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二回目
18.茨の道を征く
しおりを挟む公爵家での話し合いの結果は、待っていた者に悲報としてもたらされた。
「あなた、公爵家との話し合いはどうなったの?」
妻に問われ、伯爵は渋面で頭を振った。
夫人は口元に手を当て表情の色が抜けていく。
うまく事を運べなかった事がその場にいた者の表情を暗くした。
「公爵夫人から懇願された。マクルドにチャンスをくれと。
リリミアでないと嫌だと言って聞かないと、夫人が仰った。
何でもするから結婚させてくれとも言っていたぞ」
伯爵夫人とシヴァル、そして駆け付けていたアーサーも表情を強張らせていた。
流石に婚前子がいれば破棄になるだろうと思っていたが、ここまでくると執着心にたじろいでしまう。
「リリミア、逃げよう。俺の故郷に行けば何とかなる」
「アーサー……」
「いや、かえって危険だろう。貴族は一平民を気に掛ける事は無いが、気に掛ける平民を潰す事も可能だ。秘密裏にな。
ここまで来ると私たちの力では太刀打ちできない。
赤子を連れての逃亡は難しいだろう。
リリミアに逃げるとお前たちに影響があると脅しかけられた」
「そんな……」
「話が通じない相手に正攻法は悪手だった。まさかここまでとは誰も思わん……」
バラム伯爵の言葉にみな一様に俯いた。
前回と状況は変わった。だが公爵家から抜け出せない事になぜ、という思いが募る。
「マクルド様にも時戻り前の記憶があるそうよ。だから後悔しているからやり直しさせて、って……」
リリミアの言葉に戦慄する。
時戻り前の記憶がありながらやり直させろと言える無神経さに理解ができず頭がおかしくなりそうだった。
なぜ、理不尽に我慢をしないといけないのだろう。
なぜ、被害者が加害者の背景を思いやらねばならないのだろう。
なぜ、未来を奪った者にやり直しの機会をやらねばならないのだろう。
マクルドは魅了の被害者であるかもしれないが、リリミアにとってはただの加害者である。
そこに愛があろうが無かろうが、彼のした事はリリミアを傷付けた。
「愛しているから」という名のもとに。
しかし伯爵家では公爵家に太刀打ちできない。
アーサーもただ家を出て介入するだけではダメだと歯噛みした。
後の影響など考えずに国を使うべきだった、と。
重苦しくなった雰囲気に、リリミアはある決意をした。
「こうなったら仕方ないわ。逆にチャンスだと思う事にする。
向こうにも記憶があるなら、堂々と同じ事を返せる。あの人が自分でした事を自分で体験させるの」
背筋を伸ばしそう答えた。
家族はじめアーサーも悲痛な表情だ。
「お父様、メイ・クインの生んだ子は無事?」
「……ああ。少し弱かったから今は乳児院で治療を受けているよ」
メイ・クインの懐妊を確認した後、伯爵家から偵察の為の使用人を派遣していた。
身の回りの世話は王太子が整えてはいたが必要最低限だったのだ。前回の妊婦の為の心配りは公爵夫人の手配だったから、今回は無いと見るや伯爵家が代わりに手配していたのだ。
そうさせたのはリリミアだ。
領地にいる間メイ・クインに子がいる事を知り、無事に生めるように見守る事を願ったのだ。
男児を出産したメイ・クインはそのまま亡くなった。
王宮使用人が報告に行き、公爵家の関与も無かった子は孤児院に入れられる事が決定したが、行き先は伯爵家でも把握していたのだ。
親子鑑定は案の定マクルドの子。自分の子では無いと知ったランスロットが孤児院行きを命じたようだ。彼はそこで手を引いた。
マクルドはリリミアの事で頭がいっぱいで、彼の言葉を上の空で聞き流してしまっていたのだ。
リリミアは考えた。アーサーに上書きはしてもらったがどうしてもマクルドと閨をする気にはなれなかった。
マキナの事はあるが、最期の件が尾を引いて体を重ねるなど無理だったのだ。
マクルドは子を生むのは妻の仕事と言った。
前回はエクスを後継にしたがっていた。
子を生みたくないリリミアと、エクスを後継にしたいマクルド。
そこに互いの望みが合致した。
「メイ・クインの子を引き取るわ」
リリミアの言葉にみなが瞠目した。
「不貞の子だぞ?」
「不貞の子でも何でも、結婚後にアレと閨をしなくて良い為に必要です」
その言葉にハッとする。
「閨を拒絶するつもりか」
「当たり前です。気持ち悪いし何より……」
その表情からリリミアが死を選んだ経緯を思い出し、一様に眉を釣り上げた。
そしてきっぱりと言い切ったリリミアに、シヴァルは不敵に笑った。
不貞相手と爛れた生活を送っていた男に白い結婚を強いる。
欲望のままに生きていた男に禁欲を与えるのは良い返しだ、と思わず出たものだった。
「お返しとばかりに向こうも愛人を作るかもしれないが」
「そうすれば今度は強引にでも離縁を突きつけるわ。
もう我慢しない。今度死ぬ時は道連れよ」
リリミアの鬼気迫る表情に、家族に湧いたのは悲しみだった。
「リリミア、もう死ぬなんて言わないで……」
「そうだ。今度こそは死ぬ前に助けに行く」
もう一度抱き締められ、リリミアは表情を緩めた。
前回は味方を作る事ができなかった。
誰もリリミアに手を差し伸べてくれる人がいなかったのだ。
だが今は家族が支えてくれる。何より。
「リリミア、貴女が死んだら俺とデウスは置いて行かれる事になる」
ハッと、声がした方向に目を向けるとアーサーが立っていた。デウスは別室で寝ているが彼はずっと聞いていたのだ。
「……いつまでも待つよ。だから死ぬなんて言わないでくれ」
忘れたわけではない。だが公爵家には連れて行く事はできない二人だ。
物理的な距離もある。
「私は……実の子を捨てようとしている酷い女よ」
「違う。貴女は自らの意思で捨てるのではない。捨てさせられるんだ。俺たちを人質にされただけだ。それに期限もあるんだろう?
希望はある」
どちらにせよ実子と一緒にいられなくしたのは自分だ、と彼女は自身を責めている。
あの時の選択を後悔する事は無くても正しいとも言えない。
結局は権力に屈し離れ離れになってしまうのだから。
「……そうね。後継ぎが成人したら離縁できるようにお願いしたからそれまでの我慢よね。
期限があるから大丈夫よ。それまで貴方たちを守るわ」
「リリミア、辛くなったらいつでもここに来なさい。ここならばアーサーは家令だから領地の報告に来る事もあるだろう。……デウスを連れてな」
「お父様……!」
バラム伯爵の言葉は二人に希望を灯す。
全く会えないわけではない。
いつか親子三人で暮らせる日が来るかもしれない。
それだけでリリミアは公爵家で戦える。
マクルド相手に立ち回れる。
リリミアは決意した。
彼には立派な淑女として接しよう。
妻として公爵夫人として、後継者の母として演じよう。
憎しみを隠しやられた事を返すだけ。
全ては己が望む未来の為に。
その後リリミアは父と共に孤児院を訪れた。
「この子を引き取るわ」
指名されたのはマクルドに似た男の子。
前回「エクス」と呼ばれていた子である。
「かしこまりました。名前はどうなさいますか?」
「付いてないの?」
「ええ、生まれてすぐにこちらに来ましたので。
10人目の孤児でしたからジュウと呼んでおりましたが」
そんな安易な名付けではこの子がかわいそうだ。
リリミアは逡巡した。
前回はエクスと名付けられた子の名前。今回は自分の勝手で利用する事になる憐れな子になるだろう。
そして我が子を捨てざるを得ない自分への罰を忘れないようにする為のものでもあった。
「……クロス」
「クロス……。前回とは変えるのか?」
「ええ。憎い子だけれど、子どもに罪は無い。
私の罪とあの人の罪を忘れないように、クロスと名付けるわ」
大人の身勝手に巻き込まれてしまう子どもたちは、いつでも犠牲を強いられる。
母の温もりを奪われ、孤独を味あわせてしまう。
デウスはクロスではないし、クロスはデウスではない。身代わりにはなれないのだ。
それでもリリミアはこの子を愛そうと決めた。
公爵家の後継として相応しい子になるように。
ああ、けれども我が子と引き離されこの子を愛せるのだろうか。
子どもに罪は無い。どうか親に似てほしい、いや、似ずに育ってほしい。
リリミアのクロスに対する気持ちは相反するもので乱れた。
そうしてリリミアはマクルドと結婚した。
アーサーの事は聞かれなかったから答えなかった。公爵夫人からも聞いていないようだ。
結婚式の翌日公爵夫妻が訪れた。怪訝な顔をしながら、指定された時間に。
クロスを見せると公爵夫妻は顔色を悪くした。やはり親子共々処刑されたと思っていたようだ、とリリミアは感じた。
(私に記憶が無いと思い込んでいるから不貞の証拠を揉み消せたと思ったのでしょうが)
「驚きましたか?」
口だけ動かし、リリミアは笑みを浮かべた。
公爵夫人は顔を強張らせた。
ほんの少しだけ、胸の内がすいた。
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