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怒り

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「──あら、坂本さんもう退院出来たの?」
「ええ、そうみたいですね。昨日、『やっと自宅よーばんざーい! でも足が治るまで自宅警備だから退屈なのよね。良かったら遊びに来てねー』と大変お元気なメールが来てました」
「……ほんと見かけによらず強靭な精神してるわよねえ、あの人」
「パッと見は、か弱くて儚げな美人さんですからね。中身は自衛隊とかグリーンベレー的メンタルですよ。見習いたいです」
「小春ちゃんも充分メンタル強いわよ? 己を知りなさいよ」
「私なんかまだまだですよ、真理子さんに比べたら」

 正延さんがぱんどらに来て、一緒に麻婆豆腐丼を食べた数日後。
 精密検査を受けて、脳波や内臓などには異常なしと結果が出た真理子さんが、早々に退院して自宅静養を満喫している、とマスターに報告したのはメールを貰った翌日の、少し遅めの昼休憩のことだった。今度の休みにケーキでも買って遊びに行こうかと思ってます、と告げる。

「次の休みは明後日か。うーん、いいんじゃないかと思うけど、一人で出掛けるのはちょっと心配よねえ」
「あれから今のところは何も起きてないですし、一応行き帰りはタクシー使って、明るいうちに帰りますから大丈夫です。それに犯人も警察にバレるの恐れて逃げ回っていて、こちらに構ってる余裕ないと思います」
「まあそうは思うけれど……とにかく気をつけるのよ?」
「私もまた痛い思いするの嫌ですからね」

 本日は天気も良く、かなりお客さんが訪れて忙しかったが、六時半を回った頃にはお客さんも皆いなくなった。十分前になったので、閉店準備をしながらジバティーさん達に今夜の見たい動画のリクエストなどを聞いていると、サイレントモードにし忘れていたスマホがいきなり鳴ったので驚いた。画面を見ると真理子さんである。
 マスターに許可を得て電話を取ると、「小春ちゃん、ごめんね仕事中に。今大丈夫?」と真理子さんが早口で聞いて来た。

「マスターにお許し頂いてますから大丈夫ですよ。もうお客さんはけましたし、今片付け準備中です」
「そう、良かったわ」

 真理子さんはそう言うと、陽気な感じで続けた。
 
「ほら、近々ご飯でも一緒に食べようって言ってたじゃない? 実は今夜、小春ちゃんの大好きなアサリしめじ納豆のスープパスタ作ろうと思ってるの。で、一人じゃ寂しいから是非招待したいなーって思って。ほら、前に小春ちゃんのお兄さんの正延さんと一緒にご馳走した時、すごく美味しいって言ってくれたでしょ? 私ったら足がコレだからちっとも外出出来ないし、話し相手も欲しいのよー」
「はあ、いきなりですね」
「寂しい時っていきなりやって来るものよ。お願い小春ちゃん、是非来て貰えないかしら? あっ、タクシー代とか出すわよ勿論」
「そうですか。──それでしたら遠慮なくご馳走になります。でも片付けてからなので、七時半ぐらいになりますけど大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。今から作り出すから。じゃあ待ってるわねー。あ、お兄さんにもよろしく伝えてねー」
「はい、伝えておきます」

 私は電話を切ると、マスターに振り返った。

「……マスター、大至急で正延さんに連絡を取って頂けませんか? 真理子さんが危険かも知れません」
「え、どういうこと?」
「真理子さんが私を夕食に誘ったんですが、私の大好きなアサリしめじ納豆のスープパスタを作るって言ってたんです」
「え? 小春ちゃん納豆ダメだったでしょう? 坂本さんに言ってなかったの?」
「たまたま食事の好みの話になった時に言いましたよ。唯一苦手とするものだって。そうしたら、『あー西日本の人は食べない人が割といるのよねえ』って真理子さん納得してた位なので、簡単に忘れてはないと思います。あと、正延さんのこと私のお兄さんって言ってました」
「──脅されて言わされてる可能性があるってことね」
「はい」

 マスターはスマホを取り出すと、正延さんへ電話をかけ始めた。
 真理子さんは頭が良いので、とっさにそばで聞いているであろう人物が不信感を抱かないように話を作り上げたのだ。だが私がおかしいと考える程度には話を捏造して。
 何かあったのかと聞けばそれも聞かれるのでは、と思いそのまま話を合わせたが、まさか逃げ回ってる人が真理子さんのマンションに侵入するとは思いもよらなかった。オートロック、仕事してないじゃないか。

「良かったわ、たまたま移動中だったみたいですぐ連絡ついたわ。説明したら、一緒にいる部下とそのまま坂本さんのマンションに向かってくれるそうだから、入口のところで待ち合わせしようって」

 マスターが腰のエプロンを外してドアの札をCLOSEにすると、ロールカーテンを下ろした。

「小春ちゃん、私も一緒に行くから。……ああでもどうしよう、私のせいで坂本さんに何かあったら。死んでお詫びするしかないわ。本当に私って呪いのホープダイヤみたいよね。周囲の人を不幸にするわ」

 マスターの声が少し震えている。

「あんなの冗談に決まってるでしょう、よして下さい縁起でもない。それに悪いのはその女性であって、決してマスターじゃありませんから、いくら魔性の美貌だからって自惚れないで下さい」

 そして私は、奥のテーブル席で黙ったまま話を聞いていたジバティーさん達に頭を下げた。

「すみません。そういう訳で本日の動画上映は中止でお願いします。また休みの日にでもやりますので」
『アホか。そんなん小春が気にせんでもええ。それより、あの美人の姉ちゃんもだけど、小春もマスターもケガしないように気いつけるんやで』
『そうよ。今ぱんどらのジバティーも定員なんだから、絶対死んだらダメなんだからね?』
『ごめんなさい、私、空手やってたのに今ちっとも役に立てないです』
「ご心配ありがとうございます。刑事さんも来てくれるのできっと何とかなると思います」
「ほら小春ちゃん、出るわよ!」

 マスターがマスクをつけると、私を呼んだ。
 多分顔の変化が乏しいので全く動揺してないように見えるだろうが、正直無様なまでに足が震えている。何されるか分からないと思うと怖くてしょうがない。でも今、犯人がそばにいるであろう真理子さんは、もっと怖い思いをしているに違いない。
 マスターと店を出て、タクシーを捕まえるため大通りに小走りで向かいながら、私の中にあったのは恐怖と、それをはるかに上回る怒りの感情だった。



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