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ここはニホンベサルチア連合国。
といっても昔ながらの日本である。
ある日、富士山の麓に空いた穴から異世界の住人が現れ、世界各地にも同様の穴が空いた事で国際問題に発展したが、首脳会議で当時の日本の首相からの、
『魔法で防御されたらおしまいですし戦争にもなりゃしませんよ。ミサイルとか魔物に効くかも分かりませんし、日本の象徴である富士山を焼け野原にする訳には行きません。
まあ害意もないそうなんで、ここは1つ穏便に』
というなあなあの決断が評価され、各地で連合国として異世界の住人との共存関係が築かれる事となる。
それから早数年。
ラノベが存在する国の日本人からしてみれば、獣人や魔物と呼ばれるファンタジーが現実になって大歓迎だった者も多く、「外国人はとりあえずもてなす精神」が根強い年配勢からも、「日本人じゃない人(魔物)」という事でざっくりと理解され、概ね共存関係はどの世界よりも早く構築されていた。
割と大雑把なゆるい国民性であるとも言える。
だがベサルチアの人種(特に男性)は、一途で思い込みや独占欲が強く、思い込んだら命がけのストーカー気質な人種が多い事を、日本人はまだ気づいていない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「美佐緒~、早く行かないと席が悪くなっちゃうわよ」
「待って、ストッキングが伝線しちゃったから予備のに履き替えてるのよー」
職場の同僚であり友人の朋子に急かされるが、慌てている時ほど上手く行かないもので、今度は引き上げた時にウエスト部分に爪を引っ掛けてしまい、おへそに近い部分に穴が開いてしまった。
美佐緒は泣きたくなったが、ふくらはぎと違ってどうせ見えやしないのだ。
全くもう、家に帰ったらお望み通りに捨ててやるともさ、と思いながら更衣室を飛び出した。
「ほらほら、行くよー」
「朋子ほんとゴメン!」
「いいって。誘ったのは私だし」
2人で足早に会社を出て駅へ向かう。
パンツスーツの朋子は175センチと背も高くてスタイルもいい。
ついでに顔も少しキツメに見えるがとても美人だ。
身長が高い、つまりは足も長いので、彼女が早足になると153センチの私は小走りに近い状態である。
まだ週も半ばの水曜日。
合コンなどをするような週末でもないのに私たちが急いでいるのは、2つ隣の駅でやっているセミナーに参加する為なのである。
日本がニホンベサルチア連合国になって数年。
最初は驚いていたスライムさんやゴブリンさん、犬や猫の獣人さんなども、近頃では街を歩いていたり仕事で走り回っているのを見ているので特別に何かを感じる訳でもなく、外国人を見た時と同じような感覚になっていた。
だが見た目は慣れても異国の人たちである。
独特な生態などは見ているだけでは分からないと、国と会社が費用を補助してくれて、1000円出せば参加できる異文化セミナーというのが定期的に開催される事になったのが1年程前の事だ。
なかなか盛況のようで、特に犬の獣人さんやクマの獣人さんなど所謂【イケモフ】と呼ばれている逞しくて格好いい獣人さんたちが講師の際には、チケットが即日完売するのだそうだ。
今夜の講師の先生は、ワニの獣人さんとキツネの獣人さんだそうなのだが、キツネの獣人さんが今の朋子のイチオシだとかで、是非一緒にあのイケモフを拝んで仕事で疲れた心と体を癒そうと誘ってきたのだ。
私は別にイケモフさんに興味はない。
というか、恋愛よりも学生時代から2次元、アニメやマンガにドはまりしているオタクと呼ばれる女である。
どんな男も次元を変えてから出直して来いと言いたい26歳のいい大人である。
恋人と言う存在も生まれてこのかたとんとお会いした記憶はない。何というか、異性というのが生々しく感じられてしまって余り近寄りたくないのが本音である。
小柄で地味で、髪の毛も染めてないセミロングの黒髪を後ろでくくるだけ。
化粧も大概痒くなって肌荒れしてしまうのでせいぜいリップ位しかつけられず、顔を派手に作る事も出来ない。
モテる要素はほぼないせいだろう。
女友達からは安パイと思われるのか、飲み会やこういうセミナーの誘いは多い。
1つ下の朋子は婚カツしないとぉ、とワタワタしているが、彼女ぐらい美人なら幾らでも相手はいると思うし、ベサルチアの人との国際結婚など考えなくても良さそうなものだが、そう言うと、
「どこで運命の出会いがあるか分からないのよ!国の壁、種族の壁も運命なら乗り越えられるわ!」
と鼻息荒く宣言していた。
朋子はドラマティックな展開に憧れがあるようだ。
私の最近のドラマティックな展開と言えば、推しであるヒーローの友人が、ヒーローを庇ってあっさり死んでしまった時位だろうか。いやああの回を読んだ時にはショックで一晩中涙が止まらなかった。
友人には失恋かと勘違いされていたが、推しと2度とそのマンガでは会えないのだから個人的にはそれ以上の喪失感である。
人の価値観はそれぞれだが、私の推しキャラは何故か短命が多いので、始終永遠の別れを体験させられている。常時運命的な推しとの出会いと未亡人を行ったり来たりしているので、現実的な恋愛をしている暇がないとも言える。
だから、今回のタイミングは推しを亡くした未亡人モードの時だったので、『癒し』という言葉につい反応してしまったのである。
セミナーのやっている駅前ビルの教室の中は、熱気ムンムンという死語が一番ハマる雰囲気で、妙齢のマダムから私たちのような若い世代までまんべんなく教室の椅子を埋め尽くしていた。
総勢で3人掛けのテーブルが左右で10列。60人ものベサルチア人やイケモフに興味のある女性が9割、学術的に興味がある学者風の年配男性が1割といったところか。
私たちも後ろの中央通路側の空き席に腰を下ろした。
「本当に人気があるんだねこのセミナー」
私は朋子に囁いた。
「そうよ。ほら、見てあの先頭のマダムたち。暇なのか毎回のように参加してくるのよ。いっつも前の方で香水プンプンで臭いったらないのよ!」
いっつも参加してくるのを何故知っているのかは敢えて触れないようにして、
「へえ、そうなんだ」
と当たり障りのない返事で誤魔化した。
講師として入ってきたキツネの獣人さんは確かにフレームのない眼鏡がお洒落な顔立ちの整ったイケモフさんだった。薄茶色の耳と尻尾がふわっふわで、あれは確かに触ってみたくなる。
ワニの獣人さんは、アッシュグレイのサラサラの髪の毛をしていて、手足の皮膚がワニのようで、瞳がゴールドで猫のように縦に細長いのが珍しいが、モフモフはしてないのでイケモフではないのだろう。
格好いいというより、童顔で可愛い感じである。
「こんばんはー。今夜は僕、ミカエルとこちらのラルフ君がベサルチアの国と獣人の生態なんかについてお話ししますね」
大きな拍手が響く。
最前列のマダムたちはミカエル先生が推しなのだろう。揺れる尻尾を眺めながら幸せそうに講義を聞いていた。
まだこちらには来ていないドラゴンさんやメデューサさん、ミノタウロスさんなどの話も中々興味深かった。
メデューサさんは蛇を怖がる日本人が多いので魔法で普通の髪の毛に変える特訓中なのだそうだし、ミノタウロスさんも3メートル近い人が多く、1つ目の種族が多いから驚かれるといけないと魔導師について普通の人間サイズに縮めるのと目を2つに見せる幻術を学んでいるらしい。
彼らはおそらく来年位には来られるのではないかとの話だったが、ドラゴンさんは人間に擬態するのは元から出来るものの、魔力量が多いので近くの人間が魔力酔いをしてしまうのだそうで、それを低く抑える訓練をしているので、まだもう少しかかるらしい。
あちらの人はあちらの人で、脆弱な人間に合わせるために結構苦労しているようだ。
「ニホンベサルチア連合国は、ベサルチアの人間や魔物からしたらものすごく平和だし、食べ物は美味しいし文化も発展しているので、かなり人気があるんですよ。
見た目の差別も余りなくて皆さん優しいですし」
ミカエル先生がそういいながら、ご飯が美味しいっていうのはこちらの他の国の人には内緒ですからね? と慌てたように人差し指を唇に当てた。
ラルフ先生も頷きながら、
「魔物でも仕事をしてお金が貰えると食事も好きなものが買えるというのでニホンは順番待ちなんですよ。
特にスライムなんて、デリバリーが多い国なんて荷物を内側に入れて傷をつけることもなく運べますし、内部が異空間になってますから見た目のサイズは変わりませんしね。細い道とかも数センチあればすいすい抜けられますので、最短時間で届けられますし、バイクも要らないからお店側も助かってるようです」
数センチの道は道ではなく「隙間」だと思うのだが、なるほどスライムの内部はそんな特殊な構造なのか。
たまにデリバリーでピザやラーメンなどを頼むが、届けに来たスライムさんの頭上辺りからふよよーんと現れるのを見るたびに、熱くないのかしらとずっと不思議だったが、異空間にあるのなら問題ないのだろう。
感心してメモしている私をワニの獣人ラルフ先生がじっと凝視しているように思ったが、黒目が細いので視線が合ってるかも分からない。勘違いかも知れない。
癒しというのとはちょっと違うが、なかなか充実したセミナーであった。
またあれば参加してみよう。
先生によって話す内容が異なるらしいので、今度はゴブリンの先生とか、ワイバーンの先生とかが良いかも知れない。
90分ほどの講義はあっという間に終わり、先生たちがマダムたちに囲まれているのを横目に会場を出た。
「なかなか興味深いでしょうあっちの話とか。
ミカエル先生もイケモフでイケボだし。ラルフ先生は新顔だけど、いくら可愛くてもモフモフしてないから私はパスだわ」
「ワニの獣人さんがモフモフしてたらおかしいでしょうよ」
「まあそうよね」
個人的にはラルフ先生の肌はひんやりして触り心地が良さそうだと思ったが、ウチの職場には犬の獣人ゴールズさんと猫の獣人ペニーさんしかいない。
会社ではパソコンを使うことが多いので、まんま犬だったり鳥だったり熊だったりする獣人さんは雇えないが、人事部の部長がモフラーなので、恐らく面接ではラルフ先生は落ちてしまうんだろうなあ、と思った。
爬虫類系の獣人さんはなかなか会う事がなかったので、今回は会えて良かったなー、などと呑気に思っていたのだが。
◇ ◇ ◇
「あ! こんばんは美佐緒さん!」
「あれ、ラルフ先生またお会いしましたね」
あれから1ヶ月余り。
私はベサルチアのセミナーに少しハマってしまい、何度か違う先生のセミナーに参加するようになったのだが、イケモフがいないと朋子は一緒に行かないので1人で参加することが増えてきた。
完全獣人と呼ばれる、まんま狼だったりまんま大きなカマキリだったりヘビだったりする人たちが、普通に日本語で解説してくれるのは面白かったし(ベサルチアの言語で話しているのが自動的に翻訳されているんだろうけど)、ちょうど推しキャラが亡くなって無気力未亡人モードだった私のいい気分転換になっていたのである。
しかし、何故か毎回名前が載ってなかったラルフ先生がヘルプ講師で来ていたり、参加者で隣に座って来たりして、ここ5回程参加しているセミナーに毎回いる。
今日は完全獣人の蜘蛛さんの「蜘蛛の虹糸が商品になるまで」というマニアックなセミナーで、20人弱の参加者しかいないのに、不思議な事である。
色んなセミナーを見て学ぶのも自分の為なので、とか何とか言っていたが、ラルフ先生のセミナーの次に取った「スライム種の属性の違い」というのに行ったら受付にラルフ先生がいたのだ。
「松原美佐緒さん、と。──あれ、前にセミナー見に来てくれてましたよね?」
まさか後ろの方の席にいたのに覚えられていたとは驚いたが、獣人は視力がいい事が多いらしい。
「それに、わざわざ来て頂いた方々の顔は覚えておきたいですからね。美佐緒さんはちんまりして可愛らしかったですし」
ニッコリ笑いかけられ少々ときめいてしまったが、よくあるリップサービスというものだろう、と動揺を悟られないようにお礼だけしてそそくさと逃げた。
不思議とそれから違う会場でも顔を合わせるようになった。後から思えば明らかに異常な程のエンカウント率だったが、仕事熱心なんだなーとしか思っていなかったのである、今夜までは。
「──さん美佐緒さん、少しだけお時間ありますか?
お茶に付き合ってくれませんか?
少しだけ相談がありまして……」
思った以上に蜘蛛の虹糸の無限性に感心しつつ、セミナーの最後にメモをまとめていた時、横から肩をとんとんと叩かれた。ラルフ先生である。
少し前から話しかけていたらしい。
私は夢中になると集中しすぎて周りへの注意が疎かになる。
「すみませんでした。お茶ぐらいなら別に構いませんが、相談事ですか? 私でお役に立てるかどうか……」
今回のセミナーは私の住むコーポの最寄り駅である。自宅までは10分足らずなので、時間的に余裕もあるし、何と言っても本日は金曜日。
土日休みの人間は週末は心がおおらかになるのである。
駅の傍にある個人経営のコーヒーが美味しいカフェに入り、
「僕が誘ったのでお好きなものを」
と言われ、小腹が空いていたので遠慮なくベーコンチーズのホットサンドとアイスカフェラテを頼む。
ラルフ先生はブレンドだけだった。
「それで、相談事とは一体……」
熱々のホットサンドは熱々のうちに食べたいので先に美味しく食べさせて貰ってからラルフ先生を見た。
私のようなオタクに何のアドバイスが出来るのか不明だが、未亡人モードを何度も経験しているうちに、周囲からは、
「何やら色々な深い体験をしているらしい」
「苦労人と聞いた」
などと言われるようになり、大して話もした事がない人からの相談事を受ける事が増えたので、多分ラルフ先生もそのタイプだろう。
口だけは固いし、ごく真っ当な意見をオブラートに包みまくって伝える事にも慣れた。【何とかの母】的に振る舞えば相手は満足するようだ。
個人的にはかなりメンタル的に疲労するので、食べ物や飲み物位はおごって貰ってもいいだろう。
「……実はこちらに来て思ったのですが、爬虫類系の獣人って、日本人は苦手な人が多いみたいで、何を考えてるか分からないとか、モフモフしてないとか皮膚が冷たいとか色々と言われたりしまして……」
ラルフ先生がとても落ち込んだ様子で話し出した。
むむむ、ちょっと深刻な話だわ。
「……まあ、得意でない方もおられますよね、人それぞれですし」
「僕ももう30歳で適齢期ですので結婚も考えたりするんですが、女性に避けられる事が多くて」
「30歳? 若く見えますねえ。ラルフ先生は私より年下だと思ってました」
「獣人は年による変化がかなり緩やかなので、大学生? とか言われる事もありますが、これでも結構いってるんです」
溜め息をつくラルフ先生は、
「ベサルチアでは女性に避けられるなんて事はなかったのですが、だからといってベサルチアに帰りたいとは思ってないんです。日本が好きですし、仕事も楽しいんです」
「なるほど……」
確かに爬虫類系の顔つきの人は生理的にイヤだと言う女性も割といる。そしてラルフ先生はもろに爬虫類の獣人さんだ。
中途半端に慰めても、こればかりは人の趣味嗜好の問題だから、気長に探して貰うしかない。
だが、これをオブラートに包んだところで根本的な問題は解決しないんだけども。
「それに、僕は鼻もいいもので、こちらの女性の化粧品や香水の匂いが本当にキツくて……頭痛がしてしまうんです。でも、美佐緒さんは殆ど使っておられないので安心できるんです」
匂いかー。それは難儀だなあ。
マダムたちも後ろまで香水の匂いがしてたから、ツラいんだろうねえ。
「私は肌が荒れてしまうので使わないだけですけど、匂いについては正直に打ち明けておいた方がよろしいかと。セミナーでついで話でするのもいいかも知れません。獣人さんは鼻のいい人が多そうですもんね」
「なるほど。セミナーで軽い感じで言えばいいかも知れませんね!」
表情を明るくしたラルフ先生だが、
「でも、美佐緒さんもやっぱり爬虫類系の獣人なんかは苦手なんですよね?」
と問い掛けた。
「へ? 私ですか? いや別に。毛虫やゴキブリとかはダメですけど、トカゲもヘビも触れますし、毒が無ければ特には。
むしろ汗とか余りかかなそうですし、夏場なんかは羨ましいなと思いますよ」
夏場に汗だくでシャツがべっとり背中に張りついてる人を見てから特に男性が苦手になった。
「──でも、結婚したいとは思いませんよね?」
「結婚、ですか……うーん。そもそも考えた事がないので……」
「じゃ、僕と結婚してくれませんか?」
飲んでいたアイスカフェラテが喉に詰まってむせた。
「いや、付き合ってもないですよね私たち?」
「じゃお付き合い前提に結婚して下さい。一生幸せにします貯金も結構マメにしてますし苦労はさせませんし一緒に暮らしてくれれば僕も幸せですしまあ出来たら一緒のベッドでは眠りたいですがあっご飯なんかも僕作るの得意ですし掃除なんかも割とマメにするタイプなんでもうただ僕の傍にいてくれさえすればいいというか存在自体が僕の光というかベサルチアの女神というか初めてセミナーで会った時に魂で感じましたこの人が僕の唯一の人であるともうこれは運命て──」
「ストップストップストップ! 早口すぎて何を言ってるか分からないし」
私は慌てて真剣な眼差しでノンブレス攻撃を仕掛けるラルフ先生を止めた。
「私が爬虫類系が平気だからって事ですか?
いや、他にも結構いると思いますけど」
「だから魂が美佐緒さんだと言ってるんですツガイのシステムってご存じですかまあ日本人にはなかなか理解できない概念だと思うのですが獣人には生涯に一人だけ魂で寄り添える相手と言うのがおりまして一生巡り会えない者も多くてこればかりは運というかまさか日本に僕のツガイがいるとか思わないじゃないですかですよね美佐緒さんもそう思いますよねでももう巡り会ってしまったらその人にしか気持ちが動かないというか他の異性はゴミ以下で美佐緒さんに近づく男性はみんな死ねばいいのにと思いますあっでもでも勿論浮気の心配も全くありませんからそこはご安心下さいでも浮気されたら死にますけど確実に相手殺してから死にますし美佐緒さんがおばあちゃんになって亡くなったら僕もすぐ後を追いますし寂しくないと──」
「とりあえず要点を一言だけお願いします」
「結婚して下さい」
私は頭が痛くなってきた。
後半不穏な言葉がばらまかれていた気もするが、何故付き合ってもいない人といきなり結婚なのか。
「お友だちからとか」
「そういう不安なワードはダメです。お友だちのままで終わるケースがあるとヨンヨンの9月号に書いてありました」
ヨンヨンめ、余計な事を。
「じゃ、お付き合いしてからで」
「入籍してからお付き合いが一番合理的です。
付き合ってから捨てられたら僕死ぬので」
「人の良心を痛めるような事をしたらいけないと思いますけども」
「100歩譲って同棲からの結婚確定でのお付き合いなら耐えられます。僕のマンションいつでも家族が増えてもいいように3LDKですし、明日からでも引っ越して下さって問題ありません」
「私は問題大有りです」
「アニメ、マンガのコレクションも実はかなりあります。読み放題です」
「……何故私の趣味を?」
私は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「僕の趣味でもあります。特に【荒野にて君を思う】は人生のバイブルと言っても過言ではありません。限定の豪華装丁本も持っています」
ドストライク作品来たぁぁぁ。
「……買えなかったのよねアレ。抽選から漏れて……」
「僕のモノは美佐緒さんのモノ。限定版にだけ付いてる小冊子がまた素晴らしいです」
「え? やだ本当に? 見たい見たい!」
口に出して思わずハッとした。
私の弱いところがもろばれだ。
「今夜、読みたくないですか?
僕は直ぐにでも読みたくなるタイプです」
奇遇だな私もだ。
「……借りて帰るのは」
首を横に振られ、だよねえと思う。
私も大切な本をそれも限定版の小冊子を貸すとか無理だわ。
「……他のも読み放題?」
「はい。読み放題は美佐緒さん1人ですが」
私は考えた。
もうツガイだの死ぬだの言っている人が私から離れるとは思えない。
私も死にますと断言してるラルフ先生を見捨てるほど嫌いではない。むしろ本の趣味がドンピシャで好感度が上がったとも言える。
正直に言えば『詰んだ』状態ではあるが、趣味が合う苦手ではない優しい異性(獣人)というのは私にとってもレアなのだ。ここは詰んだとは思わずに運命的な出会いとやらにしておくのが一番だ。
私はリアリストである。
「……是非コレクションを見たいです」
「はい喜んで」
あれから3年。
私はラルフと結婚して男の子にも恵まれた。
結婚する前に付き合い出して早々に同棲に持ち込まれ、親の根回しはすっかり済んでいた状態で3ヶ月もしないうちに入籍し、後日結婚式を挙げたりと予想していた流れとはまるで違っていたが、ラルフはマメで優しく、生まれた子供は目がラルフそっくりだが後は私の血を引いたのか体の皮膚は人と同じだ。
子供を寝かしつけた後に2人でマンガを読んだりアニメを見ては楽しむ生活は楽しい。
買い物も若い男性がいるところはダメとか、女友だちとのお泊まり旅行などもってのほかとか言われるし、長時間離れると本当に体調を崩したりするのは困りものだが、私も結婚してからより好きになったので、束縛もまあ許している。
色々と通過しないといけないところをすっ飛ばしているが、これもまあ幸せだからアリかなと思う。
朋子が猛アピールされたとかで、セミナーのキツネの獣人のミカエル先生ではなく、ウサギの獣人男性の先生と付き合う事になったとメールが来ていたが、多分逃げ切れないだろう。運命的な出会いおめ。
結婚祝いは何にするかなあ。
私は夕食を作りながらラルフと相談するか、と彼の帰りを待つのだった。
といっても昔ながらの日本である。
ある日、富士山の麓に空いた穴から異世界の住人が現れ、世界各地にも同様の穴が空いた事で国際問題に発展したが、首脳会議で当時の日本の首相からの、
『魔法で防御されたらおしまいですし戦争にもなりゃしませんよ。ミサイルとか魔物に効くかも分かりませんし、日本の象徴である富士山を焼け野原にする訳には行きません。
まあ害意もないそうなんで、ここは1つ穏便に』
というなあなあの決断が評価され、各地で連合国として異世界の住人との共存関係が築かれる事となる。
それから早数年。
ラノベが存在する国の日本人からしてみれば、獣人や魔物と呼ばれるファンタジーが現実になって大歓迎だった者も多く、「外国人はとりあえずもてなす精神」が根強い年配勢からも、「日本人じゃない人(魔物)」という事でざっくりと理解され、概ね共存関係はどの世界よりも早く構築されていた。
割と大雑把なゆるい国民性であるとも言える。
