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お忍び【3】

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「……なあトッド」
「トッド、ではなく今はトッド隊長と呼べ。いつどこで誰に聞かれるか分からないだろう? 演技は始めたら最後までやり切れ」
「あ、ああすまない。だがな、口の中の綿が鬱陶しいし、暑いし動きにくくて……」
 私は愚痴をこぼす。もう初夏と言ってもいい季節である。
 体型を太く見せるためのタオルやそれを隠すための厚手の長袖シャツを着て、カツラまで装着していると、ただ歩いているだけで汗が流れてしまう。しかもカツラは目元を隠すために前髪部分は長くなっているため、愛しいエマを眺めるのにも支障がありまくりだ。
 だがトッドには小声でたしなめられた。
「仕方がないでしょう。ルーク様と同じぐらいの身長や体格の方は隊にもゴロゴロいますが、がらりと印象を変えるのは体型と顔、髪型ぐらいしかないのですから。一日でガリガリにはなれないんですから我慢して下さい。気づかれてバレたら困るのはルーク様ですよ? もっと緊迫感を持たねば」
「──そうだったな。私が悪かった」
 エマたちの後ろをゆっくりと歩きながら気を引き締めた。
 それにしてもエマは可愛い。
 何故レイチェルやベティーにはあんなに笑顔を見せるのに、自分には口角を軽く上げるぐらいの冷たい笑みしか見せてくれないのだろう。あんなに手紙をやり取りして心を通じさせたと思っていたのに、やはり昔とは別人のように無骨な大男になってしまったのが問題だろうか。
 私は女性の扱いに慣れてもいないし、体が威圧感を与えがちなのは分かっている。
 だからこそ口調も態度も出来る限り紳士であることを常に心掛けてはいるのだが、エマの緊張感はなかなか解けない。嫌われているとは思わないが、進歩した今でもたまに会う親戚のようなよそよそしさを感じてしまう。どうやったらステップアップしてイチャイチャ出来る関係になれるのか想像もつかない。本当に、愛を育むというのは難しいものである。
「……トッド、隊長、あそこは何の店でしょうか?」
 エマたちが入口で少し立ち止まって揉み合っていたが、そのまま店の中へ進んで行ったのを眺めると、私はトッドに尋ねた。
「ん? ああ、あそこは寝具を扱う店だと思ったが」
「寝具……」
 まさか。まさかまさか。エマがとうとう私と一緒のベッドで眠ろうと夜着を買いに来たのか?
「ルーク様、今夜は、その……寝室でお待ちしておりますわ」
 などと言われたらその場で感極まって卒倒してしまいそうだ。
 私は広がる妄想に目頭が熱くなるが、トッドの視線が痛いような気がして顔を上げた。
「──よもやとは思うが、ろくでもない妄想をしてるんじゃないだろうなマーク?」
「いやまさかそんな!」
「それならいいが。ただでさえエマ様やレイチェル様の護衛もあるのに、こんな変装の手伝いをさせられて仕事中なのに王子にタメ口叩く演技まで求められてるんだから、問題だけは起こさないでくれ。ロバートなんて、『ルーク様にタメ口などとんでもない!』とか言って馬車の番に逃げやがるから、俺に負担が一気にかかってるんだぞ?」
「はい、すみません。気を付けます!」
「分かってくれたらいい」
 そう言いながらも私は少し笑みがこぼれていたようだ。
「何だ?」
「いや、一緒に酒を飲んでいる時のトッド隊長のようで、自分は少し嬉しいであります」
「……何だよ気持ち悪いな。こっちはゴリゴリと神経削られてるってのに……あ、エマ様たちが出て来られた。ん? 大荷物だな」
 その声で店の入口を見ると、エマたちの後ろから店員が大きな袋を抱えて出て来るのが見えて、急いで受け取りに行った。
「ごめんなさいね、本当にちょっとかさばってしまう買い物で」
 エマが私に向かって申し訳なさそうに頭を下げるので、いえ、と小声で言い荷物を店員から受け取った。だが大きさの割にはとても軽い。
 だが流石にこんな大きな夜着はないだろう。私も思い込みが激しいものだ。
 それにしても毛布か何かだろうか? 寝室の寝具はエマが来る前に全部新しい最高級品を用意したが、触り心地とか気に入らなかっただろうか? まあ好みなどもあるだろうしな。
 そんなことを考えつつ馬車まで運び、荷物をロバートに渡すと急いで戻る。
 その後、エマたちは雑貨屋とブティックに向かい、さほど待たずに買い物を済ませた。
 エマが持っていたのは小さな袋一つだけで、これは自分で持つから大丈夫と言われたが、レイチェルは普段滅多に出て来ない大きな町なので、これでもかと洋服を大分買い込んだようだ。
 レイチェルはそれほど散財するタイプではないのだが、やはりお洒落な店が多いと財布も緩みがちなのだろう。エマが寝具の店で購入した大きさの袋の倍ぐらいの紙袋に内心で苦笑した。

「……ふう。人も多いし少し疲れたわね。お茶でも飲んでから帰りましょうか」
 エマがそう言うと、トッドと私へ向かって、
「カフェまで外にいることはないでしょう? 隣のテーブルで一緒にひと休みしましょう。ロバートにはテイクアウトで何か飲み物を買っていけばいいかしらね?」
 と笑みを向けた。
 本当にエマは世界一可愛い。自分にも常にその笑顔を見せてくれればもっと可愛い。
「恐縮ですが、それでは近くでご一緒させて頂きます」
 トッドの声にハッとなり、一緒に頭を下げた。
 辛かった変装ももうすぐ終わりだ。
 離れたところで見守ることが多く、なかなか近くで話を聞く機会もなかったが、せめて最後ぐらいは少しエマの気持ちが分かればいいのだが。



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