35 / 40
記憶の細い糸
しおりを挟む
「……入院?」
「そうなのよ。この近くの交差点で、信号無視の原付バイクに引っ掛けられたんですって。轢き逃げよ。足首の骨折と肋骨にヒビが入ったらしいの。怖いわねえ」
一週間ほどでかさぶたも出来て傷の痛みも治まり、青あざなどは残ったままだがロボット化は解けたので、私もまたバイトに復帰した頃。マスターはまだアパートに戻るのは心配だし危ないから、と未だに同居生活は続いていた。
転職して別の会社に移っていたひろみさんが、久しぶりにぱんどらにやって来たと思ったら、真理子さんが二日前に交通事故に遭っていたことを教えてくれたのだ。ひろみさんの腕の骨折もすっかり元通りだそうだ。
「それで、犯人は?」
「それがフルフェイスのマスクだったし、ナンバーも泥か何かで汚れていて全く分からなかったらしくて。警察も近くの防犯カメラの映像探してはいるそうなんだけど、まだ特定出来てないみたい」
マスターが青ざめた顔で私を見た。
「小春ちゃん、もしかして……」
「──いや、でもたまたまかも知れませんし」
小声で話す私達の様子を見ていたひろみさんが首を傾げた。
「何? どういうこと?」
「えーと、ですね……」
ひろみさんには心配かけまいと何も言ってなかったらしい。私は後で真理子さんに怒られても仕方ないか、と先日からの一件を説明した。
「……円谷さんも、真理子もそんなことになってたの? 何で真理子も私に相談してくれなかったのかしら?」
心配しつつも少々憤慨した様子のひろみさんをマスターがなだめる。
「まあ相談したところで防犯対策以外に何が出来るのかってのもあるし、心配かけるだけじゃない? ひろみさんも仕事始めたばかりで、覚えることが沢山あって忙しいってこぼしてたでしょ。坂本さんも気のせいかも、って言ってたし、忙しいひろみさんに、勘違いで迷惑かけたくなかったのもあるんじゃないかしらねえ」
「それにしたって、親友なのに」
「親友なら尚更じゃないですか。もし気のせいじゃなかった場合、ひろみさんにまで害が及ぶ可能性もありますから」
私も援護射撃しつつ、真理子さんも単なる偶然ではなかったのか、と思う。しかし一体誰が。
考え込むような様子を見せていたひろみさんが疑問を投げかけた。
「……でも、もしも美形のマスターの近くにいる女、関わりがある女ってことが原因だったとしても、そもそもマスターは外に出る時にはマスクとかで変装して顔をほぼ見せないようにしてるんでしょう? マスク越しに一目惚れとか有り得るのかしら? 確かに目元で美形なのは分かるけど、鼻とか口とかでガラッと印象変わることって女でも多いわよ?」
「言われれば確かに……お店ではマスクはしてませんけど、ほぼ常連さんしか来てませんし。たまに初見の方が来ても、オネエ喋りですから恋愛めいた感じには全くならないですもんね」
「そうなのよねえ……第一、買い物とか行っても話をしたのって、せいぜい偶然出くわした坂本さんが話しかけて来た時ぐらいだもの。その時もマスクしたままだったし……」
マスターも一緒になって考える。私と一緒に近所のスーパー行く際も必ず変態セットもとい変装セットだし、いくら目元だけでも美貌が分かるとは言え、流石に人に危害を加えるほどの吸引力はないだろう。そう考えていると、何かが引っ掛かった。
「……あれ?」
「小春ちゃん、どうしたの?」
マスターが話しかけて来るが、応えてしまうと消えてしまいそうなかすかな引っ掛かりだ。無視して引っ掛かりを慎重に手繰り寄せるよう目をつぶった。
マスターが店の外で顔を見せて出歩くことは、私の覚えている限りではなかった。だが、それは確かか? 本当に顔を晒したことはなかったのか?
「……あ」
ふと思い出した。
「──葬儀場」
「へ?」
マスターが大丈夫? という感じで私を見た。
「葬儀場でマスターはマスク外したじゃないですか。ほら、お寿司食べる時とお茶飲む時に。その後久松さんのお姉さんを追い掛けて来た時も外したままでしたよ」
「……ああ、そうだったわね言われてみれば。でもマスク外さないと食べられないし、お姉さんの時は突発事態だったからそれどころじゃなかったじゃないの」
「ですが、あの時ぐらいしか、マスターが顔をフルオープンしてたことが思いつかないじゃないですか!」
「フルオープンて何かいかがわしい感じがするんだけど、他に言い方ないの小春ちゃん。でも、たまたま親族とかの葬儀で私を見たからって、そこから私の周辺の状況なんて分からないでしょう?」
「……葬儀場に勤めている方ならば、遺族に何らかの方法で聞き出したり出来るかも知れません。そちらのお客様が高価な時計を忘れて行かれた、とか。きちんとお返ししないと会社の信用問題になるからと言われたら、遺族に連絡先も聞きやすいのではないかなと」
「ああ、それはあるかも知れない! 私がもし遺族だったら、親しい間柄でも面倒になったら嫌だと思うし預かりたくないもの」
ひろみさんが指を鳴らした。
「……うーん、だけど、そんな私の周囲の人に犯罪行為を犯すまでの顔かしらね? 今までは直接私にアプローチが来てたんだけど、それも全くないし。流石に考えすぎじゃ……」
半信半疑といった顔をするマスターに、
「「そこまでの顔です」」
とひろみさんと私がうっかり即答してしまい、マスターをどんよりさせてしまった。
すぐにスマホを取り出すと、久松さんのお姉さんに連絡を取り、突然の連絡をお詫びしつつ、こんな話がなかったかと尋ねてみる。
「……ああ、そう言えば、坂東さんがお財布を落とされたからって、葬儀場の女性の方から連絡が入ったことがあったわ。特にその後連絡もなかったから忘れてたけれど」
お礼を言って電話を切り、考えが正しかったのを知る。
まったく、マスターもうっかりマスクも外せないではないか。
マスターには正延さんに話をしてくれるようお願いし、私は明日の水曜、真理子さんのお見舞いに向かうことにした。
いつまでも防戦一方でたまるか、と考えつつも、マスターに何のリアクションもなく、私や真理子さんへの危害だけを行っているのがその女性だとしたら、一体何が目的なのか、と思わずにはいられなかった。
「そうなのよ。この近くの交差点で、信号無視の原付バイクに引っ掛けられたんですって。轢き逃げよ。足首の骨折と肋骨にヒビが入ったらしいの。怖いわねえ」
一週間ほどでかさぶたも出来て傷の痛みも治まり、青あざなどは残ったままだがロボット化は解けたので、私もまたバイトに復帰した頃。マスターはまだアパートに戻るのは心配だし危ないから、と未だに同居生活は続いていた。
転職して別の会社に移っていたひろみさんが、久しぶりにぱんどらにやって来たと思ったら、真理子さんが二日前に交通事故に遭っていたことを教えてくれたのだ。ひろみさんの腕の骨折もすっかり元通りだそうだ。
「それで、犯人は?」
「それがフルフェイスのマスクだったし、ナンバーも泥か何かで汚れていて全く分からなかったらしくて。警察も近くの防犯カメラの映像探してはいるそうなんだけど、まだ特定出来てないみたい」
マスターが青ざめた顔で私を見た。
「小春ちゃん、もしかして……」
「──いや、でもたまたまかも知れませんし」
小声で話す私達の様子を見ていたひろみさんが首を傾げた。
「何? どういうこと?」
「えーと、ですね……」
ひろみさんには心配かけまいと何も言ってなかったらしい。私は後で真理子さんに怒られても仕方ないか、と先日からの一件を説明した。
「……円谷さんも、真理子もそんなことになってたの? 何で真理子も私に相談してくれなかったのかしら?」
心配しつつも少々憤慨した様子のひろみさんをマスターがなだめる。
「まあ相談したところで防犯対策以外に何が出来るのかってのもあるし、心配かけるだけじゃない? ひろみさんも仕事始めたばかりで、覚えることが沢山あって忙しいってこぼしてたでしょ。坂本さんも気のせいかも、って言ってたし、忙しいひろみさんに、勘違いで迷惑かけたくなかったのもあるんじゃないかしらねえ」
「それにしたって、親友なのに」
「親友なら尚更じゃないですか。もし気のせいじゃなかった場合、ひろみさんにまで害が及ぶ可能性もありますから」
私も援護射撃しつつ、真理子さんも単なる偶然ではなかったのか、と思う。しかし一体誰が。
考え込むような様子を見せていたひろみさんが疑問を投げかけた。
「……でも、もしも美形のマスターの近くにいる女、関わりがある女ってことが原因だったとしても、そもそもマスターは外に出る時にはマスクとかで変装して顔をほぼ見せないようにしてるんでしょう? マスク越しに一目惚れとか有り得るのかしら? 確かに目元で美形なのは分かるけど、鼻とか口とかでガラッと印象変わることって女でも多いわよ?」
「言われれば確かに……お店ではマスクはしてませんけど、ほぼ常連さんしか来てませんし。たまに初見の方が来ても、オネエ喋りですから恋愛めいた感じには全くならないですもんね」
「そうなのよねえ……第一、買い物とか行っても話をしたのって、せいぜい偶然出くわした坂本さんが話しかけて来た時ぐらいだもの。その時もマスクしたままだったし……」
マスターも一緒になって考える。私と一緒に近所のスーパー行く際も必ず変態セットもとい変装セットだし、いくら目元だけでも美貌が分かるとは言え、流石に人に危害を加えるほどの吸引力はないだろう。そう考えていると、何かが引っ掛かった。
「……あれ?」
「小春ちゃん、どうしたの?」
マスターが話しかけて来るが、応えてしまうと消えてしまいそうなかすかな引っ掛かりだ。無視して引っ掛かりを慎重に手繰り寄せるよう目をつぶった。
マスターが店の外で顔を見せて出歩くことは、私の覚えている限りではなかった。だが、それは確かか? 本当に顔を晒したことはなかったのか?
「……あ」
ふと思い出した。
「──葬儀場」
「へ?」
マスターが大丈夫? という感じで私を見た。
「葬儀場でマスターはマスク外したじゃないですか。ほら、お寿司食べる時とお茶飲む時に。その後久松さんのお姉さんを追い掛けて来た時も外したままでしたよ」
「……ああ、そうだったわね言われてみれば。でもマスク外さないと食べられないし、お姉さんの時は突発事態だったからそれどころじゃなかったじゃないの」
「ですが、あの時ぐらいしか、マスターが顔をフルオープンしてたことが思いつかないじゃないですか!」
「フルオープンて何かいかがわしい感じがするんだけど、他に言い方ないの小春ちゃん。でも、たまたま親族とかの葬儀で私を見たからって、そこから私の周辺の状況なんて分からないでしょう?」
「……葬儀場に勤めている方ならば、遺族に何らかの方法で聞き出したり出来るかも知れません。そちらのお客様が高価な時計を忘れて行かれた、とか。きちんとお返ししないと会社の信用問題になるからと言われたら、遺族に連絡先も聞きやすいのではないかなと」
「ああ、それはあるかも知れない! 私がもし遺族だったら、親しい間柄でも面倒になったら嫌だと思うし預かりたくないもの」
ひろみさんが指を鳴らした。
「……うーん、だけど、そんな私の周囲の人に犯罪行為を犯すまでの顔かしらね? 今までは直接私にアプローチが来てたんだけど、それも全くないし。流石に考えすぎじゃ……」
半信半疑といった顔をするマスターに、
「「そこまでの顔です」」
とひろみさんと私がうっかり即答してしまい、マスターをどんよりさせてしまった。
すぐにスマホを取り出すと、久松さんのお姉さんに連絡を取り、突然の連絡をお詫びしつつ、こんな話がなかったかと尋ねてみる。
「……ああ、そう言えば、坂東さんがお財布を落とされたからって、葬儀場の女性の方から連絡が入ったことがあったわ。特にその後連絡もなかったから忘れてたけれど」
お礼を言って電話を切り、考えが正しかったのを知る。
まったく、マスターもうっかりマスクも外せないではないか。
マスターには正延さんに話をしてくれるようお願いし、私は明日の水曜、真理子さんのお見舞いに向かうことにした。
いつまでも防戦一方でたまるか、と考えつつも、マスターに何のリアクションもなく、私や真理子さんへの危害だけを行っているのがその女性だとしたら、一体何が目的なのか、と思わずにはいられなかった。
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―
木原あざみ
キャラ文芸
この世界で最も安定し、そして最も危険な職業--それが鬼狩り(特殊公務員)である。
……か、どうかは定かではありませんが、あたしこと藤子奈々は今春から鬼狩り見習いとして政府公認特A事務所「紅屋」で働くことになりました。
小さい頃から憧れていた「鬼狩り」になるため、誠心誠意がんばります! のはずだったのですが、その事務所にいたのは、癖のある上司ばかりで!? どうなる、あたし。みたいな話です。
お仕事小説&ラブコメ(最終的には)の予定でもあります。
第5回キャラ文芸大賞 奨励賞ありがとうございました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
よんよんまる
如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。
音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。
見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、
クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、
イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。
だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。
お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。
※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。
※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です!
(医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
エンマの休日
セオミズノ
キャラ文芸
地獄界、亜細亜地区担当の神・・・閻魔大王。
彼には大きな夢があった。
それは“休暇を取る事”。
罪人を裁く事が本業のエンマは疲れ切っていた。
人類は70億人に達しようとしている現在。
その人口と共に罪人も増えた。
その結果、エンマは“有給休暇の取得を決心する”
地獄界では気が休まらないエンマは、
休暇場所を・・・人間界の“日本”に定めた。
そして人間界で休暇をエンジョイしようとしていたが、
一人の娘と出会う事で
エンジョイどころか災難がエンマに降り注ぐ。

婚約者の不倫相手は妹で?
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
呪い子と銀狼の円舞曲《ワルツ》
悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】
声を封じられた令嬢が、言葉の壁と困難を乗り越えて幸せをつかみ、愛を語れるようになるまでの物語。
明治時代・鹿鳴館を舞台にした和風シンデレラストーリーです。
明治時代、鹿鳴館が華やいだころの物語。
華族令嬢の宵子は、実家が祀っていた犬神の呪いで声を封じられたことで家族に疎まれ、使用人同然に扱われている。
特に双子の妹の暁子は、宵子が反論できないのを良いことに無理難題を押し付けるのが常だった。
ある夜、外国人とのダンスを嫌がる暁子の身代わりとして鹿鳴館の夜会に出席した宵子は、ドイツ貴族の青年クラウスと出会い、言葉の壁を越えて惹かれ合う。
けれど、折しも帝都を騒がせる黒い人喰いの獣の噂が流れる。狼の血を引くと囁かれるクラウスは、その噂と関わりがあるのか否か──
カクヨム、ノベマ!にも掲載しています。
2024/01/03まで一日複数回更新、その後、完結まで毎朝7時頃更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる