17 / 21
それぞれの後日談【side 隣国の二人】
「名前を呼んで下さいますか?」【side 侯爵令嬢】
しおりを挟む隣国に来て、一年が経過した。
あれから私は少しずつ、前に進んでいると実感する。
それはきっと、アイザック様が側にいて支えてくれるおかげだ。
彼は私を否定しない。
ずっと、全てを受け入れてくれる。
一緒に考えて、一緒に悩んで。
悲しいも、苦しいも、楽しいも、分かちあってくれた。
彼にとって、嫌な事も言っただろう。
それでも笑って受け止めてくれる。
そして、諭してくれる。
そうして過ごすうち、段々とあの方よりもアイザック様の事を考える時間が増えたように思う。
きっと、私はあの方を忘れる事はないのだろう。
けれど、少しずつ、考える事もなくなる。
それが寂しいような、切ないような。
時と共に確実に変化していく。
一昨日より昨日。昨日より今日。
ゆっくりと、ゆっくりと。思い出に変わっていく。
今の私は留学先の学園を無事卒業して、将来の公爵夫人としての勉強を始めた。
とはいえ元々侯爵家跡取りとして、領地経営の勉強はしていたからその辺りはあまり心配はしていない。
社交も学園時代に親しくさせて頂いた方々と親交が続いている。
以前、王太子殿下に頂いたチケットで見た歌劇の再演を、友人の誘いで観劇した。
あの時はあの方を思い出して苦しかったけれど、今回は「友人の方と結ばれて良かった」と素直に思えた。
彼女を忘れ他に行く男性より、彼女を見て、ずっと悲しみごと受け入れてくれた男性の方がいいに決まっている。
『恋愛は一人でするもんじゃないから』
アイザック様はそう言っていた。
好きだからと想いを受け入れてほしいと囲い込むようにしてあの方を苦しめたのは、やはり一方的でわがままだった。
冷静になって見てみれば、申し訳無い事をしたと心底思う。
彼には幸せになってほしい。
もう会う機会は無いかもしれない。
傷付けた私がそう願ってしまうのは傲慢だろうか。
いつもの晩餐のあとのティータイム。
この時間が心地良くて、最近では時間が足りないと思うくらいになってきた。
自分が変わってきたな、と思ったのはこの国に伝わる『恋人の日』の出来事。
友人から教えてもらったその日は、お互いに感謝を告げようというものの他に、女性から想いを伝えてもいいと聞いた。
私は自然と、アイザック様に伝えたいと思った。
感謝だけではない想いを。
彼ともっと一緒にいたい。
色々な話をしたい。
名前を呼んでほしい。
誰でもない、アイザック様に。
今日は恋人の日では無いけれど。
伝えたいと思う気持ちは徐々に大きくなっていった。
だから、私は意を決してアイザック様を見た。
きっと、彼なら咎められないだろうと、期待して。
「アイザック様」
「なんだい?」
「私の名前を、呼んで下さいますか?」
ティーカップを持ったまま、アイザック様は笑顔で固まった。
唐突すぎたかしら。
でも、自然と、呼んでほしいと思ったの。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
笑顔のまま固まったアイザック様は、やがてぎこちない動きのままカップをソーサーに置いた。
「その……婚約者殿」
「はい」
「もう一度、言ってくれる?」
あまりにも真剣な顔をしているから、段々と愛しさが芽生えてくる。
「アイザック様に、私の名前を呼んでほしいのです。
……ダメでしょうか」
「ダメじゃない!ダメじゃない、全然、全く!
……でも、いいのか?」
この方はどこまでも、私を思ってくれる。
ずっと待ってくれていた。
「あなたに、呼んでほしいのです」
だから、私も想いを返したい。
アイザック様は何度か咳払いして。
覚悟を決めたように口を開いた。
「エヴェリーナ」
呼ばれた瞬間、私の中に優しく温かなものが宿る。
名前を呼ばれただけで、芽吹いたものが花咲くように。
「もう一度、呼んで下さいますか?」
「エヴェリーナ……何度でも呼ぶよ」
アイザック様が口にする度、次々と花開く。
嬉しくて、切なくて、でも苦しくない。
「アイザック様、好きです」
自然に、口にした言葉にアイザック様は目を見開く。
「ずっと、私を見ていて下さったあなたが好きです。
待たせてしまってごめんなさい」
私は自然に、笑えているかしら。
アイザック様は目を見開いたまま、自身の頬をつねった。
「夢……じゃ、ない?」
「夢であって欲しいですか?」
「夢は嫌だ!……いや、夢なのか?」
目を瞬かせ、何度も頬をつねるアイザック様を見ていると、「ふふっ」と笑ってしまった。
「エヴェリーナ……、ようやく、自然に笑えるようになったんだね」
感慨深いような顔をして、アイザック様も微笑む。
「側に行ってもいいかな?」
「はい」
アイザック様は私の前に跪く。
そして私の手を取り、見上げた。
「エヴェリーナ。ありがとう。その……嬉しい。嬉しくて、夢みたいで」
「夢ではありません。
……でも、私の気持ちは重いかもしれません。それでも、いいですか?」
「大歓迎だよ。むしろ俺の方が重い……かも、あれ、もしかして、俺ちょっと、重い男……?」
いや、そんな、まさか、と眉間に皺を寄せてブツブツ言うアイザック様を見て、私は吹き出してしまった。
「ふふっ…、重い私と、アイザック様、お似合いかも、しれませんね……ふふふっ」
「……そうかもしれない。これからは遠慮なく君に愛を捧げていくよ」
そうして、アイザック様は私の手に口付け、再び真剣な表情で見上げた。
「エヴェリーナ・ソレイユ侯爵令嬢。
私はあなたを愛しています。
一生をかけて、あなたを愛し、幸せにすると誓います。
だから、私と結婚して下さい」
それは、求婚の言葉。
だから。
「アイザック・カーティス公爵様。
よろこんであなたの申し出をお受けします。
私もあなたを愛し、幸せにします。
ふつつかですが、よろしくお願い致します」
「ありがとう、エヴェリーナ」
アイザック様は嬉しさを隠しきれないという風に溢れんばかりの笑顔を見せた。
思えばこの方はずっと笑顔だった。
この笑顔に癒やされていたんだ。
そうして、私たちは見つめ合って。
どちらからともなく顔が近寄って。
初めての口付けを交わした。
623
お気に入りに追加
3,432
あなたにおすすめの小説


悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。


そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し

婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。
ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」
はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。
「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」
──ああ。そんな風に思われていたのか。
エリカは胸中で、そっと呟いた。


【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる