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本編〜アリアベル編〜

9.王太子の責務

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「殿下、こちらが本日までの決済書類です」
「ああ、分かった」

 側近であるオーランドの言葉に生返事のテオドールは、それでも重たい身体を動かしペンを走らせた。

「……殿下、そこは違います」
「あっ……。すまん」

 心ここにあらずな主を見て、オーランドは溜息を吐き「休憩にしましょう」と言ってティーセットを準備しに行った。
 扉が閉まる音を聞き、テオドールは顔を両手で覆い長く溜息を吐く。

(昨夜のは……さすがにやりすぎた)

 アリアベルから側妃を迎えろと進言され、苛立ち紛れに翻弄し激しく抱いた。
 一度精を放っても収まりつかず、アリアベルが過ぎた快楽で咽び泣くのも構わず貪るように攻め尽くした。
 泣きながら「もう無理」と哀願する彼女を見て、更に情欲は増し結局朝まで抱き潰した。
 己でも引いてしまうくらい、どうしようもなく昂りそれを妻にぶつけた。

(ベルが悪いんだ)

 そう思いながらも、顔は歪む。
 やり過ぎたという罪悪感と、愛する妻から他の女性を充てがわれる虚しさからテオドールは苛立った。

 眠りから目覚めたテオドールは、疲労感の残る泣き腫らしたアリアベルをそのまま残して執務室に逃げて来た。

 彼とてこのままで良いとは思っていない。
 王太子として次代を遺す義務がある事は分かっている。
 だが、割り切れない。心がついていかない。
 更に自分のせいで――自分が子授け鳥を追い払ったせいでこうなっていると後悔もある。
 あの時素直に恩恵を受けていれば、かわいい我が子を慈しみ妻に寄り添い、悩む事無く幸せな日々を送れただろうに、と。

 たかが迷信だ、子を望む者が縋る幻にすぎないと思っても、どうしても引っ掛かってしまう。
 今、誰よりも待ち望んでいるのはテオドールかもしれない。

「今日は妃殿下は起き上がれないそうです」
「……っそうか」

 オーランドが戻り、お茶の準備を始めた。
 ティーセットを取りに行った際、アリアベル付きの侍女からお小言を貰ったのだと、目を座らせて主を見た。
 思い当たる節しか無いテオドールは、淹れたてのお茶を気まずそうに口にする。
 側近のくせに茶の淹れ方は上手いと、頬がぴくりとひくついた。

「ただの寝不足では無いのでしょう?」

 側近の言葉に、テオドールは持っていたカップをソーサーに戻し息を吐いた。

「側妃を娶れと言われたよ」

 主がぽつり、とこぼした言葉に、オーランドは自身のお茶を注ぐ手を止めた。

「子ができない事が苦しいのだと。ベルは『アリアベル』としてより『王太子妃』として判断したようだ」

 深淵に落ちて行くかのような瞳になる主に、オーランドは何と声を掛けて良いか分からなかった。
 以前大臣から進言された時は冷静にあしらった彼だが、愛する妃から言われて意気消沈している。
 子を成すにはどうしても性行為をしなければならず、それがテオドールは嫌なのだという事は承知していた。

「迎えられるのですか?」
「……ベルが俺を国王にしたいのならば、応えねばならないだろうな。実際王太子妃は側妃を望んだ。
 だが、俺にベル以外を抱けと……?
 俺はベル以外に経験は無いし、これから先もベル以外抱きたいとは思わないのに」

 テオドールは再び顔を覆う。
 それを見て、オーランドは思案した。

「抱かずに済む方法もあると聞いた事があります」
「本当か!?」

 オーランドの言葉に、テオドールはがばりと顔を上げた。

「女性の挿入口に注射器で子種を注入するのです」

 だが、その言葉にテオドールは顔をしかめた。

「お前……、そんな……、正気か?」
「殿下がしたくないなら仕方ないでしょう?」
「できるかそんな事!王室に嫁ぐ者は純潔だぞ?
 性行為もしないうちにそんな器具を使って子を産ませるとか、鬼畜!オーランドの悪魔!」
「んなっ!?あんたが妃殿下以外抱きたくないと言うから提案したんでしょう!?」
「仮にも子を産む為に嫁いで来てくれる女性に対してそんな無礼で悪魔的な所業など出来ぬ。
 愛していようがなかろうが、丁重に接しなければならないだろう?次代の母となるやもしれないんだぞ?」

 ありえない、無理、そんな事ができる畜生には成り下がりたくない、などとブツブツ言う主を見て、オーランドは溜息を吐いた。

「では丁重に抱く以外ありませんね」
「……それは……」

 テオドールはやすやすと是と言えなかった。
 そもそも妻以外を抱く事は妻に対する裏切りなのでは、と思い悩む。
 いくらアリアベルが良いと言っても、テオドールが良いとは言えなかった。
 むしろ何故気持ちを分かってくれないのだ、と怒りに任せて抱き潰したのがつい昨夜の事。

「妃殿下がお心を決められたのならば腹をお括り下さい。あの方を止められるのは殿下しかいらっしゃいません」
「……分かっている」

 だが、アリアベルは思い違いをしている。
 子が成せず辛いのは彼女だけではない。
 テオドールとて己の不甲斐なさと後ろめたさに毎度苦しんでいる。
 こんな時己の立場を呪わずにはいられない。
 愛する妻を悲しませたくないのに。

「もう、いっその事二人でどっかに逃げようかな」

 そうすれば、子ができずとも二人でいられる。
 アリアベルを傷付けず、二人きりで煩わしい事も無く幸せに暮らせる。

「妃殿下は着いて来ないでしょうね」
「……はああああ……」

 責任感の強いアリアベルは決して逃げる事をしない。
 そんなところが好ましいし、テオドールを発奮させる要因となってもいる。
 今回は逆効果になってしまっているが。

「お互いに納得いくまで話し合って下さい。
 殿下も本当は分かっているのでしょう?」
「…………」

 顔を強張らせたまま、テオドールは思考を巡らせ、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干した。
 固く目を瞑り、眉根を寄せ拳を握り締める。

「…………ベルと話す。オーランド、調べてほしいことがある」
「候補の御令嬢でしたら」
「それは話し合いの後だ。調べてほしいのは歴代国王の母君が正妃か側妃か、という事だ」

 主の言う事にオーランドが眉根を寄せた。

「割合を知りたい。頼む」

 それを調べてどうするのか、と訝しげだったが、やがて「かしこまりました」と一礼した。

 ティーセットを持ってオーランドが退室したあと、テオドールは執務を再開した。
 あとでアリアベルの体調を見舞おうと、集中する事にしたのだった。
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