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疑問
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「まあ坂東さんじゃありませんの。偶然ですわね!」
白々しく弾んだ声を出して話し掛けて来た坂本さん。今日は何やら〝友人〟の一人である武蔵野のタウン誌の記者の男性と、取材の付き添いでたまたまここを訪れた、という設定のようである。
あくまでも偶然の出会い、運命的なものを印象付けたいのかも知れないが、私とマスターはひろみさんから話を聞いているので、ただただこの行動力が怖ろしいだけである。
「いやぁ、武蔵野公園の近くにこんな雰囲気のあるいいカフェがあるとは知らなかったよ。マスターもえらくイケメンだし」
人の良さそうな雰囲気をした少し丸みのある記者さんが、おしぼりで手を拭いながら私達に笑みを向けた。この人は、単に坂本さんに利用されているだけなのかも知れない。カフェ特集の話をされたから丁度いいと誘導された可能性も高い。
ブレンドを飲んで「お、いいねえ」と満足気に頷く記者さんに、そうだろうそうだろうと私は内心で頷く。マスターの淹れるコーヒーは深みが違うのだ。
「マスター、良かったら今取材中の『むさしのタイムス』のカフェ特集に載せたいんですが、取材させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「有り難いお話ですが、お断りしますわ」
マスターが即答した。記者さんは意外そうな顔をした。
「え? でも、一応僕らのタウン誌って駅とか美容室、スーパー等あちこちに置いてあるし、十万部以上出てますよ? 無料だから結構読まれているし、お客さんが増えるだろうから良いと思うんですが……」
「私も読んだことありますわ。でも、今でも常連さんがいてお客さんには困ってませんし、正直そんな忙しくなるのは接客がおざなりになりがちなので嫌なんですの。それに……若い女性とか来られても、私個人的には有り難くないと申しますか、ねえ?」
オネエ偽装も板についているので、顔に手をあて、いかにも分かるでしょう? と言わんばかりの眼差しでマスターに見られ、記者さんも少々たじろいでしまう。
「あ、ああそうですか。うーん、残念ですねえ」
「──ですが坂東さん、取材を受けられるカフェもそう多くないですし、せっかく名前が売れるチャンスですのに、簡単に断ってしまうのもどうかと思いません?」
坂本さんが声を重ねる。
なるほど、彼女は顔を繋ぐと同時に、マスターに少々恩も売りたいのではないか、と邪推した。好感度を上げたいのかも知れない。
「えーと……坂本さん、でしたっけ? わざわざお気遣い頂いてすみませんが、お気遣い無用ですわ。今の状態で十分満足していますもので」
少し笑顔を見せ丁寧にお礼は言うものの、マスターの目は冷ややかである。わざと名前もうろ覚えな感じで言うところが、興味がないことを如実に示していて、モテ美人と自覚があるだろう坂本さんの顔が少し引きつる。しかし諦めないのがこの人のすごいところだ。
「それは、残念ですわねえ。……あ、私も隣駅に住んでおりますので、また何かあれば寄らせて頂いてもよろしいですか? 本当にここのコーヒーは美味しかったですし」
「ありがとうございます。機会があればまたどうぞいらして下さいな」
社交辞令気味の塩対応をものともせず、坂本さんと何も分かってなさそうな記者さんは帰って行った。
「……音沙汰がないと思って安心してたらこれよ。参るわね」
出て行った途端に不機嫌さを隠しもしないマスターが、私に吐き出すように言う。まだ二人ほどお客さんがいるので小声である。
「でもお客さんとしてであれば、来るのは構わないって以前マスターも仰ってたじゃないですか」
「だってお客さんで終わるつもりないじゃないよあの人」
「まあそうですね」
それから、仕事終わり後などほぼ毎日のペースで現れ始めた坂本さんは、カウンター席でことあるごとにマスターに話しかけるのだが、忙しければおざなりにされ、暇だった時にも距離感のある態度を崩すことはなく、次第に親しくなっていければ、と思っていたらしい彼女もしびれを切らして来たようだ。
「私、GWは八連休なんですよ。特に旅行の予定もないし暇してるんですが、良ければお休みとかどこかでぱーっと憂さ晴らししません? 天気もいいですし、ドライブなんかいいですよねえ」
「あら、私は休み関係なく仕事なんですのよー。飲食店って大変。それに、人込み苦手だし、家でのんびりしてる方がよほど落ち着くタイプなので、アクティブな方見てると羨ましいわあ」
「坂東さん、男性の方が好きと伺ってますが、ご自身の子供とか欲しくなったりしませんか?」
「そうですわねえ。特にないですわねえ。だってうるさいですし、まあ物理的に無理ですもの。それに恋人といられればそれだけで幸せですし」
マスターが実は小動物と子供が大変好きなのは知っている私は、偽装オネエの道は険しいのだなあ、と思わずにはいられない。
二歳下のタケシという恋人がいて、相手はこんな仕事してて、見た目はこうで、こんな性格で服装はこれが好きで、などと細かい設定リストを作っているのだ、と以前見せてくれた時には驚いたが、自分は俳優じゃないから、ここまで作り込まないとリアリティーが薄れるのよ、と力説された。本来の自分を守るために嘘で武装する、というのも苦労が多いことであるが、確かにこういう好意を向ける女性を撃退するのには有効なのかも知れない。坂本さんは今のところひるむ様子がないのだが。
「……正直に言います。男性が好きなのは趣味嗜好の問題なので別にどうこう言う権利もないですが、坂東さんの子孫を残さないのは、世界の損失だと思うんです。そこで提案なのですか、私は整形もしてないですし、それなりに許容できる見た目だと思いますし、坂東さんが彼氏とお付き合いしていることに文句も言いません。だから、社会的な体裁と子供を持つという意味だけでもいいので、結婚を前提にお付き合いをするのはどうでしょうか? 何なら性的なこともせず、不妊治療的な感じで妊娠するのでも構いません。仕事も辞めるつもりはないですし、こちらのカフェもそんなに繁盛しているという感じではないので、経済的な支援も可能です」
「──はあ?」
私はある日、とうとうどストレートに直球をぶつけて来た坂本さんをむしろ少し見直した。
多分一目惚れしたのは事実だろうし、彼の子供が欲しいのも本当だろう。ただ、それで恋人との仲を裂きたいと考えてはいないし、単に自分をそこに追加して欲しい、経済的にも寄っかからないから、惚れた美形を近くで愛でて子供を育てさせてくれ、と率直にぶっちゃけるところを見ると、この人も根はそんなに悪くないのではないかと思える。
──ただ、この受ける印象と私のアパートでの嫌がらせとが結びつかない。あそこまで陰湿な手を取るようなタイプには思えないのだ。
「申し訳ないけど、そういうのは考えたことないのでお断りします」
「いつか気が変わるかも知れませんし、暫くはお待ちしますから」
「いや、待たないでいいわよ。興味ないもの」
「私はこう見えて我慢強いタイプなんです。いつか子供が欲しくなった時に、こういう女がいると覚えておいて頂ければ便利ですわよ?」
「だから話聞いてます? 必要ないですってば」
「いえ、いる訳がないと思ってた理想の見た目そのものの方なので、私もそうは引き下がれないんです。利用価値はありますよ私」
陽気な執着心、というのか、とにかく顔が目的でそれ以外の要素はどうでもいい、という明確な意思を感じられて、私は潔いと思った。いきなり刃物、いきなり血染めのラブレター、いきなり全裸、いきなり運命なメンヘラ女子とは明らかに一線を画しているではないか。少なくとも目的が正直な分かなり扱いやすい人である。
ますますハムスター案件やらハチミツ案件が彼女と無関係な気がして仕方がない。だがそうなると、私が坂本さんの嫌がらせではないか、と思っていた行為は一体誰がやっているのか。
そう考えていた頃、正延さんが久しぶりにぱんどらに現れたのだった。
白々しく弾んだ声を出して話し掛けて来た坂本さん。今日は何やら〝友人〟の一人である武蔵野のタウン誌の記者の男性と、取材の付き添いでたまたまここを訪れた、という設定のようである。
あくまでも偶然の出会い、運命的なものを印象付けたいのかも知れないが、私とマスターはひろみさんから話を聞いているので、ただただこの行動力が怖ろしいだけである。
「いやぁ、武蔵野公園の近くにこんな雰囲気のあるいいカフェがあるとは知らなかったよ。マスターもえらくイケメンだし」
人の良さそうな雰囲気をした少し丸みのある記者さんが、おしぼりで手を拭いながら私達に笑みを向けた。この人は、単に坂本さんに利用されているだけなのかも知れない。カフェ特集の話をされたから丁度いいと誘導された可能性も高い。
ブレンドを飲んで「お、いいねえ」と満足気に頷く記者さんに、そうだろうそうだろうと私は内心で頷く。マスターの淹れるコーヒーは深みが違うのだ。
「マスター、良かったら今取材中の『むさしのタイムス』のカフェ特集に載せたいんですが、取材させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「有り難いお話ですが、お断りしますわ」
マスターが即答した。記者さんは意外そうな顔をした。
「え? でも、一応僕らのタウン誌って駅とか美容室、スーパー等あちこちに置いてあるし、十万部以上出てますよ? 無料だから結構読まれているし、お客さんが増えるだろうから良いと思うんですが……」
「私も読んだことありますわ。でも、今でも常連さんがいてお客さんには困ってませんし、正直そんな忙しくなるのは接客がおざなりになりがちなので嫌なんですの。それに……若い女性とか来られても、私個人的には有り難くないと申しますか、ねえ?」
オネエ偽装も板についているので、顔に手をあて、いかにも分かるでしょう? と言わんばかりの眼差しでマスターに見られ、記者さんも少々たじろいでしまう。
「あ、ああそうですか。うーん、残念ですねえ」
「──ですが坂東さん、取材を受けられるカフェもそう多くないですし、せっかく名前が売れるチャンスですのに、簡単に断ってしまうのもどうかと思いません?」
坂本さんが声を重ねる。
なるほど、彼女は顔を繋ぐと同時に、マスターに少々恩も売りたいのではないか、と邪推した。好感度を上げたいのかも知れない。
「えーと……坂本さん、でしたっけ? わざわざお気遣い頂いてすみませんが、お気遣い無用ですわ。今の状態で十分満足していますもので」
少し笑顔を見せ丁寧にお礼は言うものの、マスターの目は冷ややかである。わざと名前もうろ覚えな感じで言うところが、興味がないことを如実に示していて、モテ美人と自覚があるだろう坂本さんの顔が少し引きつる。しかし諦めないのがこの人のすごいところだ。
「それは、残念ですわねえ。……あ、私も隣駅に住んでおりますので、また何かあれば寄らせて頂いてもよろしいですか? 本当にここのコーヒーは美味しかったですし」
「ありがとうございます。機会があればまたどうぞいらして下さいな」
社交辞令気味の塩対応をものともせず、坂本さんと何も分かってなさそうな記者さんは帰って行った。
「……音沙汰がないと思って安心してたらこれよ。参るわね」
出て行った途端に不機嫌さを隠しもしないマスターが、私に吐き出すように言う。まだ二人ほどお客さんがいるので小声である。
「でもお客さんとしてであれば、来るのは構わないって以前マスターも仰ってたじゃないですか」
「だってお客さんで終わるつもりないじゃないよあの人」
「まあそうですね」
それから、仕事終わり後などほぼ毎日のペースで現れ始めた坂本さんは、カウンター席でことあるごとにマスターに話しかけるのだが、忙しければおざなりにされ、暇だった時にも距離感のある態度を崩すことはなく、次第に親しくなっていければ、と思っていたらしい彼女もしびれを切らして来たようだ。
「私、GWは八連休なんですよ。特に旅行の予定もないし暇してるんですが、良ければお休みとかどこかでぱーっと憂さ晴らししません? 天気もいいですし、ドライブなんかいいですよねえ」
「あら、私は休み関係なく仕事なんですのよー。飲食店って大変。それに、人込み苦手だし、家でのんびりしてる方がよほど落ち着くタイプなので、アクティブな方見てると羨ましいわあ」
「坂東さん、男性の方が好きと伺ってますが、ご自身の子供とか欲しくなったりしませんか?」
「そうですわねえ。特にないですわねえ。だってうるさいですし、まあ物理的に無理ですもの。それに恋人といられればそれだけで幸せですし」
マスターが実は小動物と子供が大変好きなのは知っている私は、偽装オネエの道は険しいのだなあ、と思わずにはいられない。
二歳下のタケシという恋人がいて、相手はこんな仕事してて、見た目はこうで、こんな性格で服装はこれが好きで、などと細かい設定リストを作っているのだ、と以前見せてくれた時には驚いたが、自分は俳優じゃないから、ここまで作り込まないとリアリティーが薄れるのよ、と力説された。本来の自分を守るために嘘で武装する、というのも苦労が多いことであるが、確かにこういう好意を向ける女性を撃退するのには有効なのかも知れない。坂本さんは今のところひるむ様子がないのだが。
「……正直に言います。男性が好きなのは趣味嗜好の問題なので別にどうこう言う権利もないですが、坂東さんの子孫を残さないのは、世界の損失だと思うんです。そこで提案なのですか、私は整形もしてないですし、それなりに許容できる見た目だと思いますし、坂東さんが彼氏とお付き合いしていることに文句も言いません。だから、社会的な体裁と子供を持つという意味だけでもいいので、結婚を前提にお付き合いをするのはどうでしょうか? 何なら性的なこともせず、不妊治療的な感じで妊娠するのでも構いません。仕事も辞めるつもりはないですし、こちらのカフェもそんなに繁盛しているという感じではないので、経済的な支援も可能です」
「──はあ?」
私はある日、とうとうどストレートに直球をぶつけて来た坂本さんをむしろ少し見直した。
多分一目惚れしたのは事実だろうし、彼の子供が欲しいのも本当だろう。ただ、それで恋人との仲を裂きたいと考えてはいないし、単に自分をそこに追加して欲しい、経済的にも寄っかからないから、惚れた美形を近くで愛でて子供を育てさせてくれ、と率直にぶっちゃけるところを見ると、この人も根はそんなに悪くないのではないかと思える。
──ただ、この受ける印象と私のアパートでの嫌がらせとが結びつかない。あそこまで陰湿な手を取るようなタイプには思えないのだ。
「申し訳ないけど、そういうのは考えたことないのでお断りします」
「いつか気が変わるかも知れませんし、暫くはお待ちしますから」
「いや、待たないでいいわよ。興味ないもの」
「私はこう見えて我慢強いタイプなんです。いつか子供が欲しくなった時に、こういう女がいると覚えておいて頂ければ便利ですわよ?」
「だから話聞いてます? 必要ないですってば」
「いえ、いる訳がないと思ってた理想の見た目そのものの方なので、私もそうは引き下がれないんです。利用価値はありますよ私」
陽気な執着心、というのか、とにかく顔が目的でそれ以外の要素はどうでもいい、という明確な意思を感じられて、私は潔いと思った。いきなり刃物、いきなり血染めのラブレター、いきなり全裸、いきなり運命なメンヘラ女子とは明らかに一線を画しているではないか。少なくとも目的が正直な分かなり扱いやすい人である。
ますますハムスター案件やらハチミツ案件が彼女と無関係な気がして仕方がない。だがそうなると、私が坂本さんの嫌がらせではないか、と思っていた行為は一体誰がやっているのか。
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