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自分の頭が心配になる
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部屋の前にいた護衛に尋ねると、幸いにもルークは起きているとのことで面会が可能だった。
こういう時に「妻」という立場は優先的に話を通してもらえるのでこの上なく便利である。もう妻という言葉は使えなくなるかも知れないけれど。
「ルーク様。エマ様がお見えになっておられますが、入室よろしいでしょうか?」
「えっエマが? ケガは? と、とにかく入ってくれ」
慌てたように中からルークが促す声がして、私はベティーと一緒に部屋に入った。
「失礼致します。……ルーク様、お体の様子はいかがでございますか?」
一礼して、ベッドがある辺りに視線を送るが、何だか人が寝ている様子に見えない。
ん? 寝起きだからまだ普段より見えにくいのかしら? まさかまた視力が落ちたの私?
もう少しベッドに近寄ろうとしたら、すぐ横から
「どうしたのエマ?」
とルークの声がして驚きでビクッと体を震わせてしまう。
「し、失礼致しました。ご無事で何よりですわ。でもまだお休みになられているとばかり……」
「ケガ自体の治療も済んでるし、そんなに大ケガってわけじゃないからね。休んでいても仕事が溜まる一方だし──それよりもエマの方が傷だらけだったって聞いたけど、歩いて大丈夫なのかい?」
ルークは開いた扉の裏側の方にある丸テーブルに座って、書類に目を通していたようだった。
「私は大丈夫ですわ。少し痛いところもありますけれど、いずれ治りますでしょうし」
ルークは頭に包帯のようなものが巻かれているし、シャツで見えないが右腕の二の腕も包帯が巻かれているのだろう。
想像していたよりも元気そう、というか普段の優しい声だったので、私は嬉しくて涙が出そうだった。だが、大事な話をこれからしようというのに涙など流してる場合ではない。同情を引くつもりで嘘泣きしているとでも思われたくない。
「……ルーク様、あの、今少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか? お話ししたいことがあるのです」
「エマの話はいつでも最優先だよ。それにちょうどひと休みしようと思っていたところだ。エマも紅茶でいいかい?」
「あ、ええ」
ベルを鳴らしてメイドに紅茶を頼むと、ルークは自分の向かいの椅子を引いた。
「足を捻挫していると聞いたよ。負担になるだろうから早く座って」
「ありがとうございます」
私はゆっくりと腰を下ろした。
メイドがお茶を持って来たタイミングでベティーを見上げる。
「ベティー、あなたは廊下で待っていてくれる? そんなに長くはかからないから」
「はい、かしこまりました」
お辞儀をしたベティーが扉を出て行く。大きな声を出さねば外まで話は聞こえないだろう。
「どうしたの? ベティーにも話せないようなことかい?」
ルークが深刻そうな声で不安げに私を見た。
「……いえあの、実は、私はルーク様にずっと隠していたことがございまして。今回すべてお話ししてお詫びさせていただこうと思ったのです」
「いきなりどうしたんだい? それに隠していたことって……」
もう覚悟は決まっていたので、私は頭の中で整理していたことを簡潔に説明した。
・ド近眼で一メートル離れると人の顔の判別すら難しいぐらい目が悪いこと。メガネがあれば見えるが、なにしろ分厚すぎて人前ではかけられないこと。
・足の指の巻き爪のこと。それによって特注の靴しか履けないこと。それを隠すためにクラシカルな昔からあるデザインのドレスしか着られないこと
・淑女にふさわしくない振る舞いだが農作業が好きなこと
・実は犬や猫などもだが、昆虫や爬虫類などの小さな生き物も好きなこと
全部話し終えると、ルークに深々と頭を下げる。
