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素人に何をさせる
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何かの気配は感じるが何も見えない聞こえない、という壊れかけのテレビいみたいな霊感持ちのマスターは、相変わらず怯えた顔も映画のワンシーンのような完成度の顔で、一人増えたようですと告げる私にひぃ、と声を上げ、「ざざ、残業を」「一人にしないで」「お願い私を見捨てないで小春ちゃん」とまるで私が男を弄ぶ悪女のように縋りつかれた。まあ別に私も仕事終わりにクラブ通いするとか、SNS映えする景色やレストランに撮影に行くというアクティブな趣味はなかったし、いい大人に頼られるというのも中々ない経験ではあったので引き受けることにした。
『いやなぁ、ワシらせいぜいこのご近所周辺しか動き回れんやろ? ジバティーやからな。んで、最近近所の大きな公園に出る痴漢でも脅かせんやろか思てな、行ったんよ一人で。まあお互いぱんどらにいる時以外は干渉せんから、気が向くとそこらを散歩したりするんやけど』
「なるほど」
『んでな、痴漢が出るて噂が広まっていたせいか、暫くあちこち歩いてみたけど若いお姉ちゃんもおらんかったし、不審者もおらんかって、帰るかってなってん。そしたらな、この兄ちゃんがベンチで暗ぁい顔して座っとったから声掛けたんや。もし一人で寂しかったらぱんどらおいでぇやって』
その日の閉店後、私とマスターはジバティーさんの話に耳を傾けていた。
聞き取った話は、仲間外れにならないように、ほぼ同時通訳のようにマスターに伝えている。
「いや、何自宅に誘うみたいに誘ってるのよ。持ち主の許可得なさいよ」
「どうせ言っても聞こえないじゃないですかマスター」
「気持ちの問題じゃないの気持ちの」
「見えて話が出来たら、それはそれで怖いんじゃないですか?」
「……まあそうだけど」
納得のいってないようなマスターは放置して、私は新人のお兄さんに話しかけた。
「ええと、お兄さんは……」
『あ、これは失礼致しました。僕は久松佑介と申します』
生きている時はなかなか爽やかな感じの好青年だったろうと思われる二十代半ばの男性は、私に頭を下げた。
話を聞くと、職場での上司のパワハラでノイローゼのような状態になり、ある日発作的に自宅のマンションの屋上から飛び降りてしまったとのこと。
「……あら? それ先週だか先々週にニュースになってた奴じゃないの?」
話を聞いたマスターが、山積みになっていた新聞置き場でしばらくガサガサと調べていたかと思うと、「あ、あったあった」と私にその新聞記事を見せた。
【ストレス社会の弊害 長年のパワハラに耐え兼ね飛び降りか】などと見出しがついた小さな記事には、確かに亡くなったのは【久松佑介さん(二十五)】と書いてある。久松さんにそれを見せると、『ああ僕ですね。嫌だなあ、新聞にまで載っちゃったのか……お恥ずかしい』と頭を抱えていた。
「──このたびはご愁傷様です。……ご本人に言うのも何ですが」
『あ、いえいえ、会社を辞めて別の会社に行ってればこんなことしてなかったかもですしね、自業自得です』
『久松さん、パワハラされてるのに何で辞めなかったの? 好きな仕事だったとか? 私なら速攻で辞表叩きつけてやるけどなー』
話を黙って聞いていた杏が不思議そうに尋ねた。
『うーん、別に好きな仕事でもなかったですよ。大学出て初めて入った会社ってだけです。うち、僕が大学入ってすぐの頃に自宅が放火されて両親が亡くなってて、生き残ったのがバイトで居なかった僕と、デートに出かけていた姉の二人だけだったんですよ。だから少しは名前の知れた会社に就職が決まって、泣いて喜んでいた唯一の家族を悲しませるのも嫌だったし、難癖つけられて何度も仕事やり直しさせられても、皆の前で役立たずと罵られても辞めたくはなかったんです。……まあ積もり積もったストレスで、結局は余計に姉を悲しませてしまいましたけど』
『そっか、そっか……大変やったんやなあ』
泉谷さんはうんうん頷きながら目頭を押さえている。
『ごめんなさい、何だか嫌な話させちゃって』
『いえ。──ただ、姉さんはどうしてるだろうか、とただそればかりが気掛かりで……』
別にパワハラ上司に復讐したいという気持ちもないようである。要領が悪いとか仕事が無駄に丁寧過ぎて遅いとか、言われたことに対しては自分でも自覚していたそうで、凝り性なのと完璧主義だったから、企業の歯車としては使えない人間と思われるのは仕方がない、周りと同等の仕事量がこなせないのは上司としてもハッパをかけざるを得ない気持ちも分かるし、と。
「久松さんは若いのに冷静な判断されてるんですねえ」
私は感心した。自分のこわだりのせいで仕事の評価が今一つなのは当然、と客観視できる人はなかなかいない。
「……ねえ、小春ちゃん。久松さんて人、結局何か悔いがあるの?」
「あ、ええ、お姉さんが心配なだけみたいです」
マスターに聞かれて、杏さんの問いから先の久松さんの話を伝えるのを忘れていたことに気づいた。話を聞くとマスターは、カウンターに頬杖えをつくと、「なかなか世間の風はハードなのね……」と呟いた。そしてふと気づいたように、「ねえ小春ちゃん」と新聞を持ち上げた。
「これ、使えないかしらね?」
「? 何がですか?」
「ほら、ここ見てよ」
指を差したところは、久松さんが住んでいたマンションの写真である。
「マンションがどうかしました?」
「いやほら、マンションの住所も書いてあるじゃないの! このマンションの管理人さんとかに聞けば、お姉さんの連絡先とか分かるんじゃないの?」
「知ってどうするんですか」
「だからー、久松さんはお姉さんがどうしているか心残りなんでしょ? だったらそれが分かれば成仏してくれるかも知れないじゃないの。彼には悪いんだけど、店に地縛霊がどんどん増えるのは困るのよ。私のゾワゾワが強力になるじゃないの」
「それはそうですが。それにしても、とうとう引きこもり卒業するんですね」
「何言ってるのよ。引きこもりがそんな探偵みたいな真似出来る訳ないでしょうよ。小春ちゃんが行くのよ」
「──あの、何故私が?」
「久松さんの無念を晴らせるのは彼と話せる小春ちゃんだけじゃないの」
「無念て、仏語で言うと無我の境地で迷いを離れてるって意味ですが。いわゆる悔しいとかの意味で使うのも久松さんの状況ですと異なるかと……」
「もう! 揚げ足取りしないでちょうだい! 頼むわこの通り! ちゃんと調査費や交通費は払うから」
困ったなあ、とため息をつく。ふと視線を感じたので横を見ると、久松さんが期待のこもった眼差しで私を見つめていた。
「あの久松さん、ちなみにお姉さんの連絡先とかご存じだったり……」
『勿論知ってた、んですが、今は記憶がぼんやりとして、あの辺りだったかなあ、ぐらいでハッキリとは。本当にすみません』
「いえ」
(……まあこれもご縁かな)
私は内心そう思うと、
「素人ですからね。どんな結果が出るか分かりませんよ」
そう答えるしかなかった。
『いやなぁ、ワシらせいぜいこのご近所周辺しか動き回れんやろ? ジバティーやからな。んで、最近近所の大きな公園に出る痴漢でも脅かせんやろか思てな、行ったんよ一人で。まあお互いぱんどらにいる時以外は干渉せんから、気が向くとそこらを散歩したりするんやけど』
「なるほど」
『んでな、痴漢が出るて噂が広まっていたせいか、暫くあちこち歩いてみたけど若いお姉ちゃんもおらんかったし、不審者もおらんかって、帰るかってなってん。そしたらな、この兄ちゃんがベンチで暗ぁい顔して座っとったから声掛けたんや。もし一人で寂しかったらぱんどらおいでぇやって』
その日の閉店後、私とマスターはジバティーさんの話に耳を傾けていた。
聞き取った話は、仲間外れにならないように、ほぼ同時通訳のようにマスターに伝えている。
「いや、何自宅に誘うみたいに誘ってるのよ。持ち主の許可得なさいよ」
「どうせ言っても聞こえないじゃないですかマスター」
「気持ちの問題じゃないの気持ちの」
「見えて話が出来たら、それはそれで怖いんじゃないですか?」
「……まあそうだけど」
納得のいってないようなマスターは放置して、私は新人のお兄さんに話しかけた。
「ええと、お兄さんは……」
『あ、これは失礼致しました。僕は久松佑介と申します』
生きている時はなかなか爽やかな感じの好青年だったろうと思われる二十代半ばの男性は、私に頭を下げた。
話を聞くと、職場での上司のパワハラでノイローゼのような状態になり、ある日発作的に自宅のマンションの屋上から飛び降りてしまったとのこと。
「……あら? それ先週だか先々週にニュースになってた奴じゃないの?」
話を聞いたマスターが、山積みになっていた新聞置き場でしばらくガサガサと調べていたかと思うと、「あ、あったあった」と私にその新聞記事を見せた。
【ストレス社会の弊害 長年のパワハラに耐え兼ね飛び降りか】などと見出しがついた小さな記事には、確かに亡くなったのは【久松佑介さん(二十五)】と書いてある。久松さんにそれを見せると、『ああ僕ですね。嫌だなあ、新聞にまで載っちゃったのか……お恥ずかしい』と頭を抱えていた。
「──このたびはご愁傷様です。……ご本人に言うのも何ですが」
『あ、いえいえ、会社を辞めて別の会社に行ってればこんなことしてなかったかもですしね、自業自得です』
『久松さん、パワハラされてるのに何で辞めなかったの? 好きな仕事だったとか? 私なら速攻で辞表叩きつけてやるけどなー』
話を黙って聞いていた杏が不思議そうに尋ねた。
『うーん、別に好きな仕事でもなかったですよ。大学出て初めて入った会社ってだけです。うち、僕が大学入ってすぐの頃に自宅が放火されて両親が亡くなってて、生き残ったのがバイトで居なかった僕と、デートに出かけていた姉の二人だけだったんですよ。だから少しは名前の知れた会社に就職が決まって、泣いて喜んでいた唯一の家族を悲しませるのも嫌だったし、難癖つけられて何度も仕事やり直しさせられても、皆の前で役立たずと罵られても辞めたくはなかったんです。……まあ積もり積もったストレスで、結局は余計に姉を悲しませてしまいましたけど』
『そっか、そっか……大変やったんやなあ』
泉谷さんはうんうん頷きながら目頭を押さえている。
『ごめんなさい、何だか嫌な話させちゃって』
『いえ。──ただ、姉さんはどうしてるだろうか、とただそればかりが気掛かりで……』
別にパワハラ上司に復讐したいという気持ちもないようである。要領が悪いとか仕事が無駄に丁寧過ぎて遅いとか、言われたことに対しては自分でも自覚していたそうで、凝り性なのと完璧主義だったから、企業の歯車としては使えない人間と思われるのは仕方がない、周りと同等の仕事量がこなせないのは上司としてもハッパをかけざるを得ない気持ちも分かるし、と。
「久松さんは若いのに冷静な判断されてるんですねえ」
私は感心した。自分のこわだりのせいで仕事の評価が今一つなのは当然、と客観視できる人はなかなかいない。
「……ねえ、小春ちゃん。久松さんて人、結局何か悔いがあるの?」
「あ、ええ、お姉さんが心配なだけみたいです」
マスターに聞かれて、杏さんの問いから先の久松さんの話を伝えるのを忘れていたことに気づいた。話を聞くとマスターは、カウンターに頬杖えをつくと、「なかなか世間の風はハードなのね……」と呟いた。そしてふと気づいたように、「ねえ小春ちゃん」と新聞を持ち上げた。
「これ、使えないかしらね?」
「? 何がですか?」
「ほら、ここ見てよ」
指を差したところは、久松さんが住んでいたマンションの写真である。
「マンションがどうかしました?」
「いやほら、マンションの住所も書いてあるじゃないの! このマンションの管理人さんとかに聞けば、お姉さんの連絡先とか分かるんじゃないの?」
「知ってどうするんですか」
「だからー、久松さんはお姉さんがどうしているか心残りなんでしょ? だったらそれが分かれば成仏してくれるかも知れないじゃないの。彼には悪いんだけど、店に地縛霊がどんどん増えるのは困るのよ。私のゾワゾワが強力になるじゃないの」
「それはそうですが。それにしても、とうとう引きこもり卒業するんですね」
「何言ってるのよ。引きこもりがそんな探偵みたいな真似出来る訳ないでしょうよ。小春ちゃんが行くのよ」
「──あの、何故私が?」
「久松さんの無念を晴らせるのは彼と話せる小春ちゃんだけじゃないの」
「無念て、仏語で言うと無我の境地で迷いを離れてるって意味ですが。いわゆる悔しいとかの意味で使うのも久松さんの状況ですと異なるかと……」
「もう! 揚げ足取りしないでちょうだい! 頼むわこの通り! ちゃんと調査費や交通費は払うから」
困ったなあ、とため息をつく。ふと視線を感じたので横を見ると、久松さんが期待のこもった眼差しで私を見つめていた。
「あの久松さん、ちなみにお姉さんの連絡先とかご存じだったり……」
『勿論知ってた、んですが、今は記憶がぼんやりとして、あの辺りだったかなあ、ぐらいでハッキリとは。本当にすみません』
「いえ」
(……まあこれもご縁かな)
私は内心そう思うと、
「素人ですからね。どんな結果が出るか分かりませんよ」
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