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番外編〜リディア編〜

1.婚約破棄宣言

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「リディア・ローレンツ!今日この時をもってお前との婚約を破棄させてもらう!」

 リディアの婚約者であるはずの男は、リディアではない女性の腰を抱きながら声高々に宣言した。
 リディアにはこの日の為のドレスも贈られず、エスコートさえなく、一人惨めに入場し早々に壁の花となっていた。
 その男に抱かれた女性は全身を婚約者の色で包み、薄く笑いながらリディアを見ていた。

「なぜ、ですか……」

 いきなりの宣言でリディアの周りの人は蜘蛛の子を散らしたようにいなくなり、たった独り取り残された。
 それでも震える足を窘め必死に立ち、貴族令嬢として対峙した。

「お前は俺の愛する女性を虐げた。目が合う度嫌味を言い、時には手を出し、挙句の果には生命さえ脅かしていたそうだな」
「私は……っ、そんなこと致しません……!
 信じてください、ヒューバート様……!」
「嫉妬は見苦しいぞ。そんなもの、真実の愛の前では無意味だ。……なぁ、アイシャ」
「えぇ、そうね、ヒュー……」

 リディアには冷たい眼差しを向けるのに、アイシャと呼ばれた女性には甘く蕩けるような視線を向ける事にリディアの心は凍り付いた。
 愛称で呼ばせている事に、言い表せぬ悲しみが押し寄せた。

 幼い頃に政略目的で結ばれた婚約ではあったが、信頼関係を築けていたはずだった。
 だが最近は交流もおろそかになり、エスコートや贈り物も無くなった事を不安に思っていた。
 その結果が婚約を破棄する事など、リディアは目眩がしそうだった。

「ローレンツ侯爵令嬢、お認めになられてはいかがですか」
「身分の高い者が低い者を虐げるなど、高位貴族として恥ずかしいと思わないのですか」

 婚約者の友人もリディアを憎々しげに睨み付けていた。
 かつては婚約者と仲良くするリディアを気遣い、また二人を祝福し、揶揄っていた気安い友人だった――はずなのに。

「私は……致しておりません……」
「まだ認めないのか!!この期に及んで見苦しいぞ!」

 怒声に思わず肩が跳ねた。
 リディアはこのまま気を失ってしまいたかった。
 けれど、貴族令嬢としての矜持がそれを許してくれない。
 胸の前できつくドレスを握り締め、それでも下だけは向くまいと顔を上げる。

 ――そんな時、そっと背中に温かい手が添えられるのを感じた。

「さっきから見てたら、お兄さんたちの方が見苦しいと思うんだけど」

 その声に隣を見やると、背格好はリディアより少し高いくらいの少年が婚約者を睨んでいた。
 リディアの視線に気付いた少年は、目が合うと目を細めて微笑んだ。
 草原のような透き通る瞳が印象的だと、リディアは息を呑んだ。

「なんだお前は!……ハッ、リディア、お前だって男を侍らせていたんじゃねぇか」

 自らの不貞を棚に上げ、リディアを馬鹿にしたように嘲笑するヒューバートに、少年は眉をしかめ「醜い」と呟いた。

「こちらのレディをお前のような俗物と同等に扱うな。
 少し考えれば分かるだろう?
 そもそも彼女とその女の接点は?
 どこで虐げたんですか?目撃者は?時間は?
 まさか片方の言葉だけを鵜呑みにしたわけではありませんよね?」
「なっ……!!んだ、お前は!?」

 畳み掛けるように質問すると、たじろぐ男は顔を真っ赤に反論した。

「そんなの!被害者の言葉だけで十分だろう!?愛する彼女を守ってやらなきゃ誰が守るんだよ!!」
「それではお聞きしますが、今、貴方の婚約者が虐げられています。
 婚約者であるはずの男は別の女性を侍らせている。では、責められた彼女は誰が守るのですか?」

 本来ならば、婚約した女性を優先するのが筋のはずだが、彼女を放りあまつさえ言いがかりをつけて断罪するなど以ての外である。

「貴方のそれは自らの不貞をごまかし、真実の愛などという大仰な言葉で美化しただけにすぎません。
 やってる事は非常識極まりない。
 夜会のルールを無視した身勝手な宣言など無効でしょう。
 婚約を解消したいなら、ご両親を交えてお話するのが筋でしょう?
 僕より年上なのに、そんな事も分からないのですか?」

 次々と畳み掛ける言葉に顔を憤怒にまみれさせた婚約者ヒューバートは、女の腰を抱いたまま逃げて行った。
 その様子を呆然と見ていたリディアに、少年は微笑んだ。

「すみません、差し出がましい事を申し上げましたかね」

 いたずらっぽく笑う様は、年頃の男の子で。
 首を傾げた時にさらりと流れるシルバーアッシュの髪が印象的だった。

「いえ、……ありがとうございます」

 急に謂れの無い冤罪をかけられ、周りに味方もおらず張り詰めていたリディアはホッとして思わず涙が溢れそうになるのを堪えようと俯き唇を噛み締めた。

「お姉さん、良ければあちらで僕とお話しませんか?
 僕、内緒なんですが、夜会に来たのも初めてで」

 下から覗き込まれ、驚いて「ヒュッ」と喉が鳴る。
 それと同時に溢れそうな涙も引っ込んだ。

「驚かせてすみません。行きましょう」
「あ、あの」

 戸惑うリディアの手を取り、少年はバルコニーへとエスコートした。
 後ろからさり気なく護衛らしき男が付いてくるのが見えて、リディアは少年の正体に訝しく思った。


「ここならお姉さんも人目を気にせずにいられますよ」

 バルコニーに設置された椅子に腰掛けると、少し間を開けて少年は座った。
 リディアが呆気にとられ、瞬きをして見つめると、少年も瞬きをして目を泳がせた。

「……お姉さんが泣きたいかな、と思ったんですが……」

 そう言って頬をぽりぽりと掻く姿に思わず笑みが溢れた。

「ありがとうございます。……心細かったけれど、思いがけない優しさに触れたので涙は引っ込んでしまいました」

 実際先程はこの世の終わりと言わんばかりだったが、今はじんわりと温かな気持ちになっている。

「そうですか。それならば良かったです」

 その時の穏やかな笑みがリディアの心を慰めてくれるかのように染み渡った。
 御礼を、と口を開きかけたが、護衛の男が少年に声を掛け噤んでしまった。

「せっかく楽しんでたのになぁ」

 どうやら護衛に帰宅を促されたようで、少年は拗ねたような口調で口を尖らせた。

「すみません、僕はもう戻らなければならないようです」
「えっ、あ、あのっ」
「僕の名前はオズウェルと言います。お姉さんはリディア・ローレンツ侯爵令嬢ですよね?」

 リディアはこくこくと頷いた。
 するとオズウェルは破顔した。

「またお会いしましょう」
「あっ……」

 護衛に急かされ、少年――オズウェルはバルコニーをあとにした。

 一人残ったリディアは、一つ息を吐き、これからしなければならない事を思い浮かべた。

 信頼していた婚約者に裏切られ、婚約破棄を言い渡された。不貞相手と共にいた彼の姿が忘れられない。
 これ以上婚約を続けるのは無理だろうと思った。

 帰って父親に今日の事を伝えなければ。
 そう思い帰宅する事にした。

 足取り重くなるかと思ったが、足の震えはもうない。

 先程の少年の笑顔を思い浮かべると、自然と前向きになれる気がした。

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