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停滞

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 マスターが、今日はお店休みだけど、せっかくだからジバティーさん達に動画を見せてあげたいし、丁度いいからあっちで食事しましょうか、と言うので食材を持ってぱんどらへ向かうことになった。

 見込み通り麻婆豆腐の準備を始めたので、内心で名探偵気分を味わえた私は、ニコニコと泉谷さん達に話しかけた。

「今日の動画は相談して決めて下さい。今回は特別サービスですよ」
『それは有り難いんやけども……ほんま体は大丈夫なんか小春?』

 泉谷さん達が心配そうな顔でやって来た。周囲の人達に認識されてはいないが、ぱんどらのジバティーさん達はステルス状態で諸事情を全部見聞きしており、当事者以外には一番状況を把握している人達である。
 彼らは私達のプライバシーを侵害してはいけないと、事件の話もこちらから切り出さなければ話して来なかったし、マスターの家も行動出来る範囲内ではあるのだが、決して立ち入らない。

『私達だって、マスターが唯一安心してくつろげる場所に、勝手に訪問して着替えや風呂覗き見たり、眠ってる姿見たりなんてデリカシーのない真似はしないわよ』
『ワシらもやられたら嫌やもんなあ』
『そうですそうです』

 大変マナーのいいジバティーさんである。

『……あのー、何か、マスターが刑事さんとここで話していたの聞きましたが、犯人が行方不明だとか』

 だがそろそろ我慢も限界のようで、マークさんが恐る恐るといった感じで質問して来た。

「そうらしいですね」
『小春のケガの後、ワシらも気になって周辺をパトロールしとるけど、今んとこ不審者はおらんようや。まあ見逃してるかも知らんけど』
『小春さんは今マスターのとこいるし、外にもほぼ出ないじゃん。あそこは簡単に出入りは出来ないから諦めたのかもよ?』
『いや、真理子さんがケガをしたじゃないですか。あちらにアタックしてたなら、同時にこちらも、は無理じゃないですか?』
『いや、せやけどな──』
『でも小春さんが……』

 動画を見るどころではなく、最近の身近な事件の方がよほど気になるらしい。だけど心配してくれているのは分かり、とても嬉しかった。

「出来たわよー」

 麻婆豆腐丼とかきたまスープをトレイに載せてマスターが四人テーブルに並べた。何故か三人分用意してある。

「あれ? いつもカウンターじゃないですか? それに三人分って」
「ああ、実はそろそろ正延さんがここに来るのよ。報告あるんですって。どうせ聞き込みとかで食事もまともにしてないだろうからね。捜査してくれてるお礼よ。二人分も三人分も大した違いはないし」
「そうなんですか。……あ、さっき真理子さんがぬぼーっとした刑事さんによろしく、って言っててちょっと笑っちゃいました」
「ああ、確かにちょっとそんな感じしちゃうわね。正延さんには失礼だけど。でも、仕事熱心だし信頼は出来る感じよね」

 そんな話をしていると、店の扉を控えめにノックする音がした。

「あら、ロールカーテン下げたままだったわ」

 マスターが慌てて正延さんをドアを開けて招き入れる。

「やあ円谷さん、お体の調子はいかがですか?」
「はい、まだ痛みはありますが順調に治って来てます」
「そりゃあ良かった。……おや、これからお食事ですか?」
「ちゃあんと正延さんの分もご用意してるんですよ。どうぞどうぞ。あ、別に賄賂代わりじゃないのでご遠慮なく。まあ賄賂にもなりませんけどね食事なんかじゃ」

 マスターに案内されるままテーブル席に案内され、「毎回食事をご馳走になる訳にも」とか「公僕ですので」と遠慮していたが、押し切られるようにして座らされた。

「……すみません。それではご馳走になります」
「食事して下さらないとこちらも食べにくいですもの。ねえ小春ちゃん?」
「そうですよ。せめて美味しいご飯でも食べて気分転換しましょう。私も居候みたいなものですし、偉そうに言える身分じゃないんですけど」
「私は一人で食べるより作り甲斐あって嬉しいですし、お互いにWINWINってことで、ね?」
「ははは。実は私、麻婆豆腐好きなんですよね。有り難く頂戴します」

 食事中は滅入るような話はしたくない、とお互いの考えが一致したようで、世間話をしながら食べ終え、食後、マスターがアイスラテを作って運んで来てから、正延さんが報告を始めた。

「実はですね、署の方でも坂本真理子さんの接触事故、というか轢き逃げですが、その事故現場近辺の監視カメラから、撮られた原付バイクの画像解析をして、隠していたナンバーが分かり被疑者を特定していたんですよ。それで、参考人聴取をしようと動いていたら、坂東君にも事前に軽く伝えていたんですが、仕事も退職済みで、実家に住んでおられたみたいなんですが、そちらからも出て行ったきりで、一カ月ほどご両親も全く連絡が取れないみたいですね。捜索願も出ていました」
「……となると、ネットカフェとかウィークリーマンションなんかにいるのかしらね、その人?」
「だと思うんですがね。近場から調べている最中ですが、何しろ数が多いので、まだ場所までは分からない次第で」
「じゃあやっぱりその方が、真理子さんや私の方の嫌がらせとか転落事件の犯人なんでしょうか?」

 私は正延さんに疑問を投げかけた。

「現在、証拠が出ていてはっきりしているのはバイクの件だけですね。円谷さんの方は目撃者もおられないですから。嫌がらせの手紙なども含めて、まあ口は悪いですが、客観的に見ると自作自演という可能性もゼロではないですからね」
「……ああ、まあそうですよね」
「やだちょっと正延さんひどいわ! 小春ちゃんを疑うんですか?」

 マスターが怒って正延さんに食ってかかるが、私が止めた。

「マスターや話をさせて頂いている正延さんには、多少なりとも私の人となりは把握して頂いていると思いますが、赤の他人が聞いたらどうですか? 心配して欲しがりの構ってちゃんだと思われてもしょうがないですよ。私のケガだって、真理子さんが口裏合わせればいいだけじゃないですか。現にアパートの庭に埋葬したハムスター達だって、自分がやったんじゃないかと言われても何の証拠もないですし、手すりも郵便入れも掃除しちゃってますからね。手紙も控えの意味で一つしか残してないですから。これも自作と言われても反論できる証拠も出せませんし」
「あのねえ小春ちゃん、何であなたはそういつも冷静なのよ! もう少し正延さんに怒ってもいいんじゃない?」
「いえ、真実はともかく事実はそうなりますから、そこを足掻いてみたところでどうしようもありません。写真も撮っておかなかった私の落ち度でもありますし」

 はああ、とため息をつくマスターは放置して、正延さんに話を続ける。

「ですが、真理子さんの一件も、私の転落も実際に起きたことで、下手すれば障害が残ったり、死んでいたかも知れないことも事実です。その方が何の目的でそんなことをしているのかも分からないし、もしマスターに好意を持ったことが起因だとすれば、一方的に周囲に危害を加えられて、マスターだって迷惑を受けてしまっていますよね? せっかくマスターがオネエの振りまでして社会復帰しようと頑張ってるのに、これでまた小康状態を保てていた女性恐怖症が悪化したら、買い物や接客なんてとても出来ませんよ。マスターの顔がこんななのはマスターのせいじゃないですし、簡単に取り外し出来るお面じゃないんですから。だからお願いします。もしその犯人の方が見つかったら、せめて私にも文句の一つぐらいは言わせて欲しいです」

 ああ、怒りに任せて余りに長いセンテンスを一気に喋ったら、どっと疲れが出てしまった。大分溶けてしまった氷をかき混ぜながらアイスラテをストローで流し込む。

「お気持ちは分かりますけどね。実際は難しいかも知れません。あ、勿論、円谷さんが嘘をついているとは私は思ってませんからね、一応お伝えしときますが」

 とりあえずは居場所を見つけませんと、と言うとまた仕事に戻ります、と頭を下げて正延さんは店を出て行った。

「……正延さんもこんな遅くまで大変よね」
「お休みとかも大きな事件があれば潰れそうですもんね」

 食器を流しに持って行きながら、マスターはところで、と私を振り返る。

「小春ちゃん、私の顔をこんななのって言うのひどくない?」
「え? ホープダイヤとか魔性の美貌とか刑事さんの前で言いにくいじゃないですか? そっちの方が良かったですか?」
「いや、その表現もアレだけど、そういう話じゃなくてね、もっとこう、良い表現が出来ないのかって話よ」
「簡単に美形と言ってしまうと、単にそこらの少し見てくれのいい人みたいになるじゃないですか。マスターは別格、ディザスターレベルの美貌なんですよ? ご自身で身をもって体験なさってるじゃないですか」
「いえそれは実際そうなんだけれども、流石に目の前で自分のことをそう言われるのって、ちょっと居たたまれないじゃないのよ」
「私がそこらのモブ顔であることを自覚しているように、まず己を知る、というのは大切なことですよ。過小評価は危険です」
「? ……私は小春ちゃん可愛いと思うけど。ほら、おかっぱも良く似合ってるし、たまに笑うとえくぼが出来て尚更可愛いわよ?」
「現代日本ではおかっぱではなく、ボブと言わないとダサいそうです。真理子さんから怒られました」
「あらそうなの? やだわー二十代で既に時代から取り残されてるのね私。引きこもってるせいかしらねえ」
「引きこもっていない私も取り残されてます。田舎では普通に使ってましたが、イマドキの女子というのは難しいですね。未だにボブって言うのも、ジョンとかデビッドみたいな外国の名前みたいで違和感がありますし」
「本当よねえ」

 最後はそんな呑気な話になり、その後ジバティーさん達とおまぬけな動物シリーズなどを見て大笑いして終わったのだったが、事態が動いたのは数日後の真理子さんの電話からだった。



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