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王女殿下のささやかな反撃
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夢から醒めた。
けれど、今見ていたものは私の願望ではなく事実なのだとはっきりと理解している。体から魔力がこもった時の熱が消えているのは、ノエルが私の魔力を使ったからだろうから。
──ノエルが、エメレットの森に棲む新しい大精霊なのだろうか?
あれほど強い自我を持ち、エメレットを守護していると言っていた小さいノエル。大精霊か──少なくとも、それに近しい存在であることには間違いがないだろう。
エメレットの当主であるカシウスとノエルの間には、遺恨はないように思えた。だとすれば、私のあの土地での使命はもう終わっているのかもしれない。ノエルは最後に、私に心残りがないようにあの会話を見せてくれたのかもしれない。
カシウスは孤独を抱えながら、ずっと私のために戦っていてくれた。そのことを分かっていたつもりで、その実自分の方が頑張っていると思いこんでいた愚かな私は、すでに必要ないのかもしれない。
離縁届は提出されてしまって、今の私とカシウスにはなんの関係もない。
せめて、彼らが健やかに暮らせるようにこの場所でできることをしなければいけない……。私が泣いて暮らしていたら、せっかくカシウスが努力してくれた事が無駄になってしまうから。
「アリー、調子はどうかしら?」
目尻の涙をぬぐっていると、静かなノックの音がして母がおそるおそる顔を出した。
「落ち着いています」
「お薬を持ってきたの。飲んでちょうだいね」
なんと王妃手ずから薬を持ってきたと言うのだ。親心をありがた迷惑と思うのは親不孝なことだろう。
「ええ、カシウスが苦心して手に入れたお薬ですもの。いただきます」
「エメレット伯爵、よ。もう離縁したのだから、彼に再会しても親しげに声をかけるのはダメよ」
「……この薬で命が繋げるとなれば、彼は命の恩人でしょう」
「それはそうだけれど。私はずっと反対だったのよ。いつまで生きられるか分からないのに、小さなアリーを田舎にやるだなんて。それに結婚と言っても形だけでよかったのに、陛下はアリーをエメレットに置いておけと……」
──その小さなアリーが生きながらえたのは、それこそ一から十までエメレットのおかげだと聞いたら、この人はどんな顔をするだろうか。
「エメレットに手紙を出してもよいですか?」
夢を通して会話を盗み聞きしていたと言われてあまりいい気分にはならないだろうけれど、それでもカシウスに誤解をしていたこと、感謝の気持ちがあることを伝えたい。……未練があるのは、今更伝えても困らせるだけだろう。
私の要望に母は顔をしかめた。王妃としても、母としても認められない、という意味だろう。
「駄目よ。もうあちらの家とは縁が切れたのだから、煩わせてはいけないわ。侍女の事なら、レンズビー伯爵家に連絡して連れ戻すから」
「いいえ、それはエレノアの好きなようにさせてください。……縁が切れたとは言え、長い事過ごしたのですから近況報告のお手紙くらいいいでしょう?」
「伯爵とは一緒に過ごしてないでしょう?」
ぴしゃりとした冷たい言葉に思わず顔をしかめると、母は慌てて、幼子をあやすように猫撫で声を上げた。
「アリー、あなたの結婚は『仕事』だったの。今更過ぎた事で感傷的になることはないのよ」
──ただの仕事で、あんなにも自分の幸福を投げ出してくれる人がいるものか。彼は文句のひとつも言わずに、責任とともに押しつけられた妻を支えてくれていたのだ。他の誰がいいと言っても、私が納得できない。
──本当にいいの? アリエノール。与えられて、指示されて、言う事を聞くお人形のままでいいの?
心の中に問いかけても、もちろん答えはない。私が行動したところでむやみに場を引っかき回すだけかもしれない。でも、機会を与えられたならば、やるだけはやってみよう。
「母上。巫女の件ですが、謹んでお受けさせていただきます」
「まあ……!そう。嬉しいわ」
母は嬉しそうにぱちぱちと手を叩いた。
「三百年ぶりの巫女とは言ってもね、もう精霊信仰は形骸化されているでしょう? 長い時の中で神秘の力は失われ、この国は精霊ではなく人間のものになった。……でも、セファイアの人はやっぱり信心深いわね。陛下は「何としても、エメレットに縁を作ったあの子に巫女となって次世代の橋渡しをして貰わなくては」とかたくななのよ。本当に頑固よね」
母は隣国から嫁いできた人で、この国に生まれ育った人よりは大分精霊に対する畏れと言うものが小さい。だから、体の弱い娘をわざわざ責任のある祭事に駆り出さなくてもいいだろう、と考えるのは自然だ。反対に、この国の王である父が「由緒正しい儀式には王族を」と考える事も。……いささか、父は自分の考えにこだわりすぎな面があるようにも思うけれど。
今はその気持ちを利用させてもらう。巫女になれば、もしかして大精霊が──ノエルが、私の前に姿を現してくれるかもしれないと、淡い期待がある。
どうしてもノエルと直説話をしたい。正攻法で叶わないなら、他の力を借りるまでだ。
「ねえ、巫女になるなら、結婚の話は……」
「それとこれとは別の話ですよ。私はまだ、全てに納得したわけではありませんから」
薬を飲んでしばらくすると、本当に体が楽になった。……私がエメレットで過ごしている間に、世界は随分とめまぐるしく変わったものだ。だから、私が変わったとしても、おかしな事なんて何もない。
けれど、今見ていたものは私の願望ではなく事実なのだとはっきりと理解している。体から魔力がこもった時の熱が消えているのは、ノエルが私の魔力を使ったからだろうから。
──ノエルが、エメレットの森に棲む新しい大精霊なのだろうか?
あれほど強い自我を持ち、エメレットを守護していると言っていた小さいノエル。大精霊か──少なくとも、それに近しい存在であることには間違いがないだろう。
エメレットの当主であるカシウスとノエルの間には、遺恨はないように思えた。だとすれば、私のあの土地での使命はもう終わっているのかもしれない。ノエルは最後に、私に心残りがないようにあの会話を見せてくれたのかもしれない。
カシウスは孤独を抱えながら、ずっと私のために戦っていてくれた。そのことを分かっていたつもりで、その実自分の方が頑張っていると思いこんでいた愚かな私は、すでに必要ないのかもしれない。
離縁届は提出されてしまって、今の私とカシウスにはなんの関係もない。
せめて、彼らが健やかに暮らせるようにこの場所でできることをしなければいけない……。私が泣いて暮らしていたら、せっかくカシウスが努力してくれた事が無駄になってしまうから。
「アリー、調子はどうかしら?」
目尻の涙をぬぐっていると、静かなノックの音がして母がおそるおそる顔を出した。
「落ち着いています」
「お薬を持ってきたの。飲んでちょうだいね」
なんと王妃手ずから薬を持ってきたと言うのだ。親心をありがた迷惑と思うのは親不孝なことだろう。
「ええ、カシウスが苦心して手に入れたお薬ですもの。いただきます」
「エメレット伯爵、よ。もう離縁したのだから、彼に再会しても親しげに声をかけるのはダメよ」
「……この薬で命が繋げるとなれば、彼は命の恩人でしょう」
「それはそうだけれど。私はずっと反対だったのよ。いつまで生きられるか分からないのに、小さなアリーを田舎にやるだなんて。それに結婚と言っても形だけでよかったのに、陛下はアリーをエメレットに置いておけと……」
──その小さなアリーが生きながらえたのは、それこそ一から十までエメレットのおかげだと聞いたら、この人はどんな顔をするだろうか。
「エメレットに手紙を出してもよいですか?」
夢を通して会話を盗み聞きしていたと言われてあまりいい気分にはならないだろうけれど、それでもカシウスに誤解をしていたこと、感謝の気持ちがあることを伝えたい。……未練があるのは、今更伝えても困らせるだけだろう。
私の要望に母は顔をしかめた。王妃としても、母としても認められない、という意味だろう。
「駄目よ。もうあちらの家とは縁が切れたのだから、煩わせてはいけないわ。侍女の事なら、レンズビー伯爵家に連絡して連れ戻すから」
「いいえ、それはエレノアの好きなようにさせてください。……縁が切れたとは言え、長い事過ごしたのですから近況報告のお手紙くらいいいでしょう?」
「伯爵とは一緒に過ごしてないでしょう?」
ぴしゃりとした冷たい言葉に思わず顔をしかめると、母は慌てて、幼子をあやすように猫撫で声を上げた。
「アリー、あなたの結婚は『仕事』だったの。今更過ぎた事で感傷的になることはないのよ」
──ただの仕事で、あんなにも自分の幸福を投げ出してくれる人がいるものか。彼は文句のひとつも言わずに、責任とともに押しつけられた妻を支えてくれていたのだ。他の誰がいいと言っても、私が納得できない。
──本当にいいの? アリエノール。与えられて、指示されて、言う事を聞くお人形のままでいいの?
心の中に問いかけても、もちろん答えはない。私が行動したところでむやみに場を引っかき回すだけかもしれない。でも、機会を与えられたならば、やるだけはやってみよう。
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「まあ……!そう。嬉しいわ」
母は嬉しそうにぱちぱちと手を叩いた。
「三百年ぶりの巫女とは言ってもね、もう精霊信仰は形骸化されているでしょう? 長い時の中で神秘の力は失われ、この国は精霊ではなく人間のものになった。……でも、セファイアの人はやっぱり信心深いわね。陛下は「何としても、エメレットに縁を作ったあの子に巫女となって次世代の橋渡しをして貰わなくては」とかたくななのよ。本当に頑固よね」
母は隣国から嫁いできた人で、この国に生まれ育った人よりは大分精霊に対する畏れと言うものが小さい。だから、体の弱い娘をわざわざ責任のある祭事に駆り出さなくてもいいだろう、と考えるのは自然だ。反対に、この国の王である父が「由緒正しい儀式には王族を」と考える事も。……いささか、父は自分の考えにこだわりすぎな面があるようにも思うけれど。
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どうしてもノエルと直説話をしたい。正攻法で叶わないなら、他の力を借りるまでだ。
「ねえ、巫女になるなら、結婚の話は……」
「それとこれとは別の話ですよ。私はまだ、全てに納得したわけではありませんから」
薬を飲んでしばらくすると、本当に体が楽になった。……私がエメレットで過ごしている間に、世界は随分とめまぐるしく変わったものだ。だから、私が変わったとしても、おかしな事なんて何もない。
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