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一回目
9.憤慨
しおりを挟むエクスとマキナが王城から戻ると、どこからか父の叫ぶ声が聞こえた。
「リリミア、なぜだ! なぜ、どうして……、ああああどうして、なぜ、なぜだ……、どうして」
なぜ、どうしてと繰り返す言葉に、二人は顔を見合わせ父のもとへ急いだ。
「――……っ」
「マキナ見るな!」
エクスの反応よりもマキナの眼裏に焼き付いた光景は彼女から言葉を奪い、代わりに涙を与えた。
ふらふらと吸い寄せられるように肩を震わせ塊を抱き締める父に近寄る。
母がぴくりとも反応が無いのは気のせいだ。
だが現実は無情だ。
塊を抱き締める父の隙間から見えた母の姿。
「どおしてよぉおお!!!!」
何も映さない濁った瞳、力無くぶら下がった腕。
幼い頃からの思い出は――ある一定の年齢までしか思い出せない。
しかもそれはもう随分と朧気なイメージでしかない。
「いやだあああああ!! 嘘よ嘘よなんでぇ……!!」
思い出す記憶の中でいつも隣にいたのは母リリミアでは無い。
異母兄エクスであり、父の愛人メイだった。
口うるさくマナーや勉強の事を言ってくる母親を疎ましく思い、社交に出ないせいか地味なドレスで辛気臭いとどこかで馬鹿にしていた。
寄宿学校に入った今なら分かる。
母が口うるさく言っていたのは自分の為。
マキナが他人から笑われないように、将来困らないようにという親心からだったのだ。
マナーが悪くマキナが笑われる度言われた。
「お母様は何をなさっていたのかしら」
それは違う。
母は常に言っていた。
それを無視して守らず教養の無い自分になったのは母のせいではないのだと言い返せなかった。
自分が悪く言われる度、母が悪く言われた。
それがマキナの羞恥心を一番煽った。
メイの甘くて優しいだけの言葉に甘え、本当の愛情を拒絶した。
その結果、謝罪する事も、本当の気持ちを言う事も、二度とできなくなったのだと悟る。
崩れ落ちるマキナと泣き叫ぶ父を見て、エクスは呆然と立っていた使用人に執事を呼ぶよう告げた。
今ここで冷静に動けるのは彼しかいなかった。
とはいえエクスもまだ13だ。
そんな年頃の子には過酷な事だった。
騒ぎを聞き付けてメイがやって来た。
勝手知ったる友人の家と言わんばかりに、ガウエンのエスコートで。
「何の騒ぎかしら? ……あら、やだ、リリミアさん?」
呑気な声にリリミアを抱き締めていたマクルドの肩が揺れた。
「やだわ、死んじゃったの? 迷惑だわ」
眉をしかめるメイの言葉に、その場にいた誰もが目を見開いた。
駆け付けた執事も驚愕の表情を浮かべた。
これにはいつもメイを盲信するガウエンすら言葉を失った。
「あなた達、何をぼうっとしているの。早くそれを片付けなさい。
マク、早くそれを捨ててこちらにいらっしゃいな」
マクルドは我が耳を疑った。
今までは慎ましくわきまえているような態度だったのに、まるで女主人のように振る舞う言葉に信じられない気持ちだった。
人が亡くなったのを迷惑だと言い、物のように片付けろ、捨てろと言うメイが人とは思えず戦慄した。
そして――リリミアがこうなったのは己の過ちなのだと、嫌でも理解した。
頭の中の霧が晴れ、目を背けていた現実が押し寄せる。
今まで自分がリリミアにしてきた事が、容赦なく記憶の底から蘇る。
「リリ……、ごめん、ごめんな。俺が……こんな化物を……連れて来たばかりに……」
『リリ』とは、マクルドが学園入学前までリリミアを呼ぶときのものだった。
それを久しぶりに聞いた執事は思わず顔を歪め、唾を呑み込んだ。
「ぅぁあああああ!!!!」
「きゃぁっ」
叫び声を上げたのはエクスだった。
自分の母に馬乗りになり、殴り始めたのだ。
「お前が!! お前がいるせいで!! みんな、みんな苦しむ! 不幸になる!!
