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第7章

第62話 古書店と子供

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 記念碑があるという広場の少し手前まで来たところで、古書店の看板を見つけた。
 思わず「あっ」と声を上げた私の視線の先を見て、殿下もその看板に気が付いたらしい。

「古書店か。少し寄ってみるか」
「…いいですか?」

 周りを見ると、スピネルやカーネリア様、テノーレンもうなずいてくれた。

「ありがとうございます!」

 古書店は見た目は小さな店だったが、中は思った以上にたくさんの本があった。
 天井近くまでぎっしりと本が並んでいる。

「わあ…!」
「そんなに嬉しいか?図書館の方がずっと多くの本があるだろ」

 思わず歓声を上げる私に、スピネルが言う。

「王立図書館でも、所蔵されている本には限りがあります。こういう所には、個人で書いた本や既に失われたと思われていた本があったりするんですよ」
「掘り出し物ってやつか」
「そんなところです」

 答えながら、棚に並んだ背表紙に目を走らせる。
 何か面白そうな本はないだろうか。じっくり見たいが、あまり待たせても悪いし時間はかけられない。

 そのうち、一冊の魔術書が目に入った。火魔術の使い手として高名な魔術師の名前が書かれている。
 興味を覚えて手を伸ばしたが、結構高い所にあるので取りにくい。
 一生懸命背伸びをしていると、「この本か?」と横から手が伸びてきた。殿下だ。

「そ、それです。…ありがとうございます」

 本を手渡され、私は目の前の殿下を見上げた。
 こちらを見ている翠の瞳は、私の目線よりもだいぶ上にある。

「殿下、背が伸びましたね…」
「そうだな。また服を作り直さなければならん」

 まだスピネルほどではないが、殿下の身長はこの1年で更に伸びたようだ。前世でも私より背が高かったが、今世ではさらに差が広がっている。
 …なんだか置いていかれたような気がして寂しいな。
 そう思う私に、殿下が少し不思議そうな顔をした。

「リナー…」


 その時、後ろから甲高い子供の声が聞こえた。

「…やめろ、離せよ!」

 見ると、スピネルが一人の子供の首根っこを捕まえている。

「おい。その懐に入れたものを出せ」
「い、いやだ!」

 子供の上着の腹の部分は不自然に膨らんでいる。何か四角いものがそこに入っているのは一目で分かった。

「素直に返せば見逃してやる。じゃなきゃ兵士に突き出すぞ」
「うっ…」

 スピネルに凄まれた子供はびくりと体を強張らせた。その側に、カーネリア様がしゃがみ込む。

「このような事をしてはいけないわ。…そのお腹に隠しているものを出して?」
「……」

 子供はしばらく躊躇っていたが、カーネリア様にじっと見つめられやがておずおずと服の下から本を出した。
 分厚い医術書…?かなり専門的なものに見える。

「どうしてこんなものを?」

 どう見ても子供が読むものではない。
 金目当てで盗むには嵩張りすぎる上に、換金も面倒だ。この町に他に古書店があるのだとしても、すぐに足がつくだろう。
 それに、子供の着ている衣服は多少古びてはいるものの清潔で、それほど貧しそうには見えない。
 私以外の皆も、子供の行動に疑問を覚えているようだ。思わず顔を見合わせる。


「…あの、どうかなさいましたか?」
「えっ!?」

 後ろからかけられた声に驚いて振り向くと、眼鏡を掛けた痩せた老人が恐る恐るこちらの様子を窺っていた。
 どうやらここの店主らしい。騒ぎを聞いて出てきたのだろう。

「あっ、いえ、何でもありません!…そうだ、この本をください。お願いします」

 私は殿下に取ってもらった魔術書を店主に差し出した。

「あ、はい。ありがとうございます」

 本を受け取った店主が精算のために奥に戻る。
 その隙にさっと目配せをすると、スピネルや殿下たちも分かったとうなずいてくれた。



「皆はあっちだ」

 急いで支払いを済ませ買った本を抱えて店を出ると、殿下が待っていた。
 子供はスピネル達と一緒に広場の方にいるようだ。すぐにそちらへと向かう。

「…ぼくの叔父さんが、最近ずっと具合悪そうなんだ」

 子供の名前はアイキンというらしい。
 カーネリア様に事情を尋ねられ、アイキンはぽつぽつと話を始めていた。

「医術師はどうした?診せる金がないのか?」

 アイキンはうつむいて小さく首を振る。

「…お医者さんには、行っちゃダメなんだって。だからずっと我慢してる」
「ダメって、なんで?」
「えらい人にそう言われてるみたい」
「偉い人…?」

 一体どういう事なのだろう。
 アイキンに対し様々な質問をして聞き出してみたところ、話の概要はこうだ。

 彼はまだ年若い叔父との二人暮らしをしている。
 アイキンの父母はつい昨年、魔獣に襲われて死んでしまった。
 叔父はアイキンの母の弟にあたる男で、唯一の身寄りであるために引き取ってくれたのだという。まだ独身で、領主の所に騎士として勤めている。

 若い男と子供の二人暮らしをはなかなか大変そうだが、叔父はアイキンの母親似の優しい男で、両親を亡くして悲しんでいるアイキンをよく慰めて励ましてくれた。
 アイキンもまた、そんな叔父によく懐いていた。

 しかし今年に入ってすぐの頃から、叔父は騎士団の勤めのために週に1、2回くらいしか帰ってこなくなった。
 収入には多少余裕があったので、アイキンの世話は近所の者に頼んだり、家政婦を呼んで何とかしたようだ。
 大事な騎士団の仕事なのだから仕方ないとアイキンは寂しいのを我慢していたが、そのうち叔父の様子がだんだんおかしくなってきた。
 家に戻ってきてもぼんやりとしたりだるそうにしている事が多く、顔色も悪い。しかも、少しずつ痩せてきている。

 アイキンは当然心配したが、叔父は「騎士団の医術師に診てもらっているから大丈夫だ」と言う。
 しかしいつまで経っても良くならないので、再三にわたって医者を勧めると「行くなという命令なんだ!」と怒られてしまい、アイキンはとてもショックを受けた。
 優しかった叔父にそんな風に怒鳴られたのは初めてだったからだ。

 それからしばらくアイキンと叔父とはよそよそしくなってしまっていたが、つい先日、叔父から叔父の同僚の騎士が死んだという話を聞いた。
 どうして死んだのかは教えてくれなかったが、その同僚は叔父の友人で、アイキンも何度か会ったことがあり遊んでもらっていた。
 気のいい男だったが、叔父と同じく近頃は具合が悪いとかで、全く会っていなかった。

 叔父は酷く悄然とした様子で、ますます顔色が悪くなったようだった。
 それを見てアイキンは、このままではいけないと強く思った。


「…ぼく、叔父さんを助けたいんだ。医術の本を読めば何か分かるかと思ったんだけど、すごく高くてぼくのお小遣いじゃ買えないから…」
「…だからって盗むのはダメだろ」
「後で返すつもりだったんだ!」

 彼の気持ちは分かるが、それは立派な犯罪だ。ばれなければいいというものではない。
 それに、彼がいくら医術書を読んでも分かるものではないだろう。医術書は医術師…つまり、魔術を使って医療を施す人間のために書かれたものだからだ。
 だが、それ以前にこれは…。

「おい…どうする?きな臭い匂いしかしないぞ、これ」

 スピネルが顔をしかめながら言った。私もそれに同意する。

「そうですね…不自然なことが多すぎます。まず、他の医術師に診せるのを禁じているのがおかしいです。長期間体調を崩しているなら、別の者に診せるという選択肢はあって然るべきでしょう。
 それに、そんな状態の人間をいつまでも働かせているのもおかしい。しかも週に1、2回しか帰れないような任務にです」
「他の同僚は何も言わないのだろうか?」

 殿下が怪訝そうに言う。
 アイキンの話を聞く限り叔父の異変は誰の目にも分かるほどらしいから、その疑問はもっともだ。

「ねえ、叔父さんには他にお友達はいないのかしら?誰か心配してくれる人は?」

 カーネリア様がアイキンに尋ねる。

「わかんない。でも、叔父さんの入ってる部隊はみんな仲良しだって聞いたよ。みんな、家族がいない人ばっかりだから気が合うんだって」
「……」

 身寄りのいない人間ばかりで作られた部隊。診療を禁止された謎の体調不良。
 …嫌な予感がする。


「王宮魔術師団に通報し、調査を依頼した方がいいかもしれませんね」

 そう躊躇いがちに言ったのはテノーレンだ。カーネリア様が心配げな表情になる。

「でも、ちゃんと調査してくれるかしら…?」

 明らかに怪しいが、何しろ子供の言うことなのだ。どの程度本気で調べてくれるか分からない。
 中途半端に調査が入れば、証拠を掴む前に隠蔽されてしまう可能性もあるだろう。

「死んだという同僚の話も気になるな。アイキンの叔父も、もし命に関わるような事態だったら…」

 殿下が考え込みながら言う。

「その死んだ同僚って、あの古道具屋が言ってた大きな魔獣との戦いで死んだ騎士なんじゃないのか?それなら具合の悪さとは関係ないだろ」
「でも、アイキンには死因を教えていないんですよね?騎士が戦いで死ぬ事もあるくらい、子供でも分かるでしょうに」
「じゃあ別人か。…葬式はどうしたんだ?」

 そこでアイキンがハッとする。

「そういえば、お葬式をしたって話はきいてないよ。他の人のお葬式には連れてってくれたことあるのに」
「……」

 まさか、きちんとした葬儀をしていない?身寄りがなくとも、所属していた騎士団の方で行うはずだが。
 …やはりこれは、何かが変だ。


 私はアイキンに向かって尋ねた。

「その叔父様は、今どちらにいるんですか?」
「今日は休みの日だから家にいるよ。やっぱり具合悪いみたいで、朝から寝てるけど…」

 ふむ。ならちょうどいいな。
 これも何かの縁だろうし、もしも重大な事件だったらと考えると見過ごす事はできない。

「では、私が叔父様を診てみましょう」
「え?お姉ちゃんが?」

 びっくりした顔のアイキンに、私は微笑んで見せる。

「私はこれでも魔術師見習いなんですよ」
「ほんと!?」
「できるのか?」

 殿下に尋ねられ、私はうなずいた。

「人体に関する探知魔術は知っています。治療は難しいと思いますが、診断だけならできるかもしれません。それに、私ならその叔父も警戒しないでしょう。どこから見ても医術師には見えないでしょうし」

 今の私はただの16歳の少女だ。こんな医術師などいる訳がない。
 ここにはテノーレンもいるが、彼ではきっと警戒されるだろう。いかにも魔術師っぽい雰囲気だし。

「そうだな…。なら、調べるだけ調べてみてもいいだろう」
「私もいいと思うわ!」

 殿下とカーネリア様が賛成し、スピネルは「しょうがねえな」とため息をついた。
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