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エマもぼちぼちイタい人である

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 ルークからエリック・エルキントン公爵宅への訪問の話を聞いた後、夫婦の寝室に入り、ベッドの上を転げ回りながら、
「聞いてっ! ルークとデートなの! デートなのよ~!」
 と溢れる喜びをベティーに伝えたのだが、
「お気持ちは分かりますが、まずは落ち着いて下さいエマ様」
 と冷静に返され、
「色々と歩いて確かめましたから、王宮内での危険はほぼ回避出来ると確信出来ましたが、初見のお屋敷、初めての町、危険は山積みでございます」
 と諭され我に返った。
 そうだったわ。
 浮かれて失念していたが、メガネのない私は羽をもがれた鳥であり、知らない場所は遊園地のホラーハウスよりも恐ろしい。
 私は一気に現実を突きつけられた気持ちで体を起こし、ベッドに腰掛けた。
「お屋敷の中ならわたくしがサポート出来ますが、流石にルーク様とお二人で外出されるのにお傍に控えていることは出来ませんし、それではデートになりませんわ。陰で護衛も付くでしょうから、一緒に少し離れたところから様子を窺うぐらいは可能でしょうが」
「……不安ねえ」
「ルーク様の前で転ぶことがでございますか?」
「いえ、それもなのだけど、デートなんてしたことがないし何しろ彼と二人きりでしょう? ……興奮しすぎて鼻血が出たりとかしないかしら」
「その時は思い切って貧血を起こしたていでふらりと顔面から倒れましょう。あ、美しいお顔に傷をつけてはいけませんので、寸前で手で顔をカバーするなど工夫して下さい。後から土の泥をささっと頬などにつけておけば隠蔽工作は出来るかと」
「だけど貧血にしても、転んで鼻血って言うのも少々みっともないわよね」
 私は想像してうーん、と唸った。
「……デート相手に興奮し過ぎてセルフで鼻血を出した女と、貧血で倒れて打ち所が悪かったので致し方なく鼻血が出てしまった女、どちらの方がより不名誉だと思われますか?」
「そうね。万が一の際には前のめりで思い切ってダイブすることにするわ。こういう時に痩せておいて良かったと思うわね。昔の私ではとても儚げに、とは行かないもの」
 ──正直自分が倒れた時にルークが私を抱き上げるなんてことがあれば、生涯の輝く思い出にもなる素晴らしいシチュエーションなのだが、興奮が限界突破した私の鼻血が止まらず、美しい記憶どころか凄惨な事故現場のような光景にもなりかねない。願望と破滅は表裏一体、諸刃の剣である。
「ルーク様とのデートで興奮してしまいそうになったら、あの辛かったダイエットの日々を思い出して下さい。すぐに落ち着きます。わたくしがお仕えしてから、エマ様があれほど無気力無感情になったのはあの頃だけですもの」
「……」
 思い出しただけで顔が引き締まった。
 いくら成長期とは言え、時には普通の女性の二倍近い量を楽々と平らげていたのだから、痩せるのはそう簡単ではなかった。
 毎日のおやつがクッキー一枚だけになった時点で涙が止まらなかったし、やりたくもない運動も毎日必須になったことでストレスも溜まった。
 ルークの妻になるための努力でなければ早々に放棄していたと今でも思っている。
 大好きな食べるということ。大好きなルーク。
 人間、どちらかを諦めなければ得られない結果もあるのである。


 そして私たちはエリック・エルキントン公爵の屋敷へと出立した。予定は三日間である。
 王宮から馬車で四時間ほどの距離らしい。
 ベティーやトッドと名乗った第一騎士団長も後ろの馬車に乗っているが、現在私はルークと二人で馬車に乗っている。
 四時間狭い馬車の中で二人きりである。
 油断していると喜びでわなわなと体が震えそうになる。
 ルークに近くで話し掛けられるたびに、心の鎮静化を図るため辛かった日々を思い出さねばならず、正直嬉しいのだか悲しいのだか心がせわしない。これも私がまだ変態なためである。
 しかし、必死で話題を探そうとするのだが、ルークの問いに答えるのが精一杯だ。
「ねえエマ、ウサギは見たことあるかい? とても可愛いんだよ」
「耳の長い動物ですわよね? いえ、知識としてはありますがまだ……」
 食べたことは何度もありますが、とは言いにくい。
 私は動物はもとより魚や昆虫、爬虫類、生き物全て嫌いではない。むしろ好きだ。
 だが子供の頃、馬車で牧場の近くを通過した際に、自分が食べていた牛や羊が動いているところを初めて見てしまった。
 あんなに可愛い生き物を食べていたのだ、と思うとショックで数日食欲がなくなったのだが、やはり美味しいと感じていた気持ちは完全に消え去れず、また食べられるようになった。
 我ながら浅ましいとは思ったけれど、彼らもまた植物などを摂取して生きているのだし、食物は連鎖するものだと学んだ。食肉や加工品を販売して生きている者もいるのだから、食べないことは結果的に働く民の生活が苦しくなるのだ、と割り切ることにした。
 ただ感謝の気持ちは持つようになったものの、口に入る生き物はなるべく見るのは避けたい。
 やはり見てしまうと可愛いので、良心の呵責のようなものが沸き起こるからだ。
 美味しいものは純粋に美味しいと負の感情なしに食べたい。それが食材になったものたちへの敬意だと思っている。
「エリック伯父さんの屋敷の近くに森があってね、ウサギやイノシシなどがいるんだよ。見たことがないなら是非見せたいな」
 どちらも食用ではありませんか。よしましょうよルーク様。
「まあ……楽しみですわ」
 ぽつりぽつりとそんな話をしていたが、休みを取るために仕事を詰めていたというルークが眠そうに目をこすった。ここぞと思い勇気を振り絞って、
「ルーク様、まだ時間は掛かりそうですし、少しお休みになってはいかがですか?」
 と暗に肩を貸しますアピールをしてみた。
 彼が眠っている間だったら、いくら流血しようがハンカチで抑え込めばいいので困らない。
「そうかい? じゃあ悪いけど少しだけ」
 ルークはそう呟くと、私の肩ではなく窓の方に持たれて目を閉じた。
(……彼は大柄だから、今の私の肩では不安なのかも知れないわ)
 残念に思いつつ、待機させていたハンカチはバッグに戻した。

 でも彼の寝顔を間近で長時間眺められるのだから、肩を貸さないでおいてむしろ正解ではないかと思う。いずれは一緒のベッドで眠れるようになるだろうが、今は大変レアなシーンである。
 ルークの寝顔で栄養補給して、エルキントン公爵のところで完璧な淑女を演じるパワーに変えなくては。……それにしてもまつ毛の長いこと。私より長いんじゃないかしら。
 私はそっと彼を眺めながら穏やかな時間を過ごすのだった。



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