27 / 47
逃走
しおりを挟む
今日の最後の曲を歌うヒロトは目に涙を浮かべている。その涙は汗と混じり観客には気づかれていない。スポットライトの下で所狭しに動き回るヒロトは、客席のファンを全員覚えようとするように、一人一人と視線を合わせようとしていた。
「言葉に出来なくても、ずっとお前を見つめている……」
その歌詞の内容に合わせて切なそうな顔をしたヒロトは、無意識にVIP席の方に手を伸ばした。その視線の先には時貞が居て、その視線を受け止める時貞は表情を崩さないでガラムの煙草を吸っている。それに気が付いたタカはVIP席を睨み付けるのだ。しかし時貞の視界にタカは入っておらず、視線のやり取りはヒロトと時貞だけで交わされている。
最後の曲が終わり、場内が歓声に包まれた。
ステージ上のメンバーはそのままステージ脇へと引っ込む。しかし、ヒロトはステージ中央で立ったままだった。
「ありがとう……」
深々と客席に礼をしたヒロトは、ゆっくりとステージから去っていった。
会場は直ぐさま一人の若い女からの「アンコール」の声が上がり、それに同調するように会場中の大合唱になっていったのだった。
****
ステージからはけたメンバーは、一端控え室に戻り汗を拭う。しかしタカは直ぐにヒロトを引っ張るようにして、「行くぞ!」と声を掛けるのだ。ヒロトは黙って下を向いて動かない。
「え……? なに? どうしちゃったの二人とも? アンコールは……?」
ベースのケンがペットボトルの水を飲みながらタカとヒロトに声を掛けた。タカは「アンコールはしない。俺とヒロトは直ぐにここを出るから。お前らは好きにしろ!」と吐き捨てる様に言い、それを聞いたドラムのシンが「はあ?」と苛立った声を上げる。
「ちょ、お前ら何言ってんだ! アンコールの声が聞こえてるだろ! ファンが待ってるんだぜ……。頭おかしいのか?」
「ファン? あんな奴らの事なんかどうでもいいさ! 俺にはヒロトが全てだ!」
驚く程に冷たい言葉を吐くタカを、シンとケンは唖然として見ていた。リーダーとして常にファンを大事にしている様子だったタカなのに、今は視点の定まらない目で「ヒロト」を追っているのだ。
「てめえ!」
タカを殴りかかろうとしたシンを、ケンは「喧嘩はよくない」と止めた。しかしタカは気にする様子も無く、動かないヒロトの手を掴み控え室の入り口に向かう。
「じゃあな! お前らはオッサンになっても、底辺で頑張ってビジュアル系バンド続けてろ! 俺達はバンドはもうしねえよ!」
走り出すタカにヒロトは引きずられるようになる。タカは急いで関係者出入り口に向かいそこから外に出た。裏路地のそこは人影も無く、タカの黒いワンボックスカーが止められている。
タカは助手席のドアを開けてヒロトに「乗れ!」と言うが、ヒロトは少し躊躇していた。
「……なあ、もう音楽はしねえのか?」
「当たり前だろ? 少しでも目立つ行動してみろ、あのヤクザに見つかる! これからは二人だけで静かに過ごすんだ……」
それを聞いたヒロトは「……そんなの嫌だ。それに、俺はやっぱり時貞が……!」と言うが、タカがその言葉を遮るようにヒロトの腕を掴む。
「時間が無い! 逃げようとしているのがバレただけでも、殺されるかも知れないぞ! 相手はヤクザなんだ!」
タカはヒロトを脅す様に言葉をぶつけた。ビクッと震えたヒロトは「尚更いやだ! 時貞のところに戻る。今なら間に合うから! バレてたら謝ればいい」と声を上げた。
「うるせえ! 黙れ!」
タカはヒロトの腹に重いパンチを放った。無防備だったヒロトはタカのパンチを真面に食らう。「ウッ」と低い声を上げて、ヒロトはゆっくりと倒れていく。気を失ったヒロトを車に押し込んだタカは、周囲を確認して慌てて運転席に乗り込んだ。
車のエンジンをかけたタカは、猛スピードでその場から走り去るのだった。
****
どれだけ待っても出てこないメンバーに、会場のファンは戸惑いを見せている。通常はアンコールを欠かさないフォルトゥナなのだから無理もない。すると暗かった客席の電気が付き、「今夜の公演は全て終了しました」とアナウンスが流れた。
「おい、楽屋に行って様子を見てこい!」
時貞がVIP席で共に居た若い組員に指示し、組員は大慌てで楽屋に向かう。ものの五分で戻った組員は顔面蒼白だった。
「ヤツが逃げたそうです!」
時貞の目がギラリと光る。言葉に出さなくても時貞の怒りはVIP席に居る組員全員に伝わった。空気の温度が数度下がったのかと思うほどの、ゾクリとする悪寒が襲ってきたからだ。
「やられたか……。一足遅かった。直ぐにヒロトを探し出せ……!」
時貞の声は酷く低く、まるで地底のそこから発したようだった。
****
シンとケンは時貞の組員に捕まえられて楽屋にて正座で拘束されていた。状況の飲み込めない二人はガクガクと震えている。本職のヤクザに取り囲まれているのだから無理もない。
「なあ、兄ちゃんら。知ってることは全部話した方が身のためだぜ? あんまり痛い目に遭いたくないだろう?」
「お、俺らは何も……。タカが全部やったことです。アイツがヒロトを連れて出て行ったんです!」
「そうです! 俺らは引き留めたんですが、タカが……!」
震える二人は懇願する様にスキンヘッドの組員を見ていた。すると楽屋の入り口から時貞が煙草を吸いながら現れる。ライブハウスのオーナーも入り口に立っており、時貞に深々と頭を下げる。
「本当に申し訳ありません! 時貞さんがお越しの時に、こんな騒ぎを起こしまして……」
「アイツらが言っているタカって言うのはギターか?」
「はい……。細いドレッドヘアーの男です。細身の長身で……」
時貞は記憶の中のタカの顔を思い出す。神経質そうな顔立ちの男で、ヒロトを常に舐める様に見ていた男だと気が付く。
「アイツか……」
「言葉に出来なくても、ずっとお前を見つめている……」
その歌詞の内容に合わせて切なそうな顔をしたヒロトは、無意識にVIP席の方に手を伸ばした。その視線の先には時貞が居て、その視線を受け止める時貞は表情を崩さないでガラムの煙草を吸っている。それに気が付いたタカはVIP席を睨み付けるのだ。しかし時貞の視界にタカは入っておらず、視線のやり取りはヒロトと時貞だけで交わされている。
最後の曲が終わり、場内が歓声に包まれた。
ステージ上のメンバーはそのままステージ脇へと引っ込む。しかし、ヒロトはステージ中央で立ったままだった。
「ありがとう……」
深々と客席に礼をしたヒロトは、ゆっくりとステージから去っていった。
会場は直ぐさま一人の若い女からの「アンコール」の声が上がり、それに同調するように会場中の大合唱になっていったのだった。
****
ステージからはけたメンバーは、一端控え室に戻り汗を拭う。しかしタカは直ぐにヒロトを引っ張るようにして、「行くぞ!」と声を掛けるのだ。ヒロトは黙って下を向いて動かない。
「え……? なに? どうしちゃったの二人とも? アンコールは……?」
ベースのケンがペットボトルの水を飲みながらタカとヒロトに声を掛けた。タカは「アンコールはしない。俺とヒロトは直ぐにここを出るから。お前らは好きにしろ!」と吐き捨てる様に言い、それを聞いたドラムのシンが「はあ?」と苛立った声を上げる。
「ちょ、お前ら何言ってんだ! アンコールの声が聞こえてるだろ! ファンが待ってるんだぜ……。頭おかしいのか?」
「ファン? あんな奴らの事なんかどうでもいいさ! 俺にはヒロトが全てだ!」
驚く程に冷たい言葉を吐くタカを、シンとケンは唖然として見ていた。リーダーとして常にファンを大事にしている様子だったタカなのに、今は視点の定まらない目で「ヒロト」を追っているのだ。
