世界の天秤~逆行転生した元従者、王子を救うために奮闘する~

梅杉

文字の大きさ
上 下
68 / 240
第6章

挿話・13 ニッケルの家庭の事情2

しおりを挟む
 数日後、従者と護衛を伴った第一王子エスメラルドがペクロラス伯爵屋敷を訪れた。

「王子殿下!ご無沙汰しております。本日はようこそ当家へいらっしゃいました!」

 父はニコニコ顔でしきりに頭を下げながら王子を出迎えた。
 媚びへつらいが透けて見えるようで、ニッケルは少し恥ずかしくなる。
 王子の方はそんな態度には慣れているのか特に表情を変えたりはしなかった。早速、母の描いた絵を見に行く事になった。


「…これは、ペクロラス領の風景か?」

 尋ねられ、母は「はい」とうなずいた。
 王子に見せたのは、母が最も多く題材としているペクロラス領の山や自然を描いた絵だった。
 王都にいたまま一から描いたので、記憶だけを頼りに描いた事になる。

「所詮、女が趣味で描いた素人画です。お恥ずかしい」

 そう言った父に、王子は首を振る。

「いや。確かに技術は拙いかもしれないが、繊細でとても丁寧に描かれている。心を込めて描いたものなのだと伝わってくる絵だ。…ペクロラス領を愛しているのだな」
「さすがのご慧眼でございます」

 じっと絵を見つめる王子に、父は作り笑いを浮かべた。

「…だが、この絵は未完成ではないのか?」

 王子の言葉に、母はピクリと体を震わせた。

「…お分かりになりますか」
「おい!」

 王子の言葉を肯定した母に、父が咎めるような声を上げる。王子はそれに構わずに言葉を続けた。

「これだけ丁寧に描いているのに、ところどころ妙にぼやけていて描き込みが甘い。…それに、絵が趣味だというのにこの一枚だけなのはどうしてだ?他の絵はないのか?」
「それは、所詮ただの手慰みなので…」
「ニッケル」

 父の言葉を遮って王子がニッケルを呼び、こちらを見た。
 ニッケルは唇を噛んでうつむき、それから王子の目を見つめ返す。

「父上は先日、母上がこちらで描いた絵を全て勝手に捨ててしまったんです。…この絵は、殿下のお手紙を貰ってから母上が寝る間も惜しんで描いたものです」
「…ニッケル!!」
「ペクロラス伯爵」

 怒りの声を上げる父を、王子は再び遮った。

「絵を捨てるというのはあまりに横暴ではないのか。なぜそのように夫人の絵を卑下する。この絵を見る限り、夫人は真摯に絵画に打ち込んでいるように見える」
「し、しかし、絵など何の役にも立たない趣味です。…それに、これのために領地にずっと引きこもって、貴族の妻としての役目を果たしていない」
「…それは、本当に絵画が理由なのか?」

 真っ直ぐに見つめてくる王子に、父は言葉を失ったようだった。「ですが…」とモゴモゴと言っている。
 そこに声を上げたのは、ずっとうつむいていた母だった。

「わ、私が妻の役目を果たしていないというのなら、あなただって夫の役目を果たしていません!いつも社交だの昇進だのと言って、私や子供たちのことなど考えていないでしょう!
 し、しかも、あんな所にずっと通い続けて…!そんな暇があるなら、む、娘たちと話をしたり、ニッケルに稽古の一つでもつけたらどうですか…!!」
「なんだと…!?」

 母はどもりながらも必死で言い募った。今までずっと口答えをしなかった母の突然の主張に、ニッケルは驚いてしまう。
 だがもっと驚愕しているのは父の方だろう。あんぐりと口を開けて母を見ている。
 その様子を、王子は落ち着いた表情で見回した。

「…お互い、それぞれの主張はあるだろう。俺が話を聞こう。…ニッケル、部屋を用意してくれないか。まず夫人から話を聞く」



 それから王子は、宣言通りにきちんと母の話を聞いた。
 そこには従者とニッケルも同席していたのだが、2時間ほど経った所でニッケルは耐え難くなった。
 ニッケルは母の事が好きだしできれば味方をしたいのだが、母にも欠点はある。
 とにかく話が長いのだ。

 要点を押さえるのが下手で要領を得ないし、王都で色々と我慢している分鬱憤が溜まっていたのか、愚痴が多い。しかもあちらこちらに話を飛ばしながら何度も同じ話を繰り返すので、なかなか進んで行かない。
 王子は真面目な顔で相槌を打っているが、従者の方は先程「手洗いに行く」と言ったきり戻ってこない。
 ニッケルもまた耐えかねて「新しいお茶を頼んできます」と言って一度席を立った。

 食堂の方へ行くと、従者がテーブルについてお茶を飲んでいるのが見えた。
 …戻ってこないと思ったら、こんな所で油を売っていたのか。
 姉と妹もそこに同席しているようだ。さらに使用人の少女まで交えて、何やら楽しげに笑いながら会話をしていた。
 姉や使用人はともかく、人見知りの妹までもがやけに心を許している様子なのが少々気になる。

 思わずジト目で見ると、従者は澄ました顔で紅茶に口をつけた。

「母君の様子はどうだ?」
「…まだ殿下にお話を聞いてもらってます」
「そうか。まあ、殿下に任せとけば大丈夫だ」

 お前は何もしなくても良いのか。
 そう胸中で突っ込みつつ、ニッケルは新しいお茶を運ぶよう使用人に頼んだ。


 結局、母の話が終わるまでその後さらに2時間ほどかかった。
 ニッケルはすっかり疲れ果てていたが、王子は「次は伯爵の話を聞こう」と父を呼んだ。
 父の話は母ほどは長くなかったが、それでも1時間近くはかかった。その間も従者はやっぱり戻ってこないままだった。

 王子はまだニッケルと同じ15歳だというのに、驚くほど聞き上手だ。
 要所要所でちゃんと相槌を打ってくれるのでしっかりと話を聞いてくれているのが分かる。あくまで真面目な顔で聞き、話に余計な口を挟もうとしないのも、話しやすい理由の一つだろう。
 それにしても忍耐力が凄すぎる。かれこれ5時間にもなろうというのに、嫌な顔一つしていない。
 身内のニッケルですらとっくに音を上げているのに。

 全て聞き終わった後、王子は父に母から聞いた話を掻い摘んで話した。
 父の娼館通いに対し、母が不満だけではなく不安を抱いていたこと。身体が弱い妹の育て方にもっと心を砕いてほしかったこと。
 絵画は初めほんの息抜きのつもりだったが、この数年真剣に取り組んでいたこと。鉱山で新しい顔料を見つければ多少の金になるし、それで絵画の趣味を認めてもらえるのではないかと思ったこと。

 あれほど頑なだった父も、相手が王子殿下だというのもあるのだろうが、黙って話を聞いていた。

 その後母も呼んで、母に向かって父の話をした。
 母が王都に来ないために社交の際いつも一人で肩身が狭かったこと。離れている期間が長いために妹の教育に口を出しにくくなってしまったこと。
 それから、王都にずっと母が来ない事で男として欲求不満が溜まっていたことなどだ。
 寂しいなどと言うのはプライドが許さなかったのだろうが、要するにそういう事だったのだと思う。

 父母とは違い王子は要点をまとめるのがとても上手かった。話は分かりやすく、短かった。


 王子の話を聞いた父は長い時間沈黙していたが、やがて母に向かってぽつりと呟いた。

「…すまなかった。今まで、お前の気持ちをきちんと考えてこなかった。いや、考えようとしなかった…」

 母もまた、涙を浮かべて父に向かい合う。

「いいえ…。私の方こそ、自分や子供の事で頭がいっぱいで。あなたがどんな気持ちでいるかを考えておりませんでした…」

 二人のその姿は、まるで憑き物が落ちたかのようだった。
 そう言えば、ニッケルがまだ幼い頃は二人は普通に仲の良い夫婦だったのだ。
 いつからああなってしまっていたのだろう。
 母は王子に向かって深々と頭を下げた。

「…王子殿下。本当にありがとうございました。殿下のおかげで夫ときちんと向き合う事ができました。…それに、私の絵を褒めてくださった事も、とても嬉しゅうございました」
「いいや。あの絵は本当に良い絵だったと思う。いずれ完成したらまた見せて欲しい」
「あ、ありがとうございます…!」

「…あの、もしや殿下はこのために当家を訪れたのですか?」

 父が遠慮がちに王子へ尋ねる。

「ああ。ニッケルは茶会でずっと浮かない顔をしていたからな。少し話を聞いたんだ」
「ニッケルが…」
「俺には親の苦労を想像することは難しい。だが、親が諍いを起こしている時の子供の気持ちは想像できる。ニッケルは両親の事も姉妹の事も、とても心配していた。どうかその気持ちを分かってやって欲しい」
「はい…」

 父と母は揃って静かに頭を下げた。



 そして王子は従者や護衛を連れて帰っていった。
 このまま帰すのはあまりに申し訳なかったが、既に日も暮れかけていて王子をこれ以上引き止める方がよほどまずい。
 親子揃って恐縮しながら見送ることになった。

 帰り際、ひたすら頭を下げるニッケルに王子は苦笑しながら言った。

「そんなに気にするな。本当にたまたま話を聞いたから関わっただけだ」
「でも、誰に聞いたんすか?こんな事…」

 我が家は特に注目されるような貴族家ではない。離縁の話が持ち上がったのもつい最近で、噂になるにはまだ早い。
 なぜ王子の耳に入ったりしたのだろう。

「リナーリア。リナーリア・ジャローシスから聞いた」
「あ、ジャローシス侯爵家の」

 その噂は聞いた事があるが、ニッケルは会ったことがない。
 王子ととても仲が良いらしいが、なぜ彼女がペクロラス家のことを知っているのだろうか。

「彼女はとても勉強熱心で、他領のこともよく知っているんだ。…礼を言うなら、彼女に言うと良い」
「わ、わかりました!」


 王子一行を見送ってから屋敷の中に戻ると、母がニッケルへと向き直った。

「ニッケル、本当にありがとう」
「いや、俺何もしてないよ。全部王子殿下のおかげだ」
「そうじゃなくて、絵の話よ。王子殿下に褒めていただけて、社交辞令だとしても本当に嬉しかった…。身に余る光栄よ。今まで頑張ってきた甲斐があったけれど…でも、ニッケルが励ましてくれなかったら、とても描けていなかったわ」
「そっか…」

「…それに、初めてはっきりと口答えができたのも、あの絵のおかげよ。殿下が褒めてくれたあの絵が、ほんの少しだけ自信をくれた…私の背中を押して勇気をくれたわ…」

 目を伏せる母を見て、隣にいた父がためらいがちに口を開く。

「…お前の絵を捨てて、すまなかった。役に立たん趣味だが、王子殿下が認めてくれたものだ。…これからも、続けたいなら続けていい。鉱山に人を送る件も、考えておいてやる」
「あなた…!」

 母は感極まって泣き出した。
 近くで様子を見ていた姉と妹も、こちらへと近寄ってくる。
 母の背を撫でながらニッケルは、ようやくこの家に平穏が戻ってきたのだとそう思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ここは貴方の国ではありませんよ

水姫
ファンタジー
傲慢な王子は自分の置かれている状況も理解出来ませんでした。 厄介ごとが多いですね。 裏を司る一族は見極めてから調整に働くようです。…まぁ、手遅れでしたけど。 ※過去に投稿したモノを手直し後再度投稿しています。

貴方がLv1から2に上がるまでに必要な経験値は【6億4873万5213】だと宣言されたけどレベル1の状態でも実は最強な村娘!!

ルシェ(Twitter名はカイトGT)
ファンタジー
この世界の勇者達に道案内をして欲しいと言われ素直に従う村娘のケロナ。 その道中で【戦闘レベル】なる物の存在を知った彼女は教会でレベルアップに必要な経験値量を言われて唖然とする。 ケロナがたった1レベル上昇する為に必要な経験値は...なんと億越えだったのだ!!。 それを勇者パーティの面々に鼻で笑われてしまうケロナだったが彼女はめげない!!。 そもそも今の彼女は村娘で戦う必要がないから安心だよね?。 ※1話1話が物凄く短く500文字から1000文字程度で書かせていただくつもりです。

女神様の使い、5歳からやってます

めのめむし
ファンタジー
小桜美羽は5歳の幼女。辛い境遇の中でも、最愛の母親と妹と共に明るく生きていたが、ある日母を事故で失い、父親に放置されてしまう。絶望の淵で餓死寸前だった美羽は、異世界の女神レスフィーナに救われる。 「あなたには私の世界で生きる力を身につけやすくするから、それを使って楽しく生きなさい。それで……私のお友達になってちょうだい」 女神から神気の力を授かった美羽は、女神と同じ色の桜色の髪と瞳を手に入れ、魔法生物のきんちゃんと共に新たな世界での冒険に旅立つ。しかし、転移先で男性が襲われているのを目の当たりにし、街がゴブリンの集団に襲われていることに気づく。「大人の男……怖い」と呟きながらも、ゴブリンと戦うか、逃げるか——。いきなり厳しい世界に送られた美羽の運命はいかに? 優しさと試練が待ち受ける、幼い少女の異世界ファンタジー、開幕! 基本、ほのぼの系ですので進行は遅いですが、着実に進んでいきます。 戦闘描写ばかり望む方はご注意ください。

リリゼットの学園生活 〜 聖魔法?我が家では誰でも使えますよ?

あくの
ファンタジー
 15になって領地の修道院から王立ディアーヌ学園、通称『学園』に通うことになったリリゼット。 加護細工の家系のドルバック伯爵家の娘として他家の令嬢達と交流開始するも世間知らずのリリゼットは令嬢との会話についていけない。 また姉と婚約者の破天荒な行動からリリゼットも同じなのかと学園の男子生徒が近寄ってくる。 長女気質のダンテス公爵家の長女リーゼはそんなリリゼットの危うさを危惧しており…。 リリゼットは楽しい学園生活を全うできるのか?!

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

『神山のつくば』〜古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー〜

うろこ道
恋愛
【完結まで毎日更新】 時は古墳時代。 北の大国・日高見国の王である那束は、迫る大和連合国東征の前線基地にすべく、吾妻の地の五国を順調に征服していった。 那束は自国を守る為とはいえ他国を侵略することを割り切れず、また人の命を奪うことに嫌悪感を抱いていた。だが、王として国を守りたい気持ちもあり、葛藤に苛まれていた。 吾妻五国のひとつ、播埀国の王の首をとった那束であったが、そこで残された后に魅せられてしまう。 后を救わんとした那束だったが、后はそれを許さなかった。 后は自らの命と引き換えに呪いをかけ、那束は太刀を取れなくなってしまう。 覡の卜占により、次に攻め入る紀国の山神が呪いを解くだろうとの託宣が出る。 那束は従者と共に和議の名目で紀国へ向かう。山にて遭難するが、そこで助けてくれたのが津久葉という洞窟で獣のように暮らしている娘だった。 古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

処理中です...