カフェぱんどらの逝けない面々

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ

文字の大きさ
上 下
21 / 40

泉谷さんの不在

しおりを挟む
 ひろみさんの話で、一週間ぐらいは坂本さんの凸があるんじゃないかとビクビクしていた私だったが、怖いぐらい何もない。

「……ひろみさんの気のせいだったんですかね?」
「どうかしらねえ? ま、でも何も無ければそれに越したことはないじゃないの。私は精神的に穏やかに過ごせるなら何でもいいわ」

 マスターは里芋の煮っころがしを器に盛りながら、大根の味噌汁の鍋の火を止めた。今日の夜のメインのおかずはチキンの照り焼きのようだ。いつもながら主婦力が高いというか、涎が出そうなメニューである。

 マスターと、いやはや労働の後のご飯は美味しいですねえ、と有り難く頂きつつ、ジバティーさん達に見せる動画の確認をしようとしたのだが、何故か午後から散歩に出かけたはずの泉谷さんがまだ戻って来ていない。いつも動画やテレビを見る時間を楽しみにしていたのだが。

「李さん何か聞いてます?」
『何も聞いてないヨ』
「杏さんやマークさんは?」
『僕は聞いてないです』
『泉谷さんよく寄り道してるもん。野良猫とかいるとずっと眺めたりしてるしねー』
「んー、まあ今日は杏さんの好きなのを見る日ですから、先に見始めちゃいますか」
『わーい。じゃあこの間のガチで怖い話シリーズの続き見よーよ』
『私怖い話あまり好きじゃないネ。心臓止まりそうになるヨ』
『どうせなら事故物件シリーズにしませんか。僕らのフレンドいるかも知れませんし』

 もう心臓は止まってるだろうがとか、フレンド勝手に見つけようとするなとか心の中で思いながらも、杏さんの希望で【おっかねえ実話:暗黒旅館】なる動画の再生を始めた。注文を付けていた李さんさんたちも大人しく画面に見入っている。
 私はまたマスターと話をしつつ、泉谷さんの帰りを待っていたのだが、結局動画の上映時間が終わるまで彼が戻って来ることはなかった。

「……何もしてないのに成仏しちゃった、とかじゃないわよね?」

 マスターが気になっているようで、私に確認して来る。

「私に聞かれても困りますよ」

 だが、ジバティーさん達は、私が来る前などは適当に夜中にも散歩に出ていたようだし、結構好き勝手に居たりいなかったりしていたそうだが、話が出来る私が来て、貴重な娯楽の提供がスタートしてからは、必ず皆が顔を揃えていた。一番の古株である泉谷さんは、特に暇だった時間が長い人なので、私に一番感謝の言葉をくれたのも彼である。

「成仏してたのならいいんですけどね」

 私は制服がわりの白いエプロンを外すと、帰り支度をしつつ、「帰りに公園とかちょっと覗いてみますね」とマスターに声を掛けた。どうせご近所である。私も探す時間を割くぐらいには、泉谷さん達ジバティーの面々には好意を持っているのだ。

「ちょっと小春ちゃん! 若い女性がこんな夜遅くに公園に一人で行くなんて危ないわよ。──心配だから私も行くわ。片付けるまで少し待ってて」
「あ、すみません」

 夜八時を過ぎた空には星がいくつかと、丸みのある半月が浮かんでいる。

 マスクに帽子に薄手のコートと、夜道の変態三原則みたいな恰好のマスターと共に、戸締りをした後、近くにあるボートに乗れるほど大きな池がある公園に向かう。泉谷さんはここが大のお気に入りなのだ。
 泉谷さん達が言っていた痴漢騒ぎも、あれから何も起こらずに大分鎮静化していたようで、何組かのカップルもベンチに座っていちゃいちゃしている姿はあったが、それでもやはり人通りは少ない。
 私しか泉谷さんを見つけられないので、ゆっくり歩きながら左右に注意をしていたのだが、なかなか見つけられない。

「──どう? 見つかりそう?」
「今のところ見当たりませんね」

 人が少ないのはマスターとしても有り難いようで、一緒に歩いていても足取りが軽そうだ。依然として私の腕をそっと掴んではいるのだが。これはセクハラと言うより、単に外で変な女性に絡まれる潜在的な恐怖からの無意識行動なので、許容している。ただ、百八十センチを超える男性が百五十八センチの女子に掴まって歩くのは少々目立つのではないかという気もしなくはない。

 ……ふと、公園の出口付近のベンチに座っている、トレンチコートを来て缶コーヒーを飲んでいる中年男性に目が行った。勿論生きている人間である。外灯で照らされる顔は疲れたような気配を滲ませており、何か手帳を開いて見ているらしいのだが、何故かその後ろで覗き込むように一緒に手帳を覗いている泉谷さんがいた。

「何やってんですか泉谷さんはもう」

 マスターと一緒にわざとゆっくりその男性の前を通りつつ、泉谷さんに気づけアピールしていると、気配に気づいたのか泉谷さんが顔を上げ、『おお小春、エエところに』などと言いながら近づいて来た。

「もう娯楽時間終わっちゃいましたよ。皆さん心配してました。勿論私もマスターも。何の連絡もなしに帰って来ないと成仏したかと思っちゃうじゃないですか」

 中年男性の斜め前のベンチにカップルの振りをして腰を下ろし、泉谷さんに小声で注意すると、『ははっ、いやーそらすまんかった』とぺこりと頭を下げた。

『あの兄さんが気になっててなあ』
「あの方ですか? ──浮遊霊でも地縛霊でもないですよ」
『いやな、あの兄さん刑事さんみたいやねん。何かな、事件の捜査で行き詰っとるーって感じやねん。……なあ小春、ワシら何か協力出来んかな』
「出来る訳ないでしょう、刑事さんですよ? 私達のような素人が何を協力するって言うんですか」

 マスターにも話をすると、当然ながら首をぶんぶん振った。

「霊までは百歩譲って我慢、いや本当は我慢したくないけどするわ。でもドラマじゃないんだから、何でもかんでも首を突っ込むのは良くないわよ。大体、私達に何が出来るって言うのよ?」
「そうですよ泉谷さん。警察のお仕事は警察の方にお任せしないと」
『いやな、それは分かってんねん。ワシも邪魔したい訳とちゃうんや。ただ、あの兄さんの手帳になあ、李さんの名前が書いてあってん。もしかしたらうちの李さんちゃうかなあ、って。いや多分、同姓同名の人やとは思うんやけど、気になってもうてなあ』
「……本当ですか?」

 国会図書館まで行ったのに李さんの事件は見つからなかった。勿論、毎日多くの事件が起きているので、載らない事件なんて沢山あるに決まってるのは理解している。だが、警察であれば処理した事件は記録に残っているのである。あの刑事さんが持っている情報が、本当にうちの李さんの情報なのであれば、欲しい。とても欲しい。
 いや、入手したからといって、李さんが成仏出来る何かが出来ると決まった訳ではないが、事件の詳細を聞いて、色々忘れている李さんが何か思い出すきっかけにはなるかも知れない。
 マスターに泉谷さんの話を伝える。少し驚いたマスターは、それでも、と小声で返事をした。

「確かに、知りたいけど……どう説明すればいいのか私には見当もつかないわ。それに、捜査資料って一般人に晒すのは違法でしょう?」
「……ですよねえ……」
『何かいい言い訳がないもんやろかなあ』
「そんなうまい話なんてないわよ。すみませーん、うちの幽霊が被害者かも知れないんで情報教えて下さーい、とか言える? 逆に私達が犯罪に関与してるんじゃないかって疑われない?」
「その通り過ぎて返す言葉もないですね」
『そやけど、このまま無視するのも勿体ない話やろ? 李さんの為になるかも知れんし』
「確かに……」

 ──私達はつい話に没頭しすぎていた。
 こちらの様子が何か変だと思い、黙って見ていた刑事さんが近づいて声をかけて来るまで全く気付かない程度には。

「──今、刑事がどうとか、捜査資料がどうとか仰ってませんでしたか?」

 顔を上げると、確かに少し前に向かいに座っていた筈の刑事さんが、目の前に立っていて、私は思わずひゅっと息を飲んだ。
 マスターはと言えば、私の服を強く掴んだまま硬直している。

(……私は定職につく前に前科がつくのだろうか……)

 少々泣きそうになりながらも、洗いざらい説明するしかないと覚悟を決めるほかはなかった。信じて貰えるかどうかは別として。



しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで
キャラ文芸
 「……ようこそ、薬膳茶寮・花橘へ。一時の休息と療養を提供しよう」  記憶を失い、夜の街を彷徨っていた女子高生咲良紅於。そんな彼女が黒いバイクの女性に拾われ連れてこられたのは、人や妖、果ては神がやってくる不思議な茶店だった。  薬膳茶寮花橘の世捨て人風の店主、送り狼の元OL、何百年と家を渡り歩く座敷童子。神に狸に怪物に次々と訪れる人外の客たち。  記憶喪失になった高校生、紅於が、薬膳茶寮で住み込みで働きながら、人や妖たちと交わり記憶を取り戻すまでの物語。 ************************* 既に完結しているため順次投稿していきます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...