「そして昨日のことでお分かりかと思いますが、護身術など最低限のこともたしなんでおりませんし、大人しくしていろと言われたのに怖くなって馬車を下りて足を捻り……幸い倒れていたルーク様を見つけましたが、し、した、下着を用いて運ぶなどという破廉恥な振る舞いをしてしまう始末」
「いやいやっ、あの、それはね、私もその、後から聞いたけど、もう仕方がないというか、私がこんなにいかつい体だし、エマがとんでもなく全力で努力した結果なわけでっ!」
ルークは手をぶんぶん振って私を庇ってくれるが、むしろ既に聞いていたのかと余計顔に血が上る。私がこんなことを言える身分ではないけれど、そこは軽く流して欲しかったわ。
「──そ、それで、私は、言い訳になってしまうのですが、ルーク様がはずれ妻を迎えたと思われないように、出来る限り頑張って取り繕っていたのですが、今回のような件があると、隠していることが多く役立たずの私では、ルーク様のおそばにいるのにふさわしくないと感じましたの」
「なにを──」
ルークの言葉を遮るように私は話を続けた。
「ですが! 今後決して隠しごとは致しませんし、護身術も習います。そしてより一層見た目にも磨きをかけ、ルーク様の妻としておそばに置いていただいても、遜色ない人間となるべく努力致します! ですから、三カ月、いえ一カ月でも構いませんわ。いったん離婚の話は据え置いていただいて、私の今後の成果を見守っていただけませんでしょうか?」
私の力強い訴えに、ルークはぽかんと口を開けたまま私を見ていた。
そりゃあそうだろう。いきなりこんな一気に妻の秘密を聞いては驚くしかない。もしかすると不快感を抱かれてしまったかも知れない。小出しにするべきだったか? いえそれは出来ないわ。もう愛する人に自分を偽るのはうんざり。
だが、私が考えていた方向ではなく、ルークは驚いていたようだ。
「……あのね、エマ。深刻そうな顔で話していたから一応最後まで黙って聞いていたけど」
「はい」
「昔のことで忘れているかも知れないけれど、子供のころに近眼の話は聞いていたよ私は」
「──え?」
「パーティーの時にリボンを落としてしまったことがあっただろう? 私と一緒に探したこと忘れたかい?」
言われてみればそんな記憶がぼんやりと浮かぶ。
「その時エマは言っていたよ。『最近視力が悪くなって、メガネをかけないと遠くが見えにくいの。だから一緒に探すの手伝ってくれる?』って。そのころはまだ普段はメガネ要らないぐらいだったと思うけれど」
「言って……ましたっけ?」
「うん。私はエマの言葉は大抵覚えてるからね。だからこちらに来た時も、かなり足元を気にしているようだから、あああれからまた視力が落ちたのかなって。でもメガネかけてなかったから、日常の生活には問題ないのかと思っていた」
なんということだろうか。
私はとうの昔に自分で暴露していたことをコロッと忘れて、後生大事に隠していたのか?
「それと、巻き爪の件だけど、ごめん、私は爪じゃなくて、足の骨が悪いのかと思っていた。とても気をつけて歩いているような気がしたからね。勘違いしていて本当に申し訳ない。でも爪ならカットに気をつけることで、それ以上ひどくなることは防げるんだろう?」
「え、ええ。ですが、靴も──」
「別に特注で保護できるならいくらでも特注で作ればいいじゃないか。それともほかに何か問題があるのかい?」
「ドレスも──」
「エマはロングドレスがとても似合うじゃないか。流行が変化しようが、スタンダードなものは時が経っても絶対に廃れないんだよ。だって全てのベースになるものだからね」
「そう、そうですわね。言われてみれば」
ルークが言うと本当に全部が大した問題じゃないように思えて納得しそうになってしまい、慌てて首を振る。持参していた小さなバッグから愛用のメガネを取り出した。
「ご覧くださいませルーク様。これが普段私が使用しているメガネです」
勇気を出してそれを彼の目の前でかけた。ほおら、冗談みたいに分厚いでしょう?
「厚みがあるせいなのかな? エマの綺麗な目が大きく映っていいよね。メガネをすれば文字や私の顔も普通に見えるのかい?」
「はい、それはも──」
ちろん、と伏せていた顔を上げた途端、ルークの整った顔を近距離でしっかり眺めることになり、のけぞってしまった。
「だ、大丈夫かいエマ?」
「大丈夫です、大丈夫ですわ」
ちっとも大丈夫じゃない。素早くメガネを外してバッグにしまう。
今私は心臓が人がなっちゃいけない心拍数になっている。落ち着いて、深呼吸するのよエマ。
「あと、農作業ってベティーが借りていた庭師小屋の裏庭のかな? 別にエマが楽しめるなら好きにやればいいと思うよ。昆虫や爬虫類が好きなのだって別に悪いことじゃないし。あ、でも護身術はやりたいなら止めないけど、出来たら最低限のことぐらいでとどめておいて欲しいなあと思う」
「それはまた何故でしょうか?」
「……私はずっとエマのことを守るために鍛えてたから、君を守れないのは私が嫌だからね」
私のために? よく分からず考え込んでいたら、ルークが苦笑した。
「私も白状しようかな。今はほら、エマは療養中にとても痩せてしまっただろう? 健康になったのはもちろん嬉しいんだけど、以前会った時の君は、美味しそうにおやつを頬張って、体もぷにっと全部柔らかくてふわふわした感じだったじゃないか。だから、大人になってもふんわりした感じを想像しててね。妻になった時に抱き上げてよろめくような夫なんて最低だろう? だから必要以上に鍛えてこんなに圧のある体格になってしまったっていうか……笑ってくれていいよ」
「いえ、ずっと健康でしたわ。太っていた時の方が不健康だったと申しますか……ルーク様と結婚出来るチャンスがあるかもと、病弱設定にするために無理やりダイエットしたんですの。結果的に上手くいったからいいようなものの、私も笑って下さって構いませんわ」
「……え? 私のために痩せたの? なんで?」
「なんでと言われましても、私の方が三つも年上でしたから。そのままだと先に政略結婚の年になってしまうじゃありませんか。病気療養の名目なら、例え数年婚期が遅れたところで認められるというか、両親も体面は保てますし」
ルークは立ち上がり、私のすぐ横にひざまずいた。
「ちょ、少々近すぎますわルーク様」
「ねえエマ。今の話、私の聞き間違いでなければ、文通をしているころから私に好意を持ってくれていたっていうことかな?」
「──恥ずかしながら、昔の食べたい放題でみにくく太っていた私にも、いつ会っても優しくして下さっていたのはルーク様だけだったですから、自然にその、ですね」
「嬉しいよエマ!」
「うぎゃっ!」
ルークに抱きしめられて痛みと緊張で思わず変な声が出た。慌てて体を離したルークが詫びる。
「ご、ごめんケガしていたんだよね。すまなかった! ただエマの気持ちが聞けて、心から嬉しい。ずっと君がこちらに来てからも心に距離があるように感じて寂しかったんだ。本音を言えば、美味しいものを本当に美味しそうに食べるふくよかなエマが好きだったけれど、私のために痩せたなんて聞くと、またもう少し肉をつけてくれとはとても言えないね」
「……私も、ルーク様が以前から憎からず想って下さっていたなんて思いもよりませんでしたわ。あの、もしかして、ふくよかな方がお好きでしたか?」
「いや、エマが健康であることが一番だよ。ただ、体型を維持するために食べたいものをあんまり我慢し過ぎるのはやめていいよ。私を見てごらん、君の体重が二倍になっても抱き上げるのは問題ないよ。君が幸せそうに笑っているのが好きなんだ」
「二倍になるのはさすがに困りますわ。努力したことも持って来たドレスも全て無駄になりますし。……でも本当は今も食べることが大好きなので、少しだけ節制をゆるめてもよろしいですか?」
「もちろんだよ。今だってガリガリに近いんだ。国で評判の菓子店だって沢山あるし、良かったら取り寄せるから一緒に食べようよ。私も甘いものは結構好きなんだ」
「まあ素敵な申し出ですわ! 喜んで!」
勢いよく答えて、口ごもる。
「どうしたんだい?」
「申し訳ありません、私は隠し事のお詫びをしに参りましたのに、こんなに浮かれてしまって……」
「だから謝る必要はないだろう。私は大体知っていたんだし」
「そうでしたわね。その、では離婚は……」
「するわけがないだろう。ずっと死ぬまでエマと一緒にイチャイチャすると決めていたんだ私は」
「イチャイチャ……」
絶望感で扉を入ったはずなのに、何故か今はルークもニコニコとご機嫌で、私も絶望とは無縁の幸せな感情で抑え切れず顔が少しにやけてしまっているのを感じる。
よく分からないが、私が必死に隠し切れていたと勘違いしていたアホな女であったという事実だけは、問題が解決した今も変わらない。今夜は自分のバカさ加減を反省するほかない。
とりあえずルークが私の行いを許してくれて、彼も私のことを大好きだったということが分かっただけで、今はこれ以上ないぐらい幸せだった。
こういう時に「妻」という立場は優先的に話を通してもらえるのでこの上なく便利である。もう妻という言葉は使えなくなるかも知れないけれど。
「ルーク様。エマ様がお見えになっておられますが、入室よろしいでしょうか?」
「えっエマが? ケガは? と、とにかく入ってくれ」
慌てたように中からルークが促す声がして、私はベティーと一緒に部屋に入った。
「失礼致します。……ルーク様、お体の様子はいかがでございますか?」
一礼して、ベッドがある辺りに視線を送るが、何だか人が寝ている様子に見えない。
ん? 寝起きだからまだ普段より見えにくいのかしら? まさかまた視力が落ちたの私?
もう少しベッドに近寄ろうとしたら、すぐ横から
「どうしたのエマ?」
とルークの声がして驚きでビクッと体を震わせてしまう。
「し、失礼致しました。ご無事で何よりですわ。でもまだお休みになられているとばかり……」
「ケガ自体の治療も済んでるし、そんなに大ケガってわけじゃないからね。休んでいても仕事が溜まる一方だし──それよりもエマの方が傷だらけだったって聞いたけど、歩いて大丈夫なのかい?」
ルークは開いた扉の裏側の方にある丸テーブルに座って、書類に目を通していたようだった。
「私は大丈夫ですわ。少し痛いところもありますけれど、いずれ治りますでしょうし」
ルークは頭に包帯のようなものが巻かれているし、シャツで見えないが右腕の二の腕も包帯が巻かれているのだろう。
想像していたよりも元気そう、というか普段の優しい声だったので、私は嬉しくて涙が出そうだった。だが、大事な話をこれからしようというのに涙など流してる場合ではない。同情を引くつもりで嘘泣きしているとでも思われたくない。
「……ルーク様、あの、今少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか? お話ししたいことがあるのです」
「エマの話はいつでも最優先だよ。それにちょうどひと休みしようと思っていたところだ。エマも紅茶でいいかい?」
「あ、ええ」
ベルを鳴らしてメイドに紅茶を頼むと、ルークは自分の向かいの椅子を引いた。
「足を捻挫していると聞いたよ。負担になるだろうから早く座って」
「ありがとうございます」
私はゆっくりと腰を下ろした。
メイドがお茶を持って来たタイミングでベティーを見上げる。
「ベティー、あなたは廊下で待っていてくれる? そんなに長くはかからないから」
「はい、かしこまりました」
お辞儀をしたベティーが扉を出て行く。大きな声を出さねば外まで話は聞こえないだろう。
「どうしたの? ベティーにも話せないようなことかい?」
ルークが深刻そうな声で不安げに私を見た。
「……いえあの、実は、私はルーク様にずっと隠していたことがございまして。今回すべてお話ししてお詫びさせていただこうと思ったのです」
「いきなりどうしたんだい? それに隠していたことって……」
もう覚悟は決まっていたので、私は頭の中で整理していたことを簡潔に説明した。
・ド近眼で一メートル離れると人の顔の判別すら難しいぐらい目が悪いこと。メガネがあれば見えるが、なにしろ分厚すぎて人前ではかけられないこと。
・足の指の巻き爪のこと。それによって特注の靴しか履けないこと。それを隠すためにクラシカルな昔からあるデザインのドレスしか着られないこと
・淑女にふさわしくない振る舞いだが農作業が好きなこと
・実は犬や猫などもだが、昆虫や爬虫類などの小さな生き物も好きなこと
全部話し終えると、ルークに深々と頭を下げる。
「そして昨日のことでお分かりかと思いますが、護身術など最低限のこともたしなんでおりませんし、大人しくしていろと言われたのに怖くなって馬車を下りて足を捻り……幸い倒れていたルーク様を見つけましたが、し、した、下着を用いて運ぶなどという破廉恥な振る舞いをしてしまう始末」
「いやいやっ、あの、それはね、私もその、後から聞いたけど、もう仕方がないというか、私がこんなにいかつい体だし、エマがとんでもなく全力で努力した結果なわけでっ!」
ルークは手をぶんぶん振って私を庇ってくれるが、むしろ既に聞いていたのかと余計顔に血が上る。私がこんなことを言える身分ではないけれど、そこは軽く流して欲しかったわ。
「──そ、それで、私は、言い訳になってしまうのですが、ルーク様がはずれ妻を迎えたと思われないように、出来る限り頑張って取り繕っていたのですが、今回のような件があると、隠していることが多く役立たずの私では、ルーク様のおそばにいるのにふさわしくないと感じましたの」
「なにを──」
ルークの言葉を遮るように私は話を続けた。
「ですが! 今後決して隠しごとは致しませんし、護身術も習います。そしてより一層見た目にも磨きをかけ、ルーク様の妻としておそばに置いていただいても、遜色ない人間となるべく努力致します! ですから、三カ月、いえ一カ月でも構いませんわ。いったん離婚の話は据え置いていただいて、私の今後の成果を見守っていただけませんでしょうか?」
私の力強い訴えに、ルークはぽかんと口を開けたまま私を見ていた。
そりゃあそうだろう。いきなりこんな一気に妻の秘密を聞いては驚くしかない。もしかすると不快感を抱かれてしまったかも知れない。小出しにするべきだったか? いえそれは出来ないわ。もう愛する人に自分を偽るのはうんざり。
だが、私が考えていた方向ではなく、ルークは驚いていたようだ。
「……あのね、エマ。深刻そうな顔で話していたから一応最後まで黙って聞いていたけど」
「はい」
「昔のことで忘れているかも知れないけれど、子供のころに近眼の話は聞いていたよ私は」
「──え?」
「パーティーの時にリボンを落としてしまったことがあっただろう? 私と一緒に探したこと忘れたかい?」
言われてみればそんな記憶がぼんやりと浮かぶ。
「その時エマは言っていたよ。『最近視力が悪くなって、メガネをかけないと遠くが見えにくいの。だから一緒に探すの手伝ってくれる?』って。そのころはまだ普段はメガネ要らないぐらいだったと思うけれど」
「言って……ましたっけ?」
「うん。私はエマの言葉は大抵覚えてるからね。だからこちらに来た時も、かなり足元を気にしているようだから、あああれからまた視力が落ちたのかなって。でもメガネかけてなかったから、日常の生活には問題ないのかと思っていた」
なんということだろうか。
私はとうの昔に自分で暴露していたことをコロッと忘れて、後生大事に隠していたのか?
「それと、巻き爪の件だけど、ごめん、私は爪じゃなくて、足の骨が悪いのかと思っていた。とても気をつけて歩いているような気がしたからね。勘違いしていて本当に申し訳ない。でも爪ならカットに気をつけることで、それ以上ひどくなることは防げるんだろう?」
「え、ええ。ですが、靴も──」
「別に特注で保護できるならいくらでも特注で作ればいいじゃないか。それともほかに何か問題があるのかい?」
「ドレスも──」
「エマはロングドレスがとても似合うじゃないか。流行が変化しようが、スタンダードなものは時が経っても絶対に廃れないんだよ。だって全てのベースになるものだからね」
「そう、そうですわね。言われてみれば」
ルークが言うと本当に全部が大した問題じゃないように思えて納得しそうになってしまい、慌てて首を振る。持参していた小さなバッグから愛用のメガネを取り出した。
「ご覧くださいませルーク様。これが普段私が使用しているメガネです」
勇気を出してそれを彼の目の前でかけた。ほおら、冗談みたいに分厚いでしょう?
