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最終章〜縁の糸の結び直し〜

3.再会

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 時戻りから一週間が経過してもカリバー公爵家から婚約の打診が無い事に安心したリリミアは、クロスの言葉を思い出していた。

『母上、もう楽になってください。
 もう、自分を憎しみから解放してあげてください。
 母上も、時を戻れて良かった、って思えるように、これからは自分の幸せを考えてください』

 お茶会で出会ったマクルドクロスは、「母上は自分の幸せだけを考えて下さい」とリリミアに言った。
 自分の幸せだけを追求していたマクルドがそんな事を言うはずはない。だからあれはクロスからの言葉だろう、と確信できた。

 今までのリリミアはマクルドと結婚し公爵夫人として慎ましく過ごしてきた。
 淑女として、高位貴族夫人として常に自分を律してきたのだ。
 マクルドクロスからの求婚は無い。だからクロスは再び二人が結ばれる事を望んでいないという事。それならば今のうちに、と、リリミアは自身の将来を考え始めていた。

 リリミアが自分の幸せを考えた時、真っ先に思い出すのはアーサーとデウスの事。
 辛い記憶に苛まれ押し潰されそうになっていた彼女を支えてくれた二人は、リリミアの中で大きく占める存在だった。
 だがアーサーは隣国の人間。
 兄シヴァルと出会うのは今のリリミアからすればだいぶ先の話だ。
 つまり現時点で接点が無いのだ。

 〝隣国の貴族〟という情報くらいしか知らず、詳しい背景も深くは聞けなかった。
 彼の優しさに甘えていた事に羞恥が募る。

 今、リリミアがアーサーに会っても記憶が無ければ知らない人間となる。
 自分だけが彼に会いたいと思っているのでは、と考えると隣国にも行けない。

(子どもに戻っても、良い事とそうでない事があるのね……)

 だがリリミアは拳をぐっ、と握り締めた。
 アーサーに会いたい。
 その為にどうすれば良いか考える。

 シヴァルとアーサーが出会ったのは、シヴァルが隣国に留学したからだ。そこの学園で出会ったのだ。
 当初のアーサーははぐれ者で知り合いのいないシヴァルが積極的に話し掛けていた。最初は鬱陶しい奴、から段々打ち解けたのだというのはシヴァルの談。
 学園入学まではあと数年はかかる。
 今回も兄が留学するとは限らない。
 けれど、そうだからといって何もしないわけにはいかない。

「お父様」
「リリミア、どうした?」

 リリミアは兄に頼らずとも自分が留学してアーサーを探しに行けば良いと考えた。
 だから父に頼む事にした。

「お父様、カリバー公爵家から何も来ていないのよね?」
「そうだな。今のところは大人しいようだ」
「でも、今後も来ないとは限らない。だから今のうちに他の方と婚約したいわ」

 リリミアの言葉にバラム伯爵は目を見開いた。

「できればこの国の人じゃなくて、その……。
 王太子殿下の力の及ばない所の方が良いと思うの。例えば隣国の貴族の方とか」

 ドレスを握り締め、もじもじとするリリミアの様子に伯爵はピンと来た。
 そして手元にある釣書をじとりと見て、溜息を吐いた。

「はっきり言いなさい。アーサーが良いんだろう?」

 その名前にピクリとするリリミアは、一回目と二回目とは全くの別人のようで、可憐な少女の如く頬を赤らめた。
 かつてのリリミアはどちらかと言えば大人しめの性格だった。
 バラム伯爵は久しぶりのその反応に、マクルドから解放され、本来の娘が戻って来たようで嬉しくもあり、手元の釣書の主に再び奪われてしまう事に複雑な面持ちだった。

「リリミアはアーサーのどこが良いんだ?」

 父の問い掛けにリリミアは目を瞬かせた。

「最初はからかうようにしてくるのが嫌だったの。ねぼすけ、とかはねっかえりとか、令嬢らしくない、とか挑発ばかりしてくるから。
 でもそれは、私から怒りを引き出す為だった。
 普通なら笑わせてくれた、とか何だろうけれど」

 リリミアは目を閉じて当時を思い返す。

「虚ろであらゆる感情を失くした私は笑う事が難しかった。自分がどう感じているのか、とかが分からなかったから。
 でもアーサーはまず私を怒らせる事で感情があるという事を思い出させてくれたの。
 怒ったり泣いたりして嫌な事吐き出して、苦しい事は苦しいって出していいって言ってくれた」

 再び目を開き、父を見上げる。
 そこにはもう虚ろな目をした女性はいない。

「嫌な事出した後にできた隙間に、楽しい事や嬉しい事を埋めていけばいいって言ってくれたのもアーサーだった。
 だから、私は彼がいい。やり直して、彼には記憶が無いかもしれないけれど、その時は好きになってもらえるように努力するわ。
 その為にはまず出会わなくちゃ。だからお父様、お願いします。
 私をアーサーの国に留学させて下さい」

 リリミアは頭を下げる。
 バラム伯爵は娘の熱烈な愛の告白を聞き、こほんと一つ、咳払いをした。

「だ、そうだが、どうするかね?」

 リリミアは顔を上げて父の目線を追い掛けた。
 そこにはソファの背もたれから銀色の頭がぴょこりと出ていた。

「す、すみません、お客様がいらっしゃったとは露知らず! 私……はしたない………」

 羞恥から顔を真っ赤にしてリリミアは取り乱した。すると頭がふるふると震え、密やかな笑い声も聞こえてくる。

「相変わらずはねっかえりだな」
「――……っ!」

 耳に残っているよりも幼い声。だがその口調には覚えがあった。
 ソファの人物は立ち上がり、リリミアに近付いて来る。
 そして目の前で跪くと、右手を差し出した。

「三度目まして、リリミア嬢。私の名前はアーサー。隣国での名はアーサー・アルトリエ・アルクトゥルス。貴女に求婚しに来ました」

 リリミアは目を見開き悲鳴が出そうになるのを口元を押さえて呑み込んだ。
 たった今会いたくて、だが会える手段が分からなくて、ならば自分から会いに行こうと決意した人物が目の前にいて、しかも求婚しているのだ。
 驚きと嬉しさと戸惑いでどうしたら良いか分からず、ただニコニコと笑う彼をじっと見ていた。

「貴方……、記憶が……?」
「ああ、二回分、三回分か? ばっちりあるぞ」

 ニカッと笑う様は沢山抱き締めてあげられなかった息子に似ていて、親子だったんだな、と改めて実感して、ぽろりと涙をこぼした。

「リリミア、どうした? ……嫌だったか?」
「ちが、違うの。貴方がデウスに似ていて、思い出して、あの子……、もっと、あの子を抱き締めたかった、って思って……」

 アーサーは立ち上がり、リリミアの頭をそっと撫でた。拒絶されない事にホッとして、そのまま撫で続ける。

「デウスは口は悪いけど物分かりは良い子だったよ。リリミアの立場を良く理解してた。
 リリミアがそうやってデウスを思い出すだけで喜ぶよ」

 カリバー公爵家にいる間も、片時も忘れた事は無かった。
 伯爵邸や領地で会った時は沢山撫でて一緒に寝たりもした。
 会う度大きくなって、そのうち「リリミア様」と呼ばれる事に悲しくなって。
 けれど、いつかは公の場で「母さん」と呼ばれる事を希望にしていたのだ。

「私、あの子に会いたい。あの子だけは何の罪も無いのに我慢させてしまったわ。
 だから、私は……」

 エクスは懐妊後だったからそのまま生まれてもエクスのままだった。
 だがデウスは未だ形になっていない。
 同じ時期に子を成して、同じ子が生まれるかと問われればそれは分からない。だが。

「リリミア、貴女と俺ならデウスはきっとまた来てくれると思う。
 今度こそ二人で育てよう。
 だから、俺と結婚してください」

 アーサーの言葉にリリミアは泣きながら頷いた。
 そんな彼女が愛おしくて、アーサーは額に口付ける。瞼にも落とし、鼻から唇へ行きかけたところで横槍が入った。

「うぉっふぉん」

 バラム伯爵がわざとらしく咳払いすると、二人は慌てて離れた。

「盛り上がっとるが今度は結婚までは我慢するように」
「でもお父様、デウスは17の時に生んだ子よ」
「ぐぬぬ、いやしかしだな」
「大丈夫だよリリミア、俺の国では15から結婚できるから」
「本当?」
「ああ。今から留学して、飛び級で卒業すればいけるいける」
「留学!?」
「カリバー公爵家から打診が来ないとも限りません。リリミアは落ち着くまで留学して安全になってから戻れば良いかと」

 アーサーの提案に伯爵は唸る。

「せっかく戻って来たのにな……。仕方ない、公爵家の動きも分からん。国王からの呼び出しもあるからな。そちらで暮らした方が安全ではあるだろう」
「向こうに永住するわけではありませんのでご安心下さい。できればこちらの国で暮らしたいと思っています」

 アーサーの言葉に伯爵とリリミアは顔を見合わせた。

 そうして二人はアーサーの国に留学という形で行く事になったのだ。

「俺も忘れるなよ!」

 兄シヴァルも共に。
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