世界の天秤~逆行転生した元従者、王子を救うために奮闘する~

梅杉

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第5章

第39話 年末

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 年末年始の3週間ほどは、学院の冬休みだ。
 生徒たちは自領に戻り新年の祝いをする者と、学院に残り自習をする者に分かれる。
 前者を選ぶ生徒が多数で、特に高位貴族はほぼ領地へ戻る。新年の祝いはどこの領も大事だからだ。

 学院に残る者は実家が遠かったり、裕福でなかったりする者が多い。
 同じ領に仕える者や近くの領の者と共同で馬車を借りれば安く済むとは言え、やはり馬車旅はある程度お金がかかるからだ。
 そして冬場、特に年末年始は王都周辺から人が減るので、臨時就労…つまりアルバイトの口も王都内にはそれなりにある。むしろお金を稼ぐチャンスなのだ。
 王立学院の学生ならば身元もしっかりしているので、手伝いでも護衛でも働き口はすぐに見つかる。


「リナーリア、本当に領に帰らなくていいのかい?」

 暖かい羊毛のコートに身を包み、心配げにそう言ったのはティロライトお兄様だ。
 傍らには旅行鞄を持ったお兄様付きの使用人が立っている。

「はい。ジャローシス侯爵領は遠いですし、冬の馬車旅は体力を使いますので…今年は寮に残ってのんびり過ごします」

 少々迷ったのだが、私は今年は帰らないことにした。
 国の端にあるうちの領は遠いし、風邪やら何やらで体調に不安があると言うのも嘘ではないが、やはり殿下のいる王都を離れたくないというのが一番の理由だ。
 従者のスピネルもこの時期ばかりはまとまった休みを取るはずだし。
 今のところ何の兆候もないが、万一私がいない間に殿下に何かあったら死んでも死にきれない。…まあ、実際一度死んだはずなのに生まれ変わっているんだが。

「これはラズライトお兄様へ渡して下さい。私は元気でやっていますと」

 小さな包みをティロライトお兄様に預ける。中身は私が刺繍をしたハンカチだ。
 刺繍の出来栄えはあまり良くないが、私が魔術を込めた糸を使っているので、ごく僅かながらお守りのような効果がある。
 父や母は秋まで王都にいたが、ラズライトお兄様はずっと領にいるのでしばらく会っていない。きっと私を心配し会いたがっているだろうから申し訳ない。

「屋敷の皆にもよろしくお伝えください」
「うん、分かった。…ヴォルツ、コーネル、リナーリアを頼むよ」

 お兄様はハンカチの包みを懐にしまうと、私の後ろに控える二人を見やった。
「承知いたしました」とコーネルが頭を下げ、ヴォルツもその長身を折りたたむようにして「お任せ下さい」と頭を下げる。

「二人共、私に付き合わせてしまってすみません」
「いいえ」

 二人は口を揃えてそう言うが、やはり少々申し訳ない。
 コーネルにはいつかまとめて休みを取らせてあげたい所だ。

 ヴォルツも、我が領に仕える騎士の息子とは言え彼自身はまだ学生で、俸禄など何ももらっていないのだ。
 私のために王都に残る必要などないのだが、私が帰らないと知ると自分も残ると言って聞かなかった。
「王都にいれば多少の稼ぎを得られますので」とむっつりとして言っていたが、それが目的ではないのは明らかだ。

 私はちらりと振り返りヴォルツの顔を見上げる。黒髪を短く刈ったその精悍な顔は、いつも通りの威圧感を放っている。
 無愛想なのが欠点だが、とても真面目で心優しい人物だ。
 前世ではほとんど交流がなかったが、たまに屋敷に帰った時にはしっかり敬意を払ってもらっていたことを覚えている。



「やあ、リナーリア」

 お兄様が馬車に乗るのを見送った後、私に声をかけてくる者がいた。アーゲンだ。
 アーゲンも実家のパイロープ公爵領に帰る所らしく、仕立ての良い濃紺のコートに身を包んでいて、後ろにはいつも通りストレングが立っている。
 私の後ろではコーネルとヴォルツが頭を下げているようだ。

「君が学院に残るなんて残念だな。ジャローシス領に帰る途中には、ぜひうちの領に立ち寄ってほしかったのに」
「まあ、そんな…」

 私は恐縮したような笑顔を作る。まあ確かに、パイロープ領は通り道ではあるんだけど。

「実は今年、領内に最新技術を使った新たな温室ができたばかりなんだよ」
「温室?」
「陽光を取り込み拡大して光と熱を行き渡らせるものなんだが、吸収を良くする魔法薬も組み合わせた運用を試していてね。寒い季節でも春や夏の花を育てられる」

 私は少し驚いて目を瞠った。温室そのものも気になるが、新技術の話など他領の者に話していいのか。
 順調に成功すれば花だけではなく薬草などの生育にも役立つだろうし、間違いなく儲かる。おいそれと部外者に見せられるものではない。
 前世の記憶にもないから、最低でもあと5年は表に出てこない技術のはずだ。

