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第11章
第109話 芸術発表会※
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芸術発表会当日がやってきた。
私は生徒会役員なので、昨日までとても忙しかった。
演目の内容チェック、プログラム作成、段取り確認、着替え用の控室や小道具の置き場所の手配、関連書類の整備など、やる事がとにかく大量にあったのだ。
武芸大会の時は出場しない役員が中心になってやってくれたが、こちらは全員参加なので仕事も公平に分担だ。
当日の司会進行は上級生がやってくれるのがせめてもの救いだが、自分のクラスの練習もあったし、おかげで最近あまり王宮魔術師団の所に行けていない。
せっかくセナルモント先生の正式な弟子になったのに。
何とか時間を作っては顔を出し、その度に武芸大会で起きた魔法陣への魔術干渉の件についてそれとなく探りを入れているのだが、どうも調査は行き詰まっているようだ。
やはり、そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないらしい。
それぞれのクラスの発表は順調に進み、プログラムは粛々と消化されている。
順番は予めランダムに決められたもので、私たちのクラスの出番は半分を少し過ぎた辺りだ。また最初とかではなくて良かった。
観客席は両側に生徒がクラスごとに並び、真ん中が保護者たちだ。今回は武芸大会とは違い、見に来られるのは完全に生徒の関係者のみとなっている。
それでも例年に比べ多めに警備員が配置されているが、私としてはその方が安心だ。
先程はティロライトお兄様のクラスの演劇だったのだが、やはり3年生は演出などが凝っているし、時間もいっぱいに使っていて見ごたえがある。
殺陣のシーンに合わせて炎や水の幻影を出していたが、タイミングがばっちり合っていて見事だった。お兄様が中心になって魔術を使っていたようで、妹の私としても鼻が高い。
劇の内容は竜退治を命じられた若者が困難を乗り越えそれを成し遂げるという、この国では馴染み深い話だ。
短い時間ながらもしっかり盛り上がる脚本になっていたし、かなり上位になるんじゃないだろうか。
今はカーネリア様のクラスがダンスをしている所だが、生徒のツテで新進気鋭の振付師に監修を頼んだとかでなかなかに面白い。
全員でお揃いのひらひらとした袖のシャツを着ていて、踊りに合わせて袖が翻るのが美しいのだ。
カーネリア様はさすが騎士課程だけあって運動神経が良く、ダンスもキレが良い。楽しそうな表情も相まってとても目を引く。
女子の最優秀演者の投票でも結構票が入るかもしれないな。
その後も発表が続き、いよいよ私のクラスの出番が近付いてきた。
皆と共にそっと席を立ち、男女別の控室へ向かう。荷物は既に運び込んであるので、すぐに全員が衣装を身に着け始めた。
私も自分の白ウサギの衣装に袖を通す。長靴下は既に履いているので大丈夫だ。
背中のボタンを近くのペタラ様に留めてもらい、カチューシャも着けてもらった。後は靴を白いブーツに履き替えてできあがりだ。
私もまた、ペタラ様の背中のボタンを留める。
「ありがとうございます。リナーリア様、やっぱりよくお似合いですわ」
「ペタラ様もとっても可愛いですよ」
ペタラ様は髪色と似た薄茶色の山猫の耳を着けている。頭からぴょこんと猫耳が生えている様は確かに可愛い。
全員支度を終えしばらく待っていると、係の者が呼びに来た。
「時間です。移動して下さい」
ぞろぞろと舞台袖へ行くと、既に幕が下り前のクラスが撤収した所だった。
そのまま薄暗い舞台に上がり、皆で横3列に並ぶ。
ふと視線を感じて横に顔を向けると、殿下が私を見ていた。
どうも今日はやけに殿下がこちらを見ている気がする。私が失敗しないか心配しているんだろうか?
大丈夫だという意思を込めて微笑みかけると、殿下は真剣な表情でうなずいた。
気合入ってるなあ。
運ばれてきたピアノの横に灰色狼に扮したセムセイが立ち、皆の前に指揮のスパーが立つ。こちらは狐だ。
アナウンスと共に舞台の幕が上がる。
《次は、1年生Aクラスの発表。連作歌曲「旅人と山の獣たち」の合唱です》
私たちの衣装を見て、観客席に若干のざわめきが広がった。この動物のつけ耳はかなり斬新な衣装だからなあ。旅人役の殿下だけは人間の衣装だけど。
それにしても緊張する…。少しでも動悸が収まるよう、こっそり深呼吸をする。
観客の中にお父様やお母様、ラズライトお兄様やサーフェナお義姉様の姿を見付けた。…なんでスミソニアンもいるんだろう?
でも、私より緊張した顔をしているスミソニアンを見たら少し緊張がほぐれた。
セムセイが鍵盤に指を置き、スパーが腕を上げると、客席がしんと静まり返る。
指揮棒が振られ、ゆったりとしたピアノの伴奏が始まった。
最初は、旅人が野山を歩くのどかな曲だ。
爽やかな風が吹き、暖かい日差しが降り注ぐ山道。のんびりと緑の木々の間を歩く様を、明るく穏やかな合唱で歌い上げる。
それから殿下が一歩前に出て、旅人の独唱が始まった。
美しい景色とうららかな天気を山の神に感謝し、山を降りるまでの加護を願う歌だ。
この独唱部分は山越えをする旅人が験担ぎにとよく歌うもので、短いがこの連作歌曲の中で特に有名な部分だったりする。
しかしさすが殿下だ。片手を掲げ、豊かな情感を込めながら歌う伸びやかな声が素晴らしい。
殿下も音楽の教師から集中レッスンを受けたそうだが、その成果はしっかり出ているようだ。
顔は無表情なのに、ダンスだとか歌だとか、こういう感情表現は不思議と上手いのは何故なんだろう…?
旅人の独唱が終わった所から曲調が変わり、テンポも少し速くなる。
自分が道に迷っている事に旅人が気付いたのだ。
日も傾き始め不安を覚えた所で、旅人は怪我をした一匹のウサギに出会う。
私は一歩前に出ると、女声パートによる怯えたような弱々しい合唱に合わせ、身を縮めるような動作をした。
これらの振り付けはクラスの皆で考えたものだ。
特に読書家のペタラ様は童話に詳しいようで、この「旅人と山の獣たち」の物語について様々な解釈や派生した結末などを語ってくれ、大いに参考になった。
殿下扮する旅人がウサギの私を助け起こす仕草をして、一曲目は終わりだ。
二曲目は、ウサギが旅人を宴へと招くところから始まる。
そこに現れるのがスピネル扮する黒狼と、その手下の灰色狼の群れだ。
今度こそウサギを食べようと襲い来る狼たちと、守ろうとする旅人との戦いの曲になる。
アップテンポの勇ましい曲の中、狼の動きは男声パートを中心にした恐ろしげな歌で表現するのだが、スピネルは難しい低音も揺らがずに歌い上げている。見事なものだ。
殿下とスピネルの二人は戦いを表現するために歌いながら大きく動いているのに、歌声がほとんどブレないのはすごいな。普段から鍛えているだけはある。
戦いは徐々に旅人側が優勢になって行き、勝利を収めた所で二曲目は終わる。
三曲目は、旅人と山の獣たちとの宴の曲だ。様々な獣が入り混じって楽しく陽気に歌い踊る。
ウサギや、先程まで争っていた狼たちまでもが一緒だ。それまでの敵意やわだかまりは捨て、全ての者が手を取り合って一時を楽しむ。
私も近くのクラスメイトと手を繋ぎ、歌いながら軽く足元でステップを踏んだ。
この曲もまた、場を盛り上げたい時に演奏する曲として特に平民の間で人気があるものだ。祭りの時などによく歌われるらしい。
最後の四曲目は、宴の翌朝に旅人が目を覚ます所からだ。
小鳥が囀る穏やかで爽やかな朝。旅人は立ち上がり、山を降りるために歩き出す。
そこで再び現れるのが、旅人が助けたウサギ…つまり私だ。
一歩前に出て、身振りを交えながら独唱を始める。
照れていてもしょうがないので、思い切って声を張り上げた。命を救い守ってくれた事への感謝と、旅人との別れを惜しむ気持ちを歌った歌だ。
さらにこれからの旅の無事を祈って、ウサギの独唱部分は終わる。
…な、なんとか音を外さずに歌い切れた…はずだ。
エレクトラム様が紹介してくれた歌の教師にしっかり指導してもらったので、発表して恥ずかしくない程度にはちゃんと歌えたと思う。
旅人を見送るラストシーンの合唱を歌いながら、右手に持った白い花を殿下の方へと差し出した。
これは予め用意しておいた小道具だ。さっき、三曲目が終わった時に舞台袖に走り寄って手に取った。
この花を旅人が受け取り、立ち去る姿を獣の皆で見送れば、曲の終わりと共に演目は終了だ。
歌いながら殿下がこちらへと歩み寄ってくる。
どうやらこれで無事に終われそうだと安心していると、殿下は練習の時よりも一歩分私に近い位置で立ち止まった。
あれっ?と思う間もなく、殿下が私へと手を伸ばした。
その手は差し出された花ではなく私の頭上へと向かう。
殿下は素早くウサギ耳カチューシャを抜き取ると、ポイッと後ろへ放り投げた。スピネルがそれを受け止めるのが肩越しに見える。
「えっ?ええっ?」
何が何だか分からないうちに、横抱きに抱きかかえられていた。
突然宙に浮き上がる感覚に、驚きで歌どころか息が止まりそうになる。
固まる私をよそに、殿下は私を抱いたままつかつかと舞台袖へと歩く。
な、なにこれ?どうなってるんだ?
理解できず混乱するその背後で、舞台上のクラスメイトたちが笑顔で手を振っているのが見えた。
曲が終わり、クラスメイトの皆が観客席に向かって一斉に礼をした。
わあっという歓声と大きな拍手が聞こえ、幕が下りてゆく。
私もまた殿下の腕の中から降りたのだが、その時には大体の事を理解していた。舞台袖へと集まったクラスメイト達は、ニコニコ…と言うよりニヤニヤとした表情で私を見ている。
「み、皆さん…この事を知っていたんですね!?」
…つまり私は、クラスの皆に嵌められたのだ。
耳を取ったウサギを旅人が連れて行く…これは、旅人と山の獣たちの物語のバリエーションの一つ。
実は山の神の娘だったウサギが人間の女性へと変わり、旅人と共に山を降りて夫婦になるという結末を表したものだ。
普通に旅人を見送る結末ではなく、こちらの結末を演出する事を、どうやらクラスの中で私だけが知らなかったようなのである。
イタチに扮したクリードが笑いながら言う。
「この話にはこういう終わり方のやつもあるって、ペタラちゃんが教えてくれてさ。で、そっちの演出の方が良いんじゃないかってニッケルが言い出して。どうせなら内緒でやってびっくりさせようって話になったんだよ」
ペタラ様とニッケルも楽しげに笑っているが、びっくりさせようって言ったのは絶対スピネルだ。間違いない。
思わず睨むと、スピネルは笑いながら肩をすくめた。
「言っとくが、一番乗り気だったのは殿下だぞ?」
「え!?」
驚いて振り向くと、殿下は素知らぬ顔で横を向いていた。
そ、そんな…。
「…皆さん、終わったら速やかに退出をお願いします!」
私はもう少し皆に文句を言いたかったのだが、係の者に呼びかけられてしまった。
そうだった、もう次の発表をするクラスが待っているのだ。
少し恥ずかしくなりながら、皆の後について控室へと急ぐ。
「リナーリア」
女子の控室に入る寸前、殿下の声に呼び止められ振り返った。
真摯な翠の瞳が私を射抜く。
「…もし俺が旅人だったなら、俺は必ず君を連れて山を降りるだろう」
え?と聞き返そうとした時には、殿下はもう隣の男子の控室へと消えていた。
少しの間呆然として、それから我に返り慌てて控室に入る。
「…リナーリア様?」
急いで服を着替えようとしてわたわたする私に、ペタラ様が近寄ってきて首を傾げた。
「そんなに驚かれましたか?ちょっとした悪戯心のつもりだったんですけれど…」
何やら申し訳なさそうにしているので、私はすぐに首を振る。
「い、いえ、違います。確かにちょっとびっくりしあ、しま、しましたけど、何でもないんです」
…完全に動揺していた。
恥ずかしくて赤面する私に、ペタラ様が苦笑する。
「本当にごめんなさい。お着替え、お手伝いしますね」
「あ、ありがとうございます…」
別れ際、殿下が見せた真剣な表情が気になり、妙にそわそわして落ち着かない。
それに、抱え上げられた時の力強い腕。
殿下の胸は、腕は、あんなに広くて大きかっただろうか。
よく知っているはずなのに、何だか急に分からなくなった気がして混乱する。
…きっとあんなおかしなドッキリを仕掛けられたせいだ、と私は思った。
私は生徒会役員なので、昨日までとても忙しかった。
演目の内容チェック、プログラム作成、段取り確認、着替え用の控室や小道具の置き場所の手配、関連書類の整備など、やる事がとにかく大量にあったのだ。
武芸大会の時は出場しない役員が中心になってやってくれたが、こちらは全員参加なので仕事も公平に分担だ。
当日の司会進行は上級生がやってくれるのがせめてもの救いだが、自分のクラスの練習もあったし、おかげで最近あまり王宮魔術師団の所に行けていない。
せっかくセナルモント先生の正式な弟子になったのに。
何とか時間を作っては顔を出し、その度に武芸大会で起きた魔法陣への魔術干渉の件についてそれとなく探りを入れているのだが、どうも調査は行き詰まっているようだ。
やはり、そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないらしい。
それぞれのクラスの発表は順調に進み、プログラムは粛々と消化されている。
順番は予めランダムに決められたもので、私たちのクラスの出番は半分を少し過ぎた辺りだ。また最初とかではなくて良かった。
観客席は両側に生徒がクラスごとに並び、真ん中が保護者たちだ。今回は武芸大会とは違い、見に来られるのは完全に生徒の関係者のみとなっている。
それでも例年に比べ多めに警備員が配置されているが、私としてはその方が安心だ。
先程はティロライトお兄様のクラスの演劇だったのだが、やはり3年生は演出などが凝っているし、時間もいっぱいに使っていて見ごたえがある。
殺陣のシーンに合わせて炎や水の幻影を出していたが、タイミングがばっちり合っていて見事だった。お兄様が中心になって魔術を使っていたようで、妹の私としても鼻が高い。
劇の内容は竜退治を命じられた若者が困難を乗り越えそれを成し遂げるという、この国では馴染み深い話だ。
短い時間ながらもしっかり盛り上がる脚本になっていたし、かなり上位になるんじゃないだろうか。
今はカーネリア様のクラスがダンスをしている所だが、生徒のツテで新進気鋭の振付師に監修を頼んだとかでなかなかに面白い。
全員でお揃いのひらひらとした袖のシャツを着ていて、踊りに合わせて袖が翻るのが美しいのだ。
カーネリア様はさすが騎士課程だけあって運動神経が良く、ダンスもキレが良い。楽しそうな表情も相まってとても目を引く。
女子の最優秀演者の投票でも結構票が入るかもしれないな。
その後も発表が続き、いよいよ私のクラスの出番が近付いてきた。
皆と共にそっと席を立ち、男女別の控室へ向かう。荷物は既に運び込んであるので、すぐに全員が衣装を身に着け始めた。
私も自分の白ウサギの衣装に袖を通す。長靴下は既に履いているので大丈夫だ。
背中のボタンを近くのペタラ様に留めてもらい、カチューシャも着けてもらった。後は靴を白いブーツに履き替えてできあがりだ。
私もまた、ペタラ様の背中のボタンを留める。
「ありがとうございます。リナーリア様、やっぱりよくお似合いですわ」
「ペタラ様もとっても可愛いですよ」
ペタラ様は髪色と似た薄茶色の山猫の耳を着けている。頭からぴょこんと猫耳が生えている様は確かに可愛い。
全員支度を終えしばらく待っていると、係の者が呼びに来た。
「時間です。移動して下さい」
ぞろぞろと舞台袖へ行くと、既に幕が下り前のクラスが撤収した所だった。
そのまま薄暗い舞台に上がり、皆で横3列に並ぶ。
ふと視線を感じて横に顔を向けると、殿下が私を見ていた。
どうも今日はやけに殿下がこちらを見ている気がする。私が失敗しないか心配しているんだろうか?
大丈夫だという意思を込めて微笑みかけると、殿下は真剣な表情でうなずいた。
気合入ってるなあ。
運ばれてきたピアノの横に灰色狼に扮したセムセイが立ち、皆の前に指揮のスパーが立つ。こちらは狐だ。
アナウンスと共に舞台の幕が上がる。
《次は、1年生Aクラスの発表。連作歌曲「旅人と山の獣たち」の合唱です》
私たちの衣装を見て、観客席に若干のざわめきが広がった。この動物のつけ耳はかなり斬新な衣装だからなあ。旅人役の殿下だけは人間の衣装だけど。
それにしても緊張する…。少しでも動悸が収まるよう、こっそり深呼吸をする。
観客の中にお父様やお母様、ラズライトお兄様やサーフェナお義姉様の姿を見付けた。…なんでスミソニアンもいるんだろう?
でも、私より緊張した顔をしているスミソニアンを見たら少し緊張がほぐれた。
セムセイが鍵盤に指を置き、スパーが腕を上げると、客席がしんと静まり返る。
指揮棒が振られ、ゆったりとしたピアノの伴奏が始まった。
最初は、旅人が野山を歩くのどかな曲だ。
爽やかな風が吹き、暖かい日差しが降り注ぐ山道。のんびりと緑の木々の間を歩く様を、明るく穏やかな合唱で歌い上げる。
それから殿下が一歩前に出て、旅人の独唱が始まった。
美しい景色とうららかな天気を山の神に感謝し、山を降りるまでの加護を願う歌だ。
この独唱部分は山越えをする旅人が験担ぎにとよく歌うもので、短いがこの連作歌曲の中で特に有名な部分だったりする。
しかしさすが殿下だ。片手を掲げ、豊かな情感を込めながら歌う伸びやかな声が素晴らしい。
殿下も音楽の教師から集中レッスンを受けたそうだが、その成果はしっかり出ているようだ。
顔は無表情なのに、ダンスだとか歌だとか、こういう感情表現は不思議と上手いのは何故なんだろう…?
旅人の独唱が終わった所から曲調が変わり、テンポも少し速くなる。
自分が道に迷っている事に旅人が気付いたのだ。
日も傾き始め不安を覚えた所で、旅人は怪我をした一匹のウサギに出会う。
私は一歩前に出ると、女声パートによる怯えたような弱々しい合唱に合わせ、身を縮めるような動作をした。
これらの振り付けはクラスの皆で考えたものだ。
特に読書家のペタラ様は童話に詳しいようで、この「旅人と山の獣たち」の物語について様々な解釈や派生した結末などを語ってくれ、大いに参考になった。
殿下扮する旅人がウサギの私を助け起こす仕草をして、一曲目は終わりだ。
二曲目は、ウサギが旅人を宴へと招くところから始まる。
そこに現れるのがスピネル扮する黒狼と、その手下の灰色狼の群れだ。
今度こそウサギを食べようと襲い来る狼たちと、守ろうとする旅人との戦いの曲になる。
アップテンポの勇ましい曲の中、狼の動きは男声パートを中心にした恐ろしげな歌で表現するのだが、スピネルは難しい低音も揺らがずに歌い上げている。見事なものだ。
殿下とスピネルの二人は戦いを表現するために歌いながら大きく動いているのに、歌声がほとんどブレないのはすごいな。普段から鍛えているだけはある。
戦いは徐々に旅人側が優勢になって行き、勝利を収めた所で二曲目は終わる。
三曲目は、旅人と山の獣たちとの宴の曲だ。様々な獣が入り混じって楽しく陽気に歌い踊る。
ウサギや、先程まで争っていた狼たちまでもが一緒だ。それまでの敵意やわだかまりは捨て、全ての者が手を取り合って一時を楽しむ。
私も近くのクラスメイトと手を繋ぎ、歌いながら軽く足元でステップを踏んだ。
この曲もまた、場を盛り上げたい時に演奏する曲として特に平民の間で人気があるものだ。祭りの時などによく歌われるらしい。
最後の四曲目は、宴の翌朝に旅人が目を覚ます所からだ。
小鳥が囀る穏やかで爽やかな朝。旅人は立ち上がり、山を降りるために歩き出す。
そこで再び現れるのが、旅人が助けたウサギ…つまり私だ。
一歩前に出て、身振りを交えながら独唱を始める。
照れていてもしょうがないので、思い切って声を張り上げた。命を救い守ってくれた事への感謝と、旅人との別れを惜しむ気持ちを歌った歌だ。
さらにこれからの旅の無事を祈って、ウサギの独唱部分は終わる。
…な、なんとか音を外さずに歌い切れた…はずだ。
エレクトラム様が紹介してくれた歌の教師にしっかり指導してもらったので、発表して恥ずかしくない程度にはちゃんと歌えたと思う。
旅人を見送るラストシーンの合唱を歌いながら、右手に持った白い花を殿下の方へと差し出した。
これは予め用意しておいた小道具だ。さっき、三曲目が終わった時に舞台袖に走り寄って手に取った。
この花を旅人が受け取り、立ち去る姿を獣の皆で見送れば、曲の終わりと共に演目は終了だ。
歌いながら殿下がこちらへと歩み寄ってくる。
どうやらこれで無事に終われそうだと安心していると、殿下は練習の時よりも一歩分私に近い位置で立ち止まった。
あれっ?と思う間もなく、殿下が私へと手を伸ばした。
その手は差し出された花ではなく私の頭上へと向かう。
殿下は素早くウサギ耳カチューシャを抜き取ると、ポイッと後ろへ放り投げた。スピネルがそれを受け止めるのが肩越しに見える。
「えっ?ええっ?」
何が何だか分からないうちに、横抱きに抱きかかえられていた。
突然宙に浮き上がる感覚に、驚きで歌どころか息が止まりそうになる。
固まる私をよそに、殿下は私を抱いたままつかつかと舞台袖へと歩く。
な、なにこれ?どうなってるんだ?
理解できず混乱するその背後で、舞台上のクラスメイトたちが笑顔で手を振っているのが見えた。
曲が終わり、クラスメイトの皆が観客席に向かって一斉に礼をした。
わあっという歓声と大きな拍手が聞こえ、幕が下りてゆく。
私もまた殿下の腕の中から降りたのだが、その時には大体の事を理解していた。舞台袖へと集まったクラスメイト達は、ニコニコ…と言うよりニヤニヤとした表情で私を見ている。
「み、皆さん…この事を知っていたんですね!?」
…つまり私は、クラスの皆に嵌められたのだ。
耳を取ったウサギを旅人が連れて行く…これは、旅人と山の獣たちの物語のバリエーションの一つ。
実は山の神の娘だったウサギが人間の女性へと変わり、旅人と共に山を降りて夫婦になるという結末を表したものだ。
普通に旅人を見送る結末ではなく、こちらの結末を演出する事を、どうやらクラスの中で私だけが知らなかったようなのである。
イタチに扮したクリードが笑いながら言う。
「この話にはこういう終わり方のやつもあるって、ペタラちゃんが教えてくれてさ。で、そっちの演出の方が良いんじゃないかってニッケルが言い出して。どうせなら内緒でやってびっくりさせようって話になったんだよ」
ペタラ様とニッケルも楽しげに笑っているが、びっくりさせようって言ったのは絶対スピネルだ。間違いない。
思わず睨むと、スピネルは笑いながら肩をすくめた。
「言っとくが、一番乗り気だったのは殿下だぞ?」
「え!?」
驚いて振り向くと、殿下は素知らぬ顔で横を向いていた。
そ、そんな…。
「…皆さん、終わったら速やかに退出をお願いします!」
私はもう少し皆に文句を言いたかったのだが、係の者に呼びかけられてしまった。
そうだった、もう次の発表をするクラスが待っているのだ。
少し恥ずかしくなりながら、皆の後について控室へと急ぐ。
「リナーリア」
女子の控室に入る寸前、殿下の声に呼び止められ振り返った。
真摯な翠の瞳が私を射抜く。
「…もし俺が旅人だったなら、俺は必ず君を連れて山を降りるだろう」
え?と聞き返そうとした時には、殿下はもう隣の男子の控室へと消えていた。
少しの間呆然として、それから我に返り慌てて控室に入る。
「…リナーリア様?」
急いで服を着替えようとしてわたわたする私に、ペタラ様が近寄ってきて首を傾げた。
「そんなに驚かれましたか?ちょっとした悪戯心のつもりだったんですけれど…」
何やら申し訳なさそうにしているので、私はすぐに首を振る。
「い、いえ、違います。確かにちょっとびっくりしあ、しま、しましたけど、何でもないんです」
…完全に動揺していた。
恥ずかしくて赤面する私に、ペタラ様が苦笑する。
「本当にごめんなさい。お着替え、お手伝いしますね」
「あ、ありがとうございます…」
別れ際、殿下が見せた真剣な表情が気になり、妙にそわそわして落ち着かない。
それに、抱え上げられた時の力強い腕。
殿下の胸は、腕は、あんなに広くて大きかっただろうか。
よく知っているはずなのに、何だか急に分からなくなった気がして混乱する。
…きっとあんなおかしなドッキリを仕掛けられたせいだ、と私は思った。
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