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7.逆転
しおりを挟む王宮に帰還したシュトラールは、自室に入り表情を強張らせた。
「お帰りなさい、シュティ」
「ああ、……ただいま、リリィ」
ルーチェを見舞い自身のこれからを考え始めたときに一番始めに解決しなければならないのがリリィの事だ。
彼女とはもう何度も身体を重ね愛し合ってきた。今更これから婚約者を大切にしたいから、と切り捨てることはシュトラールにはできなかった。
ルーチェと向き合うと決めても、リリィを愛する気持ちはまだ残っている。
「シュティ……? なんか変よ?」
「ああ、……何でもないんだ」
「でも……」
そっと手を伸ばし触れるような仕草にざわりとして、シュトラールは一歩引いてしまった。
それを見てリリィはさっと手を引き一瞬傷付いたような顔を見せた。
「ごめんっ、リリィ」
「私こそ……ごめんなさい……」
今度はシュトラールが触れようとして躊躇い、結局手を下げた。
そもそも婚約者がいる身でありながら婚約者ではない異性を愛称で呼ばせたり私室に招き入れる事は非常識なのに当たり前のようにいることを改めて異常だと気付く。
愛しいはずの存在が目の前にある現実に、シュトラールはどこか夢を見ているような感覚に陥った。
「リリィ、すまない、執務の時間だから……私はもう行くが、落ち着いたら家に帰るんだ。馬車で送らせるから……」
「シュティ? 今日はお休みだから一緒にいようって……」
昨夜までのシュトラールならば時間の許す限りリリィと一緒にいたいと思っただろう。だが、今はそのような気持ちにはなれなかった。
「すまない。この埋め合わせはするから今日は……」
「嫌よ!」
腕を掴み、けれども力強く拒絶したリリィに胸が痛む。
拒絶されたリリィも顔を青ざめさせ、唇を震わせた。
「今更婚約者がよくなったの? 私を愛してるって言ってたのに!」
「違うんだリリィ」
「婚約者より私がいいって! 何度も中に貴方の欲を受けたのに!」
「リリィ……」
ぽろぽろと玉のような涙を流すリリィに、シュトラールは今すぐ抱き締めたい気持ちが湧いてくる。
けれど心を鬼にしてぐっと堪えた。
「リリィ、今は大事な時なんだ。私が王太子でいるには婚約者と結婚しなければならない。王太子でなければリリィを可愛がる為の費用も賄えない」
シュトラールは自分がどれだけ婚約者に対して酷いことを言っているのか、と自嘲した。結局二人の女性を手放せない。
王太子でいる為の婚約者。
シュトラールでいる為のリリィ。
どちらが大事かと問われれば王太子の身分だ。
王太子であれば好きに女性を囲っていられる。
そこに妃の気持ちなどは必要ない。
「お金の為に……好きでもない人と結婚するの……?」
「王族というのはそういうものだ。愛しているから結婚するのではない。気持ちなど微塵もなくてもその血を繋ぐ為にしなければならない。
私たちは人質のようなものだよ」
シュトラールはリリィにそっと近付き、拒絶されないと知るや抱き締めた。
「愛しているよ、リリィ。きみだけが、私の心の支えだ」
――シュトラールから全てを拒絶されたリリィは、このような絶望があるのだな、とぼんやりと考えた。
リリィに憑依してからシュトラールがどれだけルーチェに無関心なのかが分かってしまった。
彼を夫として支えようと努力しても、全くの無意味で、更に寵愛を得られるわけでもない。
ただ王太子という身分を維持する為だけにルーチェと結婚しようとしているのを突き付けられて乾いた笑みしか浮かべられない。
憑依している間、王太子の本性を知れという魔女の思し召しか否か。
入れ替えると言われたが入れ替えたところで変化はあるのか。
このままお互いに無関心になってしまえば、仮面夫婦となるのも危ういのではないか。
それで子を成して次代に繋げなければならない。
ルーチェは自分の存在が滑稽で哀れでならなかった。
「シュティ、待ってるわ」
とん、とその胸を押してシュトラールを遠ざけた。
目尻に涙を溜め、かすかに微笑む。
シュトラールはそのどこか懐かしい表情に胸の奥が疼いた。
「ル……」
咄嗟に名を呼ぼうとしてすぐに口を噤む。
目の前にいるのはリリィだ。ルーチェではない。
なぜ自分はルーチェと呼ぼうとしたのか、シュトラールは自分が分からず愕然とした。
リリィも気付いたのか瞳が揺れた。
愛する人から別の名前が出そうになるなど耐えられなかったのだろう。すぐに顔を逸らしカーテシーをして退室した。
そこにおぼえた違和感はシュトラールの中に棘となり刺さる。
一瞬だが見惚れるようなそれに目線が釘付けになった。
正妃に迎えられるくらいの完璧な。
王太子という身分を捨てられるなら愛している、マナーもできる、だが身分だけ足りないリリィでいい。
だがカーテシーができたとて他の事ができないと結局躓く。
(……そういえばここ数日のリリィの所作は貴族令嬢として遜色ないように思えた)
抱いているときも以前は積極的だったが今は受け身で恥じらい、ちょっとした仕草が庇護欲を刺激する。
王太子でなければ迷い無くリリィを選んでいただろう。
だがシュトラールは王太子。
ルーチェと結婚し子を作り王国を支える礎となる。
ルーチェと後継を成した後、リリィがまだ未婚なら……
そんな考えが浮かび頭を振る。
二十歳を過ぎれば行き遅れと言われる世界で確約もできない約束などすべきではない。
ルーチェと向き合うと決めたなら少しずつリリィの事は忘れなければと思った。
けれど、もしも何の約束も無くリリィが未婚であれば。リリィが結婚していても望めば。
どうにかして側に置く方法を模索する。
そんな相反する思いを抱きながら、シュトラールの気持ちは変わっていくのだが、今の彼にはそんな事は予想もできなかった。
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