19 / 40
出戻り姫の憂鬱①
しおりを挟む
……こんなにも急に、別れが来るなんて、考えてはいなかった。
死が二人を分かつまで私はこの地に……いいえ、死んだ後もノエルやカシウス、領民たちの心の中に生き続ける事ができるのだと思っていた。
さよならを言うのは必ず私で、意識が消えてなくなれば悲しいこともなくなる。私は『残す側』であって、あけすけに言うならば、いつも悲しませる側にいるはずの私はもうこれ以上悲しい思いなんてしなくていいのだと傲慢に考えていた。
その結果が今だ。
私はこんなにもあっけなく、なにもかも無くしてしまったのだ……。
「アリー様!」
迎えの馬車に乗り込むと、慌てた様子のエレノアが駆け寄ってきた。片方の手にはトランクを抱えている。エメレットでの始まりも終わりも私と命運を共にするつもりなのだろう。けれど、彼女を連れて行く事は出来ない。
「精霊が旦那様の子に化けたのを看過できなかった我々にも責任があります。必ず旦那様を説得いたします。ですから早まらないでください。こんなにもエメレットに尽くしたアリー様が、この地を追われるように去るなんて……」
「いいの。私は自分の不安を言い訳にして、都合の悪いことから目を逸らして、カシウスの自尊心を傷つけた。離婚を言い渡されて当然よ」
手にはくしゃくしゃに握り潰された離縁届がある。これは悪夢ではなくて現実なのだ。
「私もここではよそ者です。どうか一緒にお連れください」
馬車に手をかけたエレノアの手に、そっと自分の手を重ねる。
「いいの、エレノア。ここに残りなさい。これは命令よ」
「アリー様!」
エレノアは悲痛な声を上げた。
「……いままで、よく仕えてくれたわ。これからはあなたの幸せを見つけてね」
彼女の気持ちはとても嬉しいけれど、離縁を言い渡されたのは私だ。この土地で大人になり、人間関係を築き上げて、配偶者を自分の力で見つけた人たちの邪魔をすることはしたくない。
「アリー様がいなくなるなんて……皆、そのような事は望んでおりません!」
「……いつ、いなくなってもいいように準備はしてきたつもりよ。それが今日と言うだけだわ。命があるだけで儲けものね」
「アリー様、私、私はっ……」
エレノアは私より年上だけれど、私よりもずっと涙もろい。
「たまに森に様子を見に行ってあげて。ノエルには悪気がなかったのだし、きっかけかもしれないけれど、根本的な原因ではないわ。彼女を敬って、大事にしてあげてね」
カシウスは思慮深い人だ。彼が離縁という決断に至ったのだ、数時間の感情的な思考の結果とは思えない。彼はおそらく、そのために戻って来た。離縁について、ずっと考えていたのだ。
「元気でね。……今まで、ありがとう」
これ以上喋ると、未練が残ってしまうと目を逸らした時、書斎の窓からカシウスが私を見送っているのが見えた。視線が合って、カシウスはふいと顔をそむけ、カーテンの陰に体を隠した。
「さよなら……」
別れの言葉は彼には届かない。私の結婚生活は終わりを告げる。
さようなら、私の故郷。
悲しみで心臓が破裂してしまえばいいのにと思うけれど、体はいつも思ったようにはならない。私は発作もなく無事王都に辿り着き、セファイア城で国王である父、王妃である母と再会した。
「おお、アリー。……想像より壮健そうでなによりだ」
「本当に。長旅でしょうに、顔色がよくて安心したわ」
両親に暖かく迎え入れられて正直なところ……困惑している。
あからさまに冷たくされたことはないけれど、内心ではずっと、政略結婚にも公務にも使えない王女だと見捨てられたのだと思っていた。しかし、両親の笑顔を見るとそうではないように思える。私を王都に連れ戻したいと願っている、というルベルの伝言は本当だったのだろうか。
「エメレットのおかげです。向こうは空気が綺麗で、環境の良いところでしたので」
ノエル騒動についてはエメレット領の外へは漏れていないはず。だからカシウスと私は円満に離縁して、両親は私が二人に末期の水を取ってもらうために戻ってきたと思っているだろう。
「そうか、そうか。エメレット伯爵はお前をのびのびさせてくれたと聞いている。彼には、しっかりと礼をつくさねばな」
「よろしくお願いします」
妻としての私がいなくなったあとも、国が建国時からの名家であるエメレット家を厚遇する事は決定事項だ。離婚した女性には半年の結婚禁止期間があるが、男性にはない。すでに、両親はカシウスの再婚相手の目星をつけているのかもしれなかった。
「ああ、良かったわ、アリーが無事に戻って来て。でも旅から戻って来たばかりとは言え、王女にしては地味すぎるわ」
母が私の手を取り、やさしく微笑んだあと、申し訳程度の装飾しかついていない服を見て顔をしかめた。
「このような服の方が、体を締め付けないので具合が悪くなった時にすぐ休めるのです」
「あなたの言い分は分かるわ。けどね、今後のためにもドレスに慣れておかないとね」
「巫女の件、私には荷が重いかと……」
今後と言われても……。両親は私が思っていた以上に楽観主義なようだ──顔を上げると、母の顔が不思議なほどに落ち着いていることに気が付いた。余命わずかな娘を見る目ではないような……。
「いえ、巫女の話もそうだけれど……あなたの結婚の話よ」
「え?」
母の手が、記憶よりもずっと小さい事に気が付いた。なんだかんだと、私の体も成長しているのだ。
「アリエノール、あなたはルベル……メイユール公爵家に嫁ぐのよ」
死が二人を分かつまで私はこの地に……いいえ、死んだ後もノエルやカシウス、領民たちの心の中に生き続ける事ができるのだと思っていた。
さよならを言うのは必ず私で、意識が消えてなくなれば悲しいこともなくなる。私は『残す側』であって、あけすけに言うならば、いつも悲しませる側にいるはずの私はもうこれ以上悲しい思いなんてしなくていいのだと傲慢に考えていた。
その結果が今だ。
私はこんなにもあっけなく、なにもかも無くしてしまったのだ……。
「アリー様!」
迎えの馬車に乗り込むと、慌てた様子のエレノアが駆け寄ってきた。片方の手にはトランクを抱えている。エメレットでの始まりも終わりも私と命運を共にするつもりなのだろう。けれど、彼女を連れて行く事は出来ない。
「精霊が旦那様の子に化けたのを看過できなかった我々にも責任があります。必ず旦那様を説得いたします。ですから早まらないでください。こんなにもエメレットに尽くしたアリー様が、この地を追われるように去るなんて……」
「いいの。私は自分の不安を言い訳にして、都合の悪いことから目を逸らして、カシウスの自尊心を傷つけた。離婚を言い渡されて当然よ」
手にはくしゃくしゃに握り潰された離縁届がある。これは悪夢ではなくて現実なのだ。
「私もここではよそ者です。どうか一緒にお連れください」
馬車に手をかけたエレノアの手に、そっと自分の手を重ねる。
「いいの、エレノア。ここに残りなさい。これは命令よ」
「アリー様!」
エレノアは悲痛な声を上げた。
「……いままで、よく仕えてくれたわ。これからはあなたの幸せを見つけてね」
彼女の気持ちはとても嬉しいけれど、離縁を言い渡されたのは私だ。この土地で大人になり、人間関係を築き上げて、配偶者を自分の力で見つけた人たちの邪魔をすることはしたくない。
「アリー様がいなくなるなんて……皆、そのような事は望んでおりません!」
「……いつ、いなくなってもいいように準備はしてきたつもりよ。それが今日と言うだけだわ。命があるだけで儲けものね」
「アリー様、私、私はっ……」
エレノアは私より年上だけれど、私よりもずっと涙もろい。
「たまに森に様子を見に行ってあげて。ノエルには悪気がなかったのだし、きっかけかもしれないけれど、根本的な原因ではないわ。彼女を敬って、大事にしてあげてね」
カシウスは思慮深い人だ。彼が離縁という決断に至ったのだ、数時間の感情的な思考の結果とは思えない。彼はおそらく、そのために戻って来た。離縁について、ずっと考えていたのだ。
「元気でね。……今まで、ありがとう」
これ以上喋ると、未練が残ってしまうと目を逸らした時、書斎の窓からカシウスが私を見送っているのが見えた。視線が合って、カシウスはふいと顔をそむけ、カーテンの陰に体を隠した。
「さよなら……」
別れの言葉は彼には届かない。私の結婚生活は終わりを告げる。
さようなら、私の故郷。
悲しみで心臓が破裂してしまえばいいのにと思うけれど、体はいつも思ったようにはならない。私は発作もなく無事王都に辿り着き、セファイア城で国王である父、王妃である母と再会した。
「おお、アリー。……想像より壮健そうでなによりだ」
「本当に。長旅でしょうに、顔色がよくて安心したわ」
両親に暖かく迎え入れられて正直なところ……困惑している。
あからさまに冷たくされたことはないけれど、内心ではずっと、政略結婚にも公務にも使えない王女だと見捨てられたのだと思っていた。しかし、両親の笑顔を見るとそうではないように思える。私を王都に連れ戻したいと願っている、というルベルの伝言は本当だったのだろうか。
「エメレットのおかげです。向こうは空気が綺麗で、環境の良いところでしたので」
ノエル騒動についてはエメレット領の外へは漏れていないはず。だからカシウスと私は円満に離縁して、両親は私が二人に末期の水を取ってもらうために戻ってきたと思っているだろう。
「そうか、そうか。エメレット伯爵はお前をのびのびさせてくれたと聞いている。彼には、しっかりと礼をつくさねばな」
「よろしくお願いします」
妻としての私がいなくなったあとも、国が建国時からの名家であるエメレット家を厚遇する事は決定事項だ。離婚した女性には半年の結婚禁止期間があるが、男性にはない。すでに、両親はカシウスの再婚相手の目星をつけているのかもしれなかった。
「ああ、良かったわ、アリーが無事に戻って来て。でも旅から戻って来たばかりとは言え、王女にしては地味すぎるわ」
母が私の手を取り、やさしく微笑んだあと、申し訳程度の装飾しかついていない服を見て顔をしかめた。
「このような服の方が、体を締め付けないので具合が悪くなった時にすぐ休めるのです」
「あなたの言い分は分かるわ。けどね、今後のためにもドレスに慣れておかないとね」
「巫女の件、私には荷が重いかと……」
今後と言われても……。両親は私が思っていた以上に楽観主義なようだ──顔を上げると、母の顔が不思議なほどに落ち着いていることに気が付いた。余命わずかな娘を見る目ではないような……。
「いえ、巫女の話もそうだけれど……あなたの結婚の話よ」
「え?」
母の手が、記憶よりもずっと小さい事に気が付いた。なんだかんだと、私の体も成長しているのだ。
「アリエノール、あなたはルベル……メイユール公爵家に嫁ぐのよ」
56
お気に入りに追加
1,599
あなたにおすすめの小説
懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい
キムラましゅろう
恋愛
ある日突然、ユニカは夫セドリックから別邸に移るように命じられる。
その理由は神託により選定された『聖なる乙女』を婚家であるロレイン公爵家で庇護する事に決まったからだという。
だがじつはユニカはそれら全ての事を事前に知っていた。何故ならユニカは17歳の時から突然予知夢を見るようになったから。
ディアナという娘が聖なる乙女になる事も、自分が他所へ移される事も、セドリックとディアナが恋仲になる事も、そして自分が夫に望まれない妊娠をする事も……。
なのでユニカは決意する。
予知夢で見た事は変えられないとしても、その中で自分なりに最善を尽くし、お腹の子と幸せになれるように頑張ろうと。
そしてセドリックから離婚を突きつけられる頃には立派に自立した自分になって、胸を張って新しい人生を歩いて行こうと。
これは不自然なくらいに周囲の人間に恵まれたユニカが夫から自立するために、アレコレと奮闘……してるようには見えないが、幸せな未来の為に頑張ってジタバタする物語である。
いつもながらの完全ご都合主義、ゆるゆる設定、ノンリアリティなお話です。
宇宙に負けない広いお心でお読み頂けると有難いです。
作中、グリム童話やアンデルセン童話の登場人物と同じ名のキャラで出てきますが、決してご本人ではありません。
また、この異世界でも似たような童話があるという設定の元での物語です。
どうぞツッコミは入れずに生暖かいお心でお読みくださいませ。
血圧上昇の引き金キャラが出てきます。
健康第一。用法、用量を守って正しくお読みください。
妊娠、出産にまつわるワードがいくつか出てきます。
苦手な方はご注意下さい。
小説家になろうさんでも投稿します。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
初夜に前世を思い出した悪役令嬢は復讐方法を探します。
豆狸
恋愛
「すまない、間違えたんだ」
「はあ?」
初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた?
脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ?
なろう様でも公開中です。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!
凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。
紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】
婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。
王命で結婚した相手には、愛する人がいた。
お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。
──私は選ばれない。
って思っていたら。
「改めてきみに求婚するよ」
そう言ってきたのは騎士団長。
きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ?
でもしばらくは白い結婚?
……分かりました、白い結婚、上等です!
【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!
ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】
※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。
※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。
※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。
よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。
※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。
※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)
ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。
====
●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。
【完結】虐待された少女が公爵家の養女になりました
鈴宮ソラ
ファンタジー
オラルト伯爵家に生まれたレイは、水色の髪と瞳という非凡な容姿をしていた。あまりに両親に似ていないため両親は彼女を幼い頃から不気味だと虐待しつづける。
レイは考える事をやめた。辛いだけだから、苦しいだけだから。心を閉ざしてしまった。
十数年後。法官として勤めるエメリック公爵によって伯爵の罪は暴かれた。そして公爵はレイの並外れた才能を見抜き、言うのだった。
「私の娘になってください。」
と。
養女として迎えられたレイは家族のあたたかさを知り、貴族の世界で成長していく。
前題 公爵家の養子になりました~最強の氷魔法まで授かっていたようです~
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる