夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。

辺野夏子

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旦那様はお怒りのようです

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「お帰りなさいませ」

「ええ。アリエノール、長い間領主夫人としての務めを果たしてくれたこと……感謝します」

 五年ぶりに会ったカシウスは随分背が伸びて、立派な青年になっていた。けれど彼は挨拶もそこそこに、じろりとあたりを──正しくは、私の背後にいる使用人たちを見渡している。

「……」

 成長しても仕草は変わらない。──カシウスは、怒っているのだ。この屋敷全体に。皆がその気迫に押し黙っていると、カシウスは再び私に向き直った。

「だんまりでは仕方がない。状況を説明してください、アリエノール。誰の子供がどこに居るですって?」

「カシウス、あなたの子よ」

 カシウスは何か言いかけたのをぐっとこらえるかのように息を吸った。

「……いつからセファイア王国は本人の意思とは関係なく子供が作りだせるようになったんです?」

 まさか、カシウスはノエルを認知するつもりがないのだろうか。いや、彼はきっと子供が出来たことを知らされていないのだ。戸惑うかもしれないけれど、ノエルの愛らしさを見ればきっと……。

「俺の子供が知らないうちに生まれているなんて、そんな事はあり得ない」
「でも……」

「俺があなたに嘘をついた事が今までに一度でもありましたか?」

 そう、カシウスが嘘を言うことはあり得ない。私はそれを知っている。知っているはずなのに……。

 カシウスの冷たい視線は何かを見つけた。彼は私の真横を通り過ぎて、まっすぐ──ノエルの元に向かっている。

 コツ、コツ、コツ。ゆっくりとした革靴の音は、まるで断頭台へと向かう処刑人のようだ。

 後ろ姿だけでもわかる。カシウスはノエルを──逃げ出せないようにエレノアにがっちりと肩を掴まれたノエルをきつく睨み付けている。

 やがて、カシウスはノエルの前で立ち止まった。

「お前は誰だ?」

「……」

 カシウスに問いかけられたノエルは全身に汗をびっしょりかいている。

「えと……あの……その、ノエルは……」
「カシウス、あまりひどい事を言わないで……」

「ノエルは……」

 言葉は続かなかった。ノエルはうつむき、押し黙ってしまった。

「……埓があかない。おい、お前たち。この子供は誰だと言っている」


「旦那様の……隠し子……ではない?」

 なんとか、レイナルトがおそるおそる口を開いた。

「隠し子? 誰が言ったんだ、そんなことを」

 ──誰が、言ったのだろう? 多分、私だ。

「私です。この子が当家の子供になりに来た、と訪ねてきたので、てっきりカシウス……あなたの隠し子が行き場がなくてあなたを頼って来たのかと……」

 私の言葉にほかの人たちが一斉に頷いた。けれど、ノエルは「わたしはカシウス・ディ・エメレットの子供です」だなんてただの一言も言っていなない。

 ──ただ、『このうちのこ』になりにきただけ。


「この俺が、カシウス・ディ・エメレットが、妻を放置して不貞を働いていると!?」

 カシウスの怒号に、より一層室内は静まりかえった。屋敷の人間は誰一人、カシウスがここまで怒ったところを見たことがないだろう。

「この俺が!? 愛人に庶子を産ませて、あまつさえ妻に不貞の子を育てさせようとするような男と!?」

「お……置き去りにしたのは本当ではないですか。その事でずっとアリー様は心を痛めておられた。出自のあやしい子でも、エメレット家のためになるならば面倒を見なくてはとアリー様を追い詰めたのはあなたの行動ですよ」

 脂汗をかきながら硬直したノエルの肩をがっちりと掴んだまま、エレノアが反論した。

「領地の経営を妻と部下に任せ……五年も戻らなかったことは確かに不誠実だった。けれど、そこまで……そこまで俺は、信用がないというのか……」

 カシウスは床にがっくりと跪き、うなだれた。レイナルトの首が壊れかけのおもちゃみたいにゆっくりと動いて、私を見た。

 ──これは、心当たりがある人間の言動ではない。

 レイナルトはそう確信している。

「で、では、このノエルは、誰の子だと言うのです? この瞳はエメレット家の人間にしか見られない、親類縁者は死に絶えたと、この土地の皆が言うから、アリー様はそのような考えに至ったのですよ。それはどう説明するのです」

 エレノアが震えながらも、なんとか疑問を絞り出した。そう考えるだけの状況が揃っていたから、皆はノエルをカシウスの子供だと受け入れたのだ、たとえそれが、突拍子もないことだったとしても。

「……俺には分かる。そいつは人間ではない。森に棲む、精霊だ」
「あ……」

 見開かれたノエルの大きな瞳から、宝石のような大粒の涙がぼろぼろとこぼれて、床にこつん、と音を立てて落ちた。

 ──どんな魔法を使ったとしても、人間の涙が宝石になることはありえない。

 ああ、私が間違っていて、カシウスが正しい。ノエルは人間ではないのだろう。けれど、今更彼女と離れたくはない。カシウスの子供ではなくたって──一緒にいる分には、構わないのではないか。

「ノエル……」

 差し伸べた手をノエルは取らなかった。終わってしまうなんて、考えたくない。

「ノエル……あなたは、うちの子よね……?」

 沈黙の中で、ノエルの小さな口がゆっくりとひらいた。

「ご……ご……ごめんなさいっっ!!」

 ノエルは一声叫ぶと、エレノアの腕の中から霞のように消えてしまった。痕跡ひとつ残さず、まるで最初からその場にいなかったみたいに。

「……」
「消えた?」
「消えた」
「ノエル様が……消えた?」

 あまりの展開に、使用人達はどうしてよいかわからない様子で固まっている。もちろん、私も。

 皆の動揺をよそに、カシウスは深い……深い地の底まで届きそうなため息をついた。彼のこんなに沈んでいる姿を見るのは初めて顔を合わせた時以来だ……。

 カシウスは床に落ちた粒を拾い上げて、顔をしかめた。

「正体を看破されて逃げたな。エメレット家は大精霊の棲む聖地をを守るためこの地にに根付いた。精霊の代替わりが近づき、活動が活発になっているから接触には気を付けろ、と屋敷中に伝えてあったはずだが」

 私をはじめ、皆分かっていることだ。そのはずだったのに、どうして。

 ──いいじゃない。そんなイタズラなら、されたいわ。

「わ……私が、願ったから……」

 私が願ったから精霊は願いに応えてやってきて、その魔力で人々を魅了して、子供として過ごしていたのだ。

「あなたは担がれたんですよ、アリエノール。使い道を持て余した極上の魔力、権力、そしておおらかさ。恰好の獲物だ」

 カシウスの声がなんだかとても、遠くに聞こえた。
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