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7.隠し子の事は、旦那様には内緒です
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「アリー様、正気ですか!」
と、レイナルトが後ろを追いかけてくる。背の高い彼は、いつも私に歩幅を合わせてちょこちょこ歩いていたのに、今は足早に私を追いかけている。つまり、私が普段よりもずっと早く歩いているのだ、驚くべきことに。
力がみなぎっているような気さえするのは、夫の不貞疑惑に対する怒りによるものだろうか? なんだか違う気もする。
「正気よ」
「本当に、あの得体の知れない子供を、このエメレット伯爵家の、アリー様の養子として受け入れると!?」
同じく追いかけてきたエレノアが悲鳴のような声をあげた。
「そうですよ、エレノアの言うとおりです。アリー様、そこまでご自身を卑下なさらないでください。確かにあの子供を屋敷に迎え入れたのは俺たちですが、使用人一同、奥様を大事に思っています。庶子と奥様でしたら俺たちは奥様を取ります。やけになるのはお止めください」
エレノアとレイナルトは私の左右にぴったりとくっついて、すばらしい協調性を見せている。きっと良い夫婦になるだろう。
「あの子が誰の子なのか、はっきりしているでしょう? なら養育義務があるわ」
「それは、その……でも、旦那様が、あの堅物の偏屈が、隠し子を作るような度量があるわけないとまだ納得できなくて……」
レイナルトは前髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「そうですよ。アリー様、子供子供と簡単に言いますが、子供がどのようにして出来るかそもそもご存じなのですか?」
「し、知っているわよ、そのくらい。縁がなくても、知識はあるの」
「では、どうして怒ってくださらないのですか。アリー様を蔑ろにするなんて、偏屈で頑固な根暗男でも、アリー様を尊重する気持ちだけは一緒だと思っていたのに……私に、アリー様がこのような扱いをされるのを黙っていろと言うのですか……!」
エレノアはレイナルトの胸元からハンカチーフをむしり取って、鼻をかんだ。
「だって……仕方ないじゃない? 私はカシウスを責めるつもりは、ないの」
カシウスがこの土地を出て行ったのは五年前。女性をそのまま放り出すことは考えにくい。もしかして、相手の女性は身を引いたのかもしれない。だから、カシウスがその事実を知り得なかったというのは十分にあり得る。恋人が身ごもったのを知らなかったか、あるいは、本妻の怒りを買うことをおそれて自ら身を隠したのか。
ひとつ確かな事は。彼女──ノエルと、カシウスは他人ではないだろう、ということだ。放り出すことはできない。
私だって貴族の妻だ、ある程度の覚悟はしている。──多分。
「私には子供が望めないのだし、カシウスがそんな軽はずみな事をするはずないって信じているわ。きっと彼は、本気なのよ」
私と彼の結婚には愛はなかった。お互いに、大人たちの世界に必要とされるために必死だった。私は爵位の相続と、王家へのパイプを彼に与え、私は役割と、穏やかな暮しを得た。私はそれで一生を全う出来るけれど、カシウスはそうも行かないだろう。
彼にはエメレットの土地と家を守り、次世代に引き継いでいく義務があるのだ。一度疫病によって滅びかけた家だ、備えは早ければ早いほどいい。
「だって、私は妻としての責務を果たせていないから。仕方の無い事よ」
「そんなことは!」
「いいの。ずっと前から……結婚式の日から、彼には言ってあるの。私の事はお気になさらず、と」
ぎゅっと腕を握る。
「彼はこの家を大切に思っているわ。私もそう。跡取りが、この家には必要なの」
「奥様……」
「アリー様……」
「子どもには罪がないわ。あの子を私の養女として育てます。そうすれば、エメレット家は栄えるでしょう。……それに、私がいなくなったあと、あんなにに可愛い子がいれば屋敷も明るくなるわ」
「アリー様、お労しや……」
エレノアはぽろぽろと、琥珀色の瞳から涙をこぼした。彼女が代わりに怒ったり泣いたりしてくれるから、私は前向き担当でいられるのだろう。
「子どもを持てる。それも、あんなに可愛くて利発そうで、夫そっくりの子よ。喜びはすれ、怒るような事じゃないわ」
レイナルトは私を見て、大きくため息をついた。
「わわかりました。奥様の仰せのままに、これから件の子ども、ノエルをエメレット伯爵令嬢として扱う事にいたしましょう。それでは、急ぎ旦那様に連絡を……」
「まって。その件に関しては、もう少し時間を置きたいの」
「え?」
レイナルトは面食らった顔をした。振り回されてとにかく可哀想な彼だけれど、もう少し、この騒ぎに関わってもらう。
「皆、カシウスには驚かされたのだもの、少しぐらいやり返したって構わないでしょう?」
本当に、心臓が口から飛び出そうな程にびっくりしたのだ。意趣返しとして、彼にも驚いてもらわないと。
「秘密にしておくの、カシウスが帰ってくるまで」
夫が戻ってくるまでに、ノエルを一人前の令嬢にする。それが私の使命なのだと、強く信じている。
と、レイナルトが後ろを追いかけてくる。背の高い彼は、いつも私に歩幅を合わせてちょこちょこ歩いていたのに、今は足早に私を追いかけている。つまり、私が普段よりもずっと早く歩いているのだ、驚くべきことに。
力がみなぎっているような気さえするのは、夫の不貞疑惑に対する怒りによるものだろうか? なんだか違う気もする。
「正気よ」
「本当に、あの得体の知れない子供を、このエメレット伯爵家の、アリー様の養子として受け入れると!?」
同じく追いかけてきたエレノアが悲鳴のような声をあげた。
「そうですよ、エレノアの言うとおりです。アリー様、そこまでご自身を卑下なさらないでください。確かにあの子供を屋敷に迎え入れたのは俺たちですが、使用人一同、奥様を大事に思っています。庶子と奥様でしたら俺たちは奥様を取ります。やけになるのはお止めください」
エレノアとレイナルトは私の左右にぴったりとくっついて、すばらしい協調性を見せている。きっと良い夫婦になるだろう。
「あの子が誰の子なのか、はっきりしているでしょう? なら養育義務があるわ」
「それは、その……でも、旦那様が、あの堅物の偏屈が、隠し子を作るような度量があるわけないとまだ納得できなくて……」
レイナルトは前髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「そうですよ。アリー様、子供子供と簡単に言いますが、子供がどのようにして出来るかそもそもご存じなのですか?」
「し、知っているわよ、そのくらい。縁がなくても、知識はあるの」
「では、どうして怒ってくださらないのですか。アリー様を蔑ろにするなんて、偏屈で頑固な根暗男でも、アリー様を尊重する気持ちだけは一緒だと思っていたのに……私に、アリー様がこのような扱いをされるのを黙っていろと言うのですか……!」
エレノアはレイナルトの胸元からハンカチーフをむしり取って、鼻をかんだ。
「だって……仕方ないじゃない? 私はカシウスを責めるつもりは、ないの」
カシウスがこの土地を出て行ったのは五年前。女性をそのまま放り出すことは考えにくい。もしかして、相手の女性は身を引いたのかもしれない。だから、カシウスがその事実を知り得なかったというのは十分にあり得る。恋人が身ごもったのを知らなかったか、あるいは、本妻の怒りを買うことをおそれて自ら身を隠したのか。
ひとつ確かな事は。彼女──ノエルと、カシウスは他人ではないだろう、ということだ。放り出すことはできない。
私だって貴族の妻だ、ある程度の覚悟はしている。──多分。
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私と彼の結婚には愛はなかった。お互いに、大人たちの世界に必要とされるために必死だった。私は爵位の相続と、王家へのパイプを彼に与え、私は役割と、穏やかな暮しを得た。私はそれで一生を全う出来るけれど、カシウスはそうも行かないだろう。
彼にはエメレットの土地と家を守り、次世代に引き継いでいく義務があるのだ。一度疫病によって滅びかけた家だ、備えは早ければ早いほどいい。
「だって、私は妻としての責務を果たせていないから。仕方の無い事よ」
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ぎゅっと腕を握る。
「彼はこの家を大切に思っているわ。私もそう。跡取りが、この家には必要なの」
「奥様……」
「アリー様……」
「子どもには罪がないわ。あの子を私の養女として育てます。そうすれば、エメレット家は栄えるでしょう。……それに、私がいなくなったあと、あんなにに可愛い子がいれば屋敷も明るくなるわ」
「アリー様、お労しや……」
エレノアはぽろぽろと、琥珀色の瞳から涙をこぼした。彼女が代わりに怒ったり泣いたりしてくれるから、私は前向き担当でいられるのだろう。
「子どもを持てる。それも、あんなに可愛くて利発そうで、夫そっくりの子よ。喜びはすれ、怒るような事じゃないわ」
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「まって。その件に関しては、もう少し時間を置きたいの」
「え?」
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「皆、カシウスには驚かされたのだもの、少しぐらいやり返したって構わないでしょう?」
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