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あなた色に染められるのはいやです

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 薬が効いてきたのを見計らって、巫女としての準備が始まることになった。

 ──とは言っても、特にすることはない。

 建国してから始めて行われる神事で、歴史もなにもあったものではないからだ。

 精霊というものは、おおよそ人間の前に姿を現す事が極端に珍しい存在で、もはや精霊がふたたびやって来るかどうか、大地に恵みを与えてくれるかどうか──そのことを、真剣に受け止めている国民は少ないというのが王家の見解だ。

 ──私は由緒ある血統の姫として美しい衣装を着て、舞と供物を奉納し、国民にこれからもセファイア王家がこの国を治めますよ、とアピールするための看板の役目だ。

 ただ、初代の巫女カリナが精霊を呼び出すために使ったと言われる由緒ある大鏡が普段は王族でさえおいそれと出入りをしない場所に奉られている。今、その神殿への道は綺麗に清掃され、巫女の訪れを待っているらしい。

 大鏡は覗き込むものの魔力を吸うと言われていて、そこで祈りを捧げるのは体内に魔力がこもってしまう私にはぴったりの公務と言うわけだ。


「王女殿下は本当にお美しい方ですね。エメレット保守のために出向されてからも、あのまま王都で成長されていたらどれほどの美姫に成長したか、と何度も惜しまれていらっしゃいました」

 湯浴みの手伝いをしていたメイドが、ため息交じりにそう語りかけてきた。

 彼女は元夫、とか結婚、離婚その他の言葉を出さないように慎重に言葉を選びながら私の身支度をととのえていく。私がエメレット伯爵家に嫁いだことは、まるで触れてはいけない禁じられた過去のようになっているようだ。

「城下町の国民たちの間でも、末の姫様が巫女として立たれるそうだ、どれほどの美しさか、なんとしても良い席で一目だけでもお目にかかりたいと、その話題で持ちきりだそうですよ」

「……褒めてくれて、ありがとう」

 屋敷からあまり出る事もなく、水仕事もしていない私は青白い頬、貧相な体つき、まとめるとすぐに横になれないので降ろしっぱなしの髪──と、まるで幽霊のようだと自分で感じる時があるけれど、見る人によってはそれはたおやかで、華奢で儚い深窓の令嬢のように見えるらしい。ものは言いようだ。

「髪の毛を編み込んで、生花を飾ってもよろしいでしょうか?」
「ええ」

 私はひたすらされるがままだ。用意されたやわらかい緑の薄絹で作られたドレスがエメレットの新緑を思い出させて、胸がちくりと痛くなった。


「やあ、王女殿下。元気そうだね。薬は効いている?」

 大鏡の間へとしずしずと向かう途中、ルベルが反対側から歩いてきた。騎士たちを引き連れて、まるで今にも唄い出しそうなほどにご機嫌だ。

「ええ、とっても」

 薄く微笑みながらドレスの袖ををひらひらとさせると、ルベルは満足そうに微笑んだ。

「君はやっぱり、とても綺麗だ。田舎に居た頃より、今の方が何倍も素敵だよ」

 ──そうかしら。

 鏡に映った自分は、確かに華やかにはなっていた。そのかわりに目が死んだ魚のように虚ろなので、とても良くなったとは自画自讃できないのだけれど。

「しかし、緑と言うのはいただけないな。幸が薄そうに見える。次は橙や赤にするといい」

 ルベルが好んで身につけている深紅の上着をとん、と指でつついた。侍女がそれを見て、自分が公爵の意にそぐわぬ選択をしてしまったのだと、慌てる気配がした。

「赤が似合うメイユール公爵の前で、わざわざ同じ色を身につけようと思う女性はいないでしょう」
「おや。それでは、僕がもっと落ち着いた色を着るべきかな。道理で周りに居ない訳だ。君もそうなのかい、アリー」
「ええ。もちろん。目の前に出されても、これはルベルの色だから、って着るのをためらうわ」

 だから侍女を慌てさせるのをやめてね。そう目配せすると、ルベルは薄く微笑んだ。

「話は変わるけれど。国王陛下からお話はあったかい?」
「ええ」

 話は色々あったけれど、ルベルが言いたいのは再婚のことだろう。彼からは嫌がる素振りが微塵も感じられないので、もしかすると私を長年気にしていたのは本当の話だったのかもしれない、ぴんと来ないけれど。

「よかった。……君にも、赤が似合うよ」

 頬に触れようと伸ばされた手を、思わずぴしゃりと叩く。

「触らないで。私、まだあなたの婚約者ではないの」

 ──なんだろう。別に彼の事が嫌いな訳ではないし、手や頬に触れられた事も幾度となくあるのに、彼が新しい夫になるのだと言われても喜べないどころか、発作的に嫌だと思ってしまう自分がいる。

「で、殿下……」

 今の私は伯爵夫人でなく王女なので、公爵に強く出たところで咎める人はいない。けれどそれはさすがに……と侍女がおろおろとしている。彼女には気の毒な事ばかりしてしまっているのが申し訳ない。

 意外なことにルベルは私の拒絶に気を悪くした様子はない。叩かれた手を撫でながら、相変わらず薄く微笑んでいる。

「……てっきり泣き暮らしていると思ったから、アリーが元気いっぱいで僕もうれしいよ」

「ええ。薬がよく効いているから。カシウスには感謝をしなくてはね」
「次に伯爵に会うことがあったら、僕からもお礼を言っておくよ」

「──お礼は、直接言う事にするわ」

 ルベルから目を背けるようにして、私は大鏡の間までやってきた。

 扉を開けるとひんやりとした空気が頬を包む。清掃はされているけれど、どこかもの悲しい雰囲気だ。

 触れてみると、確かに少しだけ魔力を感じる。そのままでいると、ほんの少量だが、確実に魔力が吸われていく感覚がある。

 ──しばらく、ここにいようか。

 祈りの姿勢を構えたままぼんやりと大鏡を見つめていると、鏡の表面が、ゆらりとゆらめいた。
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