夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。

辺野夏子

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そして王女は去る①

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「では、アリー様。ご武運をお祈りいたします。何かあれば、私も後を追いますゆえ」

 ドレスを脱ぎ、騎士の正装に身を包んだエレノアが、ぴしりと一分の隙もない敬礼をした。めずらしく化粧をしているけれど、私より顔色がよくない。

「死にに行くわけではないわ。あなたの方が心配よ」

「は……申し訳ありません。柄にもなく、緊張しておりまして。何しろ三百年のセファイアの歴史の中で初めての事ですから……」

 エレノアが落ちつかなさそうに、ハンカチで額の汗をぬぐった。

「誰も詳細を知らないのだから、私が何か変な事をしたってばれやしないわ」

 私の言葉に、エレノアが少しだけ笑った。

「アリー様は強くなられました」
「世の中の人って、か弱い姫の方がお好みかしら?」
「どうでしょうね。でも、そちらの方が合うと思いますよ」

 何には、ともどことも言わずにエレノアはノックの音に意識をむけた。

 ──今のノックは、巫女を呼ぶ合図だ。地霊契祭の準備はすべてととのった。あとは私という最後のピースをはめるだけ。

「それじゃあ、またね。エレノア」

「……はい、また」

 まるで花嫁衣装のような純白のローブの裾を翻して、私は祭事の馬車に乗り込んだ。城からまっすぐに伸びる道の左右には今までどこにこんなにも人がいたのだろうか、と思うほどに民衆がつめかけ、一目歴史的な瞬間を見ようとしている。

 精霊信仰と言うものはセファイアではすでに形骸化していて、精霊の存在は認識していても、一部の信心深い地域を除き、この行為に対してただの見世物以上の感情を持っていないのは明らかだ。

 きっとみんな、平和で退屈な恵まれた日常に刺激を与えたいのだろう。

 ──そんな願いを持つ彼らにとって、今日は一生忘れられない思い出になるだろう。

 このためだけに建設された聖堂の前に、儀式のための祭壇がある。馬車を降り、真新しい階段を上る。祭壇の中央には大精霊にへの捧げ物──食品やお酒、花、そして巫女の私。

 ひとり、祭壇の中央に立って両腕を広げる。

「この地におわします大精霊様に感謝の舞いと、供物を捧げます」

 花をかたどった意匠の黄金の杖をかざして、儀式の舞を踊る。こんなにも沢山の人がいるのに、不思議なほどに静かで、私の足音と、息遣いだけが聞こえてくる。

 たん、と杖を突き立てたとき、あたり一体に強い光が満ちた。

 ──来た。

『ノエル……』

 喉から発したはずの呟きは、声にならなかった。あまりにも強い魔力の塊が地面の中からのぼってきて、大地が揺れ、おとなしく様子を見守っていた観客からもさすがに悲鳴があがる。

『そなたが、今代の巫女か』

 上空からくぐもった声が聞こえて、観客たちの恐怖の声はますます大きくなった。声は見えないうねりとなって、私の体にまとわりつく。

 まさか本当に大精霊が降臨するとは夢にも思っていなかったのだろう。混乱は増すばかりで、驚いていないのは貴賓席にいる高位貴族ぐらいなものだろう、緊張はしていると思うけれど。

『はい。アリエノール・エレストリア・セファイアと申します』

『セファイアの王女か。……お主は、この国の歴史を、知っておるのだろうな』

 可能な限り神秘的に、美しく見えるように。私は背筋を伸ばして、じっと光の向こうから聞こえてくる声の主を見つめる。

「はい。大精霊さまが大鏡を通して教えてくださったこと、すべて、承知しております」

『それでもなお、強欲なセファイアの娘よ。お前は真実を知ってなお、新たな契約と、繁栄を望むのか』

「はい。望みます」

「……良いだろう。ただし、条件がある」

 条件、という言葉に、人々が一斉に息をのんだ。繁栄の為には代償を払わねばならない──大精霊は無条件に、何をしても人間を愛してくれるわけではないのだと突きつけられたのだ。これから先は、皆そのことを心にとどめて生きて行かねばならなくなる。──ノエルが求めるものは、大して難しくないとは思うけれど。

「……私は王女としてこの国に生まれました。国と、国民のためならばどのような条件も受け入れる覚悟です」

 強烈な光しか見えないけれど、大精霊は確かに、笑った気がした。

『では、いけにえを捧げよ』

「いけにえ……でございますか」

『人間は信用ならん。アリエノール。お前は王女の身分を捨て、我が巫女となり、しもべとしてその短い生涯をエメレットの地ですごすのだ』

 貴賓席から悲鳴が上がった。これもまた、心配し、愛されている証拠だったのだと思い出にしておこう。

「……わかりました。それが大精霊のお望みとあらば。このアリエノール、巫女として一生涯を捧げます」

 ──精霊にとって、人間の一生など瞬きと同じ。私はどれだけ未来に向けて、ノエルによい思い出を残してあげられるだろう。

『では、巫女よ。手を……』

「アリエノール! 君が不幸になる必要は……!」

 光に向かって手を差し出そうとした瞬間、ルベルが護衛の騎士を振り払い、祭壇を駆け上がってきた。彼は彼なりに私のことを考えてくれているのだ。それもまた、時がたてば奇麗な思い出になるだろう。

「ルベル、ありがとう。でも──私の幸不幸は、あなたが決めるものじゃないわ」

 光の中から、小さな、小さな手が私に向かって伸ばされている。

『結ぼう。お前とも、新たな契約を』
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