「てめえ!」
タカを殴りかかろうとしたシンを、ケンは「喧嘩はよくない」と止めた。しかしタカは気にする様子も無く、動かないヒロトの手を掴み控え室の入り口に向かう。
「じゃあな! お前らはオッサンになっても、底辺で頑張ってビジュアル系バンド続けてろ! 俺達はバンドはもうしねえよ!」
走り出すタカにヒロトは引きずられるようになる。タカは急いで関係者出入り口に向かいそこから外に出た。裏路地のそこは人影も無く、タカの黒いワンボックスカーが止められている。
タカは助手席のドアを開けてヒロトに「乗れ!」と言うが、ヒロトは少し躊躇していた。
「……なあ、もう音楽はしねえのか?」
「当たり前だろ? 少しでも目立つ行動してみろ、あのヤクザに見つかる! これからは二人だけで静かに過ごすんだ……」
それを聞いたヒロトは「……そんなの嫌だ。それに、俺はやっぱり時貞が……!」と言うが、タカがその言葉を遮るようにヒロトの腕を掴む。
「時間が無い! 逃げようとしているのがバレただけでも、殺されるかも知れないぞ! 相手はヤクザなんだ!」
タカはヒロトを脅す様に言葉をぶつけた。ビクッと震えたヒロトは「尚更いやだ! 時貞のところに戻る。今なら間に合うから! バレてたら謝ればいい」と声を上げた。
「うるせえ! 黙れ!」
タカはヒロトの腹に重いパンチを放った。無防備だったヒロトはタカのパンチを真面に食らう。「ウッ」と低い声を上げて、ヒロトはゆっくりと倒れていく。気を失ったヒロトを車に押し込んだタカは、周囲を確認して慌てて運転席に乗り込んだ。
車のエンジンをかけたタカは、猛スピードでその場から走り去るのだった。
****
どれだけ待っても出てこないメンバーに、会場のファンは戸惑いを見せている。通常はアンコールを欠かさないフォルトゥナなのだから無理もない。すると暗かった客席の電気が付き、「今夜の公演は全て終了しました」とアナウンスが流れた。
「おい、楽屋に行って様子を見てこい!」
時貞がVIP席で共に居た若い組員に指示し、組員は大慌てで楽屋に向かう。ものの五分で戻った組員は顔面蒼白だった。
「ヤツが逃げたそうです!」
時貞の目がギラリと光る。言葉に出さなくても時貞の怒りはVIP席に居る組員全員に伝わった。空気の温度が数度下がったのかと思うほどの、ゾクリとする悪寒が襲ってきたからだ。
「やられたか……。一足遅かった。直ぐにヒロトを探し出せ……!」
時貞の声は酷く低く、まるで地底のそこから発したようだった。
****
シンとケンは時貞の組員に捕まえられて楽屋にて正座で拘束されていた。状況の飲み込めない二人はガクガクと震えている。本職のヤクザに取り囲まれているのだから無理もない。
「なあ、兄ちゃんら。知ってることは全部話した方が身のためだぜ? あんまり痛い目に遭いたくないだろう?」
「お、俺らは何も……。タカが全部やったことです。アイツがヒロトを連れて出て行ったんです!」
「そうです! 俺らは引き留めたんですが、タカが……!」
震える二人は懇願する様にスキンヘッドの組員を見ていた。すると楽屋の入り口から時貞が煙草を吸いながら現れる。ライブハウスのオーナーも入り口に立っており、時貞に深々と頭を下げる。
「本当に申し訳ありません! 時貞さんがお越しの時に、こんな騒ぎを起こしまして……」
「アイツらが言っているタカって言うのはギターか?」
「はい……。細いドレッドヘアーの男です。細身の長身で……」
時貞は記憶の中のタカの顔を思い出す。神経質そうな顔立ちの男で、ヒロトを常に舐める様に見ていた男だと気が付く。
「アイツか……」
1
お気に入りに追加
706
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる