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二回目

12.ごめんなさい、よりも、ありがとう

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 朝食の席に遅れて来たマクルドは、リリミアやクロスがいない事に罪悪感を抱いた。彼女のせいだ、と思うのに気持ちはもやもやしている。

(本当は分かっているんだ……)

 ただ、それを認めたくない。失う事が怖い。
 ――独りになるのが怖かった。

 マクルドは二人を探しに行こうとしたが、使用人たちが彼を席に案内し給仕を始めた為仕方なく席に着いた。

 淡々とした給仕の中、朝食を口に運ぶ。
 ちらりと使用人に目をやると、無表情で佇んでいる。
 使用人の中でマクルドは客人、しかも公爵令息だ。逆らえない事は承知しているが、大切なお嬢様であるリリミアと婚約しているときから、彼がして来た事を知っている。
 仕事はするが、みな内心腸が煮えくり返っていた。

 口には出さないが居心地の悪さを感じ取ったマクルドは、早々に食事を済ませ客室に戻りこれからどうするかを考えた。

 彼の中でリリミアと幸せになりたい事は揺るぎない確定事項。
 だが先程の所業で決裂してしまった事は感じていた。
 本当ならばクロスの言う通り彼女と離縁してアーサーのもとへ返すのが筋なのだろうが、どうしてもそれだけはしたくなかった。

 ランスロットの妻への愛を対価に時戻りをした。
 そしてリリミアを幸せにする事を彼に誓ったのだ。
 幸せにする、彼女に尽くすと。
 まだ彼女を幸せにできていないし、尽くせてもいない。
 リリミアの心からの笑顔も見ていない。

「まだだ。まだチャンスはあるはずだ……」

 まずは謝罪し、二度と酷い事はしないと誓おう。
 メイの事はもう何とも思っていないと、信用してもらえるまで話し合おう。
 そしてこれからはリリミアを思いやり、大切にする。
 この際アーサーがいてもいい。伯爵家領地にいるなら頻繁には会えないだろう。離れは壊してしまったから迎えられないと主張できる。

 その中でアーサーに向ける愛情の一欠片でも貰えたら。
 惨めな発想だが彼にはそれしか縋るものが無かった。

「いざとなれば時戻りもある」

 それは最後の手段でできればあまり使用したくない。もしも自分の中のを捧げるならば、下手したら自分の存在さえ消えてしまうかもしれない、と彼は本気で思っているからだ。
 リリミアと婚約した後ならどの時点でも構わないが、リリミアとやり直せないなら意味が無い。

「……謝罪はする。……明日にはする……」

 そして、謝罪すると決めてもすぐに実行しない。
 それが自分の首を絞めるというのに、彼は向き合う事から逃げていた。


 リリミアは自室に戻り、ソファに蹲り膝を抱えて震えていた。

(大丈夫よ……上書きしたもの。あんな奴の事なんか……)

 必死に自分に言い聞かせ、震えを窘めていく。

「リリミア」

 扉を叩く音と共に聞こえた声は、震える彼女の耳に優しく染み渡る。
 中に入って来た彼に縋るように手を伸ばすと、優しくその手を包まれた。冷えた指先が温められ、背中に回された手が彼女の早まった鼓動を落ち着かせるようにゆっくりとリズムを刻む。

「大丈夫だ。きみは穢されてなんかいない。
 悪夢は終わったんだ。気高くて揺るぎない淑女のままだ」

 何度も大丈夫だ、と囁かれ、リリミアのざわついた心に浸透していく。
 染み渡る安心感に、ようやく深く息を吸えた。

「ごめんなさい……。私はいつも貴方に迷惑をかけてばかりね」
「そう思うならそこは『ありがとう』だろ?
 俺は迷惑大歓迎だからな。だがごめんなさいよりありがとうの方が言葉としては好きかな」
「貴方は……そうね。来てくれてありがとう」

 ぽんぽん、と頭を撫でられると、気持ちが和らいでくる。しばらくアーサーの優しさに甘えていたかった。

 落ち着いたところで、アーサーは真剣な眼差しを彼女に向ける。

「俺があいつを斬って来ようか?」

 その瞳には憎悪が宿り、憤りが滲み出ている。
 騒ぎを聞いたアーサーは、マクルドがリリミアにしていた事を通りかかったメイドから聞いた。
 聞いた瞬間沸騰し、殴りに行こうとしたが到着した時にはクロスがマクルドに向かって叫んでいたのだ。
 七歳頃にしては大人びた印象だったが、彼もまた時戻りの記憶があると知り、アーサーは振り上げた腕を降ろした。

「物騒なんだから……。大丈夫よ、未遂だったからすぐに忘れるわ」
「今すぐまた上書きしたい……」

 熱を帯びた瞳で見つめられ、手に口付けられる。
 だがリリミアはゆっくりと頭を振り、アーサーの手に自身の手を重ねた。

「いいえ、アーサー。大丈夫よ、私はまだ気軽に貴方に応えられない。仮にもあの人は公爵令息、全てが終わらなければ、貴方に咎がいってしまうわ。上書きは一回で十分よ。
 これ以上は巻き込みたくないの。
 私一人でやり遂げなくてはいけない」

 柔らかく笑うリリミアは、もう震えていない。
 アーサーは一度目の人生で傷付いた彼女が、未だに傷だらけで立ち続けている事を知っている。
 本音はこれ以上関わってほしくない。
 だがリリミアの気持ちを、大切にしたかった。

「辛くなったら言え。いつでも飛んでくる」
「ありがとう……」

 軽く抱き締めると、二人は名残惜しげに離れた。
 そしてリリミアは瞳を閉じ深呼吸をする。

「……いい顔だ」

 再び目を開けた時にはいつもの彼女に戻っている。

「淑女の顔って言うんだっけ?」
「ええ。公爵夫人としての教育の賜物ね」
「その顔でやり返してんの割とクルもんがあるな。もしまた時戻りしてもやり直すのか?」

 アーサーの問いに、リリミアは笑顔で答えた。

「いいえ、淑女の顔も二度目までよ」


 コンコン、と小さく扉を叩く音がする。
 返事をするとカチャリと遠慮がちに扉が開いた。
 入って来たのはデウスに手を引かれたクロスだった。

「ほら、泣いてないでしゃんとしろよ、男だろ? ぶら下がってんのは飾りか?」
「だっ、て、僕っ、僕はっ」

 ぐしゅっ、えぐっ、と号泣しながらクロスはよたよたと歩いて来る。
 二人を見て、リリミアはアーサーに目を向けた。

「言葉を選ぶように言っておく」

 バツが悪そうに目を上向けるとリリミアは小さく溜息を吐いた。

「ほらっ、リリミア様に謝るんだろ?
 悪い事したらすぐ謝る。これ常識だぞ」
「デウス」
「なんだよ、父さんがいつも言ってるだろ」
「いや、そうだけど、言葉遣いをだな」
「いいっ、いいんですっ、僕っは、アリンコみたいな存在なのでっ!」

 クロスの言葉に三人は目を見合わせた。
 泣き止まぬクロスに、リリミアが近付き頭を撫でる。触れられた瞬間、クロスはびくりと身体を震わせた。

「クロス、何か悪い事したの?」

 必死に泣き止もうとして、何度も袖で涙を拭う。目は赤く染まり、その周りも摩擦で赤くなってしまう。
 唇を尖らせて震わせるが嗚咽は意に反してせり上がって来る。

「クロス、話を聞かせてくれる?」

 リリミアはクロスの目元をハンカチで押さえながら、目線を同じ高さで聞いた。

「僕っ、僕がっ、ここに、父上を連れて来たいって言ったから、母上を、またっ、嫌な思いを、汚い事、されてっ」

 一つ一つ、言葉を繋ごうとしても嗚咽で阻まれる。クロスはそれでも伝えなければならなかった。

「ごめんなさい、母上。怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい」

 とうとう彼は涙を溢れさせ号泣した。
 自分がいなければ、母は悲しい気持ちにならなくて済んだのに。
 自分が余計な事をしなければ、母は傷付かずに済んだのに。
 守ると決めたのに傷付けた。
 幸せにすると誓ったのに苦しめた。
 様々な思いがクロスの中で渦巻いた。

 リリミアはそっと、クロスを抱き締める。
 ゆっくりと背中を擦り、頭を撫でた。

「大丈夫よ、クロス。貴方が来てくれたから怖い思いは少しで済んだの。
 お父様に体当たりした貴方は騎士みたいで素敵だったわ。お母様こそ心配かけてごめんなさい」
「ごめんなさい、僕は父上があんな奴だって知ってたのに……。ごめんなさい、守れなくて、ごめんなさい」

 リリミアはずっと謝り続けるクロスの声を聞きながら、自分を責め続ける彼に対し悪感情が消えていくのを感じていた。

「……なんだよ、クロス悪くないじゃん。悪いのはあいつだろ? クロスはリリミア様を守ったんだよな。
 クロスがいなかったらもっと酷い事になってたかもしれないじゃん」

 今度はデウスが泣き出した。
 目に涙を溜めながら、ズボンの裾を握り締め、ぐしぐしと。

「リリミア様も、クロスも悪くないじゃん。悪いのあいつじゃん、何でだよ」

 そんなデウスの頭を、アーサーがぐしゃぐしゃとした。「何でだよ」と言いながら泣くデウスを、自身に引き寄せる。

「……アーサー、貴方の言う通りね」

 クロスを抱き締めながら、リリミアの眦から涙が溢れた。

「ごめんなさい、よりも、ありがとうの方が正しいわね。
 クロス、ありがとう。守ってくれて、ありがとう……」

 クロスは母の服をぎゅっと握り締めた。


 その夜、デウスとクロスとリリミアの三人で眠った。

 だが心理的な負荷がかかったせいか、翌日リリミアとクロスは熱を出した為残る事になった。
 マクルドも残ると言ったがあまり長引きすぎると仕事に影響が出る為一人で公爵邸に帰宅した。


 二人に謝罪する事すら出来ないままだった。
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