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二回目

16.生きる希望

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「私を抱いてほしい」

 リリミアの言葉にアーサーは口を噤んだ。
 冗談にしては真剣な眼差しに茶化す事もできない。

「理由は?」

 リリミアは目線を下にして夜着の裾を握り締めた。

「私はもうあの人との閨をしたくない。
 でもあの人が最期の男にもしたくない。
 最悪な行為が最後と思いたくない。だから上書きしてほしい」

 リリミアは顔を上げ真っ直ぐにアーサーを見つめた。だが夜着を握る手は少し震えている。

「……行為自体に嫌悪は無いのか?」
「分からない。けど、あの人じゃないならたぶん大丈夫……」

 アーサーはリリミアの震える手を取った。
 触れた瞬間ピクリと震えたが、彼は包むようにして握った。

「元には戻れなくなるぞ。下手したら婚約だって無くなるかもしれない」
「好都合だわ。……ねえアーサー、どうして男は結婚前から愛人を持つ事を許されて、女は純潔を守らなくてはならないのかしら」

 貴族社会では女性は純潔で嫁ぐ事が習慣化している。
 義務では無いが血に混ぜ物をしない為だとか様々な理由を付けられている。

「婚約者がいるけど女性は純潔を守って、結局他の女性に奪われて、けれども男性は他に子を設けてもあまり批判されないわ。
 血を繋げばそれで良いの? そこに妻となる女性の意思は無いの?
 婚約だってそう。破棄された側に問題があるって女性は傷物扱いよ。
 私たちは男性の為に生きるんじゃないのにね……」

 それはリリミアが一回目にで感じていた理不尽さ。
 男性は良くて女性ははしたないとされる事。
 不貞も男性は「男の甲斐性」として言われ、女性は大きな醜聞になるのだ。
 婚家以外の種を入れない為、であれば結婚する時にお腹に宿していなければそれで良いはずだが、男性有利な世の中は暗黙の了解で女性は純潔を強いられていた。

 アーサーは逡巡する。
 確かに愛人役は引き受けた。だがあくまで振りだった。
 男の影をチラつかせるだけで効果はあるだろうと踏んでの事だった。

「……無理ならいいわ。他をあたるから」
「待ってくれ」

 アーサーはリリミアの手を掴んだ。
 他の男に触れられたくない、自分が支えたい、そんな想いが彼の中に巡っていく。

「後でシヴァルに殴られるだろうな……」
「私が無理矢理命令したって言うわ」

 アーサーは難しい顔をしてうなり、頭をガシガシと掻いた。

「……分かった。どうしても辛くて止めてほしい時は言ってくれ。
 無理はしない事。怖い時はちゃんと合図をする事。
 苦しくなったら俺の胸を叩くんだ。いいか?」

 熱を帯びる瞳に見つめられ、リリミアは小さく頷いた。

「それと、お願い、嘘でもいいから、愛してるって言って……」

 潤んだ瞳と朱に染まる頬にアーサーの劣情が刺激されていく。

「愛してる。……嘘じゃないからな」
「え……」

 聞こうとする暇も無くリリミアは抱き寄せられ口付けられた。
 記憶の中ではマクルドとのみした事があるそれはアーサーによって書き換えられていく。
 優しく触れる手付きも、様子を伺いながら震えを窘められながらリリミアを溶かしていった。

 痛みがあるのは、身体は初めてだから。
 それが今生きている事を実感させた。
 それ以外はただ塗り替えられていく事に集中していた。

「愛してる、リリミア」

 彼の長い髪がさらりと落ちてリリミアの頬をくすぐる。
 リリミアの中の酷く辛い記憶は、アーサーの優しさと温かさで上書きされていった。


 翌朝リリミアはアーサーの腕の中で目を覚ました。
 誰かが隣で寝ている事は久しぶりで、記憶の中では初めてではないのに何だか気恥ずかしかった。

「おはよう」

 もぞもぞしていると、アーサーから声を掛けられた。朝の光のせいか、眩しく見えるからリリミアはドキドキしてしまった。

「お、おはよう」
「身体は辛くないか?」
「だ、大丈夫……」
「そうか。……上書きは成功したか?」
「……ええ」

 リリミアは笑顔を浮かべた。
 その事にアーサーは目を細めた。

「笑えてるよ。上書き大成功だな」

 その言葉にリリミアは目を見開いた。
 不思議そうに自身の頬に手を当て、感触を確かめる。

「私、まだこんな風に笑えたのね……」

 それは、領地に来てから初めて浮かべた心からの笑みだった。


 それからアーサーとリリミアは急速に親密になっていった。
 とはいえ体を重ねたのは一度きり。
 アーサーがリリミアを見る眼差しに熱がこもり慈しみが溢れようとあくまでも主従の関係を貫いていた。
 リリミアも安心したように彼に寄り添うが一線を引いていた。
 穏やかに寄り添う二人に複雑に思いながらも、リリミアが笑みを浮かべられるようになって母も使用人たちも安堵していた。
 領地にいる間だけの束の間の愛。
 二人はそれを常に意識していたから目を瞑る事にしたのだ。

 そして一月が過ぎた辺りで、リリミアの体調に変化が現れた。
 あの時は早く嫌な記憶を消したくて、避妊の事を失念していた。
 いち早く気付いたのは母だった。

「どうするの?」
「私は……生みたい」
「こんな事公爵家に知られたら大変だわ……」
「あの人にもいるじゃない」
「だからって同じ事をしては同じレベルに落ちるでしょう?」
「でも授かった子を処分なんてできない。
 公爵家よりこの子の方が大事だわ。バレて婚約が無くなっても構わない」

 娘の引かない様子に、母は頭を抱えた。

「誰が育てるの」
「私が育てます」

 アーサーはリリミアの肩を抱き、伯爵夫人を見据えた。

「私がここで育てます」
「母無し子にするの?」
「平民にはよくある事です」

 純潔主義ではないとはいえ、貴族令嬢として結婚前に婚約者以外で失った事は大変な醜聞だ。ましてや婚外子まで実れば責められても文句は言えない。
 夫人はうんうん唸り、だが結局はリリミアの希望に沿う事にした。

 公爵家には無事に生まれてから相談する事にした。
 マクルドの子の事は何も言われていないが、起きた事の対処はすべきと夫人が窘めたのだ。それで婚約が無くなるかもしれないがそこはお互い様で通せる。
 生まれた子は貴族の籍に入れず、アーサーの子として育てる事にした。隣国の貴族である彼は、この国では爵位が無かった。だが多数の平民に紛れる方がちょうど良い。一平民の子なんて貴族は気にしないからだ。
 あらかじめ交流しないと伝えているから出産までは隠せるだろう。
 手紙は相変わらず来ていたが、目を通すだけ通して火に焚べた。

 父と兄は知らせを受けて口を開いたまま呆然とした。
 シヴァルは領地に飛んで来て、アーサーを一発殴ったが夜通し酒盛りをし話し合い、最終的には和解した。

 マクルドが面会に訪れる事も無かった為、リリミアは無事に男の子を出産した。
 名前はデウスと名付けられた。
 娘ならどうしようと思ったが杞憂で安堵した。
 娘でも、マクルドの子ではないなら大丈夫だろうと出産に臨んだ。

 だが生まれた時には王都に戻る期限が迫っていた。

「ここを離れたくないわ……。やっぱり早くに婚約破棄すれば良かった……」

 デウスを抱きながらリリミアは呟いた。

「じゃあ俺と逃げるか? 俺の国に行けばなんとかなるだろ」
「そうね……それもいいかも」

 すやすやと眠る我が子を見ながらリリミアは微笑んだ。

 デウスを生むと決め、リリミアはずっと悩んでいた。
 自分はマクルドと同じ位置に堕ちてしまった。
 デウスの存在を隠したまま結婚しようとしている。
 確かに同じ事をすると言えば、それでも良いと言われた。
 だからといって本当に同じ状況にする事が正しい事なのかと問われれば答えは否だろう。

「あまり自分を責めるな。全ての人間が正しく生きられるとは限らない。他人の事情を真に理解しても共感できるわけでもない。
 逃げたくなったら連れて逃げてやる。デウスを授かった時点で……いや、その前から俺は共犯だ。だから、リリミアは思う通りにすればいい」

 アーサーの言葉はリリミアにすんなりと響いていく。マクルドからは決して得られなかったもの。

 リリミアは己が抱いた我が子の重みを感じながら、これからの事を思っていた。
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