なんで、何でそんな、事がっ言えるんだよ!?
人が死んだのに、なんで、そんなっ、悪魔みたいな言葉が言えるんだよ……っ!!」
「やめて! やめて! 痛いわ!」
顔を庇い痛みに耐える醜悪な女を、母と慕っていた自分が嫌だった。
今はもう、こんな女が母とも思いたくなかった。
その場の空気も読まず、誰を思いやる事もしない女が、血の繋がった母親などと思いたくなかった。
淡く芽生えた想いを踏み躙られた。
いつか、母と呼びたかった、笑いかけてほしかった人は、永遠にいなくなってしまった。
しかも自分で自分を……。
自分が生まれさえしなければ、この女がいなければ、とエクスは怒りの捌け口をメイにぶつけた。
「エクス、やめなさい」
「父上が殺した! ここにいるみんなで追い詰めた!」
「エクスくん、落ち着くんだ」
「あんただって同罪だ!! あんたがアバズレを引き取ってくれてたら……!!」
「…………」
独身だったガウエンとエール。
どちらかがメイと結婚しようとした事もあった。
だがメイは頷かなかった。
『私はみんなと愛し合いたいの。
ガウとエール、どちらかの奥さんになったらケンカになっちゃうでしょ?』
何故か「確かにそうだな」と納得し、公爵家で集まってみんなでメイを愛する事にしたのだ。
深く考えず、それで良い、それしかないと思い込んだ。
そこに、マクルドの妻への配慮は無かった。
エクスに言われ、ガウエンは呆然と妻を抱き締めるマクルドを見やった。
「……ああ、マクルドは……婚約者を愛していたもんなぁ……」
急に頭の中の霧が晴れ、ガウエンの双眸から涙が溢れた。
彼もまた、自分がしてきた事のおかしさに気付いたのだ。
「ガウ? どうしたの? 私を助けて……?」
「……メイ、俺は……、騎士として失格だ……」
「何を言っているの? 何だかおかしいわよ?
たかが人が死んだくらいで……」
ガスッ
「痛いわ何するのよ!」
「お前が死ねば良かったのに……!!」
息子から言われ、メイは目を見開いた。
そんな事を言われるなんて、と呆然とした。
だがすぐにエクスを睨み返し、リリミアに言い放つ。
「自殺するのは弱いからよ。夫の愛を得られないのは妻に魅力が無いからよ。
私は魅力的でしょう? 誰もが私を欲しがったわ。王太子でさえ、私を寵愛してる。貴方たちだって競い合うようにして私を好きにしてたじゃない。
私は悪くないわ。リリミアさんが死んだのは、放置してた貴方のせいじゃない」
「ガウエン」
メイの醜悪な叫びを遮るようにマクルドの低い声が響いた。
「それをどこかにやってくれ。リリミアを弔わなければならないのにそれがあると落ち着いてできない」
いつになく友人の声が冷たく聞こえ、ガウエンはメイを優しく引っ張りその場を離れようとした。
「マク! 私を見なさい! そんな女なんか放っておけばいいでしょう?」
「うるさい! お前が……お前がいたから……っ」
「私たち愛し合ってるじゃない! 子どもだってできたわ。貴方が私を愛しているからエクスは生まれたの!」
「そんなもの、偽物だ。お前を愛してなどいない!」
エクスはその言葉を立ち尽くして聞いていた。
ある時までは信じていた二人の仲は、やはり偽りで成り立つものだった。
先程王城へ行ったのもそれを証明する為。
父の矛盾した言動は人の力を越えたものだと王城にある魔塔に相談に行ったのだ。
リリミアの死によって、マクルドにかけられた魔法は解けつつあるようだった。
魔法がかけられていたのなら今までのおかしな行動にも納得いく。
愛してなどいないという、彼の言葉も。
「こちらにいたのですね」
落ち着いた声は久しぶりに見るマクルドの元友人。
「メイ・クイン。魔術師団として貴女を捕縛しに来ました。
禁術、魅了を使い、世間を混乱に陥らせたとして、貴女を拘束します」
魔術師団長子息、スタン・フェイル。
彼の言葉にメイは忌々しげに顔を歪めた。
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