「…もしかして、先日のお見舞いの白百合はそこで育てたものですか?」
「そうだよ。試作品を転移魔術で送ってもらった」
「なるほど…」

 どうせなら鉢植えで欲しかった…いや、機密だから無理だろうな。切り花をくれただけでも驚きだ。
 とっくに枯れてしまったが、捨てる前に魔術で解析すれば良かった。

「やっぱり、君はこういう話に興味があるみたいだね。少しはうちの屋敷に寄りたくなったかい?」
「……」

 何と答えて良いのか分からず、少し困ってしまう。
 興味は物凄くあるけど、何の代償も無しにただ善意で見学させてもらえるとは思えない。


「言っておくけど、別に他意はないよ。君は信頼に足る人物だと思っているし、君にも僕を信頼して欲しいからね。気が向いたらいつでも言ってくれ。案内するよ」
「ありがとうございます。いつか、ぜひ」

 私は微笑みながらぺこりと頭を下げる。
 うーん、こうやって正面から来られるとやりにくいな。裏があるとはっきり分かれば対処のしようもあるのに。
 そう思っていると、アーゲンは少し残念そうな顔になった。

「そう警戒しなくても良いと思うんだけどな…僕はそんなに悪い男に見えるかい?」
「いいえ、とんでもない。アーゲン様はとても聡明ですし、文武ともに優れた才をお持ちの方だと思っています」

 これは本当の事だ。アーゲンの優秀さを私は認めている。
 学業は文句なしの成績だし、剣術も殿下やスピネルにはとても及ばないがなかなかのものだ。魔術も騎士にしては上手い方だし、真面目に学んでいるのが分かる。
 ただいくら優秀でも味方とは限らないと言うだけで…まあ、敵とも限らないんだが。
 できるだけ仲良くしておいた方が良い人物なのは間違いないとは思っている。

「じゃあ僕に魅力が足りないのかな?王子殿下やスピネル君には敵わないのかな」
「そんな事ありませんよ」

 アーゲンも女子生徒からはかなり人気がある。
 公爵家の嫡男だからというのが一番の理由だろうが、整った顔も優しげな雰囲気も、十分に女性を惹き付ける魅力を持っているだろう。

「本当にそう思ってくれているのかな?」

 だがアーゲンは何やら疑わしげだ。今日はやけに食い下がるな…。
 私にそういう事を訊かないでほしいと思いつつ、できるだけ柔らかく微笑んで見せる。

「本当ですよ。理知的で人当たりの柔らかい所は魅力的だと思います。様々なことをよく知っていらっしゃいますし、打てば響くような会話も聡明さの証左でしょう。…あと、涼しげなお顔立ちは女子生徒の憧れの的ですし、意外に逞しくていらっしゃいますし、肩とか胸板ですとか」
「全然心がこもってないなあ。特に後半」
「えっ」

 ばれている!?と思わずアーゲンを見ると、アーゲンは困ったような呆れたような顔になった。

「君は僕が思っているより、ずっと正直な人みたいだね」

 私は自分の失敗に気付く。アーゲンは私にかまをかけたのだ。

「いえ、その」
「あと君、前から思っていたんだけれど、他の事に比べて外見を褒める時の語彙がないね」
「な…!?」

 またもや衝撃を受ける私。

「君が相手の外見にこだわらない人だって証明だろうから、僕は別に良いんだけどね。でもあんまり男の体格だとか筋肉ばかり褒めない方が良いんじゃないかな。変な誤解を受けてしまうよ?」

 アーゲンの言うことに心当たりがあった私は完全に言葉を失ってしまった。
 違うんだ…別に筋肉が好きな訳じゃないんだ。
 あったら良いなとは思っているが、ただ筋肉があれば良い訳でもないんだ。

「ふーむ…彼のやり方を参考にするのは面白くないけれど、どうも君には言葉を繕わない接し方をするのが良いみたいだね。やっと分かってきたよ」
「…そんな事のためにこの寒空の中で長話をされたのですか?馬車が待っているでしょうに」

 私もだんだん分かってきたぞ。アーゲンは人の不意を突くのが好きなのだ。
 旅立つ前にちょっと挨拶でもするつもりなのだろうと思っていたらこれである。油断も隙もない。
 軽く睨んでみせると、アーゲンはにっこりと笑った。

「そうだね。とても有意義な時間だったよ」

 いけしゃあしゃあとこの野郎…。だが怒ったら負けだと思うので私もまた微笑み返す。

「アーゲン様にそう言っていただけて光栄です。ではどうぞ、お気を付けて」

 言外にさっさと行けと促すと、アーゲンは一瞬だけ苦笑した。

「ありがとう。それじゃあ君も、良いお年を」



「…嫌味な男ですね」

 ようやく去っていったアーゲンを見送ると、後ろのヴォルツがポツリと呟いた。
 いつも無言のヴォルツにしては珍しい。アーゲンが嫌いなのかな?
 見上げてみても、ヴォルツの厳しい顔からは何も読み取れなかった。ヴォルツの考えは殿下よりはるかに分かりにくいのだ。
 殿下は前世よりだいぶ表情豊かになってる気がするしな。表面上はわずかな変化でも、慣れている私にはより分かりやすくなっている。
 近頃はよく分からない事もあったりするけれど。

 しかし、話し込んだせいでかなり寒くなってしまった。

「温かいお茶が飲みたくなりました。二人共、私の部屋でお茶にしましょう」
「はい」
「分かりました」

 うなずくヴォルツとコーネルに私は微笑む。
 私の周囲って妙に無口な人が多い気がするな。不思議だ。
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