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第5章

挿話・11 好敵手

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 今年も春がやってきた。
 カエルたちが冬眠から目覚めるこの季節がエスメラルドは好きである。冬の間はほとんどカエルを見かけないのでつまらない。

 リナーリアに「もう既に城の裏庭でカエルを見かけた」と話したら見たいと言われたので、学院が休みの日に一緒に裏庭を散策する約束をした。
 彼女は休日にはよく城に来ているようだが、行き先は主に王宮魔術師団の所らしく、このように休日に会うのは稀だ。
 スピネルに話した所「俺もあいつにちょっと用がある」と言うので、二人で裏庭に行き待つ事になった。


 やがてリナーリアが勝手知ったる様子でやって来た。今日は春らしい明るい緑色のドレスを着ている。
 まるでカエルのような色だなと思ったが、「その喩えはするな」とスピネルに注意されたので、何と喩えたらいいのかを覚えた。若草色だ。

 彼女が到着すると、スピネルは挨拶もそこそこに怒り出した。

「おい、お前だろ!母上に余計なもん送ったのは!」

 リナーリアは一瞬きょとんとした後、にんまりと嬉しそうに笑った。

「ああ、どうでした?喜んでいただけました?」
「ふっざけんなよてめえ…」

 何の話かと目を丸くしていると、リナーリアが口元に手を当てながら説明してくれる。

「実はですね、先日スピネルのお母君に贈り物をしたんですよ。年明けにブーランジェ公爵からお土産を頂いたので、そのお礼にと」
「礼はいらないっつったろ!」
「でもお手紙だけでは申し訳ないじゃないですか。きっと喜んでいただけると思って」
「むちゃくちゃ喜んでたよ!!クソ!!」

 そう言えば数日前スピネル宛てに遠話がかかってきて、その後でやけにげんなりした様子で戻ってきていた。
 あれはスピネルの母からだったのかと思いつつ、エスメラルドは尋ねる。

「一体何を贈ったんだ?」

 リナーリアはうふふと笑いながらこう言った。

「スピネルの姿絵、です」


「…姿絵?」
「はい。新年のパレードの時の姿を描いたものですね。民の間ではよく売れるんだそうです。もちろん、陛下や殿下の姿絵も売られていますよ」
「そうなのか」

 国王や王妃の姿絵が売られている事は知っていたが、自分やスピネルの絵もある事は知らなかった。

「城下町に行って買ってきたんですが、よく吟味して一番派手で美しく描かれているものを選びました!」
「わざわざ買ってくんな!!」

 リナーリアは物凄く楽しそうだ。
 いつもスピネルにはからかわれてばかりいるので、仕返しができるのがよほど嬉しいのだろう。

「でもお母君は普段貴方と別々に暮らしているのですし、パレードを見る機会もないでしょう?せっかくの息子の晴れ姿を見られないのは気の毒ですよ。せめて姿絵くらいは見たいだろうと思いまして」

 確かに、スピネルは社交シーズンで公爵夫妻が王都に滞在中の時でも、あまりブーランジェ家の屋敷に行こうとしない。
 公爵夫妻と会った時はいつも「もっと屋敷に顔を出しなさい」と言われている。

「なるほどな。良かったじゃないか、スピネル」
「良くねえよ!!恥ずかしい!!」
「スピネルは照れ屋ですねえ」
「お前ほんと覚えてろよ…」

 思いきり睨まれ、リナーリアは少し怯んだようだ。明後日の方向へと目を逸らす。

「そ、それより、早く池に行きましょうよ。カエル見たいです」
「ああ、そうだったな」
「俺はいい。二人だけで行って来い」

 元々カエルに興味の少ないスピネルはカエル観察に付き合う気はないらしい。
「絶対覚えとけよ!」ともう一度リナーリアを睨んでから城へと戻っていった。



「あの人、私に文句言うためだけに庭まで出てきたんですか…」

 念入りに脅されたリナーリアは不満顔だ。
 スピネルは多分、学院で話をすると他の者に聞かれる恐れがあるからわざわざここで言ったのだろう。

「君とスピネルは本当に仲がいいな」

 そう言うわれたリナーリアは「えええ…」と唇を尖らせた。
 しかしスピネルの態度が彼女と他のご令嬢達とで全く違うのは確かだ。
 彼の彼女への接し方は妹のカーネリアに対する時の態度に近い。それにどういう意味が含まれているのかはエスメラルドからはよく分からないが。

 またリナーリアも、スピネルに対してはずいぶんと気安いのが見て取れる。
 他の人間に対する時には見せないような表情を見せていると思う。

「時々羨ましくなる」

 ついそう言うと、リナーリアは複雑そうな表情になった。ややあってから、呟くように言う。

「…私の方が、よっぽど羨ましいです」
「うん?」

 訊き返すと、リナーリアは苦笑してみせた。

「殿下とスピネルは、友人で好敵手なんですよね。そういう相手が近くにいるから、お互い高め合えるんです。…とても素晴らしい関係だと思います」

 そう言われ、エスメラルドは戸惑った。
 確かにスピネルは頼れる従者であると同時に大切な友人だ。好敵手という表現も、きっと間違っていない。
 特に剣術に関しては、スピネルという壁が目の前にあるからこそ努力を続けられているのだとも思う。

 しかし、スピネルにとって自分は好敵手たり得ているのだろうか。
 彼の剣術は確実に自分よりも上だ。近頃は稀に一本取れることもあるが、粘りに粘ってやっとのことだ。
 それに、社交などの面で頼りっぱなしなのは昔からだ。何事においても卒のない彼に、いつも助けられているように思う。

「…殿下?」

 ふいに黙り込んだエスメラルドに、リナーリアが気遣わしげに声をかける。

「いや、何でもない」

 そう答えると、彼女はほっとしたように笑う。

「殿下が私とスピネルの仲を羨ましくて、私が殿下とスピネルを羨ましいなら、順番的にスピネルは私と殿下が羨ましいことになりますね。まあ、有り得ないですけど」

 おどけながらそう言われて、エスメラルドは少し考え込んだ。

「…どうだろうな」
「ええ?」
「スピネルの考えている事は俺にもよく分からない」
「そうなんですか?」

 分かる時もあるし、分からない時もある。リナーリアの事に関しては特にだ。
 いくら親しくとも、全てが読み取れるわけではない。
 彼女が何かを隠しているように。


「まあ、どちらにせよ負けるつもりはないが」

 そう言うと、リナーリアは笑って両手を合わせた。

「さすが殿下です!頑張ってくださいね!」

 これは分かっていないんだろうなと思いつつ、エスメラルドはうなずいた。
 彼女は鈍いとかバカだとか言うスピネルの気持ちが最近分かりつつある。…バカとは思っていないが。

「とりあえず、池に行こう。上手くカエルが出てきてくれるといいんだが」
「あっ、そうですね。楽しみです」

 ニコニコと笑う彼女と共に池の方角へ歩き出す。
 勝負はまだ、始まってもいない。
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