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最終章〜縁の糸の結び直し〜
14.薫る縁
しおりを挟むアーサーとリリミアは学園に入学しても仲睦まじく、最初からこの二人が結ばれるはずだったのでは、と除け者にされたリリミアの兄シヴァルは思っていた。
「あの二人、本当に仲がいいわよね。この先寒くなっても暖炉はいらないんじゃないかしら」
シヴァルの隣で二人を観察しているのはカイザーの実妹であるルフェイ。
ふわふわの髪から薫るものがいつもシヴァルの鼻孔をくすぐり、年頃男子の本能を刺激するが相手は王女、かたやシヴァルは他国の伯爵令息。
いつも理性を総動員させて彼はそれとなく距離を取るが何故かその度近寄って来ては隣りに居座るのだ。
「王女殿下、ちょっと近寄り過ぎではありませんか?」
「ここからがよく見えるのよ」
ルフェイが近付く度シヴァルの腕に柔らかな身体が当たり、どうして良いか分からなくなる。
仲良くなった同級生に助けを求めようと視線を投げるが何故かみなついっと視線をずらしてしまう。
「はぁ、本当はアーサーの第一夫人になりたかったけれど、これじゃダメね。相手にすらされないわ。いや、されても義務的な仲、かといってリリミア様に意地悪もしたくないし」
「妹に手を出さないで下さいね」
シヴァルはリリミアのお目付け役、今度こそは誰にも邪魔されずに幸せになってほしい。
「どうしようかしら。そう言われたら疼いちゃうわ」
いたずらっ子のようにルフェイは笑う。シヴァルは表情を引き攣らせて彼女を見、丁寧に頭を下げた。
「お願いします。妹はずっと自分の幸せを邪魔されてきました。だから今度こそは何の憂いも無く生涯を全うしてほしいと思っています」
シヴァルから切実に願われ、ルフェイはたじろいだ。彼女からすればそんなつもりは毛頭無い。
むしろ目の前の鈍感男が思い通りにならないから面白くないのだ。
だがシヴァルからすればこれは悪手。
何故なら彼は仕事が楽しくて生き甲斐とし、女性の好意を尽く不意にしてきた朴念仁。
伯爵家の両親もリリミアの事もあり結婚を急かす事もなかった。
連絡の取れなくなったリリミアの事を心配する傍ら、アーサーと共に領地を発展させる事に全力で、気付けば30越えてさすがにそろそろ、というところで一度目の巻き戻り。
二回目はリリミアの子マキナが生まれなかった事に憐憫を抱き、もしまた巻き戻りしたとしたら、子が消えてしまう事を危惧してあえて結婚しなかったのはシヴァル談。
そんな半生を過ごしてきたシヴァルにとって恋愛の駆け引きなど通用しない。
「……あなた、ほんっっっっとうに腹が立つわ。妹しか見てないの?
貴方の周りに素敵な女性がいても気付かないのおかしいわよ」
「私の周りには素敵な女性しかおりません」
「んなっ」
至極真面目に言う彼の言葉に翻弄されるルフェイは、自分の事を言われているわけではないのにいつもしどろもどろになってしまう。
それもまた、面白くない。
「じゃ、じゃあ、少しくらい妹以外を見ても良いんじゃないの?」
「見ておりますよ、アーサーとか」
「違うわよ! 恋愛的な意味でよ! 貴方はアーサーを愛しているの?
そっちなの?」
「いえ、そうではなくて、アーサーは頼りになる相棒ですし義弟になる男ですから」
「妹以外で! いないの? 気になる女の子!」
ルフェイの猛攻にたじろぎながらシヴァルは考える。
「……一人、います」
「え……」
まさかこの男に妹以外見ている女の子がいるとも思わず、ルフェイの胸がつきりと痛んだ。
「……カメロンの、子……?」
「ええ」
「どんな子よ。私より可愛い?」
「そうですね、まぁ、確かに」
自分よりも可愛い女の子がシヴァルの心に棲み着いている事にルフェイの心にトゲが刺さる。
思い通りにならない男がいる事にもやもやが溜まる。
だがここではいそうですか、と引き下がるのはブリトニアの女として恥だ、と、ルフェイは探りを入れる事にした。
「名前は何て言うの」
「マキナです」
「マキナ『嬢』ではないの?」
「はぁ、マキナはマキナですし」
王女殿下と言われる自分と呼び捨てにされるマキナ、相手の方が深く想われていると早速挫けそうになる。
「す、好きなの、その子の事」
「ええ。……私にとって、唯一でしたから」
唯一。ただ一人という、他にいない者だという証。それはルフェイの心にザクリと刺さる。
「忘れる事は……」
「できません。もういませんから……」
この世にいない人物に勝てるはずもない、とルフェイは早くも白旗を挙げた。
だがこの世にいないという事は結ばれる事はないという事。まだ自分にもチャンスはあるわ、と再び奮い立つ。
「わ、私、その子の代わりになれないかなぁ、なんて」
シヴァルは目を瞬き、困惑したような眼差しでルフェイを見るから、さすがにいたたまれず制服をぎゅっと握ってしまった。
「申し訳ございません、王女殿下。貴女をその子の代わりになどできません。
マキナはマキナ、王女殿下は王女殿下。二人とも代わりはいないのです」
ルフェイはかっと顔が熱くなった。
身代わりなんて嫌だ、自分を卑下するような発言を恥じたのだ。
同時に代わりにすらなれない、というものとこの人はちゃんと相手を見る人なんだ、という気持ちが混ざりごちゃごちゃになってしまった。
「そう、そうよね。ごめんなさい。……私、用事を思い出したわ。ごきげんよう!」
「えっ、あ……」
ルフェイはそのままひらりと駆け出す。
周りの級友たちはシヴァルにじとりとした目線を投げかけた。
その事に居心地悪くしたシヴァルは頭を掻くと、ルフェイを追いかけるべく飛び出した。
ルフェイは意外と足が早く、後ろからシヴァルが追い掛けて来ないのを悟ると息を整えようとゆっくりと歩き出した。
「ルフェイ殿下?」
俯きながら歩いていると前から声がかかり、顔を上げるとアーサーとリリミアの姿を捉えた。
こうなったら敵状調査だ、とつかつかとリリミアに歩み寄るとルフェイは口を開く。
「ねぇ、マキナって子の事を教えて!」
リリミアはその名前に目を見開いた。
久しぶりに聞いたが忘れたわけではないその名前。
「殿下は……誰からその名を……?」
唇を震わせながら尋ねる。
「シヴァルよ。妹以外で気になる子はいるの? って聞いたらその子の名前が出たの。
忘れる事はできない唯一の子って言ってたわ。リリミア様ならその子をご存知でしょう?」
リリミアは口元を押さえ、漏れ出る嗚咽を堪えている。それをアーサーが支えながら心配そうに背中を擦った。
その様子にただごとじゃないと感じたルフェイはアーサーに目で訴えた。
「マキナは……リリミアの娘だった子だよ」
「え……」
ルフェイは二人からマキナの話を聞いた。
大きく時を遡る事により生まれなかった娘がマキナ。
確かに存在していたはずの我が子を生まない選択をし、存在を失くしてしまった。
アーサーと婚約した事でこの先二度と生まれる事は無い。
それを許されるはずがないとリリミアの心にずっと残っている。
「私はあの子に許されない事をしたわ。だから、あの子を生む資格が無い。生まない事で縁が切れてしまったと思うわ」
本当はいたはずの女の子。
けれど親の身勝手で生まれなかった哀れな子。
そんな悲しい事があるなんて、とルフェイは唇を噛んだ。
だが、リリミアと元夫とどうにかなれ、とも言えるはずもない。
暫く何も言えないでいると、シヴァルが追い付き三人の空気に割って入った。
アーサーに事情を聞くとリリミアを頼むと言い残し、シヴァルはルフェイの手を取るとその場を離れた。
「ごめんなさい。リリミア様にマキナの事を聞いたわ」
「マキナは私の唯一の姪ですよ。最後に会ったのは十歳くらいでしたかね。リリミアに似た可愛い女の子でした」
とぼとぼと歩きながら話す。
シヴァルの手は大きくて温かくて、ルフェイは自分の気持ちを明確に自覚する。
「もう、マキナは生まれないの?」
「……リリミアと元夫が不貞すればあるいは」
「そんなのリリミア様は望まないじゃない」
「誰も望んでません。だから……」
シヴァルはそこで口を噤んだ。だから、――マキナは生まれないのだと、割り切れない思いがある。
「……私が産むわ」
ルフェイの言葉にシヴァルは立ち止まり、振り返った。
そこには涙を溜めたただ一人の女の子がいた。
思わずドキリと胸が鳴る。
「貴方、私と結婚しなさい。リリミアの血縁者なら縁付くかもしれないでしょう」
「え……、え……?」
何を言われているのか分からず、シヴァルは困惑を隠せない。
「王女殿下、私の家は伯爵家です。何の特徴もありませんよ?」
「いいの。私が降嫁すれば陞爵できるわ。というより絶対させます。だから私がマキナを産むわ」
いよいよ本気だという事が分かると、シヴァルも真剣な表情になる。
「殿下、貴女はそれで良いのですか? 今までの生活とがらりと変わるでしょう。王女ではなくただの貴族夫人となるのですよ?」
「構わないわ。……貴方がそばにいるなら、苦労だってしてやるわ」
ふわりと風が吹く。
ルフェイの髪から薫るものがシヴァルの鼻孔をくすぐる。
(ああ、もう……)
シヴァルはとうとう観念し、ルフェイの前に跪いた。
「ブリトニア王女ルフェイ殿。私はしがない貴族子息です。ですがいつの間にか貴女に惹かれ、恋焦がれておりました。
私と結婚して頂けますか?」
シヴァルは右手を差し出した。ルフェイは目を見開き、思わず口角が上がるのを止められない。
差し出された手をぎゅっと握ると思いっきり引っ張った。
「許可します。お父様に言って私はカメロンに嫁ぐわ。そして貴方の憂いを無くしてやるんだから」
そのまま抱き着くと、シヴァルもおずおずと背中に手を回す。
ルフェイはようやく手に入れた男の胸で幸せいっぱいだが、シヴァルの頭の中は「どうしよう、いきなり王女と結婚とかどうしよう」でいっぱいになった。
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