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第二部〜オールディス公爵家〜

灯火が消えた日

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 疲労がピークに達した頃公爵家から届いた手紙は、冷静沈着で知られるアドルフを酷く動揺させた。

 ここのところ流行り病の後処理で王城に詰めていた彼は、時折着替えを取りに帰るくらいで妻や娘とまともに会話もできていなかった。
 くれぐれも病に気を付けるようにと執事を通して使用人に伝え、妻と娘が発症しないようにと気を配っていたのだ。

 そのおかげか、流行り病にはかからなかった。

 だが、一度体調を崩してしまい、更に風邪も引いたマリアンヌの生命の灯火が極端に弱くなったとその手紙は伝えていた。

「一度屋敷に戻る。マリアンヌが回復したらまた戻る」

「アドルフ、気持ちは分かるが流行り病では無いのだろう?あと少しで終わるだろうから今離れられたら困るんだ」

「……正気ですか?妻が床に伏せっているのですよ?」

「分かるがただの風邪だろう?」

「ユリウス……、では妻が儚くなったらお前はどうしてくれるつもりだ?」

 親友とも思っていたユリウスの言葉にアドルフは憤った。
 確かに今アドルフに抜けられては職務が滞るのはあるだろう。
 だが公爵家からの手紙は即時の帰宅を促すもの。ただごとでは無いと予感がしたのだ。
 今、帰らないと一生後悔する。得体の知れない恐怖がアドルフを焦らせた。

「あああもう、分かったよ、だが何事も無ければ直ぐに帰って来てくれ」

 頭をがしがしと掻きながらユリウスは友人に言った。実のところ彼も睡眠不足である。
 普段ならばいの一番に帰れと促すところだが、この時は即位したばかりでそんな余裕も持てない程疲弊していた。

 ユリウスの言葉を聞き、アドルフは部屋を飛び出した。
 直ぐに王宮の馬車を借り、公爵邸へ急がせた。

(マリアンヌ……無事でいてくれ……)



『旦那様一度ご帰宅下さい。
 奥様が倒れられ予断を許さないそうです』


 祈るように手を組み合わせる。

 馬車が公爵邸に着くと、アドルフは転がるように寝室へ向かった。

「マリアンヌ!」

 ノックもせずに寝室に飛び込んだアドルフの目に映ったのは、輝くような笑みを浮かべる妻の姿ではなく。

 ベッドに青白い顔をして横たわる妻の姿だった。

 その姿に目を見開き、一瞬言葉を失う。
 だが己の足を叱咤し、一歩一歩妻に近付いた。

「マリ……アンヌ」

 心臓は煩いくらいに鳴っているのに、声はか細くなった。

 かろうじて息はしているもの、マリアンヌの灯火は今にも消えそうになっていた。

 夫の声が聞こえたのか、マリアンヌはうっすらと目を開けた。
 その視界に愛しい人の姿を認めると、僅かに口角を上げたのだ。

「えへへ……、みっとも……ないところを……見せちゃいましたね」

 そうして弱々しく微笑む妻に、頭を振った。

 希望は捨てない。常に持ち続けている。
 だが、アドルフは気付いてしまった。
 おそらくマリアンヌ自身も、気付いている。幼い頃から何度となく危機はあった。
 その度乗り越えてきたが、おそらく、今回は──。

「お仕事、は、良いんですか?」

「大丈夫だ。気にしなくていい」

「大変な、時に……すみません」

「君以上に大事なものなんて無いよ」

「カトリーナも、大事にして下さい……」

「君と、カトリーナ、が大事だ」

 ふわりと、笑う。
 だが、その笑みはどこか儚げで。

 マリアンヌは少し眠ると言った。
 その眠りを見届け、アドルフは動いた。


 マリアンヌの実家のソレール家と王城へ手紙を認めた。
 王妃であるフローラと、リーベルト侯爵家へも。


 ソレール家から真っ先にマリアンヌの両親が到着した。
 マリアンヌの母イルザから「何故こんな事になっているの!!」と詰め寄られた。
 彼女とて現状は把握している。
 流行り病を優先するあまり、他の病に対処できないのは理解していた。
 それでもただの風邪が引き金となりその生命が消えかけているなど信じたくなかったのだ。

 実のところマリアンヌも病状が悪化した事を伏せていた。
 落ち着いてきたとはいえ、ただでさえ医師不足の今風邪ごときで煩わせたくなかったのだ。

 日に日に弱る女主人を見てられなくなった執事が、主に背いてアドルフに知らせを届けたのだった。

 王城から手紙が届いた。

『失言を詫びる。可能な限り側にいてやってくれ』

 ユリウスとて知らない仲では無い。妻の親友でもあるのだ。
 フローラは執務を放り出して駆け付けたがった。
 だが王妃としての立場が許さなかった。


 リーベルト侯爵家からも手紙がきた。

 残念ながらフィーネは買い付けで隣国に赴いていて不在らしい。
 手紙の内容は侯爵から体調を気遣うものだった。


 マリアンヌの側には常に誰かがいた。

 両親であったり、使用人であったり、アドルフだったり。
 少しの時間だがカトリーナも見舞った。
 毎回寂しいと泣いていた。


 誰もが言わないが、予感はしていた。



 珍しくマリアンヌが少し元気になった日があった。
 上半身を起こし、アドルフにもたれ、久しぶりに母に会い泣き疲れて隣で眠るカトリーナを撫でていた。

「ねぇ、アドルフ様。私、幸せですわ」

「ああ」

「貴方と結婚して、カトリーナが産まれたわ。奇跡が二回も起きたのよ」

「そうか……」

「アドルフ様は覚えているかしら。幼い頃、私お茶会に出席した事があるの」

 幼い頃のお茶会、と聞いてアドルフは眉根を寄せた。
 以後彼の中で苦手になったものがあるからだ。

「その時にね、アドルフ様にカエルを差し出したらすごくびっくりしてたの」

 ふふ、と力無く笑う。
 アドルフはその時の女の子がマリアンヌと初めて気付いたかのように目を見開いた。

「あれは君だったのか……。あれ以来私はカエルが苦手になったんだよ」

「そうなんですね。それは、悪いことをしました」

「私にカエルをけしかけるのは、後にも先にも君だけであってほしいよ」

 もうこりごりなんだ、とアドルフは苦笑した。


「アドルフ様」

「なんだい?」

「私、アドルフ様を愛しています」

 幾度となく告げてきた飾らない言葉。
 あと何回伝えられるだろう。

「私も、マリアンヌだけを愛しているよ」

 妻の額に口付ける。
 愛しいと抱き寄せる。

 痩せてしまった妻の身体は細く、力を込め過ぎると折れそうな程だった。


 どうか、この時が長く続きますように。

 祈るように口付けを交わした。




 やがて、マリアンヌは少しずつ目を覚ます時間を減らし。





 穏やかに眠るように息を引き取った。




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