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出戻り姫の憂鬱②
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「ルベル……? 彼には王位継承権も広い領地もあり、若く健康です。王女とはいえ、今更バツのついた女を妻として求めなくてもよいでしょう」
もっともな返答をしたつもりだったのだけれど、母はころころと、無邪気に笑った。
「鈍感ね。ルベルはずっとあなたの事を気にかけていたのに。そのために決まった婚約者も作らないで……」
彼が私に特別親切であるのはわかっていた。けれど、それはかわいそうな、かよわい生き物を保護してやらねば、という憐憫の情からくるものだと思っていたので、急に向こうが持ちかけて来たのだと言われても、なんだかぴんと来ない。
「結婚にはこりごりです」
ずっとエメレット伯爵夫人である事を自分の矜持としてきたのに、今更他の人とすぐ再婚しなさい、と言われてもはいそうですか、と返事ができるはずもない。
「気の毒なアリエノール。子供の頃から大役を背負わされて、まだ幸せに慣れていないのね、かわいそうに」
母は私が再婚を受け入れないのを、情緒が発達していないせいだと思っているらしく、子供をあやすように頬を撫でた。
「地霊契祭が終わって、収穫祭の時期に王家から出た精霊の巫女と公爵令息の結婚だなんて、国をあげての祝日にしてもいいぐらいだわ」
母は元々夢見がちな人だけれど、この件に関しては妄想がどうにも止まらなくなるらしい。自分の結婚でもないのに、少女のように頬を赤らめてうっとりとしている。
「急にそのような事を一息に言われても、受け入れられません。再婚以前に、祭の前にお迎えが来るかもしれませんし」
私の自虐を、今度は父が笑い飛ばした。
「なんだ、エメレット伯爵から聞いておらんのか。道理で悲観的な物言いだ」
「何をですか?」
「お前の病を食い止める薬があるのだよ」
「……薬?」
「ええ。海の向こうの国だけれどね、そちらの国の王女も同じ病にかかっていて……腕利きの薬師が症状を抑える薬の調合に成功して、あちらは成人されたそうよ。門外不出とされていたそうだけれど、エメレット伯爵が何とか契約を取り付けてくれたのよ。ありがたいことね」
「そ、そんな事のために……伯爵を長い間、領地に戻さなかったと?」
カシウスが五年もの間、領地に戻ってこなかったのは──これなかったのは──私のために、薬を求めていたから……。
「酷いですよ。領主の不在のあいだ、どれだけ領民が心配していたか……」
「私もそう言ったのだがな。これは彼のたっての希望だったのだ。『必ず王女殿下の病を食い止める薬、その手配を取り付けてまいります』とな。領地経営については優秀な部下がお前を補助してくれるから大丈夫、うるさい自分がいない方が彼女ものびのび出来てよいでしょうと」
──カシウスが。彼は自分の意思で故郷を離れたと言うのだ。あんなにも、エメレットの事を愛している彼の居場所を、私が奪い取っていたのだ。
「そんな……」
「あなたは自分の身をもってエメレット伯爵家を守り、領地の管理もしっかりと行ってきた。やっと、そのご褒美がもらえるのよ」
──ご褒美?
母が私の肩を抱いた。目尻には涙がにじんでいて、私のことを大切な娘と思っていることは疑う余地がない。
王女の身分に戻り、何不自由ない都会で暮らして、自分を大切にしてくれるだろう人の妻になる。病を抑える薬があり、突然の死に怯えて暮らす必要もない。
「私、何も知らなくて……」
「あれは真面目な男だからな。お前に期待をさせたくなかったのだろう」
「期待なんて……私、ただ……」
「伯爵に申し訳ないと思っているのね。でも、もういいの。あなたは、幸福になっていいのよ」
──これが、幸福?
父も母も、満足そうに微笑んでいる。彼らは私が幸福の入り口の前にやっと立ったのだと、信じて疑っていない。
──家族を、失ったのに?
「旅の疲れが出たので』と面会を切り上げて寝台に寝転がっている。私の部屋はそのままだ。
ずっとひとりで寝る事に慣れていたはずなのに、ノエルの温かさを知ってしまうと、寝台が随分と広く感じて、じわりじわりと喪失感が込み上げてくる。
──結婚して、エメレット家の人間になったと思っていたのは私だけで、実質はただ、預けられていただけだったらしい。カシウスは私を放置して仕事に邁進していた、と言うのは間違いで、私にエメレットの全権を与えて好きにふるまえるよう気を遣っていたし、仕事の合間に、薬を求めて故郷に戻る暇もなかった。手紙をくれていたのは、彼の精一杯。
──つまり、今までの事はすべて、お膳立てされたおままごとでしかなかった。精一杯努力していたつもりだったけれど、私は彼を支えるどころか、知らず知らずのうちに多大なる負担を強いていた。
「情けない……こと」
ひとりごとに返事をしてくれる人は、誰も、いなかった。
もっともな返答をしたつもりだったのだけれど、母はころころと、無邪気に笑った。
「鈍感ね。ルベルはずっとあなたの事を気にかけていたのに。そのために決まった婚約者も作らないで……」
彼が私に特別親切であるのはわかっていた。けれど、それはかわいそうな、かよわい生き物を保護してやらねば、という憐憫の情からくるものだと思っていたので、急に向こうが持ちかけて来たのだと言われても、なんだかぴんと来ない。
「結婚にはこりごりです」
ずっとエメレット伯爵夫人である事を自分の矜持としてきたのに、今更他の人とすぐ再婚しなさい、と言われてもはいそうですか、と返事ができるはずもない。
「気の毒なアリエノール。子供の頃から大役を背負わされて、まだ幸せに慣れていないのね、かわいそうに」
母は私が再婚を受け入れないのを、情緒が発達していないせいだと思っているらしく、子供をあやすように頬を撫でた。
「地霊契祭が終わって、収穫祭の時期に王家から出た精霊の巫女と公爵令息の結婚だなんて、国をあげての祝日にしてもいいぐらいだわ」
母は元々夢見がちな人だけれど、この件に関しては妄想がどうにも止まらなくなるらしい。自分の結婚でもないのに、少女のように頬を赤らめてうっとりとしている。
「急にそのような事を一息に言われても、受け入れられません。再婚以前に、祭の前にお迎えが来るかもしれませんし」
私の自虐を、今度は父が笑い飛ばした。
「なんだ、エメレット伯爵から聞いておらんのか。道理で悲観的な物言いだ」
「何をですか?」
「お前の病を食い止める薬があるのだよ」
「……薬?」
「ええ。海の向こうの国だけれどね、そちらの国の王女も同じ病にかかっていて……腕利きの薬師が症状を抑える薬の調合に成功して、あちらは成人されたそうよ。門外不出とされていたそうだけれど、エメレット伯爵が何とか契約を取り付けてくれたのよ。ありがたいことね」
「そ、そんな事のために……伯爵を長い間、領地に戻さなかったと?」
カシウスが五年もの間、領地に戻ってこなかったのは──これなかったのは──私のために、薬を求めていたから……。
「酷いですよ。領主の不在のあいだ、どれだけ領民が心配していたか……」
「私もそう言ったのだがな。これは彼のたっての希望だったのだ。『必ず王女殿下の病を食い止める薬、その手配を取り付けてまいります』とな。領地経営については優秀な部下がお前を補助してくれるから大丈夫、うるさい自分がいない方が彼女ものびのび出来てよいでしょうと」
──カシウスが。彼は自分の意思で故郷を離れたと言うのだ。あんなにも、エメレットの事を愛している彼の居場所を、私が奪い取っていたのだ。
「そんな……」
「あなたは自分の身をもってエメレット伯爵家を守り、領地の管理もしっかりと行ってきた。やっと、そのご褒美がもらえるのよ」
──ご褒美?
母が私の肩を抱いた。目尻には涙がにじんでいて、私のことを大切な娘と思っていることは疑う余地がない。
王女の身分に戻り、何不自由ない都会で暮らして、自分を大切にしてくれるだろう人の妻になる。病を抑える薬があり、突然の死に怯えて暮らす必要もない。
「私、何も知らなくて……」
「あれは真面目な男だからな。お前に期待をさせたくなかったのだろう」
「期待なんて……私、ただ……」
「伯爵に申し訳ないと思っているのね。でも、もういいの。あなたは、幸福になっていいのよ」
──これが、幸福?
父も母も、満足そうに微笑んでいる。彼らは私が幸福の入り口の前にやっと立ったのだと、信じて疑っていない。
──家族を、失ったのに?
「旅の疲れが出たので』と面会を切り上げて寝台に寝転がっている。私の部屋はそのままだ。
ずっとひとりで寝る事に慣れていたはずなのに、ノエルの温かさを知ってしまうと、寝台が随分と広く感じて、じわりじわりと喪失感が込み上げてくる。
──結婚して、エメレット家の人間になったと思っていたのは私だけで、実質はただ、預けられていただけだったらしい。カシウスは私を放置して仕事に邁進していた、と言うのは間違いで、私にエメレットの全権を与えて好きにふるまえるよう気を遣っていたし、仕事の合間に、薬を求めて故郷に戻る暇もなかった。手紙をくれていたのは、彼の精一杯。
──つまり、今までの事はすべて、お膳立てされたおままごとでしかなかった。精一杯努力していたつもりだったけれど、私は彼を支えるどころか、知らず知らずのうちに多大なる負担を強いていた。
「情けない……こと」
ひとりごとに返事をしてくれる人は、誰も、いなかった。
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