短編集

八月灯香

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運命とかないから。 2

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ビアラウンジでの仕事は好きだ。

素人としてこの店に雇われたけど、今では種類によって注ぎ分けもできるようになったからカウンターの中を持ち場として任されている。

バケツ型のワインクーラーに氷水をはって、一度グラスを沈めてから水を切り、金属のコックを倒してサーバーからビールを注ぐ。

金色の液体が波打ちながらグラスを満たしていく。

簡単なカクテルなら作る事はあるけど此処の店は国内外の約56種類のビールを提供していて、そこが売りになっている。

生ビールはそのうち4種類。

どれも完璧に温度管理がされていて、グラスもビールの為の特注品と、ビールのブランドのロゴの入ったグラス達。

ビールによってグラスの形が全然違う。
海外のものは日本のビールの様に炭酸が強く無い物も多い。

この店のオーナーが食道楽の人だからご飯も美味しい。

別の仕事してた時によく此処にきてカウンターでご飯食べるうちに、オーナーから働かないかって声をかけてもらって今に至る。

お店が支給している制服もあるのだけど、俺はいつも自前のパンツと細身のシャツに黒のサロンを巻いている。
つま先が四角いエッジの効いた革靴も自前。
人手が足りない時はカウンターから出て給仕をする事もあるから、地味だけど自分のスタイルがよく見えるものを選んでいる。

さっきも言ったけどこの店のカウンターの中がいつもの俺の定位置。

オープンしたてだけど客は数人居て、テーブルに注文のビールを出したところだ。

微かにキッチンからは店内のBGMに混じって料理の仕込みの音が聞こえる。

カウンターで追加で来そうなビールのグラスの準備をしているとドアについているベルが音を立てた。

「蓮君…」

はぁ、来たか。
こういう人は本当に心臓が強い。

「いらっしゃいませ波川さん。」

接客モードでいつものカウンター席にコースターとお絞りを置く。
波川さんはいつもの様な柔和な雰囲気ではなく、少し興奮した顔でカウンター席に着いた。

「…どうして電話ブロックしてるの…」

わかってるくせに。
あんまりに慌てすぎて今日は結婚指輪つけたまんまだよ。

「なんの事ですか?」

「メッセージも既読つかないし…!部屋にも帰ってないよね。」

連絡は流石にもうね、でも居場所だって言ってたこの店は出禁になってないでしょ。

部屋はアンタが来るって思ったからアンタが会社行ってる時間には帰ってるよ。

わざわざ来たよって流しにコーヒー飲んだマグカップ置いてってるよね。
前なら会えなかったなって思って「来た?」ってメッセージしたけど、カップもわざと洗わずにそのままにしている。

波川さんは感情的に暴れて部屋めちゃくちゃにしたりしないんだなって感心してた所。

「突然すぎるよ…!!」

「ご注文、何にしますか?」

言葉を遮って聞くと、波川さんは何かいいたげに言葉を詰まらせた。
興奮はしてるけど、大きな声を出さないで居てくれるのは助かる。

「いつものビールでいいですか?」

と聞くと頷いた。
専用のグラスでホワイトビールを注ぐ。
このやり取りも俺はすごく心地が良かったものだよ。

波川さんは小さくありがとうと言ったけど手をつけようとはしなかった。

「どうしていきなりあんな電話したの」

波川さんは諦めきれないという眼差しで俺を見てくる。
あの電話で、わかるだろうにわからないふりしてるな。

子供と奥さんって、言ったろ。

思わずため息が溢れ出た。

波川さんのカウンターの上に乗ってる握られた左手の、銀色に光る薬指を撫でた。

「結婚、してるじゃないですか。」

その瞬間、波川さんがはっと自分の左手に目をやる。

「これ…は…」

「ダメだよ。奥さん何ヶ月?結構お腹おっきかったね。
俺の事はもういいですから…これからは家族、大事にしたほうがいいですよ。」

と手を離すと手首を素早く握られた。

「待ってくれ…何処で……嫌だ!蓮君。お願いだよ、ちゃんと話がしたい!」

と波川さんが大きめの声を出したから他のテーブルの客が何事かとこちらにチラリと視線を向けてくるが、酔っ払いだと思ったのかすぐに談話に戻って行った。

嫌だも何も…まさかアウトレットで奥さんと居たところを見られてたとは微塵も思ってないのだとしても、俺はこのまま知らん振りして付き合う事は出来ない。

どう考えても邪魔者は俺。

「波川さん落ち着いて」

その瞬間、入り口のベルの音が聞こえて、男性が一人入ってくる。
連れはいなさそうだな…。

「なんで、だって…こんな…」

「落ち着いて」と波川さんの手を外してコースターとお絞りを取りに行く。

こちらに向かって近づいてきた客は随分長身だ。

「あ…」

カウンターのあいてる席に着いたのはあの日、波川さんの奥さんを見た後に覗いた店で出会った神山さんだった。

「いらっしゃいませ……」

あの日はスーツだったけど、今日はカジュアルな出立ちだ。
柔らかくニットのような質感のシャツのおかげで上半身の形がよくわかる。
服を完璧に着こなす為にあるような体躯をしている。

「こんばんは。」

神山さんの低い声が耳に心地いい。

「本当に来てくれたんですね。」

と言うと、バリトンボイスで「チャンスは掴みに行かないと得られないからね」と意味ありげに笑った。

「何にしますか?」と聞くと神山さんはカウンターの黒板を見て「バス貰おうかな」と言った。

イギリスの濃い琥珀色のビールをグラスに充していく。

「あなたも彼目当てですか?」とふいに神山さんが波川さんに聞いた。
きっと俺の手首を掴んでいたのを見ていたのかもしれない。

「あなたもって…」

突然に知らない相手から話を振られて、波川さんはショックを受けた表情で俺を見た。

…ショックを受けてるのは俺の方だと言ってやりたい。

「帰る…………」

波川さんは紙幣を置いて店から出ていった。

いつもなら「またお待ちしております」と声をかけるのだけれど、波川さんにはもう言わない。

せっかく注いだビールが手付かずで放置だ。
一人でショック勝手に受けて馬鹿みたい。

俺は表面の泡の消えたホワイトビールを一気に煽った。
質のいいビールなのに、こんな提供のされ方して捨てられるなんて勿体無い。
カウンターで話し相手になった客に奢られる事も良くあるし、ビール一杯じゃ俺は酔わない。

波川さんが完全に居なくなってから「彼は君の良い人?」と低い声が聞いてきた。

「先日、神山さんと出会った日に終わりました。」

と笑顔で言うと、グラスに口をつけながらおや、と視線をこちらに向けた。

ライトが落とし気味になっているからわかりにくいけど、神山さんは綺麗な瞳の色をしてる。

「つまんない話ですよ」

自嘲気味に笑うと「聞いたらダメかな」と返してくる。
今の時間は比較的のんびりしてるし、ポロポロと来るテーブル席からのビールの注文をこなしながら波川さんとの事を話した。

この店で出会ったこと、
一緒に居る時はとても良い人だった事、
一緒に暮らしたいとずっと言われていた事。

だけどこの間、体調が悪いから会えないって言われたのにアウトレットでお腹の大きな奥さんと一緒に居るところを見てしまった事。

今日、ここにきた時に結婚指輪を外さずにきた事。

3年間、騙されていた事。

「…あの人、俺の部屋の鍵持ってるんですけど、俺が今友達の家に泊まってて帰ってこないから痺れ切らしてここに来たんでしょうね。」

と笑うと

「無理して笑わなくて良い」と優しい声がして、目頭が熱くなった。

泣きそうになって、深呼吸を繰り返して気持ちを収める。

波川さんに対してずっと、腹が立っているんだ。
睦言で俺の気持ちを引き留めて、3年間も。

ゲイだとしても、あんな事を言われればパートナーと生活する事が出来ると期待はしてしまって居た。

なのに、既婚者で、子供も居ただなんて。


「何時に仕事終わる?あと名前教えて欲しいな。」

と神山さんが言った。






「…ん………ふ…う………ん」

仕事終わりに帰ろうと店を出たら、高そうな車が目の前で停まって後部座席のドアが開いて神山さんに車内に引っ張り込まれた。

すぐに首の後ろを掴まれて車内だというのに深く口付けられたけど、俺は抵抗を一切しなかった。

今は高そうなホテルの一室に連れ込まれて膝の上に乗せられて身体じゅうを撫でられながら口の中を舐められてる。

波川さんと俺はそんなに体格が違わなかったから、こんなに大きな男の人に身体を弄られてるのは少し不思議な気持ちになった。

「あ…ふ………かみ…やまさ……」

クリスティアンだ、と耳元で囁かれると脳が痺れるようになる。

「クリスでいいよ」

「クリス…………」

と呼ぶと褒めるように肉厚な舌が首や顎を吸いながら舐めてきて勝手に身体が跳ねた。

こんなゆきずりみたいな、会って2回目の人とセックスしようとした事なんてない。

波川さんと付き合ってると思ってたから、外で他の人に一晩どうだと誘われても全部断ってたし、3年間は波川さん以外としてない。

だけど波川さんが店に来て既婚者だとバレててもなおゴネたからヤケになってる。

どうして俺だけが波川さんに誠実で居なければいけないんだ…。

いっそ、めちゃくちゃにして欲しい。

服がどんどん剥がされていく。
初めてセックスするわけじゃ無いのに、こちらからは何も出来ずに翻弄されている。

何か言葉を、と思っている間も思考を奪い去るみたいにずっとディープキスをされて酸素が回らなくてぐにゃぐにゃになる。

「う…ぁ………」

乳首を舐められていつのまにかズボンの合わせが外されて陰茎を握りこまれた。

神山さんの舌や歯が乳首を責めるたびに全身が泡立ち下半身が疼く。

神山さんは明確に性的に触ってくる。

「レン…」

暗い店内ではわからなかったけど、茶色に緑がかった虹彩はやはり凄く綺麗だった。

「今日は触るだけにしようかと思ったけど…」

先ほどから腰あたりに神山さんの昂りを押し付けられている。

「ん…して…いいよ…」

感じ入りながら返事をするとズボンを下着ごと剥ぎ取られ、俺の勃ち上がった陰茎を神山さんが吸い上げた。
突然の行動に驚いてしまう。

「え?あ…!うそ!シャワーまだ!!う…んん………!!!」

驚く以上に神山さんの口の中が滑って熱い。
舌が表皮に這わされてすぐに腰が疼いてたまらない程感じてしまう。

波川さんは自分はさせるくせに口淫はほとんどしてはくれなかった。

「う……ん………ん………」

久しぶりの感覚に歓喜して全身に鳥肌がたった。

いつのまにか後ろの孔に指が入ってる。
手が大きいから指も太くて長い。

する為の準備だって、波川さんはしてくれなかった。
波川さんのが挿入るように、毎回自分で拡げていたのに。

「痛く無い?もう少し拡げるから。」

神山さんが口淫の合間にそう言った。

自分の粗い息遣いが耳元に響く。
視線を下げると猛獣が狩をする時のような視線が返ってきて、泣きそうになる。

グ…と腹側のシコリを押されて胸が反る。

「そ…こ……!!!」

思わず足が閉じて神山さんの顔を太腿で挟み込んでしまうが構わずにそのまま陰茎に舌が這わされてどうにかなりそうだった。

左脚に神山さんの腕が巻き付いている。

内側は何度も執拗に指で押されてくぐもった声が出るのを止められずシーツを握りしめて耐えるしか出来ない。

息が詰まって快感が膨らんで爆発した。

「ん…ぅ………!!!」

陰茎から吹き出したものを残さないと言わんばかりに吸い上げられて飲まれた。

快感で頭がチカチカする。

下肢からゆっくり顔が離れて大きな身体が伸び上がってきた。
思わず神山さんの顔を両手で掴んで自分から唇をあわせた。
神山さんはゆっくりと口付けを返しながら服を脱がせて来た。

俺もしようか、というと「今回はいい」といわれてしまった。

もう会わないかもしれないのに、期待させるような言葉を言ってくるのは大人の余裕なのか。

8つ歳上の神山さんは持っているもの全てが俺とは規格外だ。

スマホで過去のハイブランドのランウェイ写真を漁ったら、やっぱり俺が切り抜きしたルックを身に纏っていたのは神山さんだった。

モデルの頃の神山さんは頬も痩せてて全体的に細く作り込まれた感じが強かった。

今、目の前で見せつけるように服を脱いでいる神山さんは筋肉質で大きくて全身で強い雄である事を体現しているかのようだった。

優しい手つきで身体を後ろ向きに直され、腰だけを高くする姿勢にされる。

「いい?」と聞かれて頷く。

されるがまま、従う。
この雄は捕食者で、俺は今被食者なんだ。

解されてひくつく後ろに自分とは違う熱い塊があてがわれる。

「あ…あ………あ………は………」

逃げを打つ腰に手が周る。

太くて、長くて、苦しい。
波川さんのは平均的なサイズだったんじゃないだろうか。
それに比べて神山さんの質量は大きくて腹の中には微塵も隙間なんてない程だ。
彼の体格に見合った長大なそれが敏感な部位を擦りながら腹の中を進む。

「う……ん………」

シーツに額を擦り付けながら耐える。
ジャリ、と陰毛が尻に当たる感触がして最奥に亀頭が押し付けられた。

こんなところまで入れられた事ない、波川さんのものは、ここまで届かない。

「ん………ん…………は……ふ………。」

腹の中が馴染んで息が整うのを待ってくれてる。
自分勝手に抱いてくれた方が、気持ちが楽なのに。

俺を押し潰さないようにしながら神山さんが覆い被さってきて、こめかみに汗で張り付いた髪の毛をどかしてる。

唇の感触が至る所に落とされてなんとも言えない気持ちになってしまう。

こんな恋人にするみたいな事…………

胸がグッとしまって目の縁から涙が滲んでくるのがわかる。

「レン、大丈夫?」

と頭を撫でられる。

「すきに…して…」

ふ、ふ、と息が漏れる。
苦しさを快感が凌駕してお腹がジワジワと疼き始めて神山さんの陰茎を舐めてるみたいに動き始めてしまう。

「あ…ん…!ん…!」 

ゆっくりと抽挿がはじまって、神山さんが撫でた腹の中が震源となって全身に快感が走る。

シーツを握る手を上から握り込まれて指が絡んだ。

波川さんとのセックスも、気持ちが良くなかったわけでは無い。
ただ、いつも波川さんが望むまま、彼が満足したら終わる簡素なものだった。

好意もあったし、それなりに楽しかったからそれでよかった。


ところが神山さんとの行為はそれをあっさりと凌駕してくる。
神山さんが動く度に、快感で全身を掻きむしられてるようで堪らない。

「ぁ………あ……ひ………ぃ………!!」

自分をコントロール出来ずに自制心がどんどん剥ぎ取られて行ってしまう。

「痛く無さそうだね。」

徐々に動きに遠慮がなくなってくる。

「あ…うぁ!…あ!!!ひ…!あぁ……!!」

揺さぶり突かれる度に色のついた悲鳴が上がる。
パンパンと手を打つような音がする。

身体の中を満たした凶暴な肉が行き来する度に全身に電気が走るようだった。

こんな嬌声もあげたことなんて無い。

「ひ…あ…あ……!!あ!!!っく……!!!」

突然ガクガクと腰がふるえた。
陰茎から精液が吐き出されて止まらない。

「い…ぁ………」

こんなイき方した事なくて、シーツを掻きむしるように身体を逃がそうにも神山さんが深く抱き込んで来てそれを阻む。

ぐりん、と中に入ったまま身体を表に返される。
突然の衝撃に背中がのけ反る。

「う………ぁ………!!!」

腰を両手で掴まれている。

「どこもかしこも理想だ」

と神山さんが言った。
絶頂にいるのに再びゆすられはじめて、耐えきれずに腰を掴んだ手を外そうとするのに、それを許さず更に責め立てて俺の痴態を楽しんでいる。

体格のいい脚の上に両脚が乗せられて腰が浮いてる。
頭が焼き切れそう…。

「レン、俺は君が欲しい。」

言い聞かせるように言われても、快感に流されてもはや言葉は理解は出来なかった。

貫かれて乱れる俺を神山さんがギラついた目で見ている。
余りの快感に口は開いたまま酷い顔になってるかもしれない。
時折激しいキスをされて自分をコントロール出来なくなってしまっている。

こんな激しく甘美なセックスがあるのかと思った。

強く打ち付けられて震えて俺が絶頂した後、神山さんも射精したようだ。
腹の中に逆流する感覚は無い。

いつのまにコンドームつけたんだろう。





客室についてる個室で見た事もない大きなバスルームの浴槽に後ろから抱えられて入れられている。

さっきからお湯の中でも身体を撫でられて、うなじや肩を舐められる。
セックスの余韻を逃しきれずに悶えてしまう。

「ん…も……ダメって…え…」

腰を撫でていた手が胸元を揉む、何処もかしこも強制的に感じる様に目覚めさせられたかのようだ。

胸元の尖を指先でころがして、内腿を大きな掌で撫でてくる、されるがままに神山さんの肩に後頭部を押し付けて耐える。

「レン、明日君はオフだといっていたな?このままここに泊まって行ってくれないか」

と低い声が誘う。
バスルームで絶え間なく愛撫されて俺だけが乱れたままだ。

「う………く………!」

「ちょっと明日俺に付き合ってほしい」

内腿を撫でた手が軽く陰茎を触って離れる。
陰嚢から会陰を辿って指先で撫でられるとはいもいいえも答えられないまま、堪らずに声が漏れ出る。

好き勝手に這い回る手に翻弄されてもうわけがわからなかった。





次の日の朝、目覚めると同じベッドに神山さんが寝ていた。

おはよう、と朝から低い声で言われて下腹に響く。

身体を心配されたけど、抱き潰されてはいないから大丈夫だった。

高級そうなブッフェスタイルのホテルの朝食を食べてから車で外へと連れ出された。

昨日はビールを飲んだから運転代行を頼んだのか。

「わ…!」

連れ出された先はschwarzer Edelsteinの日本での事務所で、通された部屋には沢山の製品が重厚な什器にかけられていた。

感動してしまう程に形が良く、生地の質も縫製も美しい。
ブランドの名前の通り宝石の様に俺には見える。

「あれ…これ…同じデザインの持ってる。」

学生の頃に買ったジャケットと生地は近いが色が違って新鮮に見えた。

「ウチのアイテム持ってくれてるの?」

「あ、中古で手に入れたのもあるし、沢山は買えなかったけど、俺、服飾の学校通ってたときにschwarzer Edelstein好きで、本当に時々…このジャケット、その時に出たのによく似てるなって」

と言うと、クリスはほう、と感心したように自分の顎を撫でていた。

「まさに、今回のコレクションはテーマが"美しき懐古"でね。いくつかの仕立てでかつてのパターンを使ってるんだよ。」

こっちへ、と背中に手を当てられて別室に連れて行かれると、そこは撮影スタジオになっていた。
壁に大きなバックスクリーンがかけられていて、猫脚のバスタブが置かれていた。
中には水が張られてるっぽい。

「さて、レンにはちょっとご協力願いたい。キービジュアルのテストモデルになってくれないかな。」

無理です、と言ってるのにもう決まっている事の様にどんどん話が進められていった。
クリスはスタッフさんと打ち合わせをしている。

ヘアメイクさんまでいる…

あれよあれよと飾り立てられてしまった。
容姿を褒められて悪い気はしないけど荷が重い。

しかし渡された衣装が、身体に吸い付くようで自分に合ったとても良い着心地で感動する。

少し長めのシャツは襟が少し大きめでシャープなラインをしてて着崩してもだらしなくならずにかっこいい。

「青池さん、このバスタブの中に入ってもらって良いですか?」と言われて仰天する。

まって、今俺の着てる服多分合計100万超えてる…それをバスタブに入って濡らすの?

悪いことをしてる気持ちになってドキドキしながらバスタブに靴から入った。
水温は冷たすぎず、安心する。
カメラマンの指示で一度全身を濡らす為に潜って上がる。

バスタブの淵に腕を組んだりしてもたれる。

「何枚か撮りますので自由に動いてみてもらって良いですか」

自由にって言われても…

バシャバシャとシャッターの音がなる。

不意に後ろから熱を感じて顔を上げると、目元を黒いマスクで隠した神山さんだった。

長い脚はズボンに納められているが衣装がマスクとそれだけで、昨日見た美しい体を惜しげもなく晒している。

笑みの形の唇が近づいてくる。

「力抜いて」

と低いバリトンが耳元で言う。

それがまるで昨日の行為中の声色でゾクゾクした。

神山さんがバスタブの淵に腰掛ける。
脇の下に手を入れられぐっと身体を持ち上げられたので両腕をバスタブにかける。右脚もバスタブの淵にかけられる。
顎先を長い指がとらえてカメラの方を向かされる。

こめかみの近くに唇が押し当てられた。
カメラマンが移動してきていろんな角度から写真を撮った。
神山さんが俺の目を見たままジャケットの胸元に手をいれたりしてくる。
動くたびに綺麗についた筋肉の筋が動くのを眼で追ってしまった。


モデルの勝手はよくわからないけど、テストだって言ってたしこれで良かったのだろう。

なんだかとんでもない体験をした。
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