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本編〜アリアベル編〜

26.貴女が好きなのです

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 リディアの耳にカツカツと靴音がやけに響いた。
 背中に感じる視線に意図せずに意識を集中させてしまう自分を必死に押さえる。

「すみません、お邪魔してしまいましたか」
「いいのよ。妃教育は終わったから」

 耳に馴染む声に抑えた胸が高鳴って、リディアは俯きまだカップに残っていたお茶を飲み干した。

「それで、どうしたの?」
「リディア嬢をお迎えに参りました。図書室で調べ物がありますので」

 確かに側妃回避の為に王太子に頼まれ様々に調べ物をしていた。
 千年の歴史の資料は膨大で、一年が経過しても未だ目を通せていない事柄も沢山ある。

(今更調べても、もう……)

 明日で約束の一年が終わる。
 これ以上閨事を回避できない。
 元々すぐにでも子作りを、と望まれていたものを妃教育の名目で引き伸ばしてきた。
 王太子妃教育が幼い頃からするのであれば、内政を手伝う側妃も必要だろうと納得させたのは王太子だった。

 リディアの中でけじめをつけるはずだった。
 婚約破棄された時支えてくれたオズウェルへの想いを断ち切る為に、気持ちの整理をつけたかったのだ。

 だが、予想に反してオズウェルと過ごす時間が多過ぎた。
 押さえれば押さえただけ、想いは募ってしまったのだ。

 オズウェルは兄の側妃になる女性としてリディアに対して丁重に接した。
 彼女を思いやり、気遣い、常に明るく接していたのだ。
 惹かれないわけがなかった。

 明日で全てが終わってしまう。
 閨を完遂させれば、リディアは王太子の側妃となる。
 だから、もう、これ以上オズウェルと会うのは憚られた。

「リディア、行ってきなさい」

 俯いたままのリディアに、セレニアは促した。
 躊躇したまま動けなかったが、「これで最後」と己に言い聞かせて立ち上がった。


 離宮から王宮にある図書室までの道を、オズウェルとリディアは隣同士並んで歩いていた。
 婚約者でもないため触れる事は憚られ、一人分の間が二人の距離を表しているようだった。
 後ろから護衛と侍女も付いてくる。
 やましいことは何も無いはずなのに、何故か後ろめたさがあり、終始無言で。
 ――けれど、側にいるという事が嬉しくもあった。
 上手く隠しているし、視線が交わる事は無いが互いを気にしている。
 誰にも気付かれない、気付かれてはいけない。

『お前はテオドール殿下の側妃となるのだ』

 何度、父からの言葉を自分に言い聞かせただろう。
 オズウェルが近くにいる、それだけで浮き立つ心を落ち着かせてきた。
 一年間で、彼への想いを断ち切り、憂い無く王太子との閨事に望むはずだったのに。

「リディア嬢、着きましたよ」
「えっ、……あ、すみません」

 考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか図書室まで来ていた。
 オズウェルが扉を開けリディアを先に中へ促す。

(今更調べても……)

 リディアの足取りは重い。
 どちらにせよ明日で期限となる。
 そしてタイミングが良いのか悪いのかその翌日から、懐妊しやすい期間に入る。
 もう後戻りは出来ない。
 ――今更、心の整理がつかなかったからと、拒否するわけにはいかないのはリディアも分かっている。

「もう少しで創世記に遡れます。他にも何か方法が無いかも調べます。リディア嬢は引き続き王家年鑑を、僕は伝承関係も探ってみます」
「……もう、やめませんか」

 ピタリとオズウェルの動きが止まった。
 ゆっくりと振り返ると、リディアはドレスを握り締め俯いていた。

「リディア嬢……?」
「もう、明日で一年です。何も変わらない。人の意識を変えるには一年じゃ無理でした。もう……諦めて、今まで通り側妃としてお仕えする、それで良いのでは……」

 それは足掻くのをやめ、側妃として愛してもいない、愛されてもいない夫となる男と共寝をする事を言っていた。

「嫌だと、幼子のように駄々をこねられる年齢でもありませんし」
「それでも」

 俯いたままのリディアに、オズウェルは近付き――手を取った。

「――っ、オズウェル殿下、なにを……」
「それでも、僕は諦めたくありません。
 兄上たちもそうですが、足掻けば……、何か活路が開けて貴女を解放して差し上げられるなら、僕は諦めません」

 下がらせてはいるが、侍女や護衛も図書室内にいる。
 こんな場面を見られては良からぬ噂が立つと、リディアは手を引こうとした。
 だが、オズウェルは両手で掴んだまま離さない。

「殿下、手をお離し下さい。誰かに見られたら貴方の縁談にも影響が出ます」
「こんな時にまで貴女は僕の心配をしてくれる。
 でも、僕はそんな事望まない……!」

 声を押さえ、絞り出すようにした叫びがリディアを貫いた。
 元々ここに来たのはオズウェルの憂いを払いたい為だった。
 助けてくれた恩を返したい、その一心で――。
 いや、本音は違う。リディアはひた隠しにしていたが、忘れたい想い程こびりついてしまうのだ。

 本当は、逢いたかった。
 手紙のやり取りで惹かれ、一目見たいが為に王家主催の夜会のみ領地から出向き参加していた。
 まだ成人していなかったオズウェルが参加できるのは、王家主催の夜会のみだったから。

 遠くから見れるだけで良かった。
 リディアの方が年上だから、オズウェルにはもっと相応しい女性がいるからと言い訳して封じ込めたつもりだった。
 綺麗事を言いながら、なんと浅ましいのだと、リディアは羞恥で震えそうになった。

「……私は、もうすぐ王太子殿下の側妃として嫁ぎます」
「貴女がそれを望むなら何も言うつもりはありません。けれど、そうではないでしょう……?」
「望む望まないに関わらず、義務を果たさなければなりません」
「ですが……!」
「オズウェル殿下ももう成人なされました。殿下も婚約者を探すのでしょう?」
「僕はっ!!」

 オズウェルは我慢ならず、悲痛に叫んだ。
 両手で持ったままのリディアの手を、祈るように額にあてる。

「僕は……貴女が好きなのです。
 初めて逢った時から……、毅然と対峙する貴女に惹かれ、けれども震えていた貴女を、支えたいと、ずっと思っています」

 絞り出すような言葉に、リディアは息を呑んだ。
 聞きたくて、聞きたくなくて――聞きたかった言葉に唇を震わせる。

「貴女が兄上の側妃になると知って、年下だから、成人していないから、側妃の子だからと行動しなかった己を呪いました。
 義弟として弁えようと、貴女に御迷惑をかけてはいけないと……思って、……けれど」

 オズウェルはリディアを見上げた。
 草原のような瞳と初めて視線が交わった。

「どうしても、貴女を諦められませんでした。
 義務を果たすと決めたなら邪魔はしません。ですが……。
 その後は僕と一緒になってほしいのです」

 懇願するような、縋るような瞳からそらせず、リディアは唇を噛み締めた。

「貴方は……、第二王子殿下です。然るべき令嬢と共にあるべきです……」
「僕は貴女以外欲しくありません!
 お願いします……。貴女を幸せにします。だから……」

 震える声がリディアの胸を貫く。
 何の憂いも無いならば、その胸に飛び込むだろう。
 ――だが今のリディアには、オズウェルの悲痛な叫びを受け取る事はできなかった。

「手を、お離し下さい、殿下」

 静かな言葉にオズウェルはビクリと肩を跳ねさせ、しかし聞きたくないと言わんばかりに握る手を緩めない。

「明後日には、私は王太子殿下との閨が始まります」

 リディアの瞳は揺れ、頬に雫が伝った。

「私の決意を踏みにじらないで……」

 か細い声に弾かれたように顔を上げる。
 リディアの頬は涙で濡れていた。

「リディア……」

 涙を拭おうと、手を伸ばしたが――、ぱしんと振り払われた。

「これ以上、私を揺さぶらないで……」

 そう言うと、リディアは一礼して踵を返した。
 立ち去るリディアを呼び止めようと口を開き手を伸ばすが、届かない。

 ばたん、と扉が閉まる音がして、オズウェルはテーブルを叩き項垂れた。

(今、言うべきでは無かった……)

 後悔したが、これ以上想いを封じるのは無理だった。
 二人で調べ物をするうち、物理的に近くなった距離に想いは募る一方だった。
 兄と閨をし、子を成す事を考えただけで胸が痛み苦しくなる。けれどリディアの覚悟も感じていた。
 だから、子を成したあと兄に下賜して貰えるように願い出るつもりだったのだ。
 ――リディアの、希望になりたかった。

「何で……」

 側妃の子として生まれ、王族として生き、けれど、何もできない自分の無力さにオズウェルは絶望した。


 図書室での二人のやり取りを、聞いていた者がいた。
 その者は何も声を掛けられず、静かに立ち去った。




~~~~~~~~~

お知らせ

二人もちゃんと幸せにしたいので、短編予定でしたが長編に変更致します。
変わらずお付き合い下さると嬉しいですm(_ _)m
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