「厚みがあるせいなのかな? エマの綺麗な目が大きく映っていいよね。メガネをすれば文字や私の顔も普通に見えるのかい?」
「はい、それはも──」
ちろん、と伏せていた顔を上げた途端、ルークの整った顔を近距離でしっかり眺めることになり、のけぞってしまった。
「だ、大丈夫かいエマ?」
「大丈夫です、大丈夫ですわ」
ちっとも大丈夫じゃない。素早くメガネを外してバッグにしまう。
今私は心臓が人がなっちゃいけない心拍数になっている。落ち着いて、深呼吸するのよエマ。
「あと、農作業ってベティーが借りていた庭師小屋の裏庭のかな? 別にエマが楽しめるなら好きにやればいいと思うよ。昆虫や爬虫類が好きなのだって別に悪いことじゃないし。あ、でも護身術はやりたいなら止めないけど、出来たら最低限のことぐらいでとどめておいて欲しいなあと思う」
「それはまた何故でしょうか?」
「……私はずっとエマのことを守るために鍛えてたから、君を守れないのは私が嫌だからね」
私のために? よく分からず考え込んでいたら、ルークが苦笑した。
「私も白状しようかな。今はほら、エマは療養中にとても痩せてしまっただろう? 健康になったのはもちろん嬉しいんだけど、以前会った時の君は、美味しそうにおやつを頬張って、体もぷにっと全部柔らかくてふわふわした感じだったじゃないか。だから、大人になってもふんわりした感じを想像しててね。妻になった時に抱き上げてよろめくような夫なんて最低だろう? だから必要以上に鍛えてこんなに圧のある体格になってしまったっていうか……笑ってくれていいよ」
「いえ、ずっと健康でしたわ。太っていた時の方が不健康だったと申しますか……ルーク様と結婚出来るチャンスがあるかもと、病弱設定にするために無理やりダイエットしたんですの。結果的に上手くいったからいいようなものの、私も笑って下さって構いませんわ」
「……え? 私のために痩せたの? なんで?」
「なんでと言われましても、私の方が三つも年上でしたから。そのままだと先に政略結婚の年になってしまうじゃありませんか。病気療養の名目なら、例え数年婚期が遅れたところで認められるというか、両親も体面は保てますし」
ルークは立ち上がり、私のすぐ横にひざまずいた。
「ちょ、少々近すぎますわルーク様」
「ねえエマ。今の話、私の聞き間違いでなければ、文通をしているころから私に好意を持ってくれていたっていうことかな?」
「──恥ずかしながら、昔の食べたい放題でみにくく太っていた私にも、いつ会っても優しくして下さっていたのはルーク様だけだったですから、自然にその、ですね」
「嬉しいよエマ!」
「うぎゃっ!」
ルークに抱きしめられて痛みと緊張で思わず変な声が出た。慌てて体を離したルークが詫びる。
「ご、ごめんケガしていたんだよね。すまなかった! ただエマの気持ちが聞けて、心から嬉しい。ずっと君がこちらに来てからも心に距離があるように感じて寂しかったんだ。本音を言えば、美味しいものを本当に美味しそうに食べるふくよかなエマが好きだったけれど、私のために痩せたなんて聞くと、またもう少し肉をつけてくれとはとても言えないね」
「……私も、ルーク様が以前から憎からず想って下さっていたなんて思いもよりませんでしたわ。あの、もしかして、ふくよかな方がお好きでしたか?」
「いや、エマが健康であることが一番だよ。ただ、体型を維持するために食べたいものをあんまり我慢し過ぎるのはやめていいよ。私を見てごらん、君の体重が二倍になっても抱き上げるのは問題ないよ。君が幸せそうに笑っているのが好きなんだ」
「二倍になるのはさすがに困りますわ。努力したことも持って来たドレスも全て無駄になりますし。……でも本当は今も食べることが大好きなので、少しだけ節制をゆるめてもよろしいですか?」
「もちろんだよ。今だってガリガリに近いんだ。国で評判の菓子店だって沢山あるし、良かったら取り寄せるから一緒に食べようよ。私も甘いものは結構好きなんだ」
「まあ素敵な申し出ですわ! 喜んで!」
勢いよく答えて、口ごもる。
「どうしたんだい?」
「申し訳ありません、私は隠し事のお詫びをしに参りましたのに、こんなに浮かれてしまって……」
「だから謝る必要はないだろう。私は大体知っていたんだし」
「そうでしたわね。その、では離婚は……」
「するわけがないだろう。ずっと死ぬまでエマと一緒にイチャイチャすると決めていたんだ私は」
「イチャイチャ……」
絶望感で扉を入ったはずなのに、何故か今はルークもニコニコとご機嫌で、私も絶望とは無縁の幸せな感情で抑え切れず顔が少しにやけてしまっているのを感じる。
よく分からないが、私が必死に隠し切れていたと勘違いしていたアホな女であったという事実だけは、問題が解決した今も変わらない。今夜は自分のバカさ加減を反省するほかない。
とりあえずルークが私の行いを許してくれて、彼も私のことを大好きだったということが分かっただけで、今はこれ以上ないぐらい幸せだった。
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※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
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