だがベサルチアの人種(特に男性)は、一途で思い込みや独占欲が強く、思い込んだら命がけのストーカー気質な人種が多い事を、日本人はまだ気づいていない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「美佐緒~、早く行かないと席が悪くなっちゃうわよ」
「待って、ストッキングが伝線しちゃったから予備のに履き替えてるのよー」
職場の同僚であり友人の朋子に急かされるが、慌てている時ほど上手く行かないもので、今度は引き上げた時にウエスト部分に爪を引っ掛けてしまい、おへそに近い部分に穴が開いてしまった。
美佐緒は泣きたくなったが、ふくらはぎと違ってどうせ見えやしないのだ。
全くもう、家に帰ったらお望み通りに捨ててやるともさ、と思いながら更衣室を飛び出した。
「ほらほら、行くよー」
「朋子ほんとゴメン!」
「いいって。誘ったのは私だし」
2人で足早に会社を出て駅へ向かう。
パンツスーツの朋子は175センチと背も高くてスタイルもいい。
ついでに顔も少しキツメに見えるがとても美人だ。
身長が高い、つまりは足も長いので、彼女が早足になると153センチの私は小走りに近い状態である。
まだ週も半ばの水曜日。
合コンなどをするような週末でもないのに私たちが急いでいるのは、2つ隣の駅でやっているセミナーに参加する為なのである。
日本がニホンベサルチア連合国になって数年。
最初は驚いていたスライムさんやゴブリンさん、犬や猫の獣人さんなども、近頃では街を歩いていたり仕事で走り回っているのを見ているので特別に何かを感じる訳でもなく、外国人を見た時と同じような感覚になっていた。
だが見た目は慣れても異国の人たちである。
独特な生態などは見ているだけでは分からないと、国と会社が費用を補助してくれて、1000円出せば参加できる異文化セミナーというのが定期的に開催される事になったのが1年程前の事だ。
なかなか盛況のようで、特に犬の獣人さんやクマの獣人さんなど所謂【イケモフ】と呼ばれている逞しくて格好いい獣人さんたちが講師の際には、チケットが即日完売するのだそうだ。
今夜の講師の先生は、ワニの獣人さんとキツネの獣人さんだそうなのだが、キツネの獣人さんが今の朋子のイチオシだとかで、是非一緒にあのイケモフを拝んで仕事で疲れた心と体を癒そうと誘ってきたのだ。
私は別にイケモフさんに興味はない。
というか、恋愛よりも学生時代から2次元、アニメやマンガにドはまりしているオタクと呼ばれる女である。
どんな男も次元を変えてから出直して来いと言いたい26歳のいい大人である。
恋人と言う存在も生まれてこのかたとんとお会いした記憶はない。何というか、異性というのが生々しく感じられてしまって余り近寄りたくないのが本音である。
小柄で地味で、髪の毛も染めてないセミロングの黒髪を後ろでくくるだけ。
化粧も大概痒くなって肌荒れしてしまうのでせいぜいリップ位しかつけられず、顔を派手に作る事も出来ない。
モテる要素はほぼないせいだろう。
女友達からは安パイと思われるのか、飲み会やこういうセミナーの誘いは多い。
1つ下の朋子は婚カツしないとぉ、とワタワタしているが、彼女ぐらい美人なら幾らでも相手はいると思うし、ベサルチアの人との国際結婚など考えなくても良さそうなものだが、そう言うと、
「どこで運命の出会いがあるか分からないのよ!国の壁、種族の壁も運命なら乗り越えられるわ!」
と鼻息荒く宣言していた。
朋子はドラマティックな展開に憧れがあるようだ。
私の最近のドラマティックな展開と言えば、推しであるヒーローの友人が、ヒーローを庇ってあっさり死んでしまった時位だろうか。いやああの回を読んだ時にはショックで一晩中涙が止まらなかった。
友人には失恋かと勘違いされていたが、推しと2度とそのマンガでは会えないのだから個人的にはそれ以上の喪失感である。
人の価値観はそれぞれだが、私の推しキャラは何故か短命が多いので、始終永遠の別れを体験させられている。常時運命的な推しとの出会いと未亡人を行ったり来たりしているので、現実的な恋愛をしている暇がないとも言える。
だから、今回のタイミングは推しを亡くした未亡人モードの時だったので、『癒し』という言葉につい反応してしまったのである。
セミナーのやっている駅前ビルの教室の中は、熱気ムンムンという死語が一番ハマる雰囲気で、妙齢のマダムから私たちのような若い世代までまんべんなく教室の椅子を埋め尽くしていた。
総勢で3人掛けのテーブルが左右で10列。60人ものベサルチア人やイケモフに興味のある女性が9割、学術的に興味がある学者風の年配男性が1割といったところか。
私たちも後ろの中央通路側の空き席に腰を下ろした。
「本当に人気があるんだねこのセミナー」
私は朋子に囁いた。
「そうよ。ほら、見てあの先頭のマダムたち。暇なのか毎回のように参加してくるのよ。いっつも前の方で香水プンプンで臭いったらないのよ!」
いっつも参加してくるのを何故知っているのかは敢えて触れないようにして、
「へえ、そうなんだ」
と当たり障りのない返事で誤魔化した。
講師として入ってきたキツネの獣人さんは確かにフレームのない眼鏡がお洒落な顔立ちの整ったイケモフさんだった。薄茶色の耳と尻尾がふわっふわで、あれは確かに触ってみたくなる。
ワニの獣人さんは、アッシュグレイのサラサラの髪の毛をしていて、手足の皮膚がワニのようで、瞳がゴールドで猫のように縦に細長いのが珍しいが、モフモフはしてないのでイケモフではないのだろう。
格好いいというより、童顔で可愛い感じである。
「こんばんはー。今夜は僕、ミカエルとこちらのラルフ君がベサルチアの国と獣人の生態なんかについてお話ししますね」
大きな拍手が響く。
最前列のマダムたちはミカエル先生が推しなのだろう。揺れる尻尾を眺めながら幸せそうに講義を聞いていた。
まだこちらには来ていないドラゴンさんやメデューサさん、ミノタウロスさんなどの話も中々興味深かった。
メデューサさんは蛇を怖がる日本人が多いので魔法で普通の髪の毛に変える特訓中なのだそうだし、ミノタウロスさんも3メートル近い人が多く、1つ目の種族が多いから驚かれるといけないと魔導師について普通の人間サイズに縮めるのと目を2つに見せる幻術を学んでいるらしい。
彼らはおそらく来年位には来られるのではないかとの話だったが、ドラゴンさんは人間に擬態するのは元から出来るものの、魔力量が多いので近くの人間が魔力酔いをしてしまうのだそうで、それを低く抑える訓練をしているので、まだもう少しかかるらしい。
あちらの人はあちらの人で、脆弱な人間に合わせるために結構苦労しているようだ。
「ニホンベサルチア連合国は、ベサルチアの人間や魔物からしたらものすごく平和だし、食べ物は美味しいし文化も発展しているので、かなり人気があるんですよ。
見た目の差別も余りなくて皆さん優しいですし」
ミカエル先生がそういいながら、ご飯が美味しいっていうのはこちらの他の国の人には内緒ですからね? と慌てたように人差し指を唇に当てた。
ラルフ先生も頷きながら、
「魔物でも仕事をしてお金が貰えると食事も好きなものが買えるというのでニホンは順番待ちなんですよ。
特にスライムなんて、デリバリーが多い国なんて荷物を内側に入れて傷をつけることもなく運べますし、内部が異空間になってますから見た目のサイズは変わりませんしね。細い道とかも数センチあればすいすい抜けられますので、最短時間で届けられますし、バイクも要らないからお店側も助かってるようです」
数センチの道は道ではなく「隙間」だと思うのだが、なるほどスライムの内部はそんな特殊な構造なのか。
たまにデリバリーでピザやラーメンなどを頼むが、届けに来たスライムさんの頭上辺りからふよよーんと現れるのを見るたびに、熱くないのかしらとずっと不思議だったが、異空間にあるのなら問題ないのだろう。
感心してメモしている私をワニの獣人ラルフ先生がじっと凝視しているように思ったが、黒目が細いので視線が合ってるかも分からない。勘違いかも知れない。
癒しというのとはちょっと違うが、なかなか充実したセミナーであった。
またあれば参加してみよう。
先生によって話す内容が異なるらしいので、今度はゴブリンの先生とか、ワイバーンの先生とかが良いかも知れない。
90分ほどの講義はあっという間に終わり、先生たちがマダムたちに囲まれているのを横目に会場を出た。
「なかなか興味深いでしょうあっちの話とか。
ミカエル先生もイケモフでイケボだし。ラルフ先生は新顔だけど、いくら可愛くてもモフモフしてないから私はパスだわ」
「ワニの獣人さんがモフモフしてたらおかしいでしょうよ」
「まあそうよね」
個人的にはラルフ先生の肌はひんやりして触り心地が良さそうだと思ったが、ウチの職場には犬の獣人ゴールズさんと猫の獣人ペニーさんしかいない。
会社ではパソコンを使うことが多いので、まんま犬だったり鳥だったり熊だったりする獣人さんは雇えないが、人事部の部長がモフラーなので、恐らく面接ではラルフ先生は落ちてしまうんだろうなあ、と思った。
爬虫類系の獣人さんはなかなか会う事がなかったので、今回は会えて良かったなー、などと呑気に思っていたのだが。
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「あ! こんばんは美佐緒さん!」
「あれ、ラルフ先生またお会いしましたね」
あれから1ヶ月余り。
私はベサルチアのセミナーに少しハマってしまい、何度か違う先生のセミナーに参加するようになったのだが、イケモフがいないと朋子は一緒に行かないので1人で参加することが増えてきた。
完全獣人と呼ばれる、まんま狼だったりまんま大きなカマキリだったりヘビだったりする人たちが、普通に日本語で解説してくれるのは面白かったし(ベサルチアの言語で話しているのが自動的に翻訳されているんだろうけど)、ちょうど推しキャラが亡くなって無気力未亡人モードだった私のいい気分転換になっていたのである。
しかし、何故か毎回名前が載ってなかったラルフ先生がヘルプ講師で来ていたり、参加者で隣に座って来たりして、ここ5回程参加しているセミナーに毎回いる。
今日は完全獣人の蜘蛛さんの「蜘蛛の虹糸が商品になるまで」というマニアックなセミナーで、20人弱の参加者しかいないのに、不思議な事である。
色んなセミナーを見て学ぶのも自分の為なので、とか何とか言っていたが、ラルフ先生のセミナーの次に取った「スライム種の属性の違い」というのに行ったら受付にラルフ先生がいたのだ。
「松原美佐緒さん、と。──あれ、前にセミナー見に来てくれてましたよね?」
まさか後ろの方の席にいたのに覚えられていたとは驚いたが、獣人は視力がいい事が多いらしい。
「それに、わざわざ来て頂いた方々の顔は覚えておきたいですからね。美佐緒さんはちんまりして可愛らしかったですし」
ニッコリ笑いかけられ少々ときめいてしまったが、よくあるリップサービスというものだろう、と動揺を悟られないようにお礼だけしてそそくさと逃げた。
不思議とそれから違う会場でも顔を合わせるようになった。後から思えば明らかに異常な程のエンカウント率だったが、仕事熱心なんだなーとしか思っていなかったのである、今夜までは。
「──さん美佐緒さん、少しだけお時間ありますか?
お茶に付き合ってくれませんか?
少しだけ相談がありまして……」
思った以上に蜘蛛の虹糸の無限性に感心しつつ、セミナーの最後にメモをまとめていた時、横から肩をとんとんと叩かれた。ラルフ先生である。
少し前から話しかけていたらしい。
私は夢中になると集中しすぎて周りへの注意が疎かになる。
「すみませんでした。お茶ぐらいなら別に構いませんが、相談事ですか? 私でお役に立てるかどうか……」
今回のセミナーは私の住むコーポの最寄り駅である。自宅までは10分足らずなので、時間的に余裕もあるし、何と言っても本日は金曜日。
土日休みの人間は週末は心がおおらかになるのである。
駅の傍にある個人経営のコーヒーが美味しいカフェに入り、
「僕が誘ったのでお好きなものを」
と言われ、小腹が空いていたので遠慮なくベーコンチーズのホットサンドとアイスカフェラテを頼む。
ラルフ先生はブレンドだけだった。
「それで、相談事とは一体……」
熱々のホットサンドは熱々のうちに食べたいので先に美味しく食べさせて貰ってからラルフ先生を見た。
私のようなオタクに何のアドバイスが出来るのか不明だが、未亡人モードを何度も経験しているうちに、周囲からは、
「何やら色々な深い体験をしているらしい」
「苦労人と聞いた」
などと言われるようになり、大して話もした事がない人からの相談事を受ける事が増えたので、多分ラルフ先生もそのタイプだろう。
口だけは固いし、ごく真っ当な意見をオブラートに包みまくって伝える事にも慣れた。【何とかの母】的に振る舞えば相手は満足するようだ。
個人的にはかなりメンタル的に疲労するので、食べ物や飲み物位はおごって貰ってもいいだろう。
「……実はこちらに来て思ったのですが、爬虫類系の獣人って、日本人は苦手な人が多いみたいで、何を考えてるか分からないとか、モフモフしてないとか皮膚が冷たいとか色々と言われたりしまして……」
ラルフ先生がとても落ち込んだ様子で話し出した。
むむむ、ちょっと深刻な話だわ。
「……まあ、得意でない方もおられますよね、人それぞれですし」
「僕ももう30歳で適齢期ですので結婚も考えたりするんですが、女性に避けられる事が多くて」
「30歳? 若く見えますねえ。ラルフ先生は私より年下だと思ってました」
「獣人は年による変化がかなり緩やかなので、大学生? とか言われる事もありますが、これでも結構いってるんです」
溜め息をつくラルフ先生は、
「ベサルチアでは女性に避けられるなんて事はなかったのですが、だからといってベサルチアに帰りたいとは思ってないんです。日本が好きですし、仕事も楽しいんです」
「なるほど……」
確かに爬虫類系の顔つきの人は生理的にイヤだと言う女性も割といる。そしてラルフ先生はもろに爬虫類の獣人さんだ。
中途半端に慰めても、こればかりは人の趣味嗜好の問題だから、気長に探して貰うしかない。
だが、これをオブラートに包んだところで根本的な問題は解決しないんだけども。
「それに、僕は鼻もいいもので、こちらの女性の化粧品や香水の匂いが本当にキツくて……頭痛がしてしまうんです。でも、美佐緒さんは殆ど使っておられないので安心できるんです」
匂いかー。それは難儀だなあ。
マダムたちも後ろまで香水の匂いがしてたから、ツラいんだろうねえ。
「私は肌が荒れてしまうので使わないだけですけど、匂いについては正直に打ち明けておいた方がよろしいかと。セミナーでついで話でするのもいいかも知れません。獣人さんは鼻のいい人が多そうですもんね」
「なるほど。セミナーで軽い感じで言えばいいかも知れませんね!」
表情を明るくしたラルフ先生だが、
「でも、美佐緒さんもやっぱり爬虫類系の獣人なんかは苦手なんですよね?」
と問い掛けた。
「へ? 私ですか? いや別に。毛虫やゴキブリとかはダメですけど、トカゲもヘビも触れますし、毒が無ければ特には。
むしろ汗とか余りかかなそうですし、夏場なんかは羨ましいなと思いますよ」
夏場に汗だくでシャツがべっとり背中に張りついてる人を見てから特に男性が苦手になった。
「──でも、結婚したいとは思いませんよね?」
「結婚、ですか……うーん。そもそも考えた事がないので……」
「じゃ、僕と結婚してくれませんか?」
飲んでいたアイスカフェラテが喉に詰まってむせた。
「いや、付き合ってもないですよね私たち?」
「じゃお付き合い前提に結婚して下さい。一生幸せにします貯金も結構マメにしてますし苦労はさせませんし一緒に暮らしてくれれば僕も幸せですしまあ出来たら一緒のベッドでは眠りたいですがあっご飯なんかも僕作るの得意ですし掃除なんかも割とマメにするタイプなんでもうただ僕の傍にいてくれさえすればいいというか存在自体が僕の光というかベサルチアの女神というか初めてセミナーで会った時に魂で感じましたこの人が僕の唯一の人であるともうこれは運命て──」
「ストップストップストップ! 早口すぎて何を言ってるか分からないし」
私は慌てて真剣な眼差しでノンブレス攻撃を仕掛けるラルフ先生を止めた。
「私が爬虫類系が平気だからって事ですか?
いや、他にも結構いると思いますけど」
「だから魂が美佐緒さんだと言ってるんですツガイのシステムってご存じですかまあ日本人にはなかなか理解できない概念だと思うのですが獣人には生涯に一人だけ魂で寄り添える相手と言うのがおりまして一生巡り会えない者も多くてこればかりは運というかまさか日本に僕のツガイがいるとか思わないじゃないですかですよね美佐緒さんもそう思いますよねでももう巡り会ってしまったらその人にしか気持ちが動かないというか他の異性はゴミ以下で美佐緒さんに近づく男性はみんな死ねばいいのにと思いますあっでもでも勿論浮気の心配も全くありませんからそこはご安心下さいでも浮気されたら死にますけど確実に相手殺してから死にますし美佐緒さんがおばあちゃんになって亡くなったら僕もすぐ後を追いますし寂しくないと──」
「とりあえず要点を一言だけお願いします」
「結婚して下さい」
私は頭が痛くなってきた。
後半不穏な言葉がばらまかれていた気もするが、何故付き合ってもいない人といきなり結婚なのか。
「お友だちからとか」
「そういう不安なワードはダメです。お友だちのままで終わるケースがあるとヨンヨンの9月号に書いてありました」
ヨンヨンめ、余計な事を。
「じゃ、お付き合いしてからで」
「入籍してからお付き合いが一番合理的です。
付き合ってから捨てられたら僕死ぬので」
「人の良心を痛めるような事をしたらいけないと思いますけども」
「100歩譲って同棲からの結婚確定でのお付き合いなら耐えられます。僕のマンションいつでも家族が増えてもいいように3LDKですし、明日からでも引っ越して下さって問題ありません」
「私は問題大有りです」
「アニメ、マンガのコレクションも実はかなりあります。読み放題です」
「……何故私の趣味を?」
私は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「僕の趣味でもあります。特に【荒野にて君を思う】は人生のバイブルと言っても過言ではありません。限定の豪華装丁本も持っています」
ドストライク作品来たぁぁぁ。
「……買えなかったのよねアレ。抽選から漏れて……」
「僕のモノは美佐緒さんのモノ。限定版にだけ付いてる小冊子がまた素晴らしいです」
「え? やだ本当に? 見たい見たい!」
口に出して思わずハッとした。
私の弱いところがもろばれだ。
「今夜、読みたくないですか?
僕は直ぐにでも読みたくなるタイプです」
奇遇だな私もだ。
「……借りて帰るのは」
首を横に振られ、だよねえと思う。
私も大切な本をそれも限定版の小冊子を貸すとか無理だわ。
「……他のも読み放題?」
「はい。読み放題は美佐緒さん1人ですが」
私は考えた。
もうツガイだの死ぬだの言っている人が私から離れるとは思えない。
私も死にますと断言してるラルフ先生を見捨てるほど嫌いではない。むしろ本の趣味がドンピシャで好感度が上がったとも言える。
正直に言えば『詰んだ』状態ではあるが、趣味が合う苦手ではない優しい異性(獣人)というのは私にとってもレアなのだ。ここは詰んだとは思わずに運命的な出会いとやらにしておくのが一番だ。
私はリアリストである。
「……是非コレクションを見たいです」
「はい喜んで」
あれから3年。
私はラルフと結婚して男の子にも恵まれた。
結婚する前に付き合い出して早々に同棲に持ち込まれ、親の根回しはすっかり済んでいた状態で3ヶ月もしないうちに入籍し、後日結婚式を挙げたりと予想していた流れとはまるで違っていたが、ラルフはマメで優しく、生まれた子供は目がラルフそっくりだが後は私の血を引いたのか体の皮膚は人と同じだ。
子供を寝かしつけた後に2人でマンガを読んだりアニメを見ては楽しむ生活は楽しい。
買い物も若い男性がいるところはダメとか、女友だちとのお泊まり旅行などもってのほかとか言われるし、長時間離れると本当に体調を崩したりするのは困りものだが、私も結婚してからより好きになったので、束縛もまあ許している。
色々と通過しないといけないところをすっ飛ばしているが、これもまあ幸せだからアリかなと思う。
朋子が猛アピールされたとかで、セミナーのキツネの獣人のミカエル先生ではなく、ウサギの獣人男性の先生と付き合う事になったとメールが来ていたが、多分逃げ切れないだろう。運命的な出会いおめ。
結婚祝いは何にするかなあ。
私は夕食を作りながらラルフと相談するか、と彼の帰りを待つのだった。
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