異世界恋愛短編集

辺野夏子

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 再びバッグの中に隠れ、私はクラウスの研究棟まで運ばれた。人目を避けているのはおそらく、大臣の目から逃れるためなんだろうな~。

「何か食べ物を持ってこようか?」

 ゲームの中では料理スキルがあって、体力が回復したり攻撃力がアップしたりしていた。今はそれを期待しているわけじゃないけれど、里には人間の食べ物があまりないので、私は静かに頷いた。色々思い出すと食べたくなる。

 魔術師だから何かとんでもないものを出してくるんじゃないかと思ったが、今はそんなふざけている場合ではないと彼も理解しているのか、運ばれてきたのは普通の料理だった。しかしながら種類が多すぎる。

「こんなに食べられないんだけど?」

「ケット・シーの生態は謎に包まれている」

 その言葉を聞いて納得する。つまり、私の一挙一動を研究対象にしようってわけ。食べ物はどれもこれも美味しそうだ。

 カトラリーを前足で掴み、食事をとっていると魔術師たちがざわざわし始めた。ケット・シーは普通の猫ではないので喋れるし二足歩行もできるしフォークとナイフも使えるのですよ。

「おっ、ピーチパイがある」

 前足を伸ばし、すすすと皿を引っ張り出す。ケット・シーの里には桃がない。理由は知らないけど、里一番の食いしん坊に桃をあげるとイベントが発生する。

 そうしてイベントを連鎖させてゆき、最終的にピーチパイを作り里に持っていくと伝説のアイテムをくれる。ちょろすぎでしょ。

「妖精にも製菓の概念が?」

 ぶんぶんと首を振る。知らない知らない。パイの端っこにかぶりつく。うっま。お菓子めっちゃうまい。ケット・シーは基本怠惰なのでお菓子を作ろうとはしない。人間の集まるところにも行かないので、パイなんて食べる機会がない。確かに、主人公パーティーにこれを持ち込まれたら病みつきになっちゃうかも。

 食事が終わり、夕暮れどきが近づいてきた。窓から森の闇が深くなっているのを眺める。

「もうすぐ夜が来る。何か作戦はあるのかな」

「ピーチ・パイを包んでおいて。他の食べ物も、ひと揃いお弁当箱に入れて用意しておいて」

「次の食事に間に合わないほど、時間がかかると思わないけれど」

「お腹を空かせているに違いないわ」

 リチャードは人喰い虎になってしまい、人間の食べ物を受け付けなくなっているはずだ。設定資料集にはピーチパイが好きだった、と過去形で書いてある。

「……そうかもしれないね。そうだね」


「僕もついていっていいかな?」
「だめ」

 別に仲間キャラだから疑っているわけではないけれど、私はこれからケット・シーのチート秘術を使いまくるつもりだ。それを知られてしまうのはあまりよろしくない。

「では、強烈な睡眠薬入りの水筒を。こちらは普通のもの」

 そうそう、リチャードって人喰い白虎の割に睡眠のデバフは効くのよね。縛りプレイでは眠らせてひたすらちまちまボコるのが定石なのですよ。

「それでは、ドーンと泥舟に乗ったつもりで」
「沈むの?」

 ジャパニーズジョークは異世界でも通用するらしい。小さな台車を用意してもらい、それに荷物を乗せ、トコトコと二足歩行で森に踏み込む。

 夜目が効くので怖くはない。まっすぐ進んでいくと洞穴があったが、そこにはリチャードはいなかった。

「でもこのあたりにはいるはず……」

 がさり、と音がして振り向くと、背後に白い虎がいた。金色の瞳が驚きに見開かれている。話しかけようとした瞬間、彼は背後にあった竹藪に逃げ込んでしまった。

『あぶないところだった……』

 その声が、私の心にクリティカルヒットした。ああ、この声、私の最推し声優の声だ!       
 危ないってか、普通に見つかっているんだけどね。

 どうやら彼はまだ正気のようだ。我を失っていたら襲いかかってくるはずだ。多分私が怖いのだろう。

「えーと……」

 何から切り出そうかな。月の明るい夜。竹藪の中には虎。前世の記憶がありありと浮かんでくる。そんなふざけている場合ではないんだけど。ふざけるわけではないんだけど。

 私は人間の心がない、いたずら好きで、高慢で、気まぐれな妖精、ケット・シーなのであって。好奇心が抑えきれない。

 これは、伝説の、あの有名なセリフを言う場面……!!

「その声は我が友、李徴ではないか?」

 もちろんここは小説ではなくてゲームの世界だし、彼はリチャードなので返事はなかった。
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