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ブレナンの場合。【3】

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「……ふわぁー、と」

 自分の机で推敲していた原稿から目を上げて欠伸を噛み殺しつつ壁掛け時計を見たら、もうすぐ夜の九時を回ろうかという時間になっていた。周囲の席にももう人は居なくなっていた。

(ちょっと頑張りすぎたか……)

 僕は机の上を片付け、帰り支度をする。どうせ外食でもしてアパートに戻って寝るだけだし、そんなに急がなくてもいいんだけど。
 自分の報道部を出て、のんびりと廊下を歩いて行くと、ほぼ暗くなっていた各部署で、一カ所だけ灯りが見えているところがある。文芸部だ。

(あそこはそんなに締め切りに追われるところでもないのにな……)

 不思議に思って覗いてみると、そこで一人作業しているのはリアーナだった。

「──リアーナ」

 彼女の前の机の方から回って軽く手を振った。それでもびくっと肩を揺らした彼女は、僕を見てほっとしたように笑顔になった。

「やだ、ブレナンじゃない! もう、驚かさないでよ」
「僕こそ驚いたよ。こんな時間まで残業かい?」
「……うん。まあね。でもほぼ片付いたところよ。貴方こそ毎日こんな遅くまで?」
「別に帰っても寝るだけだし、区切りのいいところまでと思ってさ」

 机を片付けるリアーナを何となく見ていたが、文芸部ってまだ入社半年の新人にもこんなに仕事を振るのか、というぐらい結構な量の原稿や指示書が載っていた。

「──ねえ、文芸誌って今なんかフェアとかで忙しいの?」
「え? ……ああ、まあ色々とあるのよね。私もまだ慣れないから段取り悪くて。反省しなくちゃね」
「終わったんなら今夜は一緒に夕食でもどう? その後で屋敷まで送るよ。いくら何でもこんな時間に女の子が一人で帰るのは物騒だ」
「やあねえ、私みたいなのを襲うもの好きなんていないわよ、ふふふっ。でもお腹は空いたわ。すぐそばのビストロでビーフシチューでも食べない?」
「賛成。それじゃ、行こうか」

 僕は一人でご飯を食べることにならずに済んで嬉しかった。
 新聞社を出ると、近くの小さなビストロにリアーナと向かった。ここはランチでもよく利用しているが、値段もリーズナブルで好みの味である。顔なじみの店員に挨拶すると、ビーフシチューとパンのセットを二つ頼み、グラスワインも頼んだ。

「仕事終わりだしワインもいいよね、たまには」
「一杯ぐらいなら別に酔わないしね。あらでも赤ワインは苦手じゃなかったの?」
「仕事するようになってから鍛えられたからね。余り強くないけど」

 食事を楽しみつつ、最近読んだ本の話や家族の近況などで途切れることなく話が盛り上がった。やはり幼馴染みというのはお互いを知り尽くしているものである。

「まあ、アナに子供が……おめでたいわねえ!」
「うん。近々発表されると思うから、それまでは内緒にね」
「勿論よ。私は口が岩のように固いのよ?」
「知ってるから言ったんだよ」

 リアーナは昔から内緒だと言ったことは何があっても喋らないので、双子たちはよく相談事をしていたのも知っていた。ただ、自分が陰でクラスメイトの一部にいじめられていたことも全く言わなかったので、暫く僕たちが気づくのに遅れてしまい、そのぐらいは相談しろと怒ったこともある。だがリアーナは、

「あらでも、いじめるぐらいしか自分の主張をする事が出来ない人たちのことで話の時間を使うのって、本当に無駄じゃない時間も労力も。良くあることだもの。私の時間もあなたたちの時間も勿体ないでしょう? 人生は短いんだし」

 と達観した発言をしていた。あの頃まだ彼女は十二か十三。アナが「大人だねーリアーナは」と感心していたが、僕はリアーナが僕らに不快な思いをさせたくないと思っていたのだと思う。いじめていた子たちの中には僕らと遊んだりする子もいたから。当然、分かってから付き合うことはなくなったけど、自分のせいで友人との仲を裂いたようで申し訳ないと反省していたとクロエが言っていた事もある。彼女は芯のある強い女性ではあるが、いつも気を回しすぎで疲れちゃわないかな、と少し心配にもなる。

「仕事はどう? もう慣れた? 新人だからって一生懸命頑張り過ぎるとすぐバテるから気をつけなよ」
「あらありがとう。いつも優しいわねブレナンは。──大丈夫、私は仕事で一流になりたいから、いくらでも頑張る事はあるのよね。両親にも最近は帰りが遅いってブツブツ言われるけど、余り遅いようなら乗り合い馬車も呼ぶしね。早く一人前になるためには努力しないとね。楽して仕事するのはベテランになってからの話よ」
「まだ十七歳だろうリアーナは。相変わらず考えがしっかりしているねえ。僕も見習わないと」
「もうすぐ十八歳よ。あー、屋敷からの通勤だけで片道でも徒歩だと小一時間はかかるし、ブレナンみたいに私も早く独り立ちしたいわ」
「若い女性の一人暮らしは流石にフランおば様が許さないと思うよ? 僕は男だからいいけど、近頃は強盗とか、若い女性の性的被害も増えているそうだから」
「うーん、それは新聞とかでも見るけれど、ただヒースが大きくなってお嫁さん貰うにしても、小姑がいつまでも屋敷に居られても困るじゃない? いずれにせよ出る予定ではあるのだし」
「それにしたって二十歳越えてからにしなよ。それまでは貯金しとくとか。結構出費あるんだぞ、一人暮らしって。僕は屋敷にたまに戻って食費浮かせたりするけど」
「ふふっそうね。リーシャおば様の料理は本当に美味しいものねえ。あんなに素晴らしい作品を書くだけでも凄いのに、料理まで上手くてお綺麗でダークおじ様が一番大好きで。正直女として理想形よね」
「……うん、まあ表向きは理想かも知れないよね。自分のこと綺麗と言われると鳥肌立てるし、執筆したりマンガを描いている時は十年来愛用のボロボロの作業着でウロウロしてたり、目の下クマつけてソファーで丸まってたり、時々テンション上がって変な踊りしてたり、その勢いで壁で突き指してルーシーに怒られたり、完璧じゃないところは多々あるんだけどね」
「リーシャおば様が? 意外だわ……そんなスキのある感じには見えないけど」
「スキだらけさ。まあ外面は父のために鍛えているからね。屋敷の中では、ってこと」
「見てみたいわねえ。まあそれはともかく、最近はご挨拶も出来てないから、今度食事に戻る時に誘ってくれないかしら?」
「分かった。フランおば様達にもよろしく伝えて」

 食事を終えて、乗り合い馬車でリアーナを送り届けると自分のアパートに戻る。
 シャワーを浴びて潜り込んだベッドで、僕は久しぶりに孤独感を感じなかった。気の合う昔からの友人というのは気楽でいいもんだと思う。同じ会社なんだし、これからはもう少しまめに声を掛けよう、そう考えながらいつの間にか深い眠りに落ちていた。



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