24 / 40
あなた色に染められるのはいやです
しおりを挟む
薬が効いてきたのを見計らって、巫女としての準備が始まることになった。
──とは言っても、特にすることはない。
建国してから始めて行われる神事で、歴史もなにもあったものではないからだ。
精霊というものは、おおよそ人間の前に姿を現す事が極端に珍しい存在で、もはや精霊がふたたびやって来るかどうか、大地に恵みを与えてくれるかどうか──そのことを、真剣に受け止めている国民は少ないというのが王家の見解だ。
──私は由緒ある血統の姫として美しい衣装を着て、舞と供物を奉納し、国民にこれからもセファイア王家がこの国を治めますよ、とアピールするための看板の役目だ。
ただ、初代の巫女カリナが精霊を呼び出すために使ったと言われる由緒ある大鏡が普段は王族でさえおいそれと出入りをしない場所に奉られている。今、その神殿への道は綺麗に清掃され、巫女の訪れを待っているらしい。
大鏡は覗き込むものの魔力を吸うと言われていて、そこで祈りを捧げるのは体内に魔力がこもってしまう私にはぴったりの公務と言うわけだ。
「王女殿下は本当にお美しい方ですね。エメレット保守のために出向されてからも、あのまま王都で成長されていたらどれほどの美姫に成長したか、と何度も惜しまれていらっしゃいました」
湯浴みの手伝いをしていたメイドが、ため息交じりにそう語りかけてきた。
彼女は元夫、とか結婚、離婚その他の言葉を出さないように慎重に言葉を選びながら私の身支度をととのえていく。私がエメレット伯爵家に嫁いだことは、まるで触れてはいけない禁じられた過去のようになっているようだ。
「城下町の国民たちの間でも、末の姫様が巫女として立たれるそうだ、どれほどの美しさか、なんとしても良い席で一目だけでもお目にかかりたいと、その話題で持ちきりだそうですよ」
「……褒めてくれて、ありがとう」
屋敷からあまり出る事もなく、水仕事もしていない私は青白い頬、貧相な体つき、まとめるとすぐに横になれないので降ろしっぱなしの髪──と、まるで幽霊のようだと自分で感じる時があるけれど、見る人によってはそれはたおやかで、華奢で儚い深窓の令嬢のように見えるらしい。ものは言いようだ。
「髪の毛を編み込んで、生花を飾ってもよろしいでしょうか?」
「ええ」
私はひたすらされるがままだ。用意されたやわらかい緑の薄絹で作られたドレスがエメレットの新緑を思い出させて、胸がちくりと痛くなった。
「やあ、王女殿下。元気そうだね。薬は効いている?」
大鏡の間へとしずしずと向かう途中、ルベルが反対側から歩いてきた。騎士たちを引き連れて、まるで今にも唄い出しそうなほどにご機嫌だ。
「ええ、とっても」
薄く微笑みながらドレスの袖ををひらひらとさせると、ルベルは満足そうに微笑んだ。
「君はやっぱり、とても綺麗だ。田舎に居た頃より、今の方が何倍も素敵だよ」
──そうかしら。
鏡に映った自分は、確かに華やかにはなっていた。そのかわりに目が死んだ魚のように虚ろなので、とても良くなったとは自画自讃できないのだけれど。
「しかし、緑と言うのはいただけないな。幸が薄そうに見える。次は橙や赤にするといい」
ルベルが好んで身につけている深紅の上着をとん、と指でつついた。侍女がそれを見て、自分が公爵の意にそぐわぬ選択をしてしまったのだと、慌てる気配がした。
「赤が似合うメイユール公爵の前で、わざわざ同じ色を身につけようと思う女性はいないでしょう」
「おや。それでは、僕がもっと落ち着いた色を着るべきかな。道理で周りに居ない訳だ。君もそうなのかい、アリー」
「ええ。もちろん。目の前に出されても、これはルベルの色だから、って着るのをためらうわ」
だから侍女を慌てさせるのをやめてね。そう目配せすると、ルベルは薄く微笑んだ。
「話は変わるけれど。国王陛下からお話はあったかい?」
「ええ」
話は色々あったけれど、ルベルが言いたいのは再婚のことだろう。彼からは嫌がる素振りが微塵も感じられないので、もしかすると私を長年気にしていたのは本当の話だったのかもしれない、ぴんと来ないけれど。
「よかった。……君にも、赤が似合うよ」
頬に触れようと伸ばされた手を、思わずぴしゃりと叩く。
「触らないで。私、まだあなたの婚約者ではないの」
──なんだろう。別に彼の事が嫌いな訳ではないし、手や頬に触れられた事も幾度となくあるのに、彼が新しい夫になるのだと言われても喜べないどころか、発作的に嫌だと思ってしまう自分がいる。
「で、殿下……」
今の私は伯爵夫人でなく王女なので、公爵に強く出たところで咎める人はいない。けれどそれはさすがに……と侍女がおろおろとしている。彼女には気の毒な事ばかりしてしまっているのが申し訳ない。
意外なことにルベルは私の拒絶に気を悪くした様子はない。叩かれた手を撫でながら、相変わらず薄く微笑んでいる。
「……てっきり泣き暮らしていると思ったから、アリーが元気いっぱいで僕もうれしいよ」
「ええ。薬がよく効いているから。カシウスには感謝をしなくてはね」
「次に伯爵に会うことがあったら、僕からもお礼を言っておくよ」
「──お礼は、直接言う事にするわ」
ルベルから目を背けるようにして、私は大鏡の間までやってきた。
扉を開けるとひんやりとした空気が頬を包む。清掃はされているけれど、どこかもの悲しい雰囲気だ。
触れてみると、確かに少しだけ魔力を感じる。そのままでいると、ほんの少量だが、確実に魔力が吸われていく感覚がある。
──しばらく、ここにいようか。
祈りの姿勢を構えたままぼんやりと大鏡を見つめていると、鏡の表面が、ゆらりとゆらめいた。
──とは言っても、特にすることはない。
建国してから始めて行われる神事で、歴史もなにもあったものではないからだ。
精霊というものは、おおよそ人間の前に姿を現す事が極端に珍しい存在で、もはや精霊がふたたびやって来るかどうか、大地に恵みを与えてくれるかどうか──そのことを、真剣に受け止めている国民は少ないというのが王家の見解だ。
──私は由緒ある血統の姫として美しい衣装を着て、舞と供物を奉納し、国民にこれからもセファイア王家がこの国を治めますよ、とアピールするための看板の役目だ。
ただ、初代の巫女カリナが精霊を呼び出すために使ったと言われる由緒ある大鏡が普段は王族でさえおいそれと出入りをしない場所に奉られている。今、その神殿への道は綺麗に清掃され、巫女の訪れを待っているらしい。
大鏡は覗き込むものの魔力を吸うと言われていて、そこで祈りを捧げるのは体内に魔力がこもってしまう私にはぴったりの公務と言うわけだ。
「王女殿下は本当にお美しい方ですね。エメレット保守のために出向されてからも、あのまま王都で成長されていたらどれほどの美姫に成長したか、と何度も惜しまれていらっしゃいました」
湯浴みの手伝いをしていたメイドが、ため息交じりにそう語りかけてきた。
彼女は元夫、とか結婚、離婚その他の言葉を出さないように慎重に言葉を選びながら私の身支度をととのえていく。私がエメレット伯爵家に嫁いだことは、まるで触れてはいけない禁じられた過去のようになっているようだ。
「城下町の国民たちの間でも、末の姫様が巫女として立たれるそうだ、どれほどの美しさか、なんとしても良い席で一目だけでもお目にかかりたいと、その話題で持ちきりだそうですよ」
「……褒めてくれて、ありがとう」
屋敷からあまり出る事もなく、水仕事もしていない私は青白い頬、貧相な体つき、まとめるとすぐに横になれないので降ろしっぱなしの髪──と、まるで幽霊のようだと自分で感じる時があるけれど、見る人によってはそれはたおやかで、華奢で儚い深窓の令嬢のように見えるらしい。ものは言いようだ。
「髪の毛を編み込んで、生花を飾ってもよろしいでしょうか?」
「ええ」
私はひたすらされるがままだ。用意されたやわらかい緑の薄絹で作られたドレスがエメレットの新緑を思い出させて、胸がちくりと痛くなった。
「やあ、王女殿下。元気そうだね。薬は効いている?」
大鏡の間へとしずしずと向かう途中、ルベルが反対側から歩いてきた。騎士たちを引き連れて、まるで今にも唄い出しそうなほどにご機嫌だ。
「ええ、とっても」
薄く微笑みながらドレスの袖ををひらひらとさせると、ルベルは満足そうに微笑んだ。
「君はやっぱり、とても綺麗だ。田舎に居た頃より、今の方が何倍も素敵だよ」
──そうかしら。
鏡に映った自分は、確かに華やかにはなっていた。そのかわりに目が死んだ魚のように虚ろなので、とても良くなったとは自画自讃できないのだけれど。
「しかし、緑と言うのはいただけないな。幸が薄そうに見える。次は橙や赤にするといい」
ルベルが好んで身につけている深紅の上着をとん、と指でつついた。侍女がそれを見て、自分が公爵の意にそぐわぬ選択をしてしまったのだと、慌てる気配がした。
「赤が似合うメイユール公爵の前で、わざわざ同じ色を身につけようと思う女性はいないでしょう」
「おや。それでは、僕がもっと落ち着いた色を着るべきかな。道理で周りに居ない訳だ。君もそうなのかい、アリー」
「ええ。もちろん。目の前に出されても、これはルベルの色だから、って着るのをためらうわ」
だから侍女を慌てさせるのをやめてね。そう目配せすると、ルベルは薄く微笑んだ。
「話は変わるけれど。国王陛下からお話はあったかい?」
「ええ」
話は色々あったけれど、ルベルが言いたいのは再婚のことだろう。彼からは嫌がる素振りが微塵も感じられないので、もしかすると私を長年気にしていたのは本当の話だったのかもしれない、ぴんと来ないけれど。
「よかった。……君にも、赤が似合うよ」
頬に触れようと伸ばされた手を、思わずぴしゃりと叩く。
