きになったのに。

 お互いに、好きだって、言えたのに……。

「私は今のままでいたい。ルドと居たい。このまま、ここに居たいよ……」

 自立して働いて何処か住む場所を見つけて、早くそうしなきゃ連れ戻されてしまう。

 もし、連れ戻されたら。
 おそらく私を望んで下さっているという方に嫁ぐ事になるだろう。
 その方を支え、子を産み、家を盛り立てる。
 使用人に傅かれ、何不自由無い生活が待っている。

 けれど、帰りたくないと思った。



 だって。

 帰っても、ルドはいない。


「──っ」


 どうして、今になってこんな事。
 どうして──。

「ルド……、どうしたら、いいかな。私、戻りたくないよ。ここにいたままでいいかな。
 ね、ルド、私、貴方が」
「いけません」

 ルドの声に、ひゅっと息を呑む。
 その表情は硬く、真剣な眼差しだった。

「戻るか、戻らないか、の選択は、他人に委ねてはいけません。貴女の一生がかかっています。
 貴族と平民は違います。
 平民になれば、望むものすら手に入らない可能性が高い。生活だって、働いて稼いで限りある中から賄っていかなければならない。
 手が届かず、諦める事もあります。
 貴族は……、望むものを手に入れられる。
 義務を果たせば自由だ。
 天と地ほどの差があります。だから、貴女の人生は、貴女が決めた方が良いと……思います」

 ルドの言葉は両方経験したから言えるのだろう。
 平民になって、諦めた事もあるのかな。
 思わず胸元のネックレスを握り締めた。

『本当は、大きな宝石が付いた物を特注できたら良かったんだけど、……ごめん。
 今の俺じゃ、買えなくて』

 申し訳無さそうに差し出された時、ルドはそう言っていた。
 値段なんて関係無い。
 ルドが義務でも何でも無く、私を想って選んでくれたから価値があるのに。

「どちらを選んでも、私は貴女を応援しています。貴女のご両親は、娘を想って下さる方だ。だから、貴女が幸せになれる方を、選んで下さい」

 ルドはぎこちなく笑った。
 私を引き止める素振りも無く、私自身が選択するように、と。
 けれどそれは、まるで自分ではなく両親を選べと言われている気がした。

「いつまで……、に、決めないといけないんですか?」

「分からないわ。けど、そう、長くはないと思う……」

「そう……ですか。それまでは……」


 ──側にいてもいいですか


 強く拳を握り締め、絞り出すような声に、唇を噛みしめた。

「──っどうして!どうして、私はここに居たいって言ってるわ!貴方が決めないでよ!」
「貴女は!……ご両親は貴女の幸せを願っている。平民に混じっていらない苦労をしてほしくない。心配させてはいけない。
 貴女には、何の瑕疵も無い。だから、元の場所に戻る事は何もおかしな事では無い。それに。

 貴女を愛するご両親を、貴女に捨てさせる事は、できません……」

 ルドは、唯一の肉親である国王陛下と親子の縁が切れてしまっている。
 それは、おそらくルドの中で気掛かりな事なんだろうと思った。

 時折会いに来てくれる私と違って、国王陛下がルドに会いに来る事は無い。おそらくこの先も。

『父は……国王陛下は私に王位を継がせたがっていた。母上の血を玉座に据えたかったらしいから、私は親不孝者だな……』

 遠くを見ながら呟いていたルドを思い出す。

 泣いてはいけないと思った。
 けれど、一度溢れてしまうと、止まらなかった。

「リ……、御令嬢、泣かないで下さい……」

 直らない口調が、物語る。

「どうして……。やっと、どうして……」

 貴方と対等になれたと思ったのに。
 貴方と向き合えたと思ったのに。

「泣かないで……、リヴィ。私は……貴女の涙を拭えない」
「許可します!私の許可がいるなら許可、するから……」
「貴女に触れると、連れ去ってしまいたくなる」

 悲痛な顔をして、ルドは手を伸ばし。
 ゆっくり降ろして拳を握り締める。

「ここから、逃げて、誰も知らない場所へ行って、二人だけで……。
 あり得ない夢を見てしまう」

『一緒に逃げて』

 言い掛けた言葉を呑み込んだ。
 現実的では無い事が理解できない程子どもじゃない。
 ただでさえ貴族社会から、王族を捨てた私たち。

 また逃げると、それこそ自分を嫌いになってしまう。

「ごめん、リヴィ……。……レーヴェ・スタンレイ侯爵令嬢様。
 貴女の幸せを、願っています」


 ルドは頭を下げて、踵を返す。
 そして、一歩踏み出すとそのまま駆け出した。

 昨日は何度も振り返ってくれたのに。

 見えなくなるまで何度も振り返って、笑ってくれたのに。


 今日は見えなくなるまで一度も振り返らなかった。


「ふぅうぅうううー…………」


 私は門の前でしゃがみ込み、嗚咽を堪える事ができなかった。
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