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「あちち」

 この部屋にはミトンなんて気の利いたアイテムは存在しないので、熱いものを持つときは服の袖を引っ張るか、清潔なふきんで手を覆って持ち上げる。 

 百合が作った角煮は豚肉が卵大ほどの大きさだ。脂身が少ないので、おそらく仕込みの際に余分な所はカットしているのだろう。脂身の部分はおいしいけれど、食べ過ぎると具合が悪くなるからね。野菜はカレーの具ほどの大きさに乱切りしてある。玉ねぎ、人参、ジャガイモときのこ、煮卵。ご家庭によって入れるものが違うのだと、新鮮な気持ちになる。

 大急ぎで味噌汁とご飯、サラダをテーブルに並べていく。

「あ、すいません、お味噌汁まで。申し訳ないです」
「いやいや、お気になさらずに」

 あたしのやった事と言えばボタンを押し、袋を破いただけだからね、豚肉を切り分けて下茹でして野菜を用意して……とは労力として比べものにならない。

 そういえば、とキッチンの引き出しを開けると奥の方に箸置きが二つ転がっていた。普段は全くと言っていいほどに使用しないが、温泉地へ一人旅をした際、なんとなく購入したものだ。

 皿の上に箸を置くのは「渡し箸」と言い、よろしくない行動らしいのだが、日常的に箸置きを使用するのは、よほど「ていねい」な部類に入るだろうと常々思う。

 しれっと当然のような顔をして箸置きをテーブルに並べると、百合は感心したようにほぉ、とかへぇ、ともつかない声をあげた。

「こうするとお店みたいですね」

 その口ぶりだと、君の部屋にも箸置きはない様子だな、とあたりをつける。なんとか大人のお姉さんらしい所を見せられただろうか。必要以上に格好をつける必要はないけれど、隣人はダメなやつだと判断されるのも悲しいからね。

「よし、できました」
「いただきます」

 百合はそう言って、顔の前で両手を合わせた。つられて自分もいただきます、と返す。むしろあたしがご相伴にあずかる側なのだが。自宅でその言葉を使うのは何年ぶりだろうか、と少しばかり懐かしい気持ちになる。

 そっと箸を入れる。じっくり保温で煮込まれていたからか、肉はさほど抵抗もなく半分に切れた。一口含むと、脂と甘味が口内にあふれていく。ゆっくり噛み締めるごとに、なんとも言えない充足感が広がる。

「美味しいー……」
「ありがとうございます。味付けが変だったらどうしようかと」
「いやあ、いいねこれ。すごくいい。何というか、魂がほっこりする」

 語彙力のかけらもない、食レポだったらNGが出ているだろう返事に、百合は表情を綻ばせた。その様子を見て、カメラが花の開花する瞬間をスローモーションで捉えた映像を思い出す。花が咲くような……との表現はこのような状況で使うのであろう。

 あたしが男だったら今の笑顔で惚れた上に「彼女も俺の事が好きに違いない!」って勘違いしていただろうな。

 などと、とりとめのないことを考えている間に、百合はお椀に口をつけた。多分向こうからすると非常にぼんやりとした女に見えるだろうな、と慌ててご飯を一口食べる。うん、うまい。素材がいいからね。

「お味噌汁、すっごく美味しいです!」
「いや、まあそれフリーズドライだから。ははは」
「こんなに大きな具が入っているのにですか?」
「そうなのよ」

 この商品はそれがいいのだ。ごろっと大きめの具が入っているし、出したのはあたしのお気に入りの「なすの味噌汁」だ。まあ、その分パッケージが大きくてかさばりはするのだが。正直、安い出汁入り味噌を溶かして作った味噌汁よりはこちらの方が断然味に深みがある。あたしより優秀な人々が額を突き合わせてうんうん言いながら商品開発したものなのだ。手軽で高品質。まさに企業努力のたまものと言える。
  
「お米もなんだか味が違う気がします……」
「地元の後輩から送って貰ってるんだ。ゆめぴりか」
「後輩から……?」

 百合は首をかしげた。都会っ子だと「農家の知り合い」は居ないのだろうな、と今更ながらに思い当たる。

「あたし北海道出身でさ、大学でも実家が農家って子が結構いるのよ。帰省の度に軽トラで農作物を持ってきて、それをバイト先とか一人暮らしの同級生に売り捌いている子がいたの。ネット販売もしてます! ってチラシもつけて。商魂たくましいよね」

 実際彼はそれで農協を通さずに直接の販売ルートを確保していたのだから、実家を継がずに普通のサラリーマンになったとしてもあたしより遙かに成功しただろう。

 百合が結構おもしろい、と言いたげな雰囲気で相槌を打ったので、いい気になってべらべらと北海道のことを喋ってしまい、その間彼女はふんふんと頷いていた。

「世の中には色々な人がいるんですね」

 その当たり障りのない返事を聞いて、ふと我に返る。いかんいかん、若い子に延々と自分の武勇伝を語るオッサンってこんな気持ちなのね。こりゃ楽しくて癖になるのも頷ける。 

 途中途中で他愛のない会話を挟みながら、食事は進んでいく。普段何気なく食べているものも、一人ではなく誰かがいるだけで気持ちがしゃんとして背筋が伸びる。一家団欒ってこういう感じだったな、確か。いや、彼女とあたしは家族でもなんでもないのだけれどね。

 食後に緑茶を出す。ペットボトルは買わずに、できるだけ家で作るようにしている。別にこだわりがあるわけではなく、単純に「資源ゴミを出すのが面倒くさい」からだ。自作した方が安いとの理由もあるけれど。

「綺麗な緑ですね」
「え、あ、確かに……うん」

 上野の陶器市で買った五百円の湯飲みも、黒髪の美少女が持つと大層立派に見えるなと感心していて、中身については何も考えていなかったので驚いてしまう。
 
 毎度のごとく計量もせず、温度も蒸らし時間も適当に煎れたものだが、、確かに今日はとても色鮮やかな明るい翠だ。会心の出来と言えよう。こんな日常のささやかな事にも褒めポイントを見いだせるなんて、この子はきっと立派な大人になるのだろうな、若さゆえの感性とは素晴らしいものであるな、とお茶をすすりながら考えた。
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