「触らないで。私、まだあなたの婚約者ではないの」
──なんだろう。別に彼の事が嫌いな訳ではないし、手や頬に触れられた事も幾度となくあるのに、彼が新しい夫になるのだと言われても喜べないどころか、発作的に嫌だと思ってしまう自分がいる。
「で、殿下……」
今の私は伯爵夫人でなく王女なので、公爵に強く出たところで咎める人はいない。けれどそれはさすがに……と侍女がおろおろとしている。彼女には気の毒な事ばかりしてしまっているのが申し訳ない。
意外なことにルベルは私の拒絶に気を悪くした様子はない。叩かれた手を撫でながら、相変わらず薄く微笑んでいる。
「……てっきり泣き暮らしていると思ったから、アリーが元気いっぱいで僕もうれしいよ」
「ええ。薬がよく効いているから。カシウスには感謝をしなくてはね」
「次に伯爵に会うことがあったら、僕からもお礼を言っておくよ」
「──お礼は、直接言う事にするわ」
ルベルから目を背けるようにして、私は大鏡の間までやってきた。
扉を開けるとひんやりとした空気が頬を包む。清掃はされているけれど、どこかもの悲しい雰囲気だ。
触れてみると、確かに少しだけ魔力を感じる。そのままでいると、ほんの少量だが、確実に魔力が吸われていく感覚がある。
──しばらく、ここにいようか。
祈りの姿勢を構えたままぼんやりと大鏡を見つめていると、鏡の表面が、ゆらりとゆらめいた。
76
お気に入りに追加
1,609
あなたにおすすめの小説
貴方誰ですか?〜婚約者が10年ぶりに帰ってきました〜
なーさ
恋愛
侯爵令嬢のアーニャ。だが彼女ももう23歳。結婚適齢期も過ぎた彼女だが婚約者がいた。その名も伯爵令息のナトリ。彼が16歳、アーニャが13歳のあの日。戦争に行ってから10年。戦争に行ったまま帰ってこない。毎月送ると言っていた手紙も旅立ってから送られてくることはないし相手の家からも、もう忘れていいと言われている。もう潮時だろうと婚約破棄し、各家族円満の婚約解消。そして王宮で働き出したアーニャ。一年後ナトリは英雄となり帰ってくる。しかしアーニャはナトリのことを忘れてしまっている…!
麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。
スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」
伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。
そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。
──あの、王子様……何故睨むんですか?
人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ!
◇◆◇
無断転載・転用禁止。
Do not repost.
もう一度あなたと?
キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として
働くわたしに、ある日王命が下った。
かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、
ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。
「え?もう一度あなたと?」
国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への
救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。
だって魅了に掛けられなくても、
あの人はわたしになんて興味はなかったもの。
しかもわたしは聞いてしまった。
とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。
OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。
どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。
完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。
生暖かい目で見ていただけると幸いです。
小説家になろうさんの方でも投稿しています。
【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
今日は私の結婚式
豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。
彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる